半生・反省・繁盛記

(3号)

 

居間の柱に富山の置き薬の袋がぶら下がっていた。こう薬のキャッチコピーに 「いたむところにはりてよし」と書いてあった。姉はこれを「いたむところには、りてよし??」と音読した。母はこれを「痛むところに、貼りて良し」と読むと教えたが、姉の会話での和んだ雰囲気が子供心に気持ちよかった。

6年生の姉の教室は校舎の2階南端にあり1年生の教室は1階の北端だった。あるとき冒険心から6年生の教室を訪ねた。クラスからも歓迎を受け、姉は使い込んだ鉛筆を一本くれ私を諭して教室に戻した。

物心ついた頃我が家に自転車は2台あった。一台は父用の27インチ自転車で子供には扱いにくかったが、姉が使っていた女乗り用の自転車は練習に好都合であった。姉が中学から帰るのを待って借り練習をするのが楽しみだった。これで自転車を覚えた。

 

3歳上の兄はいつまで経っても歳上で追い越すことはできない。昔はしょっちゅう停電があり、家には石油ランプ、ろうそくを常備していた。小学生の兄が針金を螺旋の円錐状に加工して、上部にろうそくを立てる燭台を作った。祖父が感心して喜び近所に孫の自慢した。

スキー遊びも自転車遊びも野鳥捕りも魚釣りも上手に遊び、道具も器用に作った。私は、うらやましさと憧れと面白いのとで、兄のあとをついて遊びまわった。田舎の娯楽に小学校の講堂でたまに映画会があった。自転車の荷台にに私を乗せて2キロの夜道を連れて行ってくれた。

私が人間として形づくられる過程で、兄は大きく影響している

 

実家の下は坂道で、途中に小さな池があった。その鯉が見える道で話したと、村の老婆が言った。妹が生まれたとき私に「礼子ちゃん、かやーげだーなー、おくれーなー(礼子ちゃん可愛いのでちょうだい)」といったら、「あかん!欲しかったら初午さん(初午祭り)で買うて来にゃー」と。

二人の妹はいつまでも乳臭かった。母の匂いでもあった。

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