半生・反省・繁盛記
(4号)
生家
朝日が東の山影を縮めながら一時間ほど遅く昇り、夕日は西の山影を伸ばしながら一時間ほど早く沈む。雪解に白く光る谷川のせせらぎ、フキノトウが顔を出しうぐいすの囀る春、山々が真っ紅に染まり、熟柿に小鳥の群がる秋。
東西100メートル南北300メートルほどの谷が南に開き、京街道に接する。なだらかな斜面に農地と民家が混在した集落である。集落を上る村道は般若川沿いに進み、集落の外れを蛇行して行き止まり、細い峠道に続く。向かいの丘は、柵で囲んだ牛の共同放牧場と、赤く山肌が見える墓地や山田が散在している。
般若川は「やまがわ」「ハエ」「あかもつ」「かもつか」「あさじ」などの魚。野ウサギが跳ねまわり、かし鳥、はと、つぐみ、のすり鷹が飛ぶ。権現神社は、上の神社。集落の入り口の一宮神社は下の神社。、一年交代の祭礼には子供らがパンツ一丁で組み合う奉納相撲が行われ、権現さんの境内や舞台小屋の天井裏は格好の遊び場だ。
村道から権現神社・竹藪と水車小屋や桑畑の間の、大八車がやっと通れるほどの里道を上る集落の一番高所、段々畑の途中に生家がある。里道は稲束を満載した大八車の父が前を曳き母が後ろを押して渾身の力でやっと上れる。生家からさらに50メートルほど山道を登る段々畑の一番上に、前代からの墓地がある。
苔むした石崖の間を流れる谷川にはわさびが繁る、竹樋で炊事水を取り込む茅葺きの母屋に谷川をはさんだ渡り廊下で一段高所に離れ部屋、その奥に土蔵。前庭の一段下に作業場と便所がある。母屋に牛が同居。たたきの土間と、奥庭と呼んだ奥のたたき、味噌倉と奥庭の隅に父が作った土窯(オーブン)がある。
庭の西端になつめの古木、ぐみ、庭の入り口の石段横に甘柿、庭の真中にある富有柿の木は牛の繋留用。谷川の前に御所柿、蔵の前の甘柿、下の畑の甘柿は枝ぶりも立派な大木でよじ登って柿の実をとるのに難儀をする。
雨後のぬかるんだ村道は材木運搬のトラックがスリップして唸り声を上げる。唸り声が聞こえるや兄と坂道を駆け下り、村道上の畑から木炭自動車を見学した。
農協組合長・皇宮警察OB・教師OBら知識人に・大工・石屋のほかは百姓らの30戸の集落。