思ったことBOX NO7

 与えられつづけた夏休み 今度は私の番ですね。 No71 (99/8/18)

 明日でいよいよ夏休みも終わり。とにかくこの夏休みは、いろんなことを「与えられた」
って、思う。いろんなとこで食べたおいしいご飯、ホテルのきれいな部屋、コンサート、ミュージカル、水族館、インターハイでは、「いい試合」、いろんな建物、楽しいお店のディスプレイ、美しい風景、それから、友達からもらった元気、たくさんの本、etc.
 前になっちゃんの学級通信にまどみちおさんのこんな詩がのっていた。

 「朝がくると」  まど みちお
 
 朝がくると とび起きて
 ぼくがつくったのでもない
 水道で顔をあらうと
 ぼくが作ったのでもない
 洋服をきて
 ぼくがつくったものでもない
 ごはをむしゃむしゃたべる
 それから ぼく作ったものでもない
 本やノートを
 ぼくがつくつたのでもない
 ランドセルにつめて
 せなかに しょって
 さて ぼくが作ったのでもない
 道路を

 ぼくが作ったのでもない
 学校へと
 ああ なんのために
 
 いまに おとなになったら
 ぼくだって ぼくだって
 なにかを 作ることが
 できるように なるために

 さて、私は、結局、ものをつくることは、できないんだけど、今度は、私が何かする番だなって思う。
 2学期。とりあえず、私ができること。やってみようっと。


 茶のみの場としてのHPNo72 (99/8/22)

 HP。はじめは、まあ、自己満足でいいやって感じで始めた。だんだん、自分をさらけだすことについて「これでいいのかな」って思った時期もあった。今までは、「自分の身のまわりのことについていろいろ発見できれば」と思って作ってきた。実際、いろんなことに目をむけるようになったし、『逃さないぞ』みたいな心意気もでてきたし。
 でも、このごろ、また、私のHPの意味が変わってきたんじゃないのかなって思った。
HPって、それぞれ「価値」みたいなものが欲しいなって思っていて、例えば、役に立つ情報とか、何かの情報の交流とか、そういう点からみると私のページって、あんまり意味とか価値とかないわねえって感じていた。だけど、このごろ、身のまわりの親しい友人たちがたくさんインターネットを始めて、来てくれたり、ネットで親しくなった人たちが毎日見にきてくれたりして、掲示板に書きこみしてくれたり、メールもらっているうちに、私のHPってインターネット上の「喫茶店」みたいなところになっているかもって思い始めた。
 それも、気取らなくって、とりあえず、コーヒーというより、麦茶とせんべいがでてきて、
ちょっと休憩する場所って感じかな?ともだちが常連さんって感じで、特にそれ以上の人が多く来ることものぞまないし。でも、時々ひょいとここに来る人がいて、ちょっと気分転換してって感じでもいい。
 って考えたら、ちょっと楽しくなってきたなあ。自分のお店を持つのに感覚が似ているのかな?来てくれた人がちょっとでも、楽しくなってくれるといいなあ。ほっとしたりね。
くすくすって、笑ってくれたりしたら、最高です。

大人の気合いも大切だよね No73(99/8/24)

 夏休みの前の期末の面談の時、「このままではやばい」と思ううちには、計算や文字の習得について、「夏休み中に特訓すれば、回復しますから、がんばってください。」と気合いをかけた。通信票にも、「できていない」とはっきりと書いた。
 その言葉に「やらなくっちゃ」と計算の特訓をしてきたおうちの子が、今日の授業の時、別人になっていたので、もう、びっくり。「毎日、お母さんが問題を出してやりました。」と答えた。その子は、本当にうれしそうに自分の全部まるになったノートをながめていた。
それを見て、「大人の気合いで子どもは変わる」って思った。
 逆に、結局、「まあ、なんとかなるでしょ」って、感じで、なにもやってないところは、もう、前進どころか後退しているんだなあ。これが。
 子どもは、4年生になったら、もう言うこときかなくなる。この低学年の言うことをまだ聞くうちに、ある程度大人は気合いをいれて育てれば、その分、確実に子どもに影響すると思う。もちろん、おしつけすぎるのもよくないけどさ、その子をどう育てたいかってこと考えて。
 それは、おうちの人だけじゃなくて、私にも言えることなんだけど、私が気合い入れると、
やっぱり、子どもたち、伸びるもんねー。まあ、私の場合、気合いいれすぎて、暴走するのが怖いという話もあるけど。

 JUSTなタイミング(99/8/28)No74

 夏休みの作品のコメントがまだ、終わらない。絵日記がまだ、残っている。
やっぱり、すぐに返さないと、子どもたちは、冷めちゃうよね。いろんなこと、相手が、「今欲しいと思うタイミング」でやることが大切だなあと思う。
 朝顔の種をまいた時、種まきをした後、たくさん水をかけないといけないんだけど、私、さぼったら、他の子どもたちのはすぐ芽が出たんだけど、私のはずっとでなかった。
後から、かけたけどだめで、やっぱり、「そのタイミング」でやらなくっちゃないんだなって思う。早すぎても、遅すぎてもだめ。
 あっ、そうだ子どもの読書指導の基本でも「適者に適時に適書を」なんだよね。

というわけで、いろんなことをJUSTなタイミングでやるには、それなりにまめまめと動かないといけないなあと思う今日このごろです。

 日本語は難しいなあ。(99/9/1) No75

 夏休みから「日本語練習帳」をちょこちょこやっているんだけど、ほんとうに、日本語って単語の意味が深いんだよねー。じいっと考えながら、このごろ言葉にちょっと反応しながら暮らしていたんだけど、今日、やってしまったよー。
 同僚の先生のうちの犬が夏休み中危篤状態だった。今日、同僚が病院に薬をもらいに行くみたいなことを行っていたので、元気になったんだー、よかったなあって本気で思っていて
「あっ、持ちこたえたんですね。」っていたら、「なんか、まるでまだ生きているんですかって
いいかただよ。失礼なあ」と言ったので、どうしようって思った。
 あれ?「持ちなおした?」のまちがい?「持ちこした?」こんな時、なんて単語がいいの?
と頭の中がぐるぐるする。とりあえず、そういう意味じやなくって、だって、うちでも犬飼っているし、絶対そんな言い方はできないよーとその後、言葉をたくさんたくさん使って、あやまったけど、たった一言が、こんな誤解になるなんて、日本語は難しいです。はい。

 NO PAIN NO GAIN  (99/9/4)No76

 チャゲアスの歌に「NO PAIN NO GAIN」という曲がある。英語、苦手だから、まちがっていたらごめんなさい。「痛みなくして、得られない」という意味だと思うんだけど。
 逆に、痛みがあった時に、何かを得るって、逆の意味にとれるかなって思ったのでした。


 昨日、同僚と話していたときに、「わたしさー、もう、いろいろバトルで起こして、めんどくさいの、やなんだよね。だから、今は、ほんとに、決められたことをふつーに、やっているだけ。それって楽なんだよね。そうすると、文句もこないし、目もつけられないし。きっと、もう、見ちゃって、大変だから、もう飛ぶのやめようって思っているのかも。」
という話をしたら、「それは、年とったかもねー。だけど、ようするに、それって、くりちゃんは、その先を目指してないんじゃないの?もっと、先をめざしているんだったら、飛ぶはず゛しょ」
って、返ってきた。「もっと、先にあるものを見るために、飛ぶんでしょ」と。
うー。おっしゃる通りって感じ。
 何かを実現しようとする時に、すんなりうまくいくことの方が少ないんだから、その時のさまざまな痛みが力になるって信じて、前に進まないといけないのかな。
 久々にチャゲアスのアルバムを聴いていて、そんなことを考えたりして。

 No pain No gain  飛鳥 涼

 小舟のように傾きながら
 君と揺れながら行く 僕の毎日
 
 イスとりゲームみたいな波をよけて行く
 時にあやまちも次の波じゃ正しい

 ここからは今までより ずっと早そうな時間
 だけど僕は まだ僕はだめになりはしないさ

 no pain no gain
 積み木のようなこの都会もうごいている
 
 rising and falling
 痛めつけた胸に手をあてたままじゃ空しい
 
 いつも最後まで上手く使えなかった
 消しゴムや鉛筆やぼくの気持ち

 病を書きこむ 白いカルテのように
 僕の生きる理由は君に書きこんでいたい

 ここいらが僕の答えと 思いついてしまう
 だけど僕の まだ僕のくつひもは切れちゃいないさ

 no pain no gain
 積み木のようなこの都会も動いている

 rising and falling
 少しばかりの寂しさも生きる理由

 もう少しだよ あと少しだよ
 まだまだ僕はダメにはならないさ

 no pain no gain
 積み木のようなこの都会も動いている
 
 rising and falling
 少しばかりの寂しさも生きる理由



 ねえねえ、さっちゃん、この曲、福岡で聴きたいなあ。どうですか?

 ポストペットの手紙 (99/9/4)No76

うちのケンタくんも運んだメール183通。「仕事に愛が芽生えました」
 そしたら、この前、私の知らないところで、なみちゃんにメールを出していた。


ヘイ、なみ。 > まった? ゴメン!  > 略してマタンゴ!! > いつもくりのメールを運ぶイヌ、 > ケン太だよ。 > ときどき兄貴風吹かすよ! > ロックンロール兄貴ウインド。 > ビュービュー。 >

それから、ケンタにさっちゃんとこのチャッピーから、メールが来た。

くりさんは、さちのことをどう思ってますか。 > いっぱいメールを書いてるようですが、好きなのですか。 > > 好きなのなら、もっとメール書くです。 > そしてケン太に届けさせるです。 > そうするとチャッピーも嬉しいです。 > これぞ一富士二鷹です。 > > そんなわけでよろしく。 > > 以上。 > > ----- > チャッピー

ときどき、ポスペットのコメントって、あやしいのあるんだなあ。
ケンタは、これでみると、のりのりだね。そして、チャッピーは、ちょっと折り目正しい感じ。
でも、コメントが結構へん。

仕事の指なんだけど、やっぱり恥ずかしい。(99/9/6)NO77

 この前、指占いをしていて、組んだ時に、上になる手で、人差し指が薬ゆびより長いと、あげまん、薬指の方が長いとさげまんみたいなことしていたんだけど、指をそらした時に、恥ずかしかった。
 まず、手は赤ペンだらけ。それから、うさぎの草取りを毎日しているので(手でむしる。)当然爪はどろが入っている、あー、悲しいと思った。
 普段、ピアノ弾きだし、仕事がら、マニュキュアとかできないし、爪のばせないし。
もっと悲惨なのは、版画の季節。たくさんたくさん刷るし、インクはお風呂に入ってもなかなか落ちない。コンビニでおつり受け取る時なんか、赤面してしまう。
 「仕事の指」なんだから、仕方ないんだけど、お年ごろの私としては、やっぱり恥ずかしい。
「おしゃれな指」は、無縁の世界かなあ。

わくわくの感じがいいなあ。(99/9/14)NO78

 結構私は、いろんなことに手を出すタイプなんだけど、わりと長く続いているものも多い。
テニスは、9年以上、ピアノは20年以上、コンサートはもう10年以上通っているし、だらだらと続けるみたい。そして、パソコンは1年くらいかな。だらだら続けているのは、やっぱり楽しいからなんだけど、はじめたころの、わくわく感は、やっぱり薄れていく。どこか惰性で続けているみたいな。
そして、「あたりまえ」の感覚になってしまう。日常の一部というか。
 コンサートに行って、始まるあのどきどき感を感じない自分にショックを受けることもあったな。
 さて、昨日、この前、インターネットを始めたばかりのなづきさんからメールをもらった。もう、うれしくてうれしくてっていうわくわく感が伝わる。それから、樹くんつながりでお友達になったあきちゃんからは、「HP作ろうと思ってー」って、メール。「何にしようかなー」みたいな感じで、これも楽しい気持ちがあふれている。この前の、テニスの時も、「テニスうれしいなー」みたいな人と一緒だったので、「あー、この感じはちょっと忘れていた」と思った。
 楽しみ方って、最初のわくわく、そして、くり返されることによって得られる熟練の楽しみなど、
あるけど、いかに長く楽しもうって思える気持ちをもちつづけていられるかが大事だね。
 いろいろメールをもらって、初心をいろいろ思い出した今日このごろ。
 テニスもピアノもパソコンもちょっとずつの進歩を望みつつ、それを楽しむようにしたいなあと思った。

 みんなに育ててもらっているんだなってこと  (99/9/16)No79

 昨日、ふと、HP作って、だれも見にきてくれなくて、メールもこなくて、掲示板にも書きこみなくてもし、そうだったら、続けていけるのかなあって。そんなこと考えていたら、掲示板使えなくなるというこの状況。やっぱり、つまんない。でも、メールいただいて、大感激。
 それで、気がつきました。やっと、カウンタも5000を超えたけど、いろんな人が見てくれて、それだけじゃなくって、書きこみしてくれたり、メールくれたり、そのことによって、このページを育ててもらっているんだなあって。しみじみと。
 やっぱり、「見てもらっている」ということが、はげみになるし、力になります。
今のところ、結構元気よく、すくすくと育っているって気がします。
 いつでも、生きているページにしたいな。問題は、ビッグローブの容量かな?(笑い)

当たり前のことだけど、すべては有限なんだよね。(99/9/18)No80

 ビッグローブの容量5MBにこのページも近づいている。
いるものをとっておき、いらないものをどんどん削除していかないと、いっぱいになりすぎる。
 このごろ思うんだけど、才能もお金も、時間もすぺては有限なんだよね。そして、無限なのは、その中でどうやって工夫するのかってことだよね。
 自分の限界にがっかりしないで、規定されている有限なものの中で、アイデアという無限の可能性を働かせていきたいなって思う今日このごろ。