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「ルイスが世界最強を名乗りたいなら、最強の相手と戦い続けなければならない」。イベンダー・ホリフィールドは、『ニューヨークタイムズ』デイブ・アンダーソン記者のインタビューに答えて、そう語っていた。
世界ヘビー王座が「世界最強の男」の称号であるなら、この2人はいずれにせよ戦わなくてはなるまい。最重量級の「最終勝利者」は、イベンダー・ホリフィールドかレノックス・ルイスのいずれかであることは疑いえないのだから。 ボクシングのリングは、約10年ごとに大いなる大河ドラマを生み出す。ホリフィールド−ルイス戦は、ひとつの大いなる時代のフィナーレを飾る試合となるはずだ(80年代中量級の偉大なる物語がマービン・ハグラー−トーマス・ハーンズ戦でひとつの結末を迎えたように)。 現在のヘビー級の物語は、86年11月22日、マイク・タイソンがトレバー・バービックをKOした時にはじまった。ラリー・ホームズの支配した時代にマイケル・スピンクスが幕をひいて14ヶ月後のことだ。タイソンはその後の1年たらずであっという間に世界王座統一をなしとげた。新帝王タイソンは「強すぎて相手がいない」という、ホームズと同じ不運がつきまとうかと思われた。 だが、ヘビー級シーンは、クルーザー級から転級してきたホリフィールドがヘビー級の上位ランカーを次から次へとKOすることで風雲急を告げる。 とはいえ、タイソンにとってホリフィールドが真の脅威だと思っているウォッチャーは少なかった。“ファイナル・チャレンジャー”、たしかにホリフィールドはそう呼ばれた。しかしこれは、「タイソンを倒すとしたら、この男だろう」という意味ではなく、「ホリフィールドをかたづけたら、タイソンにはもう相手がいない」という意味だったはずだ。 だが、ホリフィールドの挑戦を直後にひかえた90年2月の防衛戦で、タイソンは伏兵ジェームズ・ダグラスにまさかの10回KO負けを喫する。圧倒的な強さと存在感を誇ったタイソンだが、それゆえか、相手ボクサーによってではなく、自らの人生そのものによって打ち倒された観がある。タイソンの絶対王制は崩れ、ヘビー級は戦国時代に突入した。ダグラスはタイソンに勝っただけでバーンアウト(燃え尽き)し、ホリフィールドに簡単にKOされてしまう。 タイソン打倒を果たさずしてヘビー級王者となったホリフィールドは、80年代後半から90年代にかけてヘビー級に出現したトップクラスの強豪ボクサーのほとんどと戦い、これを打ち破った。たしかに、リディック・ボウにだけは1勝2敗と負け越している。だが、一時は「新時代の覇者」と見なされたボウから世界ヘビー級王座を奪回したことで、ホリフィールドの高評価はむしろ増幅されるだろう。しかも、ボウがとっくに去ってしまった後も、トップで戦い続けた。そしてなんといっても、マイク・タイソン戦(とりわけ第1戦)の劇的勝利でホリフィールドの名はボクシング史上の巨星として輝くことになったのである。 前回も述べたが、ホリィ−ルイス戦についてより厳密に言うならば、ホリフィールドは「チャンピオン」であり、ルイスは「チャレンジャー」だ。「ルイスは『そうなりたい』と思っている。私はもう『なってしまった』のだ」(ホリフィールド) 結局中止となったアキンワンデ戦へのトレーニング中、記者に「歴史上どう評価されると思うか?」と問われ、ホリフィールドは「記録面から見れば、最高のボクサーのひとりだろう」と答えた。「私はアリと同じようなボクサーと言えるだろう。私はけっして恐ろしげなファイターではない。アリもそうではなかった。しかし、アリが人気があったのは、あらゆるファイターを打ち破ったからだ。私も、あらゆる敵を打ち破った。たぶん、私は引退してからもっと人気が出るだろう」。 たしかに、ホリフィールドはあらゆる敵を打ち破った。ただひとり、レノックス・ルイスを除いては− 。 ルイスは「帰ってきた本命」と言っていいだろう。彼の才能は、アマチュア時代からすでに大輪の花を咲かせていた。ソウル五輪では、リディック・ボウを叩きのめしてS・ヘビー級の金メダルを獲得している。 しかし、この金メダルは現在国籍を置く英国代表としてではなく、「カナダ代表」として獲得したものだった。プロ入りに際して、生まれ故郷のイギリスに国籍を戻したルイスだったが、「出戻り」に英国国民は冷淡だった。 指名試合を拒否してリディック・ボウがゴミ箱に捨てたWBCヘビー級のベルトを獲得しても、「ペーパーチャンプ」との呼称がついて回った。ルイスの王座の根拠となったドノバン・ラドック戦はノンタイトル戦であり、後から「勝者はタイトルに値する」と追認されたからだ。フランク・ブルーノとの「英国人対決」でも、イギリスの観衆はブルーノに声援を送った。 その才能に見合った成功を収められないまま、94年9月にはオリバー・マッコールにまさかの右一発KO負けを喫して、ルイスは最前線からは大きく後退した。 90年代前半には、ボウ−ルイスの「二巨頭時代」が来ると思われていた。2メートル近い長身、パンチ力、スピードと、あまりに豊かな身体的素質に恵まれた両者が頂点を争うライバルとしてヘビー級をリードすると思われたのだ。しかし、そういう時代はついに来なかった。 だが、ルイスはじわじわと復帰してきた。「右一本の強打者」と言われたルイスだが、エマヌエル・ステュワードのもとに身を寄せ、苦心しながらも左ジャブにも磨きをかけた。スタイル改造のために一時は低迷の色をますます濃くした時期もあったが、徐々に調子をアップ、昨年2月、因縁のオリバー・マッコールに戦意喪失させて王座に返り咲く。その後の防衛戦、アンドリュー・ゴロタ戦、ヘンリー・アキンワンデ戦、シャノン・ブリッグス戦はいずれも絶好調で、格の違いを見せつけている。 今、遅まきながらルイスは「キング・オブ・キングス」への名乗りを上げつつある。たしかにホリフィールドはルイスをはるかに上回る実績を持ってはいるが、“リアル・ディール”が「あらゆる敵を打ち破った」と広言したいのなら、レノックス・ルイスは無視できる存在ではないはずだ。 しかし、対戦の実現を引き延ばしていたのはホリフィールドであったように見える。昨年暮れにHBO・TVが「2000万でルイス戦を」をオファーした時には「2500万でなくてはやらない」と拒絶。この7月上旬同じHBOが「2500万ドル」を提示した際には、「3000万ドル」に価格をつりあげた。 先述のアンダーソン記者は「あなたが本当に王座統一をしたいなら、ギャラが多少少なくともやればいいのに」と突っ込んだ。これに対しホリフィールドは、「バスター・ダグラス戦では、ギャラの話抜きで戦った。2度も、3度もそういうことをしなくてはならないのかい? 」と答えている。 とっくの昔から超億万長者のホリフィールドは、タイソン挑戦の動機を「金ではなく、自分が最強であることを証明するため」と語っていたものだ。しかし、「最強」が証明されてしまった今は、あらためて目標を「報酬」と定めたのかもしれない。 ホリフィールドは『USAトゥディ』紙のインタビューで、「長年の激闘で、パンチドランカーになる不安はないのか? 」と問われたときには、「理由なしにリングに上がる人は、パンチドランカーになりやすい。私には戦う理由がある。だから私は大丈夫なのだ。君の仕事(記者)と同じくらい安全だ」。その「理由」が、金ということなのか、それとも「神」なのか……。(2/27)