投稿募集



この7月から連載してきたエッセイ『月見草』では、私が約半年間携わってきたブラームス・プロジェクト(ブラームス作曲「ピアノ三重奏曲 第一番」を演奏する)のことを中心に書いてきました。読んでくださった方々には、心から御礼申し上げます。

エッセイを書き上げてみて、これらの文章は単にブラ・プロの軌跡(ドキュメント)というだけではなく、ピアニストとしての自分や即興演奏をやっている自分のことなどを総括するような側面があったことを、あらためて感じています。

自身のピアノ歴、その技術、身体的なことなどの私事。ピアノという楽器のこと、調律師さんのこと。譜面に書かれたクラシック音楽をやること、しかもブラームスをやること、普段やっているジャズや即興演奏のこと、などなど。

そして、このエッセイを書いている途中で、「俺にも書かせろ」「私も書きたい」という声をいただきました。その内容が「非常に重層的な構造になっていて、その重層性に複数の視点が求められているのではないか」とは、このブラ・プロのプロデューサーからのご指摘でもあります。

そこで、このブラ・プロの演奏を聞いてくださった方(別に本番の日に限りません)、さらに私の文章を読んだ方からも、広く投稿を募集したいと思います。

web上に書いていることなのだから、掲示板なりブログなりということをすればいいではないかと思う方もいると思いますが、今回は敢えて非常にアナログな方法を取りたいと思います。顔の見えるようなコミュニケーションをはかりたいと思っているからです。

その際、題名に必ず「投稿」とお書きください。投稿と書かれてない場合の感想等については、掲載いたしません。(つまり、もちょっと気軽に感想を送りたいと思った方は、普通にe-mailをいただければけっこうです。)

さらに、可能な限り、実名明記、にさせていただければと思っています。これはwebが公開されることを前提としていることを念頭に置いて、それなりに責任を持って書いた文章を送っていただきたいという願いからです。

また、長くなりそうな気配の方は、できるだけテーマ別にご投稿ください。
ブラ・プロの演奏を聞いたご感想、ご意見、ご批判はもとより、私が書いた文章の中でひっかかった部分があれば、それを敷衍して書いてくださってもけっこうです。

みなさんの投稿をお待ちしています。
どうぞよろしくお願いいたします。


(2004年8月13日 記)



投稿募集を締め切ります



投稿募集にいったん区切りをつけます。
ブラームス作曲・ピアノ三重奏曲第一番の発表会から約三ヶ月、投稿募集を呼びかけてから約二ヶ月の月日が経ったこと、またこのトリオは今後も活動を続けていきますが、新たな出発をしたこと(第二楽章)などにより、ひとまず第一楽章にピリオドを打とうと思います。

エッセイを読んでくださった方々、投稿をしてくださった方々には、心から御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。



(2004年10月20日 記)




<投稿文>

vol.1   「イン・エフ日記」より /佐藤 浩秋 様   (8月19日) 
vol.2 ブラ・プロという贈り物 /和泉 澄子 様 (8月22日) 
vol.3 ブラ・プロという贈り物、再び /和泉 澄子 様 (8月29日) 
vol.4 エッセイを読んで /森 美枝子 様 (8月29日) 
vol.5 「ブラ・プロ」を聴いて  /吉田 真 様 (8月30日) 
vol.6 私の雑感 福本 寿朗 様 (8月31日) 
vol.7 ブラームス・プロジェクトに寄せて 小寺 英治 様 (9月7日)
vol.8 ブラ・プロを聞きに、仙台へ行こう! /井上 晴一郎 様 (9月8日) 
vol.9 ブラプロ第一章 『ブラプロその後』 /樋口 順康 様 (9月11日) 
vol.10 本番とエッセイ12章の雑感 /野々村 禎彦 様 (9月19日)
vol.11 演奏すること、物語ること /北里 義之 様 (10月10日)
vol.12 黒田京子 ブラ・プロのお手伝い /辻 秀夫 様 (10月21日)





「インエフ日記」より


投稿 vol.1 (8月19日 '04) / 佐藤 浩秋 様


▼ 7月17(土) 9周年

とにかく、「健康」でこの日を迎えられたのは、単純に嬉しい。

調律は、黒田京子さんのご指名で、辻さんにお願いする。
「黒田が喜ぶため」、5時間近くも休み無しでやっていただく。
その「本物のプロの仕事」を目の当たりにして、感動。

半年ががりで積み重ねてきた『ブラーム・プロジェクト』、遂に「実現」。
感無量である。
改めて、「曲は終わる」もんだ、と実感。
「時間」後戻りしないのだという、単純な「事実」、、、。

終わってから、黒田京子さんから、プレゼントいただく。
そして、お客さんにも、満遍なく配っていただく。
本来は、店がやらなければいけないのに、、、。
その気配りに「感謝」である。

終演後、演奏者、お客さんの「気持ち」に包まれ、延々と「宴」は続いた。


▼ 7月15(木) ゲネプロ

一昨日に引き続き、「秘密のリハ」二日目である。
三時間余り、みっちり。
いよいよ、「本番!」という機運、否が応でもひしひしと伝わって来るのであった。
終演後の「シュミレーション」で、なんだか胸が一杯になってしまった、、、。

この日も、「リハ」のみで、その後は、「ディスカッション」(飲食を伴う。というより「飲食」が主?)

さあ「賽は投げられた」。
「運命の日」は如何に?


▼ 6月25(金) 『ブラームス・プロジェクト』

いよいよ「ラス前」になった。
さあ「本番」は、どうする、どうなる、、、。


▼ 5月31(月) ブラームス・プロジェクト

いよいよ「本番」まで、あと2ヶ月と迫った「ブラプロ」
(結構、「内外に渡って」(?)反響をよんでいるようで、特に、ミュージシャンサイドから「何やるの?」とか「俺にもやらせろ!」とか、いろいろ聞こえてくる今日この頃である、、、)

ライヴは、ブラームスとは全く関係なく、でも、本日は様々な(持ちより)「楽曲」をベースに「インプロ」を展開。単なる「出会い系ユニット」ではなく「熟成系ユニット」として、どんどん「進化」「深化」そして「新化」しているのを強く感じる。仕掛け人としては嬉しい限りである。

「アフター・アワーズ」は、「ユニット」としての「あり方」「行く末を」(♪「現在過去未来〜」っつう歌ありましたね(^_^;))、朝方まで論じ合う(という偉そうなことでもないのだが、、、)。


▼ 4月15(木) ブラームス・プロジェクト

「秘密のプロジェクト」って言っても、既にバレバレの「ブラ・プロ」も第4回目を迎え、いよいよ佳境に入り、遂に「第4楽章」のリハに突入。結局、第1楽章が一番難しい、という結論に。

「本篇」の「インプロ」も、いよいよ「熟成された音」が自由に放たれ、「ユニットのインプロ」となって来ている。

来月が、今から楽しみである。
そして、7月!も、、、。


▼ 3月23(火) 『ブラームス・プロジェクト』

翠川敬基、太田恵資、黒田京子による、「ブラ・プロ」のリハも今日で「3回目」。大分「形になってきた」し、ようやく「見えてきた」、、、。

ライヴの方は、これが、ますます「進化」してきて、なにやら凄いことになってきている。インプロなのだが、(21世紀の現代音楽としての)「室内楽」といった趣。おぼろげに「方向性」も垣間見えてきた今日この頃なのであった。


▼ 2月20(金) ブラームス遂に「立ち上がる」

ブラームスのピアノ三重奏第1番のリハ、本日ようやく3人「揃い踏み」最後の方で、第1楽章を「通し」でやる。終わって、思わず長ーい拍手を送る。なんだか、まだ初回なのに、長い仕事の後の「感慨」あり。とにかく、ヴァイオリンとチェロのからみは、ほんとにぞくぞくものだ。とにかく「倍音」の豊かなこと!

ライヴの方も(こちらが「本番」なのだが)、前回より「室内楽」的要素が濃くなったと感じたのは、私だけか、、、。

終演後の「アフターアワーズ」で、今日「20」を迎えたIさんのために、『ハッピー・バースデー』を、この三人が奏でるという「豪華版」も飛び出す。

かくして、「本日」も盛り上がりつつ「翌日」に突入、、、。


▼ 1月23(金) 『ブラームス・プロジェクト』始動

私の「個人的趣味」で、半年後『プラームスのピアノ・トリオno.1』を演奏してもらうという「リハ」を伴いつつ、毎月のライヴも演ってもらう「ユニット」(翠川敬基(vc)太田恵資(vn)黒田京子(p))の立ち上げ日。
「事情あって」、リハは「duo」になってしまい、曲の全体の響きは聞こえなかったが、二人が奏でる「音の立ち上がり」は、とても素晴らしかった。
さて、今後どうなることか(^_^;)

「打ち上げ」も、けっこう突っ込んだ話が展開され、ほとんど「第3部」の様相を呈していたのだった。お客さんも「濃い」人々なのであった。


▼ 番外編

2003年5月2(金) ブラームスな気分

図書館から借りてきて、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(アックス、ハイティンク〜ボストン交響楽団)を毎日のように聴いているせいか、このところ「ブラームスモード状態」になってしまった。
で、棚から、ピアノ協奏曲1、2。ヴァイオリン協奏曲、などを引っ張り出す。ホロヴィッツ、トスカニーニが組んだ、ピアノ協奏曲第2番が出てきて(!)。すっかり忘れていた。
きょうは、コーガン、コンドラシンが組んだ、ヴァイオリン協奏曲を久々に聴く。出だしのフレーズの解釈からして、「独自」な歌い口で、「ハッ」とさせられる。無駄な「肉」がなく、前へ前へと前進する、流線型のブラームス。でもけっして「軽く」はない。






「ブラ・プロという贈り物」


投稿 vol.2 (8月22日 '04) / 和泉 澄子 様


ライブのたびに、目の前のフリーな音楽に酔い、
その後ろに見え隠れするブラームスの気配にさらなる期待はふくらむ。
家では、CDでピアノ三重奏曲第1番を聴きながらも、
ブラ・プロトリオの音を想像している。
しまいには、第一楽章の出だしを聴いただけで胸が熱くなる始末。
この半年間、実に楽しい、幸せな時間を過ごした。

7月の発表会まで全7回のうち、私が聴いたのは5回。

2回目の2月に3人の演奏をはじめて聴いた。
緊密な空気、自在な音、演奏は期待通り。
うつくしい。
黒田さんが弾かないできいている場面が印象深かった。
弾かないことが自然で、しかも真剣。
弾かないことが真剣というのも変な表現だけど、そう感じた。

3月。心が震えるような素晴らしい演奏。
奏でる3人が、今この時を楽しんでいる。
うつくしい旋律、スリリングなやりとり、音楽がどんどん深くなる。
音楽の歓び、生きてる歓びを感じる瞬間があった。
聴きながら、ブラームスをやらなくてもいいんじゃないか。
ブラームスがやりたかったことは、今こうして実現してるじゃないかと思った。
(ブラームスがやりたかったことってなんだ?)

そのあと、横尾忠則が、繰り返し「Y字路」の絵を描くことについて、「意味だけの追求なら1枚で充分。形の追求だから何枚でも描ける。」と語るのを読んで、単純な私は、そうか、そういうことか、とブラ・プロに思い至り、ひとり合点した。

ブラームスが、毎月のライブになんともいえない緊張感と楽しみをもたらしている。
そう感じながら毎回聴いていた。

そして7月17日。「F」に行くのも5度目となると、勤め先を5時少し前に飛び出し、はやてに乗って、大宮で乗換え、7時50分には「F」到着の最速コースを習得。
お店は満杯。
皆上気した面持ちに見えるのは、暑さと気のせいだけではないだろう。
いよいよ始まる。
・・・・・・・・・。
ああ、やっぱりこの日の事は言葉にならない。
心の中にしまっておこう。

ブラ・プロその後のトリオの演奏を、残念ながら私はまだ聴いていない。
どんな風に変わったのか、変わっていないのか。
とても楽しみ。
はやく聴かなくちゃ。

音は一瞬にして消える尊いもの。
その瞬間を楽しむのだ、と判ってはいるけれど、
3人の演奏がCDになったらうれしいなぁ。
ぜひ、作ってくださ〜い!!
と、次の贈り物をほしがるのは欲張り、か。






「ブラ・プロという贈り物」、再び


投稿 vol.3 (8月29日 '04) / 和泉 澄子 様


先日仙台でチョン姉姉弟トリオ(ミョンファ、キョンファ、ミョンフン)で第1番を聴きました。見事な演奏でした。聴きながらあらためて、「こんな難しい曲をよくぞやってくれました」とブラ・プロトリオに拍手を送っている自分に気づき、この先も1番を聴けば必ず思うのはブラ・プロトリオの事なんだろうなと可笑しくなりました。

ブラ・プロ3人の演奏からはいつも、音楽に対する深い愛、敬意、信頼、こころざしのようなものが感じられます。それは自分の音楽、いまここに立ち上がっている音楽というものを超えた、もっと大きな音楽そのもの、もっと根源的なものに向けられたものだと思います。そういうものを持った3人が、いやFの佐藤さんも入れて4人が出会ったことは、とてもしあわせなことだなぁ、と思ってました。

3人の今までの経験とテクニックを持ってすれば、体裁を整えた滑らかな耳あたりのいいブラームスをやることもできたのに、あえてそれをせず、未完成でも6ヵ月後のありのままのブラームスが奏でられ、それを聴く事ができたのは、うまく言えませんが、深い感動でした。自分たちがイメージする高みを目指しながらも今のまだ不十分な姿を見せる事もよしとする。それは音楽に対する強い尊敬の念があるからこそと思います。3人の音楽との向きあい方、ありようは素晴らしい。そんな3人の演奏を聴けてしあわせです。

チョントリオはギャラリー蒼の森さんと一緒に聴きました。その際、黒田さんのエッセイをぜひ読んでと勧めました。後日、感動さめやらずといった感じのメールが届きました。ブラームスを聴かなかった彼女が、黒田さんのエッセイを読んで感激している。来年1月の蒼でのライブは3人の演奏を初めて聴くという方が大勢いらっしゃると思います。そこで聴いた人が何かを感じてまたつながっていく。面白いなぁ、楽しみだなぁと思っています。

お会いできる日を楽しみにしています。(1日なんとか聴きに行きたいと画策中)


(もともとe-mailでいただいた文章を、このように掲載させていただくことを了承してくださった和泉様には心から感謝いたします。/黒田)






エッセイを読んで


投稿 vol.4 (8月29日 '04) / 森 美枝子 様


黒田さんのブラームス発見のプロセスが、私にとってピアニスト黒田京子発見へとつながっていくようで、読み終えたその日は満ち足りた気持ちが続きました。今もそうなのですが、それはブラームスを探っていく作業のこのプロセスを誠実に、正直に、真摯に、思索的に書いている黒田さんに、そして私的なものに終わらせず、まるで公開練習に立ちあわせて頂いているかのように、オープンにしながら認識していく姿勢に感動しているのかも知れません。

2月にはじめてinFに聞きに行きましたが、その時、わからない、わからないと、つぶやいていた黒田さん。あの時はブラームスの自立の天の声が聞こえはじめていた頃だったのですね。何かとても新鮮なトリオと感じて私の中に確信めいたものが残りました。

3月、ブラームスを味方につけた兆しの演奏からはじまって、プロセスに磨きをかけながら次第に形ち造られていく様子に、思わずガンバレ、ガンバレ、と声援を送りました。

ところで、来年黒田京子トリオ仙台ライブをお願いしましたが、私のところのピアノ大丈夫かなぁ。






「ブラ・プロ」を聴いて 


投稿 vol.5 (8月30日 '04) / 吉田 真 様


最初に「ブラ・プロ」へ行ったとき。
なぜ「ブラ・プロ」なのか知らなかった。恥ずかしながら。
単純に顔ぶれから期待して、素敵な即興だろうな、
とだけ期待してた。

一回目のライブが終わり、とびきりの演奏を堪能したあと。
「このあと、ブラ・プロを欠かさずに聴こう」と
自分に誓ってた。

なぜ「欠かさずに」と思ったか。理由は簡単。
もちろん演奏が心地よかったから。
だけど、それだけじゃない。
このバンドは期間限定だと知ったから。

あからさまに「活動期間を限定」するバンドって
珍しい・・・はず。たぶん。
しかもこれほど絶妙のアンサンブルなのに。
惜しいよ。もったいないよ。

だけど「期間限定」がコンセプトなら仕方ない。
プロジェクト達成までの限られたライブで、
どんな音楽が聴けるか、すごく楽しみだった。

もっとも都合があわないこともあり、
6回中3回しか聴いてないけどさ。
それぞれライブを聴いたあと、こんな風に感想を書いている。

2004年1月23日のライヴ

2004年2月20日のライヴ

2004年4月15日のライヴ

最初のライブは全て即興。
てっきりこれが基本コンセプトかと思ってた。
リハで譜面と向き合い、本番ではフリーに
音をぶつけ合うのかなって。

実際には次のライブから、即興だけでなく
持ち寄った曲も演奏するようになった。
だけど「ブラ・プロ」の魅力が弱まったりしない。
たとえば「ベルファスト」。初めてブラ・プロでの
演奏を聴いたとき、あまりの良さにぶっ飛んだ。

ふらっとライブへ行って、楽しんで帰る。
気楽な立場で聴いていた。
ついに迎えたブラ・プロ最終日。店に入って驚いた。
緊迫感で、In-Fが張り詰めてたもの。

そして本番、ブラームス。
エンディングへ向け、音にぐいぐい
力がこもっていくように聴こえた。
本当は終わって欲しくない。ずっと聴いていたい。
ブラームスを聴きながら、考えていた。

ちなみに本番を聴いた感想は、こちら。

2004年7月17日のライヴ

だが、ブラームスは終わり。
ほんとうならブラ・プロも終わり。

しかしバンドはこれからも続くようだ。
あのアンサンブルを、今後も聴ける。

それは、なんて素敵なこと。


(ご自身のwebに、既にライヴの感想をアップしてくださっていた文章をリンクすることをお許しくださり、あらためて文章をお寄せくださった吉田様には、深く感謝いたします。/黒田)






私の雑感


投稿 vol.6 (8月31日 '04) / 福本 寿朗 様



0)はじめに

 2004年8月、ラテンの歌手・八木啓代さんのサイトにライブのお知らせ。そこからのリンクをたどり共演されるピアニスト黒田京子さんのサイトへ。トップにある「耳を開いて」という言葉が印象的だ。長いエッセイがようやく完結した、とある。エッセイ月見草・『ああブラームス』〜「自立せよ」とブラームスは言った〜・・・奇妙なタイトルだ。この時点の私、黒田さんのことも、「ブラ・プロ」のこともまったく知らない。知らないままそのエッセイを開く。「これ、面白いや!」というのが第一印象。夜の更けるのも忘れて一気に全文を読んだ。気が付けば睡眠時間がいつになく少なくなる、そんな刻になっていた。

 私が素晴らしいと感じたのは、現役のプロの音楽家が、自分の心境や音楽に対する考えを、ホンネで書かれているからだった。プラス面だけでなく、練習段階での自信喪失の様子まで生々しく語られている。普通なら少しは格好も付け、マイナスイメージを与えそうな部分は意図的にマイルドにし、聞き手の心象を少しでも良くしたいという思いで文章を作るだろうに、ここまで飾らずナマの自分をあえてオープンにする姿勢だったから「これは読みたい!」と思ったのだろう。そして、「この人のピアノを聴いてみたい。」と、当然ながら思った。

 工学部の出身で技術屋の私は、音楽には素人。ただ、かなり好きではある。かつて内容表現を重視する基本スタンスのアマチュア合唱団に居たこともあり、技術の高さばかり誇って内容の伝達を重視しない合唱団は評価に値しない、と思っているなど、素人にしては多少うるさいかもしれない。エッセイの底流に、技術至上主義を否定して内容伝達力を重視する姿勢を感じ取って嬉しかった。

 数日後のライブで黒田さんのピアノを初めて聴く。ジャズ系のピアノと八木さんのラテンな歌の取り合わせ、初共演のお二人の間の緊張感、その不安をものともしない実力の高さに圧倒された素晴らしいライブ、時にエッセイの内容も思い出し、「ブラ・プロ」も聴きたいなと思いつつ、楽しく聴かせていただいた。ただそれだけのことで、私に「投稿」などする資格があるとは思えない。だから、投稿云々とは離れて、『私の雑感』ということで、エッセイの中で興味を感じた点だけを「つまみ食い」させていただき、ほぼ章立ての順に感想を書いてみようと思う。

1)本当!その通り!(第四章への共感と疑問)

 C♯とD♭は同じだけれど全然違うというお話、同じ「枯葉」でもGmとAmではまるで世界が、肌触りが違うというお話、・・・これらが私の心にビンビン響いて、「本当!その通りだ!」と我が意を得たりの思いだった。黒田さんほどズバリ適確な文章には出来ないまでも、私自身、昔からまったく同様に感じていたことで、心から共感し、嬉しい気分になった。だが、しかし・・
 「ちょっと待って!」と思ったこと。これって、プロの音楽家にとってみれば当然過ぎるほど当然のことで、(どうしてそうなるかの理論的根拠を含め)ことさら言ったり書いたりするようなテーマでも何でもないことではないのか?それとも、音楽家でも結構強く感じる人とそうでない人がある、ということなの?わからなくなった。
 ・・・この疑問、いつか解明したいと思う。

2)これは凄いことだ!(第五章・第七章に脱帽す)

 第五章に「私が問題にしてきたのは、常に他ならぬやっかいな『自分』というものでした。・・・(中略)・・ちなみに、私はまず自分を問題にしていない人、自分にきちんと向き合っていない人は、音楽家としてはだめだと思っています。」とある。
 筆者のこの思想は確固として一貫しており、第七章で「そしてとどのつまり、その人の”人間”の大きさや深さ、考えていることといったものに、その音楽の内容は比例するように感じています。あるいは、どれくらい自分の耳を、自分自身を鍛えているか、ということに。」と別の言葉で繰り返される。
 音楽家でなくたって、人間いかに生きるかは共通課題。自分に置き換えてみた時、この齢までかなりイイカゲンに生きて来た私には耳が痛い。脱帽。降参!でも、こんな姿勢の音楽家の演奏を聴けるのはとても嬉しいことだ。

3)21+37=58!(驚きの第十一章)

 21歳の若さで作曲した曲を、ブラームスは、何と37年後に改訂・再構築した、という部分にはとても驚いた。誰であれ、21歳の時の自分と58歳とでは大きな違いがあるものだが、それにしても・・・。37年の間のどんな場面を胸に、どんな思いで彼は改訂を進めたのか、聞けるものなら詳しく聞いてみたい、と思った。

4)内実の声と聴く力と(素晴らしい第十二章)

 今回の「ブラ・プロ」と直接のご縁が無かった私にとっては事実上の最終章に当たるこの章、黒田さんの音楽観が凝縮されており、とても面白く読ませていただいた。とくに内容豊かな章なので、いくつかに分けて感想を書いてみたい。

(イ)即興能力と作曲能力

 このお話はよくわかると思う。その通りだな〜と思いながら読んでいて、私はふとディキシーランドジャズの定番「High Society(上流社会)」を思い出した。自由な即興演奏が命のディキシーだが、この曲の中盤のクラリネットソロのメロディーは、どの楽団の演奏もほぼ同じ。或る時に****(うっ!名前ド忘れ〜スミマセン)が即興で吹いたメロディーがあまり素晴らしかったため、それ以降、世界のプレイヤーは彼に敬意を表してそっくり同じように吹くと言う。これは実話である。

(ロ)内実の声=音楽の力

 「私はどうしてもこうしたいのよという意思とか、溢れ出てくる思いを伴っているとか、この音をなんとか伝えたいとか、そうした内実の声が音楽の力、音楽を聞く喜びに、そのまま直結する部分を持っているように思います。」・・・素晴らしいな。
 聴く力、鍛えられた耳の大切さは、専門家に限らず、普通に音楽を楽しんで聞く人にとっても同じことだろう、というお話は、よ〜くわかる。難しいけれど。。。

(ハ)合唱音楽と器楽曲と

 合唱経験を持つ私がずっと思って来たことがある。独唱・合唱を問わず、言葉が付いていて、具体的な意味内容のわかる音楽と違って、楽器(音符)だけの音楽の場合、演奏者は内容表現のポイントをどうやって定め、聞く側は何をキーにその思いを受け止めればいいのだろうか?聴いた私が勝手に思ったことと、演奏者の本当の思いとの整合性はどうやって確かめられるのか?・・いまだに答は持っていない。(「根源的なものを聴き取れ」と言われても、う〜m、自信が無い。)

5)やや異色のまとめ(脱線御免)

 世にあまたのアマチュア合唱団がある。合唱曲の場合、言葉が付いていて、作者の意図が明白なのに、曲に盛られた意味内容を「何としても聞く人に伝えたい」という思いが何故か弱く、技術の高さを誇示するだけの、漫然と歌う団が多い。聴く側も、声が綺麗だ、上手になった、と形式的ポイント中心に評価し勝ちだ。選曲段階から、いったい何が言いたくて演奏会をするのか、よ〜く考えなきゃ!と私は嘆く。

 ヒロシマで被爆した詩人・峠三吉の「原爆詩集」に、大木正夫が作曲したグランドカンタータ「人間をかえせ」という大曲を、東京労音の会員(素人ばかり)が大合唱で歌い上げてから約40年になる。核戦争の危機は未だ去らず、核廃絶を訴える必要性はますます高まっているが、この曲が歌われなくなって久しい。聞いてみれば、原爆の惨禍を生々しく描写するこの曲を、飽食の時代の若者達は「怖い」「汚い」「気持悪い」と言って毛嫌いすると言う。音楽以前に、人間として問題があるゾ!


(もともと感想文として送ってくださったものを、投稿文としてweb上に掲載することを快諾してくださった福本様には、心から御礼申し上げます。/黒田)






ブラームス・プロジェクトに寄せて


投稿 vol.7 (9月7日 '04) / 小寺 英治 様



ブラームス・プロジェクト、このプロジェクトの名前を初めて目にしたのは、大泉学園 in F のページ内にある”店主の「日記」”においてでした。しかも、トリオの編成メンバーが垂涎もの、翠川さん(vc)太田さん(vn)黒田さん(pf)の御三方だというのだから驚きでした。御三方の演奏は、それぞれ他の機会に聴いていて、その素晴らしさは良く存じ上げていたのですが、確かにこの組み合わせは今まで無かったなと実感しておりましたし、逆にこれだけ音の相性が良さそうな御三方が、この組み合わせで今まで一緒に演奏してなかった事自体が不思議だという思いを、目にした当時、強く感じたと同時に、神様がきっとこのプロジェクトの為にこの御三方の組み合わせを今まで保留していたのだろうとの心の確信を抱いたものでした。

これは、是非とも聴かなければと思いながらもその当時は、アメリカ出張が多く、ライヴ当日にサンフランシスコで「今ごろ、演奏が始まっているのだろうな」と思いを馳せていたことも今更ながら思い起されます。そんな訳で、初めてこのトリオの演奏に立ち会うことが出来たのは、04/15(木)の第4回目においてでした。その時の印象は、まさにこの3人は、ブラームスを奏でるべくして選ばれた至高の演奏家達だと思い至ったものでした。

取上げられる曲の選曲も素晴らしく、即興における3者の音の溶け合い方、引き立て合い方、対峙する時の音の対比、どれを取っても非の打ち所が無く、瞬間瞬間の中で、演奏結果の美しさだけをただ只管に追求し続け、その結果として、その場で為し得る最高のものを提示、現出させていて下さっているように感じたものでした。

この素晴らしいトリオが挑戦するブラームスのピアノトリオ、これは途轍もないブラームスが聴けることだろうと確信を持ったのも、この初めての演奏の機会に触れた時でした。と同時に、出来得る限り楽譜に忠実に、楽器、編成もその曲が書かれた当時のものを使用し、奏でられる場所も古城や歴史ある教会、コンサート会場で、原音に出来るだけ忠実に録音された音源の中にしか存在しないと個人的には思っていたクラシック音楽が、この素晴らしい3人の即興演奏家の手によれば、ひょっとしたら本当の意味で、今この瞬間、この場所にあるべき「ブラームスの音楽」として創造され得るのではと思い至りました。

私の「即興」に対する聴き手としての考え方は、演奏家が取る”手段”だと認識しています。じっくりと時間をかけて推敲に推敲を重ねつつ、楽曲を完成させ、練習に練習を重ねつつ演奏を磨き、その果てに表現される”美”も、その土地の気候、風土、文化、場所、集まる人々、それらの外的要素を演奏家が感じるままに取り込みつつ、瞬間の中で、演奏家の心に存在する音楽の神の命じるままに作曲し、演奏する、その果てに表現される”美”も、聴き手にとっては、表現された結果がすべてであって、その手段は問わない、表現者となる作曲者/演奏家の最も得意な形で、自由に演奏してくだされば良い。それが「即興」に対する私の認識です。

その上で、この御三方は、即興演奏における手法をその膨大な修羅場の中で磨き、百戦錬磨の手練手管を持ちつつ、まるで少年、少女のような瑞々しい感性と常にワクワクすることを求めるような好奇心、悪戯心的茶目っ気を同時に持っていらっしゃる稀有で魅力的な演奏家達であると元々認識しておりました。

そんな想いの背景もあって、一般的クラシック演奏家にとって、ブラームスを演奏する上で唯一の手がかりと言うか、聖書とも言える楽譜を、この御三方なら、勿論大事では有るが、外的要素の一部として捉えて下さり、この2004年の現在、日本と言う極東の島国で、日本人と言うほぼ単一民族の中、大泉学園 in F と言う音と人の出会いの場で、奏でられるべきブラームスのピアノトリオ第1番を、その瞬間の中に奏でて下さるのではと思いを巡らせていました。

そんな中で、これは是非とも続けて聴いて行きたいと思ったのも束の間、その後の2回は、やはりアメリカ出張等で、残念ながら聴く機会を得られず、これで本番を逃したら、一生後悔するぞとの思いで、必死に時間を作って 7/17(土)の本番に足を運びました。

そして、待ちに待った本番、その時の私の満足は言葉に出来ません。思い描いていた音楽が、音のたゆたいが、予想を遥かに超えた美しい形で実際に提示されたのです。心の奥底から喜びが溢れ、本当に魂が安らいだ心地さえしました。この唯一無二の”美”の結果を創造、現出して下さった、黒田京子さん、翠川敬基さん、太田恵資さん、プロジェクトを企画して下さった in F マスターの佐藤浩秋さん、関係者の皆様、そして、共にこの素晴らしい音楽に触れた他の観客の皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。またいつか、共に素晴らしい場に立ち会えることを切に願います。

以下のリンク先に、それぞれのライヴレポートを掲載しております。

4/15(木)ブラ・プロ(第4回目)

7/17(土)ブラ・プロ(本番)


(ご自身のwebに、既にライヴの感想をアップしてくださっていた文章をリンクすることをお許しくださり、あらためて文章をお寄せくださった小寺様には、深く感謝いたします。/黒田)






ブラ・プロを聞きに、仙台へ行こう!


投稿 vol.8 (9月8日 '04) / 井上 晴一郎 様

 
 9月1日“inF”で、ブラプロトリオの演奏を聴く。
 演奏が始まる。アイコンタクトもなしに太田さんがスッとヴァイオリンを弾き始める。その瞬間に室内全体が音の中に引き込まれていく。ややあって翠川さんのチェロが入る、やがて黒田さんのピアノが重なっていく。繊細だが力強く、豊かな空間。打ち合わせも無しの即興演奏。しかし、あたかも入念にリハーサルを重ねたかのように、迷子の音はなく、3人の調和から展開、そしてまた次の局面へと、心地よい緊張を伴いながら新しい世界が生まれていく。演奏の技術もさることながら、3人の音を紡ぎだすという行為が、深いところで共鳴し合っていることが感じられる。2曲目は富樫雅彦さんの「walts step」。即興だろうが譜面だろうが演奏の立ち昇り方に根本的な変化は無い。思わず自分の心の深みに舞い降りていくように、ゆっくりと流れる音の空間に引きずりこまれていく。

 で、ちょっと始まりから振り返ってみる。
 このトリオを聴くのは、“inF”での9回を含めて、11回目(全部聴いてるんですね、実は)。最初は昨年4月「inF」の3人の初顔合わせ。そのとき、既にただならぬものが感じられた。あれは何曲目だったか、即興演奏の中で3人の音がフーガのように展開していった時、何とも言えない幸せな成熟した世界をかいま見た気がした。黒田さんのからんだ即興は過去何度か、「inF」「代々木Naru」「グレコ」などで聴いていた。内橋和久さん(その時はダクスホン)、平野公崇さん(sax)など今も強い印象が残っている。しかし、このトリオでの演奏はそれまでとは違う、“何か”を感じさせるものだった。音域を違えながらも微妙に共鳴し絡まり合うヴァイオリンとチェロの音、重心点の反対側に立ち、また寄せていくピアノの音。もうひとつ深いところへ届いていくような響きはとても魅力的だった。そういえばこの時「ピアノ、ヴァイオリン、チェロってピアノトリオだねー」という話が出てました。

 この3人でブラームスというばりばりのクラシックを正面からとりあげる、リハを重ねてお披露目は半年後、という話を聞いたときにも全く違和感は感じなかった。ブラプロ誕生である。本番までの半年間は、毎回ワクワクするような時間だった。私が店へ行く頃にその日のリハは終わって、3人は少し消耗した風情でいたりする。でもやがて刻がきて、その日のライブが始まると粛然として輝きに満ちた空間が生まれて、皆を魅了します。去年の4月に片鱗を見せた世界はその後、演奏を重ねるにつれて、だんだん姿を現してきている。

 均質さが持つ平板な世界ではなく、混沌としたカオスの膨らみ全体が、なおかつはらむ調和的世界が、立ち上がってくるかのようであった。単に不確定の面白さとしての即興演奏ではなく、演奏者が素で世界に向かっていく中で音を立ち上げていく、それを自己完結したものとしてではなく、あくまでもあくまでも他の演奏者・聴き手と共有できるものとして発していく音。自分の必然として出てきた音が他者と共感・共鳴して新しい空間を生み出して行くような開かれた表現。それは聴くものに喜びと力を与える。

 1月から6月まで、即興だけでなく譜面でやった、ヘイデンのパッショナリア、そして特に富樫雅彦さんの何曲かは、それまで誰の演奏でも聴いたことがない印象的なものだった。この間、黒田さんと他の演奏者との即興デュオを何度か聴く機会があったが、以前と少し変ってきて――仕掛けが早く、ダイナミックに、ピアニシモの粒だちがあざやかに――、より自由になってきている、――音楽のスタイルとしてだけでなくたち方も――と感じた。

 7月17日は始まる前からなんだかフワフワしていた。「ついにこの日が来てしまったんだ」という感じだ。ヘンデル、「思い出」メドレー、フォーレ、シューベルト。もう何も言うことはありません。ブラームスのあの最初の4小節、ゾクゾクしました。オブリビオンの余韻。終わった時のカタルシス。その勢いで四国は、愛媛県城辺町のJazzフェスも行ってしまいました。

 でもまだトリオの演奏は続く、わくわく。
 来年1月22日、仙台ツアーのメンバー募集中。






ブラプロ第一章 『ブラプロその後』


投稿 vol.9 (9月11日 '04) / 樋口 順康 様


 心地よい緊張感に満たされたFの空間に、悠久の昔よりいまこの瞬間に生まれいずる事を約束された音達が、待ちわびていたかのように三人の指先から解き放たれてゆく。黒田がエッセイで書いているように、彼らの演奏には何の約束事も無い。その時その場が要求する必然の音を、三人の個性と研ぎ澄まされた感性が捉え音楽が成立する。

 終演後、Fの主人佐藤のバースデイパーティーが始まった。ハッピーバースデイが歌われたことと、ケーキが振舞われたことを除いては、主役であるはずの佐藤自らが客をもてなす姿も、居残っている客の顔ぶれも何時もの通りである。

 ライブの余韻を楽しみながら四国での事を思い出していた。演奏を終え、「やっとスタート地点に立てた気がする」と言った黒田の顔が頭の中を駆け巡る。この三人が初めて演奏してからもう一年以上になろうか、今年の一月にブラームス・プロジェクトとして本格的にスタートしてからでも8ヶ月の時間が経過している。その間に行われた9回の演奏の全てが、Fで今夜から始まった『ブラプロその後』と題されたライブの序章だったのだ。

 ブラプロなどと偉そうに言ってはいるが、ブラームスといえば子守唄しか思い浮かばず、音楽の知識は全く無い私がこの場にいることは、我ながら不思議な話である。数年前に黒田のピアノと出会うまで、私にとって音楽は聴くものではなく、聞こえてくるものであった。能動的に音を聴くことにより、演奏者と空間を共有する事の喜び。運命を感じる出会いであった。

 大袈裟に言えば、生まれてから四十年暮らした大阪を離れ江古田に流れついたのも、黒田との出会いも今夜この場に居合わせるための長い序章ではなかったか。Fに居合わせた全ての人の人生が、ブラプロ第一章『ブラプロその後』の序章であったと思われる。

 このトリオの演奏は、すでに来年の一月まで毎月予定されている。来月の演奏が終わったとき、今夜の演奏も序章となるであろう。






本番とエッセイ12章の雑感


投稿 vol.10 (9月19日 '04) / 野々村 禎彦 様


 黒田さんのピアノを初めて聴いたのは、大友さんが『鉄路の白薔薇』にライヴ音楽を付けた企画のバンドの一員だった時、音楽家として意識して初めて聴いたのは、レアンドル初来日時のセッションだったと思います。このコーナーに寄稿されている方々の黒田体験と比べると、中堅といったところでしょうか。その後は参加CDはもちろん、音場舎のテープも集めてきたし、サイトの日記も折々に読んできました。自分にも他人にも厳しく、共演者に恵まれたライヴになるほど素晴らしい音楽を生み出す人、という印象を一貫して持っています。

 その黒田さんに太田さんと翠川さんという、音楽家として素晴らしいのはもちろん、家族ドラマのようなキャラクター設定(人生経験豊富で飄々とした長兄、真面目で世話焼きな姉、やんちゃで茶目っ気たっぷりの弟といったところでしょうか?)のトリオで「ブラームス・プロジェクト」と来れば、面白くないはずがないことはわかっていましたが、職場も自宅も山手線の反対側のはるか先にあるということもあって、結局最初に聴けたのが本番になってしまいました。

 この3人ならば、各楽章のテーマと和声進行を借りて譜面と即興の間を歩けば、ユリ・ケインがマーラーやゴルドベルク変奏曲で聴かせたような「クラシックの再構築」は簡単にできたはずです。しかしトリオの面々は、みっちりと書き込まれた遊びのない譜面(「大公」やラヴェルのトリオの方が、まだ気楽だったのではないでしょうか?)を忠実に演奏することを選びました。結果は準備不足。このトリオの実力の程は想像できるだけに、本番を褒めては失礼だと思います。

 とは言っても、昨今のクラシック界ではコンスタントに製造されている、機械的練習の成果ばかりが発揮された退屈な録音にはない、なぜこの曲を弾くのかという問いかけや、この曲を弾きたいんだという気迫はひしひしと伝わってきました。立見という条件が全く気にならないくらい、のめり込んで聴ける音楽でしたね。この日はグラッペリの曲で実現されていた、肩の力の抜けた状態で演奏に臨む余裕が生まれてきたら、とてつもない音楽が聴けそうな予感がします。

**************

 この本番の後、連載が始まったエッセイも、黒田さんらしい真摯なものでしたが、その核になっている第12章に現れる「現代音楽の作曲家が書く作品....本来の音楽の楽しさや喜びを感じられないものが多々ある」という表現には少々引っかかりました。この表現は歴史的には、黒田さんがお好きなミンガスやドルフィーやゾーンやゲッペルスらを非難するために、保守的な音楽評論家が使ってきたものと同じだからです。ミューズに成り代わって成敗するのではなく、「内容がない」でいいと思うのですが。

 問題なのは本質的なアイディアがないことで、それを埋め合わせるために「ディテール」や「技術的なこと」に向かうのは、現代音楽(この場合はクラシックの伝統と言う方がぴったり来ますが)というジャンルの特徴でしょう。その現れ方自体を云々してもしかたないと思います。「おそろしく閉じている」のは、その問題は彼らも自覚しているので、「判っている人は、共犯者以外は来てほしくない」という自信のなさの表明に過ぎないように感じます。ジャンルを問わず、優れたものは常に少数の例外です。黒田さんは優れたものに選択的にコミットしてきた結果、それが「普通」になってしまっているのではないでしょうか。

 「クラシック音楽は完璧に演奏できていないと、いい音楽ではない」という風になってしまったのはここ数十年、録音というメディアとの不幸な関わりの結果だと思います。草創期の録音技術では生演奏の情報量を到底収め切れなかったので、「録音は不完全な代用品」だというドグマが定着してしまった。やがて技術が進歩して、テープ編集で「完璧さ」を作れるようになった時、生演奏はそれに劣らず完璧でなければならない、という本末転倒が起こってしまったのでしょう。その点では、録音技術の進歩と音楽の複雑化が並行していたジャズは幸福だったと思います。

 最後は「即興精神」が重要だ、という問題設定にも共感しました。私にとってこの言葉は、「他人事ではなく自分の問題として取り組むこと」という意味になります。他人の評価や先例への盲従には意味はない。だからと言って全部自分で作る必要もない。完全に確定した譜面から「即興精神あふれる音楽」を引き出すことも十分可能なはずです。「自分の問題」として意識できることはまた、対象を客観化できるということでもあります。それはおのずと、自意識の垂れ流しとは違ったものになるでしょう。だとすると、「作曲」も「即興精神」の一部なのかもしれません。


(最初はe-mailにて簡単なご感想をお寄せいただいた野々村様には、その後私の方からあらためて文章を書いていただければとお願いしていたところ、このように文章をいただき、たいへんうれしく思っています。心から感謝いたします。/黒田)






演奏すること、物語ること


投稿 vol.11 (10月10日 '04) / 北里 義之 様


 どうもです。昨年の夏に黒田日記が突然終ってしまって、再出発を心待ちにしていましたが、まさかそれがブラームスの「ピアノ三重奏曲第一番」を演奏するブラームス・プロジェクト顛末記になろうとは、あいかわらず驚かせますねえ。いつまでも心配の種が尽きないというか。ともあれ再出発おめでとうございます。誰でも投稿していいというので、祝辞代わりというのもなんなのですが、みなさんにまぜてもらって黒田京子論を書こうと思います。とはいえ、残念ながら黒田京子トリオはまだ拝聴していないので、いま一番ホットな演奏についてはなにも書けません。で、むりやりなんですが、ブラ・プロ顛末記の感想文を書きますので、それで投稿ページに参加させてください。

 ブラ・プロ顛末記を読むと、今回のブラームス体験はまるで道路のまんなかに置いてあったおおきな岩に、車ごとぶつかったみたいですね。指も腰もボロボロ。身体も頭もガタガタ。色々な資料を集めて作曲家のイメージをふくらませ、死んだブラームスに「自立しなさい」と言わせてしまう降霊術は、物言わぬ巨大な岩と必死に対話しようとする姿に見えます。なりゆきとはいえ、ほんとうにご苦労様でした。学生時代の話から、ピアニスト生活のあれこれまで、公私にわたる半生のエピソードを凝縮した顛末記のスタイルは、ブラ・プロが演奏家としての大きな転換期でもあることを、書き手が自覚していることを強く印象づけます。指が変わる、感覚が変わる、からだが変わるということが、(即興) 演奏家としては最大の出来事のわけですね。からだ全部の細胞があらたまるようなこうした変態期など、音楽家の生涯に何度もないでしょうから、いま黒田京子はとても大切な時間を生きているのだと思います。過去を多面的に再引用/再記憶するブラ・プロ顛末記は、始めから終わりまで、そのことの確認だと思いました。

 これに対して、「自立しなさい」というブラームスの声は、やはり緊張と疲労感のなかで響いた幻聴ではないでしょうか。声は低かったのか高かったのか、ドイツ人がなぜ日本語で話すのか、「自立シナサーイ」と外国語なまりで言わなかったのか、などなど意地悪なことをあれこれ考えると、それは黒田京子の声にとてもよく似ていたのではないかと思います。あるいは響きのない純粋な「意味」そのものだったのではないでしょうか。つまり、自分がどうしてこんなことをしているのかということに対する意味が、禅の悟りのように突然訪れたということですね。個人的には、生きることに特段の意味はないと思うのですが、そこに意味を発見し、自分の立っている現在位置を確認できるようなアイデンティティを確保しなくてはいられないのが、人間の悲しいさがなのでしょう。からだとは別のやり方で、頭も生きていることを確認したがるということでしょうか。でも、これってどうも嘘っぽい。ブラームスに関しては、ブラームスが好き、ブラームスを弾きたいという以外に理由があるとはとても思えないのです。ご自身おっしゃるように、「私はけっこう重厚なブラームスが好きで」(第0章)、実力のある仲間とブラームスの難曲に取り組んだ、大変だったけど楽しかったというだけに思えるのですが、それだけじゃ不足なのかしらん。あっ、もしかすると筆者は、15章におよぶこの長い物語を書き綴ってきて、あれこれの苦労話やわきおこる劣等感を乗り越えて到達したゴールには、好きというだけではない、もっとずっと重い、客観的な意味があるべきだと考えたのかもしれないですね。おおきな岩に車ごとぶつかっただけなら、単なる事故ですものね。いくら感覚が変わるといったところで、しょせんは個人的な体験ですものね。

 即興を生きる演奏家が、即興とはなにかを抽象的な言葉で考えるのは、泳いでいるカエルが、自分がどうして泳いでいるかを考えて、手足がこんがらがってしまうのとどこか似ています。似ているって、カエルがそんなこと考えるかどうか分からないのですが。ブラームスの「即興精神」が登場して、顛末記のクライマックスを作る12章にも、そんな印象を受けました。音楽家にとっては音楽を生きるだけで十分なのに、それを言葉で意味づけなくてはすまないのは、「自立しなさい」というブラームスの声と同じように、すべてが終った地点から物語 (意味の獲得) が始まることの必然的ななりゆきと思われます。変態期にある演奏家自身のことについては、やはり何かを迂回することでしか語れないのでしょう。鏡に映し出される像は生きていないけれど、鏡がなくては自分の全身像/全体像など見えませんからね。

 この物語化について、「ミントンズ・プレイハウスにおけるビバップの誕生」といったような、どこにでもある即興の伝説化/神話化などとあわせて一般的に考えるとき、私はいつも1993年に行われた中島みゆきの夜会「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」の一場面を思い出します。日本歌謡史において、美空ひばりに象徴されるような戦後歌謡の物語性が喪失していき、日本の歌がこれから何を歌うのかというシリアスな問題に突き当たったとき、中島みゆきは<自己劇化>の手法を編み出したと思います。演歌の文脈では、石川さゆりの女歌がこれに相当するでしょう。戦後日本歌謡の重要な転換点を生きた個性として、ふたりとも個人的に好きでよく聴いている歌手なのですが、ここで中島みゆきを思い出すのは、彼女がいくつかのシチュエーション・ドラマをオムニバス構成した93年度の夜会の後半で、作者の分身めいた<時間泥棒>という人間猫を登場させ、水泳選手とプールサイドの記録係の関係について、こんなふうに言わせていたからです。
 「時間をさ、計ってる他人はさ、いつだって水のなかになんかいやしないんだよ。」
 それから突然、機械人間のような人格にいれかわると、今度はきれぎれにこう言います。
 「正確ナ・時間ハ・他人ガ・計ラナクテハナリマセン。正確ナ・伝説ハ・他人ガ・記サナクテハナリマセン。正確ナ・伝説ハ・ソノ本人ニ・口出シヲサセテハ・ナリマセン。正確ナ・時間ハ、正確ナ・時間ハ……他人ノナカニアルノデス。」
 歌の背後から作者が顔を出して、「待つ」という歌のテーマについて一段高い場所から語るステージ構成は、ポストモダンの時代が、歌手や歌にとってなかなかに生きにくい時代であることを教えてくれます。ともあれ、この引用で言いたいのは、即興演奏家は瞬間という時間を生きるだけでいい、後は評論家にまかせろ、ということではもちろんありません。<時間泥棒>が語ったことは、たぶん時間にはもともと物語の法ともいうべき言葉のシステムが関わっていて、そのことに自覚的でないと、即興を生きることも物語ることもメチャクチャになってしまうということだと思います。ライヴの最中に起こっていることは、おそらくその瞬間瞬間のよりよき選択というだけで、その場の選択がはたして即興であるかどうかなど、演奏家にも聴き手にも分からないし、もっと言うなら、そんなことどうでもいいことではないでしょうか。オルトからオルトペラに至る黒田京子の音楽のユニークさは、即興に対する衝動と書くことに対する欲求をふたつとも手放さないことで、言語システムが要求するふたつの領域の敷居を、ときに踏み越え撹乱してしまうことだろうと思います。そうした意味では、この顛末記がブラ・プロの内側で書かれていることは間違いないでしょう。即興するわたしは物語るわたしを生みだし、物語るわたしは即興するわたしを生みだし、これが「自立しなさい」の声を運びつつ (実際には「先送り」しながら)、途切れることなく永遠に続いていきます。終わりは始まりにつながり、いつまで書き続けてもエッセイが完結することはないでしょう。

 クラシックの作曲家が演奏家であったために持っていただろう即興性に関しては、ずっと前にデレク・ベイリーがその著書『即興』で指摘したり、モーツァルトを演奏することになったキース・ジャレットが言ったことなんかと本質的に変わらないように思います。ブッチ・モリスの例をあげて触れられていた作曲と即興の“根源的”関係も、「インスタント・コンポージング」という言葉で、即興ファンには30年前からよく知られている考え方ですよね。クラシックの作曲家に「即興能力」を、(即興) 演奏家に「作曲能力」をわりふって両者を対応関係に置く形式論理は、こうした発想を背景に展開されたものでしょう。大ざっぱにしか書けませんが、即興=作曲と定義づけられるインスタント・コンポージングの発想は、西洋音楽の作曲家至上主義に対して異化的たるべく、あえて両者をわけないところに異議申し立ての意味があるため、クラシックと即興音楽を横断しようとする12章のこうした野蛮な (とあえて書きます。というのも、これはかなり冒険的でリスキーな思考の試みでしょうから) 形式論理に、強力なねじれの感覚が生まれてくるのではないでしょうか。12章はここで終わらず、さらにブラームスやバッハの固有名とともに、「根源的な声のようなもの」に結びついた「即興精神」が登場し、それを (即興) 演奏家にも求めるという筋道をたどります。この「即興精神」は決して「即興能力」の言いかえではなく、それまで「即興能力」と「作曲能力」によって論じられてきた作曲と即興の対話=弁証法を、アウフヘーベン (止揚。対話=弁証法を最終的に停止させるもの。「絶対精神」の登場。配役されていないゴドーが登場してしまうハプニング) するものです。おそらくこれこそ例の「自立しなさい」という声 (命令) に対する黒田京子の返答と言えるものではないでしょうか。ブラ・プロ顛末記にははっきり書かれていませんが、一面において彼女は、ルーティーン化されたジャズ演奏に見られる衰弱した即興演奏に対し、十分に異化的なあり方を提示するため、作曲家の「即興精神」を持ち出したような気がします。そうした即興演奏に対する批判的な視点の要請とは別に、12章で展開される理想主義的な論理の筋道を、5章で語られる強い「自分」へのこだわりを前提に追っていくなら、それをヘーゲリアンのもの、ヘーゲル主義的論理展開と呼ぶことは間違いではないと思います。彼女は、何百個もらっきょうの皮をむき続けると、最後の一個でらっきょうの芯に出会うと信じているのです。しかし幸いなことに、彼女は言葉にとじこもる哲学者ではなく、感覚を解放することに喜びを見い出すピアニストです。指が変わる、感覚が変わる、からだが変わることで、実際にアウフヘーベンが行われようとする直前で論理は突然取り乱し、演奏と物語の敷居は容赦なく侵犯され、最後には即興の快楽がやってきてすべてを押し流してしまうという、これまたなんとも情けないヘーゲリアンと言えるでしょう。

 演奏することと書くことに対する同じくらいの欲求というのは、大学時代に部活でやっていらっしゃった能楽で培われたのではないかと想像します。ご自身の音楽について、小室等氏から「君は出自がわからない」と言われたと5章にありましたが、同章で『花伝書』が引用されているように、黒田京子のルーツが能楽にあることは、かなりの確度で言えるように思います。能楽もまた、歌や舞踊や演奏や文学テクストを合体させた総合芸術ですものね。即興演奏が「ジャズ」や「フリー・インプロヴィゼーション」に、歌が「演歌」や「J-POP」にという具合に、音楽がこれ以上ないくらい細分化されている現在、多種多様な要素を同時に提示する総合的な手法は、やはり珍しく映るのでしょうか。それに音楽のルーツということを、19世紀の人種主義やら伝統音楽の正統意識に深く侵されている人は、極端に狭くイメージしているようにも思います。そんなこんなで、黒田本人にとってはごく自然なふるまいも、人によっては秩序壊乱的に見えるかもしれません。しかし、即興演奏の領域に場所を移しているとはいえ、黒田京子が音楽をするやり方は、案外、日本の芸能の伝統に従ったオーソドックスなものなのかも知れないですよ。

 声についての希望をひとつ。ブラ・プロ顛末記を読んで、黒田京子にとって即興精神を支える根源的な声が重要なことはよく分かりました。いつかどこかで、そうした声のあり方とはまた別の、能楽の囃子のようなアンサンブルする声をテーマにした音楽を聴かせていただけると嬉しいです。最後になりましたが、黒田京子トリオの成功をお祈りして、長くなったこの感想文を終わりたいと思います。妄言多謝。






 黒田京子 ブラ・プロのお手伝い


投稿 vol.12 (10月21日 '04) / 辻 秀夫 様


 黒田京子さんからブラームスに取り組んでいると聞いたのはたしか5月頃だったと思う。「あっ、そう。それでいつ本番?」ピアニスト黒田(以下、敬称略。呼び捨てにできるほど長い付き合いだ。)ならそんなライヴを行っても少しも不思議ではないので、ならば客として応援がてら聴きに行こうと思っての問いかけだった。黒田は「客じゃなくて調律しに来て欲しい」と。場所は大泉inF。私は以前から大泉に面白いお店があるとは聞いていたが行った事はなかった。きっとそこのマスターはいつも決まった調律師にピアノを任せているだろうから、その本番の日だけというのにはちょっと抵抗があった。黒田がマスターの了解を取ったというので、「仕方がない、黒田の頼みだから引き受けるか」という事になった。実際に我々が初めて調律に行った場合、いつもの安定した状態やあるいはクセの付いた状態を大きく変えるというのは非常に困難である。inFのライヴスケジュールを見ると、なかなかいいメンバーの名がずらり。どんなピアノ、どんな音で毎日ライヴをやっているのだろうという興味が湧いた。そして、事前のマスターとの打ち合わせで、当日は午後1時から始めさせて頂いた。通常の調律なら1時間半もあれば充分なのだが、黒田からあまり状態が良くないと聞いていたので、きっといろいろな調整が必要だろうと思い4〜5時間頂く事にした。何と言ってもブラームスを黒田が弾くのだ。きっとピアノに対する要求度もいつもより高いだろう。シリアスな演奏をする時、ピアニストはピアノからも力を貸して貰って表現している。ピアノが演奏者の意図に応えられるように調整するのが、私の役目でもある。

 7月17日午後1時、inF到着。初めてマスターにお会いした。すぐに握手を求められ業界人とわかった。店内を見渡していろいろな面でこだわりをお持ちのマスターだと感じた。さてピアノだ。大屋根を持ち上げ、譜面台、鍵盤蓋を取り外し全体を見渡した。まだ鍵盤には触れていないので音は出していない。残念ながら目に入ってくるものだけからもいい音は期待できなかった。いざ作業開始。最も根本的な治療から始める。アクションや鍵盤を全て取り外し、大掃除をしてさまざまな部分の研磨、手入れを行う。タッチも大幅に改善したい場合、表面的な調整だけではダメなのである。約4時間ほど部品のメンテナンス、及びアクション調整をしてやっと調律に入った。本当はもっとやりたい作業があったのだが、そろそろメンバーの皆さんが来る頃だ。リハーサルの時間を削る事はできない。そろそろ調律の終わる6時頃、黒田が入って来た。少し待ってもらい、調律完了。早速試弾してもらった。私にとってこの瞬間のピアニストの表情こそ仕事の結果の評価である。見逃す訳にはいかない。黒田は「ピアノが別人になった」と驚きの表情で言ってくれた。今までのピアノの状態を最もよく知っている黒田がそう言ってくれたのでホッとしたのは事実だが、私としては限られた時間で行った調整なので点数を付ければ50〜60点ぐらいか。もっともっと良くする事ができるとマスターにもお伝えした。黒田が評価してくれた事でマスターも喜んで頂き、その後2週間ぐらいしてマスターから再び調律を依頼されたのは言うまでもない。

 ちょっと余談になるが、ピアノが良いコンディションを保つために必要な条件は、@ピアノの素材 A置き場所の環境 B使い方 C調律師のやり方 の4つがあると私は考えている。@はメーカーでほぼ決まる。Aは極度の湿気、乾燥は避けなければいけない。Bはよく弦が切れてしまうような乱暴なタッチ、弦を何かで叩いたりはじいたりという内部奏法がよく行われているとピアノは傷む。誰かひとりでも乱暴な人が弾いていると良くない。Cはかなり左右する事になるのだが、我々の日頃の細部への注意力。以上の4つの条件のうちひとつでもダメなものがあるとピアノは少しづつ劣化する。ならばinFのピアノはどうだったか?@はヤマハだったので普通。Aの置き場所も特別問題はなかった。Bについては弦を張り替えた跡が何箇所かあった。どんなピアニストが出演しているのかはまだよく判らない。Cは決して褒められるようなやり方ではなかった。以上の観点からinFのピアノはどんなピアニストからも喜ばれるような良いコンディションをキープしているとは残念ながら言えなかった。私が任されてどのくらい改善できてピアニストに喜んでもらえるかは解からない。少なくとも今までよりは良くしないと申し訳ない。とりあえず黒田には喜んでもらったが他のピアニストがどう感じてくれたか、答えを得るには少し時間がかかると思う。

 さて、本番の演奏はどうだったのか。調律師である私には演奏についてまで評価する立場にはないが、言える事はクラシックに真面目に取り組むと音質やタッチがとても良くなり、今後の演奏には間違いなくプラスになるという事。そうでなくても黒田は常日頃クソ真面目に音楽と向かい合い、奏法を工夫し、ピアノの仕組みまで学び演奏に役立てようとがんばっている。私がピアニストを評価する場合のひとつにピアニシモ(弱音)をきちっと綺麗に弾こうとしているかどうか、という事があるが、黒田はジャズ界にあって数少ないピアニシモを問題にするピアニストのひとりである。ずっと協力し応援したいピアニストである。


(拙エッセイ中に登場している、ピアノ調律師・辻秀夫様には、ご多忙の中、無理を申し上げて、文章をお寄せいただきました。心から感謝いたします。/黒田)



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