ランぶる・イン・ざ・ジャンぐる……

投稿・森S野さんより

「音の問題」考

 11月号における粂川麻里生氏の「再び『判定問題』を考える」は、我々が議論する上で留意すべき点を整理した力作でありました。特に「生観戦とテレビの差」という観点は、もっと敷衍されてしかるべきものでありましょう。粂川氏の指摘する「2次元と3次元の視覚の違い」は重要なポイントです。それを実感させるマラソンでの、カメラの角度差で起こる錯覚例は出色でありました。

 ここでもう一つ、私の実体験から気づいた例を加えてみます。それは「音の問題」です。テレビ観戦においては、リングサイドに設置されたマイクによって、グローブの打撃音を拾っています。これは遠目からオペラグラスを使っての生観戦においては、体感しきれない要素となると思われます。
 サンプルとして挙げたい試合は星野VSチャナ戦です。生観戦時、星野選手の王座転落に納得がいかなかった私は、後日テレビ映像の見直しをしてみました。するとガラリと印象が変わって見え、数ラウンドで「10対9」がひっくり返ってしまう事態が起こったのです。(しかし余談ながら、生観戦にしろテレビにしろ「星野選手の2ポイント勝ち」という結論は同じになり、さらに驚いたのですが・・・。これより派生しますことは、帳尻は合っていても、振り分けの観点の違う「隠れ不思議採点」も別問題としてあるということであります)

 この時、私の印象を変えた要因は、「チャナ選手がヒットさせたボディブローの音」でありました。現場では「下半身がフラフラと不安定なチャナ選手が、スローに頭からつっこむ形でボディを叩きに行くが、星野選手は数少ない手数ながらも出鼻を有効にストレートで押さえ込む展開」と受け取った絵柄が、テレビの中では(星野選手の背中越しに見ていると)「チャナ選手のしつこいボディアタックを受け、星野選手はやや持てあまし気味に後退。手数は少なくストレートがチャナ選手の顔面をたまにはじくが、あまり効果なし(チャナ選手、無表情)」と映ったのでありました。その印象を盛り立てていたのが「ボ
スッ、ボスッ」とボディに当たるたびに発していた音だったです。「派手な音=有効打」となるわけではありませんが、力強く聞こえる音は判断材料の一つではありましょう。粂川氏も例にひいておりますが、小松VS中沼戦。テレビ観戦の多く者が「中沼支持」という現象も、中沼選手のダイナミックなブローに打突音が重なり、さらに後押しされたとも見られるのではないでしょうか。

 この音の点では、「現場で見る」ことが、イコール正確に状況を把握するという優位性につながらない可能性も出てきそうです。熱心なファンであるほど現場に駆けつけますが、回数が増えれば増えるほど後方の席(安い席)に下がる法則(?)もありそうですし。後方に下がるほど、リングサイドにいるジャッジが体感できる音から遠くなると考えるのが妥当です。(細かいことを言いますと、マイク音を「どのレベルで放送に乗せているのか」という問題もここには横たわっておりますが、単純な意味で議論を進めました)

 また実況の影響を押さえるため、「テレビの音を消して見てみる」という観戦方法をよく耳にします。これも音の点からは、あくまで一つのアプローチと見るべきでありましょう。無音の鑑賞では、やや現実味に欠ける絵柄となるでしょうから。

 結論としまして、「判定は現場で起こっているのだ!」とだけ言い切れない難しい側面を、ボクシングは有していることを言いたかったのです。もちろん逆に、「判定はテレビの中で起こっている」わけでもありません。極論すれば、どの座席一つとして同じ試合を見ているわけではないと帰結されることなのです。
 しかしながらこれより私は、判定の基準作りが無理だと主張したいわけでもありません。おのおのの見方の主張にも「五分の理」はあり、だからこそ見方の整理、どちらが勝ったのか測る物差しの整備を今一度きちんと確認せねばならないのです。

 現状では、ジャッジを施行する側からの見解や提言が出てこない以上、専門誌や競技を愛するライター氏等の尽力を、我々ファンは後押ししたい気持ちであります。真摯な声が届くことを願いましす。

(2003・10)


森S野
http://www.emaga.com/info/morino.html
 

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