2001年7月23日の会談
 
―パワフル本望選手と渡辺治会長の話し合いについて―
 
 
   23日、コミッションで行われた小島茂氏立ち会いのオサム側と本望側の話し合いについて、本望選手の意見や同席した尾崎氏の話などを総合してお伝えします。例によって、本望選手よりの関係者から出ている情報であることをお断りしておかねばなりません。ただ、僕(粂川)は、以下の記述はほぼすべて事実だろうと考えています。
 
 これまで小島氏の呼びかけを拒否していたオサムジム側でしたが、この日は選手が出場する日であったため応じたようです。本望選手と、彼と行動をともにした金子大吾選手、バズーガ元吉選手を含めた3選手は、自分たちで20万を弁護士に払って委任状を書いています。
 
 23日の朝、弁護士からJBCへ「時間の引き延ばしをせずに積極的に調停をしないのなら法的措置に出ます」という文書が届き、小島氏が改めて渡辺会長を強く呼び出して実現したようです。
 
  渡辺会長は次女をつれて現れたそうです。選手側は3人の選手と、はじめに本望選手をジムに戻した尾崎恵一氏も同席しました。立ち会い人は小島氏一人。
 
  オサムジム側は、ワールドボクシング8月号52ページにあるような「初めから挑戦状を書いていた」ような発言を、この会談でもくりかえしました。
 
 ですが、これを尾崎氏は否定しています。
 
 「本望がジムを離れた11月前半、私尾崎氏)はこう考えました。移籍問題はこの世界ではタブー。こじれるよりジムに戻った方が、木村ーゴメスの勝者(ワーボクではゴメス挑戦と出ていますが、木村−ゴメス戦よりもっと前のことです)から声がかかる可能性も高い、と。」(尾崎氏)
 
   そして、尾崎氏は「黙ってジムを離れてすいません。木村ーゴメスの勝者に挑戦状を出すなどして、会長の力でタイトル戦を実現させていただけないでしょうか」という内容の手紙を本望自身に書かせて、冷却期間をおいて数日後ジムに戻しました。
 
  挑戦状を出したのはその後のことなので(提出日を確認すればわかる)「ワールドボクシング」でのオサムジム側の反論に、尾崎氏は「嘘です」と怒りを隠しません。
 
 そしてオサムジム側は、小島氏に「こいつ(本望)はわがままなんだ。嘘ばかり言っている」と言い、本望選手が反論しようとすると声を荒げて阻止したようです。そして「選手の試合があるから・・・」と早々に退席しました。
  
  残った本望選手たちは、ようやく小島氏にぽつぽつ話しだしました。「挑戦状は尾崎さんに説得されてジムに戻ったその日(12月)に書いたのです。そして、次の日にジムに行くと『これにサインしろ』と誓約書を渡されました」(本望選手)
 
  これは契約期間が5年間(ルールブックでは3年を超えてはならないとある)である他、「”いかなる理由で”事故が起きてもオサムジムに責任をおわせません」という条文もありました。
 
  スイミングクラブの経営者が「どんな理由であってもウチで溺れ死んでも責任はおわない」と入会時にサインさせたりしたら営業停止でしょう。本望選手はサインを拒否していますし、仮にサインしていても、法的には全く無効です。ルールブックには「コミッション指定の契約書以外でかわした契約は効力がない」とあります。
 
  やがて、オサムジム側がいる前では一言も発言できなかった金子大吾選手がさらに重大なことを語りだしました。
 
 「僕は昨年のB級トーナメントにエントリーしていたのですが、その前に、コミッションを通さないで(事実、戦績に入っていない! )アメリカで試合をしたのです。その2試合目の二週間くらい前、腰を痛めたので、試合をキャンセルしてほしいと言いました。会長はOKしてくれたのですが、試合の前日(当日計量だった)になって『やっぱりやれ』と言われました。嫌がると『死んでもやれ』と言われて、結局一日で7キロくらい落として試合をして、KO負けしました」(金子選手)
 
   その影響で体調を崩して、金子選手はB級トーナメントを欠場したのですが、そのキャンセル料は金子選手本人が払ったそうです。(オサムジムの欠場罰金は、必ず選手が払うという事実については、過去の選手全員の証言をとれるそうです)。
 
 「一緒にアメリカに行っていて、金子選手のKO負けを近くで見ている本望選手が、”いかなる理由で”の事故も……の誓約書のサインを拒否したのは当然でしょう」(尾崎氏)
 
「あんなのにサインしたら殺されるかもしれない」(本望選手)
 
 このようなことが事実とすれば、金子選手が行動をともにしたのも当然と思われます。
 
  小島氏は金子選手の事件は初めて聞き、メモをとっておられたというので、オサムジムへの何らかの処分(JBCを通さない試合をさせたこと。選手の安全管理の欠如等)があり、”移籍やむなし”の決定を出し、あとは金額の調停に入ってくれるかもしれません。が、ここまでのコミッション(そして協会も)の動きにもかなり”事なかれ主義”な面があったようです。
 
  昨年12月に誓約書を渡された時点で、3選手はすぐにそれを協会の岩本事務局長に見せています(A級トーナメント優勝のご褒美で本望選手が行ったラスベガス旅行に、岩本氏も同行しており、本望選手は岩本氏には話がしやすかったそうです)。
 
  そして、岩本氏が小島氏と会うセッティングをしてくれ、本望選手たち3選手は例の「誓約書」を小島氏に見せました。しかし回答は「オサム会長と話し合いなさい」だけだったとか(「こんなのにサインしなくていいし、オサム会長に注意しておくからジムに戻りなさい」くらいの発言はあってよかったように思えます)。
 
  コミッションが動き始めたのは、尾崎氏が本望選手とともに小島氏と会った6月28日以降だったといいます。この間、「ボクサーの移籍問題」にあるように、なるべく穏便にオサムジムサイドを傷付けないように(できればこのように表面化する前に)……としてきた結果が一年近いブランク(ランク落ち)になってしまったわけですから、コミッションは迅速な決定を下すことが急務です。
 
  尾崎氏によると、オサムジム側がいた時点での小島氏は「離婚の訴訟でも、別れることが前提では話が進まないのだし……」とか「元は親子なんだし……」などと、意味不明のことを言って、元に戻そうとばかりしていた、といいます。
 
  小島氏の意見では、「オサム側は年何試合は組むことを保証する。ファイトマネーはこう、とか双方が意見をだして……」などと言っていたそうですが、すでに信頼感が完全に失われている以上、こういった調停は無意味でしょう。
 
  オサムジム側が帰った後も「まず歩み寄りを」と語る小島氏に対し、尾崎氏は「練習は角海老で行い、マッチメークも角海老に頼む。名前だけオサム所属に残して、試合の時だけオサム会長がセコンドにつく(もちろん他の2人は角海老の人)。あるとしても、この線までじゃないですか。長期政権を築いた日本王者が他のジムでやっていた『公然の秘密』もあるわけですから……」と反論したそうです。
 
  小島氏ははっきり答えず、ここで解散となったそうです。尾崎氏は、「選手達は大人相手にワーと言われると何も言えないので、次からは僕も代理人代わりに発言するつもりです。選手の気持ちはよく分かりますし」と言っています。
  
 また、この日は、尾崎氏が「契約が切れた選手でも元のジムの承認がないと、サスペンデッドされた選手とみなされる」という小島氏の発言について「それは明文化されているのですか」と
質問したそうです。小島氏は「されている」と答えたそうですが、本当でしょうか?
 
   本望選手はその後、尾崎氏に電話をかけ、「名前だけオサムに残して……というのも、角海老が僕に対して本気になってくれるか不安なのでやっぱり嫌です。完全に移籍できるように戦います。金子と元吉にも”戦う気がないならオサムに戻れ”と言うつもりです」と伝え、訴訟の準備に入っているそうです。
 
  今後、本望選手側は、以下のような要求を出していく決意だそうです:
 
 もし、コミッションが訴訟などが公になることがボクシング界のイメージダウンになると考えているのなら猶予は一度だけ。
 小島氏一人の考えででなく、安原氏や安河内氏らも含めての会議で「こうした経過をみると移籍はやむなし。しかし、ボクシング界の秩序のためにそれなりの移籍料は発生する。過去の例から考えて(金額は例えばですが)契約期間内なら本望選手一人なら100から150万。契約が切れて以降はオサム側は選手をしばれないので、手切れ金として50から100万を受け取ってすみやかに移籍させなさい」というような決定を”処分”という形で出す(だらだら長引かせずに一発で)。
 
 本望選手をめぐる事態もさることながら、金子選手の一件は、事実だとすれば厳しい処置が絶対に必要です。死亡事故や大きな負傷に容易につながりうるからです。裁判になるとしても、事実がきっちり明らかにされ、ボクシング界の「膿」が出されなければなりません。
 


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