butubutuくりちゃん talk  その3
               
               その2

 一手間かけたら (2000/2/25)No121

書きたくもないけど、書くこともないので、仕事の話。
今日、「ことばの仲間分け」の勉強していて、まあ、「果物」りんご・ばなな・などなどと集めれば簡単だったんだけど、とりあえず、教科書の挿絵にもあったパズルなんかを作っていった。昨日の晩、作りながら、「もう、こんなん作ったって、どーせ、使うの15分なんだよなー」とぶちぶち言いながら作った。そしたらねー、帰りに連絡帳に「今日楽しかったこと」というのを親に報告することにしているんだけど、「今日は、国語の勉強がすごい楽しかったよー。パズルして、いっぱい言葉あつめて楽しかったよ。」って何人かが書いていた。うーむ。やっぱり、そういう一手間が大事なのかなあ。多分、子どもにつく力としては、ただ言葉あつめても同じだと思うんだけど、そこに「楽しさ」がくっついてくることが大事なことなのかもね。また、一つ悟った私でした。

人は学習して成長するのさっ。(2000/3/1)No122

 この前、沢内で作った湯のみができあがりました。
ごちゃごちゃいいません。左が一作目。右が2作目。
(もう、一作目UPするの、ためらったんだけどーっ。身を削ってHP作ってますから。(笑い)
そこで、「何これー」って笑っているあなた。
これは、どちらも同じ湯のみを作ったんだよー。



もう、一作目はどんどんねじれちゃってーっ。
3月にまたまた作りに行きたいのーっ。

わたしの発する言葉が(2000/3/2)No123

 この前、スキーに行ったとき、友達が「左のターンがうまいねえ。」って言ってくれたのね。自分ではあんまり思っていなかったから、「そっかー、左のターン、とちゃんとできてんのかあ。」とうれしくなっちゃって調子にのって滑ってた。それで、なんか、楽しくって、スキーいいなあなんて思っちゃって。そうです、その人の一言でうれしい気持になるんだよ。得意って気持にもなるんだよ。
 私は、上の湯呑でもおわかりのように、不器用なんだけど、工作の時間は、子どもたち誉めまくっている。そしたら、この前、手紙を書く機会があったときに、子どもたちが、「私のとくいなことは、工作です。とっても上手に作れます。」とか、「おもちゃ作ったり、工作したりするのが、大好きでいつも楽しい時間です。」みたいなこと書く子が続出。自分で、「えー?」って思った。そう、私が誉めているから、子どもたちは、工作好きなんだよ。そして、きっと、「工作」をするのが楽しいからどんどん上手になるだろうし。
 そう、わたしの発する言葉が子どもたちの「自分自身」を形づくっているとしたら、なんて、重大な仕事をしているんだろう。もっと、言葉に気をつけないとね。ふだん、暴言女だし。
 子どもたちの心の栄養になる言葉をたくさん言えたらいいね。

コメント書き(2000/3/2)No124

 一体、私は、この8年間、何個のコメントを書いてきたんだろう。毎日毎日、連絡帳、宿題、ノートに一言ずつコメントを書いている。20人×220日×8年分のコメント。そして、私のコメントで子どもたちは、どんどん変わっていったり、打ちのめされたりしている、そして、うれしくなったり。
 もし、私が、他の先生と比べて「特長」があるとすれば、コメントを書く回数と、量かもしれない。
そして、HPでのレス書きも「コメント」に近いものがあります。どちらも共通しているのは、それで、コミュニケーションがとれるっていう点にあるかな。
 だから、私の手は、いつも赤ペンで真っ赤だし。
コメントって、コメントを発する人自身が大事だよね。肝に銘じよう。

優しくされてうれしいって体験(2000/3/5)No125

 土曜日に六年生を送る会があった。1年生は、6年生一人一人の名前を呼んで、お世話になったことについてのお礼を呼びかけにした。その時の、六年生がすごいいい顔していたよーって他の先生方が言っていたんだけど、「あっ、それは、うれしい。」って思った。
 6年生には、優しくしてあげると、こんなにも相手はうれしいんだよってことを伝えたかったし、1年生には、優しくしてもらったことをちゃんと自覚させたかった。いつか、この子たちが、大きくなったときに、他の誰かに返せるようになると思うから。
 うちの母親もかなり世話したがりで、「お母さん、それ、過保護だよー」というと、「あのね、お母さんは、あんたに『してもらったことをしてあげられるようにっ』って思っているんだよ。お母さんに返さなくてもいいから、子どもたちや周りの人にされたようにしてあげるんだよ。」って言っていた。
 なっちゃんと今日、FAXを交換したんだけど、なっちゃんとも今日はそのことについて話してして、なっちゃん曰く、「優しくされたことがない子は優しくしてあげる方法を知らないってことがわかってきた。それは、すごく切ないので、自分は、その子に優しさ、というか受け入れることを伝えたいって思うようになってきました。」ってあったので、今日は、そんなことを考えた1日でした。

 私のやった一人一人の呼びかけっていうのも、前に、卒業式でやってもらってうれしかったの。だから、それをやっただけ。私の受けてきた優しさも、そして、私が今、感じている「楽しい」と思うことや自分が体験してきたそういう物事の「のり」を子どもたちに伝えたいって思っているんだなあ。

視線・視点(2000/3/9)No126

 慎ちゃんのとこの日記を読んで思ったことを書きます。(BBSっぽいですが。)
昨日、慎ちゃんとこの日記読んだあと、掲示板にいったら、「ロンドン在住高校3年生、18才の視線で書いてくださいね。」っていう書きこみがあった。(というか、言葉は、違っていると思うけど、こんなニュアンスです。)人は、それぞれ年も、仕事も、住んでいる場所も、育った環境も違っていて、人それぞれの視点や視線があるんだよなーって思った。いろんな人のHPの日記をみる楽しみの一つにいろんな視点があることに気づかされる。そういう考え方もあるんだーとか、あっ、こんなことをこんな風におもしろがっているんだーとか。それぞれの人、日常生活は、「ご飯食べて」「仕事して」「寝て」とかね、普通に暮らしていると思う。その普通の生活の中でのそれぞれの日記を読むと、いろんな視点があるんだなあって改めて思う。そして、光の当て方を違えることで、色も変わって見えるんだなあなんてぼんやり考える。

 さて、昨日、「ここが変だよ日本人」を仕事しながら、みていたんだけど、昨日は「日韓関係」についてだった。それぞれ、言いたいことを言っているけど、噛み合わない。そう、だって、視点が違うんだもん。お互いに。そして、理解しようとしていない感じを受けた。
 どっちが、正しいっていうのは、捉え方がさまざまあるから、わからないけど、言えるのは、「韓国の人の方がよく歴史を知っている」ってこと。それが、「反日感情をあおるような」教育で知った歴史であったとしても、よく知っているよ。街角インタビューなんかみていると、韓国の人たちがちゃんと自分の意見を言っているのに対して、日本人の場合は、「焼肉?」「キムチ?」なんてことを言っている。
 で、慎ちゃんの昨日の日記にもあったんだけど、やっぱり、歴史を知らない気がする。私なんかも日本史は高校でとらなかったしね。そして、調べたり、考えたりっていう作業は、ほとんどなかった。受験のために暗記していただけ。たしかに、もし、何かについて自分の考えを聞かれても、そんなものはないって感じ。

 ということで、いろんな視点をもっともちたいと思うし、「岩手在住」「小学校の先生」「30独身女」(笑い)の立場でみる視点も誰かに何かを感じてもらえたなら、すごいうれしいことだと思う。

 以上、慎ちゃん、これが私が思ったことです。はいっ。

まとめて見てしまうこわさ・世代は、とくにそうかも(2000/3/9)No127
(これは、たんなるぐちなので、読まなくていいです。)

 このごろ岩手県では、教員の不祥事が続き、県議会で県の教育委員長が教員の資質について答弁を求められました。そして、こんなことを言ったのです。今、この発言に対して、抗議が殺到中らしいです。
 「バブルがはじけた時代に青少年期を迎え、やりたいことだけをやる。」「マークシート方式で受験を乗りきり、体験が少なく、頭でっかちだ。」「採用の仕方を今後考えていきたい。」という発言。この発言は、猛抗議にあい、議事録からは、発言が撤回されたけど、議事録から撤回されたって、発言は、なくならないじゃない。
 
 確かに、言っていることは、あたっている面もたくさんあると思う。私にしたって、現場にきてから、自然関係弱いの充分思っているし、「やりたいことだけやる」とかね、よく言われるし。
(こう考えると、私って、教育委員長のいう頭でっかちの教員なのねーっ、きっと。)
でもね、ちょっと、待って。今、教育委員長のさしている「若い世代」の教育を担った人は、誰かというと教育長の世代のあたりではないのかな?マークシートを決めたのは、文部省でしょ。
世の中のシステムがそうだから、仕方ないんじゃないのかなあ。で、ここで問題になるのは、だったら、そういう人たちをどんな風に育てていくかっていうこが課題でしょ。それを「あやー、こんなはずじゃなかった。採用は失敗。」って言ってしまうことに、「あなたそれでも、教育者?」って思うのでした。
だって、例えば、「今の子どもは、手が不器用だ。」っていうけど、それを育てたのは、自分たちだから子どもの手が不器用なら、どうしたらいいかって考えるよ普通。「頭でっかち」って、若い教員は、理想に現実を追いつけるまでのノウハウがまだ、身についてないだけなんだよ。だから、私も昔、言われてたけど、「言うことは、いいんだけど、実行力が伴わない。」って、それはね、その考えやアイデアを実行するだけの行動をどうすればよいのか、まだわからないだけ。だから、ノウハウがわかってくれば、後は、『頭』で考えたよいと思ったことをどんどんやれるようになっていくんだなあ。更に言うならば、若い教員がわからないノウハウをアドバイスして、育ててやるのが、上の人の仕事じゃん。それをただ「理想ばかり」ってかたずけるのはどうかと思う。
 私は、アイデアを形にしっかりできるようになったのは、4年目あたりからだった。そう、簡単には身につけられないんだよー。だけど、若い人たち、現場でがんばっているじゃないですか。
これから総合なんかもはじまって、どうやればいいのかなんて、まず、『理論』がなきゃ、教育やってらんないでしょー。逆に言えば、「体験さえあればいい教員?」ってことにもなりませんか?もちろん、体験していることの大切さは痛切に感じる。でも、今のシステム自体に子どもの時代、教育の中に「体験」って部分が欠如していたんだから、だったら、今から子どもと一緒に体験しながら成長していけばいいじゃない。わからなかったら、それなりに、勉強していこうとする姿勢があれば、カバーできると思うんだけど。

 何が悲しいって、岩手県の教育長たる人が、そんな目で人を見ているっていう事実。「まとめて」見てしまうってこと、それは、すごい危険なことだと思う。まあ、こういう発言は、許してはいけないと思うんだな。そして、反撃させていただければ、自分の好きなことばかりしてきた人は、「人、それぞれ考え方や生き方が違う。」ということを知っているし、(つまり、まとめてみるってことは、あんまりしないと思う)50代後半くらいの人の(という言い方をしてはいけないと思いますが、敢えて言います。)
「一事が万事」みたいな考えじゃなく、「こういう面もあるけど、こういう面もある」ってことも知っているよ。初答弁で緊張していて同情の声もあるって新聞にはあったけど、普段思っているから出るのであって、それを聞いた若手教員がどれだけがっかりすることかってことも想像できないのかなーって、ちょっと頭を使えばわかることだと思うんだけど。

 あー、すっきり。私、別に、組合でもないんだけど、やっぱり、この答弁の内容には腹ただしかったのでした。こんなこと書いて大丈夫かなーと心配しつつ。

反省しつつ、人からの批判をうけとめてみようか。(2000/3/16)No128

 このごろ職場でいろいろあって、疲れた。まず、「いちいち聞くな」っていうこと言われた。「自分で考えろ」って。こっちにもいい分は、あるけど、そこはちょっと置いといて、反省してみる?今年は、1年生だったから、何でも1番先にやることが多くて、疑問に思うことを聞いていた。きっと、うるさいって思ってたんだね。自分で考えればわかる部分も確かにあったと思う。些細なことも聞いてしまったし。ということで、その部分はまず、反省しよう。でもね、私は、そう言われて、「わかったよ、じゃあ、聞かないよ」って、思ってしまった。そしたら、今日の全体練習の時とか、聞きたいことがあっても、聞かないでしまっために、全校を動かしての訂正になる。内心、「聞きたかったけど、聞けなかったんだよ」こういうことが起きるんだよねーって、思った。教務と「ちょっとしたことを確認」できないでいる状態は、絶対まずいよね。だけど、「文書に書いてあるでしょ」ってことと、それを口に出して確認するってこととは、やっぱり違うと思うんだよね。文書に書いてあるから終わりじゃなくて、口に出すことで生きてくるというか。
 それから、転勤が決まった先生から、「もう少し、ぎりぎりになってからじゃなくて、次の人の仕事考えてやって」みたいなことも、指摘された。確かに、今回も、卒業式の全体の練習計画の甘さとか、バンドの楽譜を書くのが遅かったとか、いろいろとたまっていたんだよねーっ。まあ、これも素直に反省しよう。その先生に頼まれたことで、遅かったことが山のようにあったから、きっと、いろいろ思っていたんだね。
 物の言い方とか、態度の悪さとか、もう少し感情を押さえなきゃとか、とりあえず、このごろ周りからの指摘は、反省しましょう。なんか、すごい痛いし、落ち込むし。まっ、人は、そんなにすぐに変われないし、かと言って、そう言われたからといって、がっかりすることもないと思うし、自分を押さえることもしない。自分のカラーは、やっぱり守りながら、とりあえず、聞いておきましょう。はいっ。

なんとなく抜け出してみる(2000/3/21)No129

 この前、ユーミンのラジオを聴いていて、「髪の分け目を変えるとか、ちょっとしたことで抜け出す」みたいな話しをしていた。このごろ、自分の中で空気がよどんでいるような気がして、ちょっと春休みは趣味に生きるというか、「分け目を変える」みたいな、ちょっと変わったことをしてみたいなー。
というわけで、ちなみに今日は、10年ぶりにケーキを作る。それから、髪をおろして学校に行く。まじめに働く、机にじっと座って仕事するっていうのも、いつもと違うことだねっ。(笑い)

型を身につけることの大切さ(2000/3/21)No130

 この前、ようこそ課外授業を見ていたら、野村萬斎が出ていたんだけど、「型」の大切さを子どもたちに教えていた。「個性を伸ばすために、型がいるんだ」ってこと。そーなんだあって思った。
 今、押し付けるのはよくないみたいな感じの流れがあるけど、そうじゃなくって、表現するには、「材料」と「技術」が必要なんだよねー。というわけで、子どもたちに、物事の型をしっかり身につけさせることは、その子の個性を尊重することなのかもしれないのかもっなんて、漠然と考えた。ただ、やれーっじゃなくって、型を教えて、そして、その子が型を応用して、いつの日か、そこから自分の表現を見つけていくのかもしれないね。とぶつぶつ考えたりした今日このごろ。