半生・反省・繁盛記

(2号)

 

汽車

山陰地方には電車はなく鉄道はすべて汽車という。幼稚園で友達が、画用紙をはみ出さんばかりに黒々と力強い蒸気機関車の絵を画いた。教室の壁面に掲出された絵を見て、乗ったことの無い汽車への憧れと田舎者のカルチャーショックを体感した。

実家から最寄の駅まで20キロあり、遠くの親戚が無く汽車に乗る機会は無かった。父にねだって、私たち兄弟を何駅か行って帰る蒸気機関車の乗車体験をした。オーク調の背板、緑のシート、アンパンのおやつを駅前の池の鯉に分け与えた情景など思い出す。親になってから我が子も、京都から新大阪まで新幹線の往復乗車体験をさせた。

もう一度高校時代、父と一緒に汽車に乗った。播但線から姫路で乗り換え大阪まで国鉄に乗った。電車は田舎の汽車よりボックスは小さく、乗車客は多く、前の客とのひざ頭の近さに気恥ずかしく緊張して乗車した。電車の乗り換え、地下街の歩行に田舎者の父が私に都会をを案内してくれたのを見直した。

 

集落を流れる般若川から続く小さな峠を越えた村に、鬼子母神がある。毎年縁日の出店が楽しみで、少しばかりの小遣いを握りメンコや日光写真・紙火薬のピストルなどおもちゃを求めて峠越えをした。はしゃいで帰りの下り坂を走ったことから勢いあまって、谷川に落ちずぶ濡れになった。

小さな峠と、さらに次の村を抜けた大きな峠を母と歩き、親戚を訪ねた。母が夜なべをして柏餅などを作り土産に持ったが、土産の餅を造る気配と旅行の興奮でなかなか寝付けなかった。母は土地の農婦に峠への道を尋ね、礼に柏餅を渡した。「ちょっと礼をすれば互いに気持ちの良いものであろう」と私に教えた。

 

ソリ

実家の横手から丘ん谷という山に登る坂道は雪が降ると絶好のスキー場だった。孟宗竹を1メートル丈・5センチ幅程度に割り、一片の10センチ程度を火にあぶって湾曲させたものが滑走面になる。これに板切れの座席を取り付けソリになる。雪まみれになって暗くなるまで遊んだ。近所の子より少し後れてからでも父が作ってくれたのは嬉しかった。

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