OMOTTAKOTOBOX vol.2

vol.1

タイトルをクリックしてください。いつものことですか、作成画面と転送画面がずれるんです。

No11 なわとび大会      No12 一人暮しで、かぜを引くと    No13わたしの仕事 

No14 ホームページを作って   No15 追求する姿勢         No16 座右の銘

No17 取り残される気持ち   No18 りーやんからの手紙とリーやんママからの手紙

No19 批判に負けないこと   No20 さよならシビックちゃん


  なわとび大会    (99/2/20)No.11
  今日、学校でなわとび大会があった。ある基準をクリアすれば賞状がもらえる。4年生は後ろとび1分だった
  後ろとび1分は、できそうで、結構つらい。はじめは、6人位しかできなかった。
   体育で練習しているうちに、次々と跳べるようになっていったものの、うちのクラスの子どもたちは、進んで練習しようとはしなかった。もちろん、   こちらから働きかければ練習をした。 しかし、あくまでもそれは、やらせらせているという感じだった。
   気持ちは、分かる。百人一首や一輪車、係活動など、子どもたちは、今、いろんなことに夢中になっているので、地道な縄跳びには、気持ちが向  かなかったのだ。
   しかし、その中で、5〜6人の子どもたちが、主体的に練習をはじめた。ストップウォッチを借りに来て、朝も、昼も練習した。
   そして、そこで練習していた子たちは、次第にとべるようになった。私も一緒に練習をしていたので、この子たちが、みんな跳べるといいなと思っ    た。しかし、本番で一番熱心に練習していた2人の子が1分を前にひっかかってしまった。さらに悪いことに、全く練習をしていなかった子どもた   ちが、何人も跳べた。(それまで、跳べなかった子まで)
   教室に帰ってくると、跳べたと喜ぶ子どもたちと対照的にその2人の子は泣いていた。くやしかったのだろう。私も、その子たちが、練習をしてい  て、今日の頑張りノートにも、゛今までの練習の成果を出したい。゛ と決意を書いていたのを読んでいた。
   今から、学級通信を書くが、きっと「結果」を書くと、クリアしたとこの親は、安心するに違いない。どんなに、練習をしなくても、しても、
  親は、結果の部分を気にする。私は、何とか、「練習する過程」のこの子どもたちの一生懸命な姿を家の人に伝えたいと思った。
   悔し涙に泣きじゃくる2人に、「先生は、ちゃんと分かっているから。一生懸命練習していたことも、1分とべたことも。あなたたちのことは、
   見ていたからがっかりしないで」とノートにそれぞれの子どもたちの様子を家の人たちに向けて書いた。
   帰りの会の時、「練習しないでできた人は、ラッキーでしたね。でも、先生は、誉めないよ。」と言った。本当は、その人たちだって、一生懸命やっ   た結果なんだけど。クラスの雰囲気は、最悪だった。


  一人暮しで風邪を引くと  (NO11 99/2/24)
   この週末、かぜを引いてねこんだ。日記のコーナーでもずいぶん、「かぜをひいた」と連呼していたから、ずいぶんお見舞いメールなどをもらい、
  すごいうれしかった。
   今回の場合、普段はお気楽極楽一人暮しの悲惨な一面を見てしまった私。はっきりいって熱でうなされながら泣きました。
   だって、全然動けないの。トイレ行って,はいた後、動けなくてぼーっとして、とりあえず布団に戻るとものすごい悪寒。がたがたなりながら、
  布団かけるんだけど、寒くてストーブとヒーターと2台つけて、加湿器つけて、うずくまる私。そして、水分とらなくっちゃと思ってポカリを飲んでいると
  ポカリは,なくなるし、何よりもがんがんストーブつけているもんだから、あっという間に石油がなくなってしまった。
   これは、あんまりだと思って、とりあえず、着替えて石油を買いに行こうと思うと(この時点で熱39度をすぎていた。)下に下りると、車は大雪で
  埋まっている。石油缶2つ車につっこんで、雪を払う。体温があるんだかないんだか、寒いんだか暑いんだかもうろうとなる。
   ガソリンスタンドに行って、石油を買い、ポカリを買い、アパートに戻ったが、この重い灯油缶を2階まで運ばなくてはいけない。
  ただでさえ、重いもの運ぶの苦手なのに、もうこのまま階段で寝ちゃおうって思ったほどだった。
   これは、日曜日の夜の話。本当に本当に今回は、一人暮しの天敵は病気だと思った。家族から電話が来て、指令がくだる。
  はあ。この2日間は悲しかった。
   今回の風邪で、常備しておくべきものは、「ポカリスエット」「熱冷まシート」「石油」「ビィダーインゼリー」「レトルトおかゆ」と分かった。
  そして、こうしてまたまた、たくましくなっちゃうんだよね。それもまた、悲しい。
  

  わたしの仕事  (99/3/2)
 

  この仕事をしていると、突然意識が集中してしまい、街の中の見え方が違って見えることがある。
例えば,「消防署」の学習をしていると、防火水槽とか消火栓が目につくし、「星」の学習をすれば、冬の夜空が気になるし、「地層」の学習をすると、運転中も「あっ、地層」と見てしまうことがある。
 今まで気にもしなかったことが、色鮮やかに見える時の感動は、結構格別である。
 このごろは、「低地のくらし」とかやると、柳川市のニュースに反応するし、「雪国のくらし」をすると青森の豪雪地帯
の人々のニュースに目がいく。
 世の中には、いろいろな専門分野があり、それぞれの見方で世の中のものが見えてくると思う。
私の仕事は,「物を見るための心の目」を育てることなんじゃないかなって、思っている。いいことも、悪いことも。
 

 ホームページを作って    (99/3/6) No14

 ホームページを始めて、1ヶ月がたった。
だんだん、このページを読んでいる「常連さん」も固定化しているのではと思う。毎日大体、20人位訪れているようだ。
 ホームページのアドレスを結構、周りの知っている人に教えてあるので、身近な人もずいぶんみてくれている。
まあ、友達と会う機会に話した時などは、割と意見が分かれて、自分のことをさらけ出す感じで、自分にはたえられないという人も何人かいたし、私自身の生活が分かって楽しいという人もいた。
 毎日更新しているので、確かに、「私生活の無い女」状態になっているのは、否めないかもしれない。考えていることなどもみんなに筒抜けだし、それが、毎日会う人も見ているとなると確かに恥ずかしい部分もたくさんある。
 でも、良いこともたくさんあって、今は、「いろいろな事柄に興味が持てる」ことや、何よりも自分自身で、今どう感じているのか、どう考えているかがとても良く分かる。つまり、自分自身が文章によって表現されることによって、自分の分身が、ホームページにできあがって、まるで鏡のようなのだ。
 今は、毎日の同じような日常に埋もれないように、一日の中で、一つは輝くものを見つける作業が日記の更新の目的。そして、その見つけたものを磨く作業がが「思ったことボックス」の更新の目的である。
 仕事にしても、日常生活にしても、常に手探りで前進しているから、暗闇で掘り当てたものをじっくりと光に照らしてみてみたいという欲求がホームページ作りにかりたてている理由かもしれない。
 

 追求する姿勢    (99/3/10) No15
 

 この前、「愛の貧乏脱出大作戦」という番組を見た。ピンチのお店の人が、一流の店に行き、修行して、店を再建するという番組である。修行後、「抜き打ち検査」というのがあって、その一流の店が言っていた言葉が「よりよい素材、より熱い物、よりうまい物を求めなさい」というものだった。
 見ていると、売れないお店の人は、妥協があった。「こんなもので、いいや。」という姿勢。
その姿は、今の私の仕事に対する姿勢でもあるのではないかと、反省させられた。このごろ、私は、「こんなものでいいや」とよく思ってしまう。毎日が妥協の連続だし。
 日読会という朗読の勉強会があって、そこで、「注文の多い料理店」に出てくる、「木の葉」の読み方について、「きのは」「このは」どちらなんだろうっていう話があって、うやむやになっていたのだが、一緒に受講していた大学の先生が調べて、メンバーに手紙をくれた。それから、゜くま゛の発音について、アクセント辞典を調べても納得できないということがあったら、アナウンサーの方がいろいろな辞典を調べて、それも連絡してきた。
 つまり、そういうこと。「わからないことをそのままにしておかない。」「追求する姿勢」、それが、「本物」を目指すということなのだ。
 この2・3日そんなことを考えて過ごしている。

 座右の銘   (99/3/14)  No16

 これは私の座右の銘の吉本ばななさんの文章です。
昔、ananに載っていた記事で、私は、この文章を切りとって、持っているのですが、
よくなくすので、この際、書いておこうと思いました。
仕事とか大変だったりする時、これ読んで、元気をだします。

運をつかむというかなんというか    by 吉本 ぱなな

 運をいかしたり、つかんだりするのに一番いいのは、なんといっても、己を知ることとでしょう。
 それから、最終的には、なんでも笑ってすませる感覚が大切でしょう。
 それから、人にしてあげたことは自分に帰ってくるというのは本当だと思う。
 反対に、人にしてほしくないことは、自分もしない。
 それから、ある人について、その人の目の前で言えないことは、他の人の前でも言わない。
 これだけのことができないという人が多いのかもしれないけれども、それは、むつかしく考えすぎだと思う。
 
 (中略)

 それから、何かとすぐつらいとか苦しいとか楽をしたいとかってひよわな現代っ子の私もよく思うけど、
 それくらいのことを大変だと思っているようだと、それじゃどうなら満足するのだろうって思い直して、とりあえずひいこら
 言いながらそう言う自分を外から見て笑ったりしながらがんばると、いつのまにか時間が過ぎて、うまくいっていることが
 多い。
 いやなことは、いったんおあずけにしたりするのもこつだ。
 だいたい、寝たままで、お金がどんどん入ってきて、もてて、いつのまにか素晴らしい結婚をして、子どももいつのまに 
 かいて、寝たまま天寿をまっとうしたい人が本気でいるのかというときっといないから、人は、きっと自分を燃焼したい生 きものなのだろう。
 地球の資源も大切にしなくてはいけなくなってきている今日このごろ、自分の中に眠る資源も大切に使った方がいい。
 一日は、誰にでも24時間ある。みんな体を一つと個性を一つ持ってこの時代に生まれてくる。
 それから、親も友達も恋人ももちろん本人もそのうち死ぬ。あれこれ考えていても仕方がない。
 たとえ一年間道に黙って、座っていたって、毎日違う光景が目の前に展開する。
 それこそが、「運」の風景というものだろう。
 自分に閉じこもったり,見ないようにすることができるのは心の方だけだ。
 運は、毎日、四季のように、雑踏の人々のように確実に変化しながらあなたの前を過ぎ去って行く。
 何もしないでいる自由もこの世には、もちろんあるが、目の前を何か好きなものが通ったら、はっとするくらいの心の余  裕が捻出できないわけがあるだろうか。
 きっと、誰にでも、そういう力は、さずけられていると思う。

 取り残される気持ち  (99/3/19) No17

 卒業式練習をしていて、卒業する六年生が無性にうらやましくなることがある。
彼らは、小学校を卒業して、次のステップに進む。私は、小学校に残る。
何となく、取り残されたような気持ちになるのだ。
 小学生は、成長が早い。どんどん変わっていく。身長も運動もいろいろなことも、どんどん上達し、成長する。
時々、その成長に追いつけない自分に気がつき、そして、そんな時も取り残された気分になる。
 私は、小学校を4つ転校した。いつも、「行ってしまう人」であり、「残される人」ではなかった。
「行ってしまう人」は、新しい世界が開けるので、「前のこと」を思い出すことは、少ない。
しかし、「残される人」は、世界が変わるわけではなく、その人がいなくなった空間だけが、残るのだ。
だから、「残される」立場になると、「行ってしまう」時よりも、寂しさは募るなあと感じる。
 サムシングエルスのラストチャンスに「自分だけが取り残されるようで」という歌詞があったが、そのように感じることが増えたのはいつのころからだろう。
 小学校の時の計算ができなくて放課後残された時。高校の時、友達がたくさん合格して、自分が大学に落ちた時。
そして、親しい友達が、大学生活をエンジョイしているころ、自分は、浪人生活を送り勉強していた時。同期で採用になった人たちが、次々と転勤する時。高校生のころ、バレー部で試合に出してもらえず、応援ばかりしていた時。友達に彼ができて、お互いになんとなく気持ちが離れて行く時。そして、周りの人たちが、どんどん結婚していく時など、こうしてみると、結構取り残される気分というのは、自分だけが、状況が周りの変化についていかないときに起きる。
 どうして、このままじゃいられないのかなって、しょっちゅう思う。「変わらないこと」は、本当にいけないことなのかなって、
もちろん、成長が止まるのはいやだけど、周りの変化についていけない今日このこ゜ろ。「取り残される」気持ちに時々負けそうになる。


 りーやんからの手紙とりーやんママからの手紙 、そして昔の教え子から  ( 99/3/20) No18

 今日、うちのクラスのりーやんと、りーやんママから手紙をもらった。それから、家に千穂ちゃんから手紙が来ていた。
うれしかったので、書いておこうと思う。私は、普段、職人さんととか、食べ物屋さんとか、お医者さんとか、ものすごく直接人の役にたっていると実感できそうな仕事の人をいいなあと思う。
 教師の仕事って、本当にその人の役にたっているのかが、あんまりよくわからないところあるし。
 ただ、今日みたいな手紙をもらうと、「少しは役にもたっているんだ」と思ったりして、元気が出る.
  
  りーやんの手紙 
    
くりちゃん先生へ  (とホントに書いてありました。)
 先生と会ったときは、どきどきして、「どうしよう」と思ったけど、先生に「心配しなくても大丈夫」と言われて、安心しました。
その時は、とてもうれしかったよ。先生との毎日は楽しかったです。先生はアイデアマンでいろいろな楽しいことができて、楽しい毎日でした。
 この調子で今度の学年もがんばって。私の5年生のめあては、「明るく,元気に」でする先生のことを見ていて、決めたの。
だから、先生もファイトでね。何か相談があったら、何でもok。どしどし、言ってちょうだいね。

 りーやんママからの手紙 
 2年間ありがとうございました。最初、担任と聞いたときは、「宿題の多い先生」と風のうわさに聞いていたので、「こりゃ、大変だ」と思っていたのですが、1ヶ月、2ヶ月とたつにつれ「先生だいじょうぶう。しっかりしてくれ」と思ったりして。
 まあ、そのおかげあって、子どもは子どもなりに、たくましく成長しました。
(本人 注 わたしは、かなりドジで、子どもの方がしっかりしているクラスです。)
 それから、あのきれいな歌声を見つけてくれたのも先生ですね。あの声を聞くと、気分が安らぎます。
まだ、転勤は、しないと思いますが、影ながら4年生の子どもたちを応援してくだいね。
 私も、くりちゃん先生を応援しています。がんばれえ。ファイト。

 千穂ちゃんからの手紙 (ちほちゃんは、2年前6年生の担任をした子で、今は中ニです。)
 (前略)
 ところで、話は変わるのですが、この前、うちの先生が、(わたしの授業を11月に見に来た先生で、初任時代からの
知リ合いです。この先生こそ、実力のある先生です)先生のことを「尊敬している」と言っていました。「いつでも勉強する心を
忘れない先生」と言っていました。6年生の時のことを思い出すと、いつも勉強する心を持って生活していたということを思い出しました。その事を思いだし、ますます、くりちゃん先生のことを尊敬し始めた今日このごろです。
 (後略)


 1年、2年かかわっただけで、すべてが良くなるとは限らないし、もし、そうなったら恐いことだし、知識ではなくて、私と日常の生活を共にして行く中で、子どもたちが、幾ばくかの私のノリを感じているんだなって、それが教育かもしれません。
 それが、ちょっとでも子どもたちの中に根づけばもう、充分だなって思った。
 
 大岡さん、ありがとうございます。これが、この前のメールをいただいて、思ったことなのでした。

 批判に負けないこと  (99/3/26) No19

 「何かを言う」「何かをする」ということは、常に人の批判がついてまわる。
授業研究会の時も、もちろん一生懸命作り上げた授業を批判されることがある。
人から批判されることは、はっきりいって、気持ちのよいものではない。
だが、それは、「考える材料」となる。
昨年までは、結構職員会議でものを話す人であったが、今年度は、発言することをやめた。
なぜかというと、何か発言した場合、こっちとしては、疑問に思ったり、納得いかないことを言っているつもりでも、受け取る方が
いかにもこっちの言っていることが間違いのように言われると、やっぱり気持ちがぽしゃる。
 しかし、気がつきながら、何も話さないと、後から、「なんで言わないの」ということにもなる。
 それから、学校でも何かやると、当然それについて批判がついてまわる。だから、何にもしないのが一番楽だ。
 前任校でも、いろいろと挑戦したり、鍛えたりすると、親からなんだかんだとクレームがつく。しかし、型どおりの人には、何も言わない。
 そういうことで、私は、結構打たれることが多かったので、打たれ強いが、打たれるたびに、ものをしっかりと考えるようになったかもしれないと今振り返ってみる。
 「言われないように、言われないようにとそっちに気をまわして仕事をするか」、「何かをして批判されること」をとるか。
 批判されても、自分の価値観をしっかり持って、一つ一つのやることに理論的な裏づけをしつつ、「何かをする。発言する。書く」
という姿勢を持つほうが、苦しいし、傷つくし、へこたれてしまうけど、前に進めるような気がする。
 今年は、一年生の担任になった。親や管理職の人たちに何だかんだとたたかれることもあるだろう。
ただ、批判を冷静に受け止めながら、批判に負けない気持ちをもって、平成11年度を過ごしたいなと思う。

 さよならシビックちゃん ( 99/3/28) No20




シビックちゃんとは、もう9年のおつきあですね。
走行距離は9万5千キロメートル。
よくがんばりました。
思えばいろいろありました。
・納車2日目に塀にぶつける。
・5日目に警察の前の一方通行に入り、おまわりさんがおいかけてくる。
・生まれてはじめて、警察のお世話になりました。
・7日目に、1000万近くの外車にぶつかり、ドア代70万。
でも、3日前に保険に入ったおかげでセーフ。
しかし、初めての保険料から値上げになってしまったね。
あれから、私も30代になり、一気に保険料が安くなりました.
・パイトが終わってみると、まわり一周だれかが、傷をつけていました。
・教育実習の帰り道、あまりの眠さに電柱にぶつけ、ドアをとりかえました。
・松田聖子のコンサートに行く途中で、うしろから追突されました。
・国道で信号を待っていると、タイヤを積んでいた車からタイヤがどんどん落ちてきて、シビックちゃんにぶつかりました。
あれには、驚きました。
・学校の花壇にぶつけました。
・初めての雪道で国道4号線で一回転して、あの時は、死ぬかと思いました。
・坂道で対向車を待っていると、その車がつっこんできました。
・しばらく、何もないと安心していると、最後の最後で、9年ぶりに塀にぶつけ、
・その2日後に同僚の車にぶつけバンパーが大破してしまいました。
でも、でも、私は無事で、人もひかなかったし、
とりあえず、大きな事故もなく、
(小さなぶつけるのとかは、もう何でもなくなっている。)
雪道では、いつも大名行列の先頭となり、
社会の迷惑になっていたけどさ。
そうだ、とうとう高速道路には、
1度しか乗らなかったな.
100キロ出したのは、後にも先にもあの1回でした。
ああ、この車もちゃんとスピード出るんだと分かりました。
あの時は、と゜きと゜きしました。
友達と海に行ったり、
みんなでがやがや楽しかったね。

20代のすべてを一緒にすごしたシビックです。
楽しいことも、いやなことも、
泣きながら運転したことも
笑いながら運転したこと
カラオケの練習もいっぱいしたし、
大声で叫ぶこともあったし、
カーラジオから流れてくる歌に感動することもあった。
好きな人がとなりにいてどきどきすることも
いろいろと。

廃車になってしまうということで、
まだ、走れるのにごめんという気持ちでいっぱいです。
シビックちゃんのおかげて、楽しい思いでいっぱいです。
じゃあ、本当にさようならです。
今、車やさんが取りに来ました.

99年3月28日午前10時25分

全く、これみて、カリブの運命をしんぱいしているのは、私だけじゃ、ないよね。
もう、笑っている場合じゃないです。