8月
8月1日(金)  温泉

あまりに暑く、あれこれ煮詰まり、こりゃもうだめだ。でもって、どうしても違う空気の中で深呼吸をしたくなり、車を飛ばして藤野の温泉へ。夕方5時を過ぎると400円で入浴できるそうで、現在の銭湯の入浴料(原油高で値上がりして450円)より安い。って、車のガソリン代と高速代はかかるわけだけれど、それでも塩素がきつい銭湯と、山々を眺めながらゆったりした気分になれる源泉かけ流しの温泉とではかなり違う。

夜、レストラン・shuに寄ると、オーナー夫妻は近くの廃校で行われているフェスティバルに屋台を出店するということで不在だという。それで、どれどれとちょっと行ってみる。藤野は“芸術家の町”としても知られているが、地元の人たちの手作りのお祭りという雰囲気だった。で、知らずにでかけたのだが、折しも相模湖は花火大会とのことで、渋滞を避けて早々にお暇して帰宅。



8月2日(土)  初々しい

代々木・ナルで、アマチュアのヴォーカルの人たちとのライヴ。若い女性たちは実に初々しい。私が“ナル”で演奏させてもらうようになったのは20歳代後半なわけだけれど、なんだかその頃の自分を思い出す。それが、どうでしょ、今は・・・。とにかく痩せないと。

深夜、主人公のFBIの最高司令官の黒人の役者がコルトーレンに似ている感じがして、結局、明け方まで映画『戒厳令』を観てしまう。アメリカのテロ事件の後の作品で、“戦争”について考えさせられる。



8月3日(日)  でたらめはむずい

目的の場所に着くのに、いくつかのルートを選択することができる。そして選んだ道路や電車の路線が事故などで止まってしまっていると、ああ、今日の選択は失敗だったと思う。という目に遭った。

下北沢駅に着いたら、ちょうど約10分前に人身事故があったとのことで、小田急線が止まっていた。私宅からなら、都心に入るのを避けて、登戸あるいは新百合丘に出ていれば、おそらく事故は回避できていただろう。また、即座に判断して家に戻り、車で出直すということも考えた。

結局、うだるような暑さの中、約30〜40分間、運行が復旧するのをホームの上で待って、最初に動いた電車に乗る。したらば、小田急線、複々線化されていたのを知らなかった私。窓の外を急行が過ぎ去っていくのを何度か見る。・・・。ダイヤが乱れていて、乗り換えなどの車内アナウンスはまったくない。・・・。結局、新宿駅で足止めをくらっていた坂田明さんの方が、先に伊勢原駅に着いていたという有り様。

ということで、今日は伊勢原音楽院で、坂田明(as,cl)miiで演奏。昨夕、漫画家・赤塚不二夫さんが亡くなり、その追悼演奏会ということに。

私はもちろん面識はないけれど、坂田さんは赤塚さんにとてもお世話になったと聞いている。福岡・博多にいたタモリさんが、その才能を山下洋輔(p)さんなどに見出され、東京に出てきたタモリさんを赤塚さんが世話したことはつとに有名な話だが、その頃、坂田さんもいっしょに、ご本人曰く、毎晩、新宿あたりでめちゃくちゃをやっていたと聞いた。

山下さんや坂田さんの著書を読むとよく出てくるが、ハナモゲラ言葉などに代表される、“でたらめ”なことを言ったりやったりすることは、実はそう容易なことではない。

今、この“mii”でよく演奏している曲で、恥ずかしながら、私は歌をうたったり、そのでたらめな言葉を言っているのだが、その部分をでたらめに言うのは、私にはなかなか難しい。坂田さんはその時その場でどんどんでたらめをしゃべる。私にはそういう言語回路のようなものがないと言ってしまえばそれまでなのだが、もしかしたらそうしたことは、ある程度訓練や反復することで習得できる技かもしれない?いずれにせよ、でたらめにはそれを裏付けるだけのものがあると思った方がいい。

なににせよ、赤塚さんのギャグやある種のナンセンスさ、その感覚、その裏にある、あるいはそれを支える鋭い社会へのまなざしや、その哲学のようなものは、やはりすごいと思う。かなり理知的だし、確信犯的だと思う。 自分のことや自分がやるべきことがわかっている感じ。

アルコール依存症でもあり、「このまま飲み続けていると、来年には死にますよ」と医者から言われ、「いいですよ」と言ったというあたりが、かなりジャズマンっぽい。お酒も煙草もやめなかったと聞いている。現在、愛犬と涼しい所にでかけている某チェロ奏者も、そういうことなのだろうと思う。

小さい頃、祖父が撮ってくれた8ミリの映像には、「シェー」をやっている私の映像が残っている。今は誰もはいていないような、吊りのあるチェック柄のスカートに白いブラウス姿で。ほかに、妹やいとこたちも全員、次々とやっている。

赤塚さんが亡くなる前に、コスプレによるバカボン一家の演奏を聴いてみて頂きたかった、と私は冗談でなく思っている。バカボンは言うまでもなくバカボン鈴木(b)さん。バカボンのお父さんは、ハチマキとハラマキをして頂いて坂田さん(ほんとはデコッパチのモデルだという噂も?)。ママはエプロン姿の私。ハジメちゃんは坂田さんのご子息、学君、という役でキマリっしょ。でもって、赤塚さんが好きだったというジャズのナンバーを演奏するのだあああ。




8月6日(水)  浄化される

私としてはちょっと早起きして、いそいそと大磯へ。ところが池袋で起きた事故のために、予定していた湘南新宿ラインが運休。どうもこの間から電車には不運続きな目に逢っている。

黒田京子トリオのジャケットのために、デザイナーさんとフォトグラファーさんと、“ホルトノキ”を撮影に行くことが目的のちょっとした小旅行。「ホルトノキ」と名付けた自作曲の動機になっている、某日本画家がその木の命を守ったという、樹齢400年の木を撮りに出かけたのだ。

ところが、現地は以前行った時と様子が変わっていて、木のまわりやアトリエの入口には柵が施されていた。道路から撮影すれば充分だろうと思っていた私は、はたと困った。その方が秋の個展を控えていることを知っていたので、お邪魔は決してしたくなく、そういう時は絶対他人に会いたくないに決まっていると思ったため、実際に訪問して写真を撮影することをあらかじめ連絡していなかったのだ。

結局、その私の浅はかな遠慮が、その後のすべてを決めてしまった。しばらくして、お手伝いさんと庭師の方が出てこられた。ちょっとだけとはいえ、無断で人の敷地に足を踏み入れて撮影していたのだから、当然のことながら、何をしているのだと怒られ、不審がられた。そして最後には、以前お会いしたことがあるお手伝いさんに、自分の名前を告げ、撮影の理由を話し、それを知った画家の方が私たち三人を招き入れてくださった。

ほとんど穴があったら入りたいくらいの気分だった。が、こんな突然の訪問にもかかわらず、その方はとても温かく迎え入れてくださった。昼間からおいしいビールなんぞを一杯。約1時間ちょっとの時間だっただろうか、いろんなことを話して、とてもいい時間を過ごした。

たまたまこういう流れになったわけだけれど、実際にホルトノキを見て、その画家にも直接会って、暑い夏の日にいっしょに来てくれた他のお二人にも、おそらく心に残るひとときだっただろうと思う。いっしょに行ってほんとによかった。

この画家の名前は堀文子さん。去年再び病気をされたのだけれど、今年90歳になられた彼女の顔は、なんだかますます美しく感じられ、どんどん余計なものがそぎ落とされているような印象を受けた。なんだかよくわからないが、非常に心が浄化されたような気がした。こんなことはこれまでで初めてのことで、この不思議な感覚はずっと続いていた。

そんな気分で夜を迎え、サルガヴォのリーダーである鬼怒無月(g)さんが私宅に譜面を届けるというので、お待ち申しあげていたわけだけれど、なーんと、鬼怒君、肝心の譜面を置いてきてしまっていたのだった。あれえええ。同じ色のファイルに入っている別のバンドのものを持ってきてしまったとのこと。鬼怒君のように自分でいくつもバンドをやっている人は、バンドごとにファイルの色を変えるか、太いマジックででっかく文字を書いておきましょうね〜。



8月7日(木)  バードランドで

なんともワイハな赤坂・バードランドで、歌手の人と演奏。演奏はいわゆるピアノトリオで、振り返れば、このようなオーソドックスなピアノ、ベース、ドラムスという編成でスタンダードジャズを演奏するのは、なんて久しぶりのことだろうの京子ちゃんかも。

なににせよ、バードランドというお店で演奏したことがあるのは、多分駆け出しの頃に1回くらいだと思うから、約20年前。ちなみに、今晩のドラムスの人と共演するのも約20年ぶりくらいになるらしい。どひゃあ。

ほんでも、なかなか楽しかったところもあり、終演後、4人でラーメンを食べながら、またやりましょう、という話になる。



8月8日(金)  人は来るか、の八月?

北京オリンピック開幕。

なので、それでなくても“ニッパチ(2月と8月はお客様が入らない)”と言われている水商売系に属するライヴハウスの状況は、言わずもがな。と思っていたら、開会式なんか見ないぞという方が2桁になるくらいは来てくださった。

金丸正城(vo)さんとの演奏だったのだが、途中の休憩中に、エノケンと二村定一が共演している映画の中で「セントルイス・ブルース」を歌っているものを見せてくださる。もちろん戦前のものだ。金丸さん、まったくもって、ほんとにいろいろ勉強されている方だ。このエノケン、やっぱりセンスがグンバツ。歌詞の合間に入れている日本語のタイミング、それにまったく感情移入のない言い方など、他の誰にもできないだろうと思う。

帰宅してテレビをつけると、北京ではちょうど五輪旗が入場したりしていて、結局聖火の点火を見ることができた。その前の様子はさっぱりわからないが、かなり大がかりな演出がされているらしいことは容易に想像できた。



8月9日(土)  暑気払い

夜、大学時代のサークル、能楽研究会の友人たちと暑気払い。私を含めて6人が集まった。うち、2人は家賃収入で暮らしている。ああ、憧れの〜。また、うち、1人は早期退職志願をして大手クレジット会社を7月末でやめていた。子供はまだこれから大学受験で、住宅ローンも残っているらしいが、早い時期に第二の人生という考えなのだろう。それにしても失業手当が24か月(?と言っていたと思う)も出るらしい。いいなあ〜。

帰りの方向が同じ同級生を誘って、下北沢で途中下車。とあるパーティーのために、お店の下見に行ってみる。お料理は工夫してあっておいしく、従業員の応対も感じがいい。が、厨房の換気が悪いのか、揚げ物の臭いが油と共に店内に舞い降りるのと、なによりも天井がちょっと低くて、人の話し声が耳にとってもきつかった。私より耳の状態が悪い人とのパーティーなので、やっぱり却下か。うーん、残念〜。



8月10日(日)  リキまない演奏

下北沢・レディージェーンで、佐藤芳明(accordion)さんと太田惠資(vn)さんと演奏。誰がヘッドか?がしかとわからないようなセッションという感じではあったけれど、全体にまったくリキまずに、肩の力を抜いた感じで、三人で楽しく演奏。

先に写真を撮った“ホルトノキ”をざっと見る。写真を撮ってくれた友人は「まがまがしい」と言っていたが、なんとも言えない存在感と怖さのようなものを感じる。さすが、江戸時代から生き抜いてきた木、だ。そして、こうして写真に撮られたものを見ると、ずいぶん感じや見方が変わる気がした。さーて、これがどうなりますか、は、デザイナーさんの腕にかかっている?と、妙なプレッシャーをひそかにかけてみたりして。



8月11日(月)  四十年にして

午前中、北京オリンピックで水泳の北島選手が世界新の記録を出して金メダルを取った生放送を見ていて、電車に乗り遅れる。こんなオリンピックなどというものは絶対に見ないという人もいるが、もとはちょっと体育系だった私はやっぱり時々見てしまうわけで。

この北島選手もそうだが、サッカーの中田(ヒデ)選手などを画面の中で見ていると、人間は成長するんだなあ、捨てたもんじゃないなあ、ということに気付かされ、妙に感動する自分がいる。国家とかファッショとか、そういうレベルではなく、まったく一個人の生き様のようなものに、琴線が触れるらしい。その感覚はすばらしい音楽に触れた時とそんなに変わらないもののようにさえ思う。

今日は、11月1日に舞踏家の人と舞台をやることになっていて、その初めての打ち合わせをやる。とてもおいしい手作りのランチをいただきなら。

実はこの舞踏家というのは私の小学校の時の体育の先生。だから旧姓も存じ上げている。その後も中学、高校でも習ったし、私が所属していたクラブ、つまりハンドボール部の顧問もしてくださっていた方だ。

卒業後、特に親しくしていたわけではないのだが、たまたま今から20年前くらいに旦那様と偶然知り合いになって、えー、うっそー、的再会があり、先生がまだ小学校の教員をやっていた頃に、NHKの「ようこそ先輩」もどきのようなことをやったこともある。また、舞踏をやっておられたこともあり、互いの知り合いのミュージシャンがいたりして、なんのかんので、今回のような運びになった。

つまり、初めて先生に出会ってから四十年、だ。ひえ〜っ。そして、こんな風にいっしょに舞台を、作品を創れる機会に恵まれたことを、ほんにうれしく思う。

ちなみに、その旦那様は山登りで、この時期、本当はチベットにおられる予定だった。今朝も爆弾事件が起きて死者が出たと報道されていたから、多分行っていないだろうと想っていたら、やはりご自宅にいらっしゃった。

新疆ウィグル地区。現在、電話もe-mailもほとんど通じない状態らしい。現地にいる多くのご友人の方たちと連絡がとれないとおっしゃっていた。また、町の中で、2〜3人でかたまって歩いていると必ずとめられるし、外国人と話していようものなら・・・、という相当な厳戒態勢下にあると聞いた。ほとんど弾圧下にいるような雰囲気らしい?

中国という国でのオリンピック。様々な矛盾や問題を孕みながら。できるだけ、ちゃんと見ようと思う。




8月13日(水)  ゴミのこと

午後、『ごみ減量に関する「市民の声を聴く会」』というものに参加してみる。お盆中ということもあったとは思うが、出席者は私の他にもう一人だけ。が、聞けば、ここで週三回行われているこの会への参加者は、実際のところあまりいないらしい。

現在私が住んでいる東京都府中市は、昭和41年全国に先駆けてダストボックスを設置して、今もなお、全国で唯一ダストボックスが残っている所だ。で、そのダストボックスを廃止するという市長の提案やごみ減量の政策について、広く市民の意見を聴く、というのが、この会の目的だ。市の「ごみ改革推進本部ごみ減量推進課計画」が担当している。

まず、府中市のゴミの現状のビデオを観て、その説明を受け、その後、質疑応答という運び。担当者の方たちはわかりやすく質問に応えたり説明してくれた。団扇も用意してくれているというサービス付き。

で、私もいくつか意見を。各地区の公民館などで、自治会単位でこうした公聴会を開いてみたらどうか?と。足腰が弱いお年寄りも足を運びやすいし、自治会に入っていない人たち(アパートに住んでいる人など、かなり多い)にも広く呼びかけることができるのではないかと。隣、ご近所、のつながりは大切だと思っていることもあるのだが。

また、アパートやマンションなどの集合住宅に住んでいる所のゴミ箱周辺の状態は、私が知る限り、かなりひどいと感じているので、仲介している不動産業者にゴミの出し方などを徹底してはどうでしょう?とも。その辺のことは市でも動いているとのことだったが、市内の業者は概ね理解があっても、そうではない外部の業者の意識は相当低いらしく、市でもかなり困っている様子だった。

さらに、ゴミをゴミ焼却場へ持ち込む、という以外の方法はないのか?とも。例えば、自宅で作った堆肥1kgを某農家に利用してもらったら、夏の枝豆を一束もらえるとか、何か楽しいオプションでも付けて、ゴミの循環型再利用のようなことがうまくいけばいいのになあ、と。(既に、揚げ物に利用した後の廃油の再生利用は、個人レベルでは始まっているけれど。)

こうしたことは市では当然既に考えて実際に実験したりしているとの話。家庭で生ゴミを堆肥にするのに市は既に補助金を出しているし、農工大などの協力を得ながら、その堆肥を使った野菜や作物の収穫もしているらしい。が、どうもあまりおいしくないらしく、うまくいっていないとのこと。 そっかあ。

今春だったかに出た「答申」というものが、市民と有識者と誰かと15人くらいの人たちによって出されたようだが、それによると、ゴミの有料化(指定のゴミ袋を購入する)は多くの人がやむを得ないと考えているとのこと。ダストボックスの廃止についても同様の結果だったかと。

けれど、ゴミ袋を購入する、ったって、一袋50円〜80円もするらしく、この物価高のご時世に、家庭にはけっこうな負担になると思われ。また、有料化して、ダストボックスが存続したとしても、ダストボックスをめぐる諸問題(ダストボックスの騒音や臭い、分別の不徹底、越境不法投棄などなど)なーんにも解決されないと想像され。となると、やはりダストボックスは廃止の方向に動くんだろうなあと思われ・・・。 ちなみに、私はゴミ箱存続を強く希望している者の一人。



8月15日(金)  トウヘンボクで

夕方からカルメン・マキ(vo)さんとリハーサル。終わった後、町へ出て一献を傾ける。いろんなお話を伺えた楽しいひととき。

で、どういう経緯だったか忘れたけれど、私が思わず「私は風〜」と一節歌ったら、その唐変木(トウヘンボク)というお店の店主が、私たちにその背中を向けながら、「僕、大好きだったのよーーー」と言う。思わず、「ここに・・・」と言おうと思ったし、マキさんも手をあげたのだけれど、店主は何かを運んでいたのか、向こうの方へ。

そして、テレビの画面はオリンピック。店内のお客さんたちの歓声や溜息が一斉に聞こえてくる。そっか、今の日本はこういうことになっているのね、ということを知る。



8月17日(日)  いい感じ

午後、生徒のレッスン。ジャズではなく、ラベルの曲「道化師の朝」を見てくれ、という。・・・私でよろしければ状態だが、この曲、連打が多く、いやあ、難しい。とてもじゃないけど私には弾けないと思えども、とても面白い。8分の6拍子が3拍子にしか聞こえてこないので、生徒には主としてリズムのことを徹底的に言う。

夜は恵比寿にあるアートカフェ・フレンズで、カルメン・マキ(vo)さん、太田惠資(vn)さんと演奏。小屋の天井は高く、小屋自体のリヴァーヴが深い。ヴォーカルといっしょに演奏するほとんどのピアニストは、ピアノの翼を全開にしないとのご助言を受けたが、私はなんとかコントロールするから、ということで、フルオープンにさせていただく。

マキさんと共演するのは2回目だが、新曲も含めて、前回と同様、詩の朗読をはさみながら、なんともいい感じで演奏できたように思う。3人の間に温かなコミニュケーションと自由な柔らかい風が吹いている感じ。



8月19日(火)〜21日(木)  リベンジ

19日、久々に朝6時に起きて羽田へ向かう。広島空港から車でたっぷり1時間半。山を越えて庄原へ。去年ここで行われるはずだったアサヒビール主催のコンサートが、台風のために本番当日の当日の午後、つまりコンサート開始直前に中止になったことをうけて、今年はそのリベンジ。

市町村合併で、今回は二つの中学校のブラスバンド総勢78名と坂田明(as,cl)さんの“mii”との共演がある。そのリハーサルのために前乗り。

ブラバンの子供たちはほとんどが女子。男子は4人いただろうか。事前にどのようなやりとりや打ち合わせがあったのかは知らないけれど、どうも子供たちはあらかじめ送ってあった坂田さんの曲をあまり吹けない様子。かくて、坂田さん一人、子供たちとの長い格闘が始まる。バカボン鈴木(b)さんや私も、思わず生徒たちのそばに寄ってしまう。にしても、それぞれ二校の先生方はどういう指導をして、何をやっておられたのだろう?とちと思う。ちょうどコンクールが終わったばかりとのことではあったが。

20日、午後、調律の最後に立ち会う。年間で2〜3回しか調律は入っていないとのこと。ピアノの発表会をやっても、調律はされないのだそうだ。・・・ちょっとかわいそうなスタインウェイのフルコン。去年、いろいろお話をした調律師さんが今年も力を尽くしてくださって、たいへん助かる。東京から同行した音響の方にもいつものことながらたいへんお世話になる。

子供たちとのリハーサル。なにやら、昨日とちょっと感じが違う。と思っていたら、本番はもっと違っていて、やっぱり本番が一番よかったと思う。よかった、よかった。

夜は庄原市長さんやスタッフのみなさんと打ち上げ。アサヒビールの企業メセナや地球環境への取り組みのお話なども伺う。第一次産業の重要性などの話も。

その後、我儘を言って、お店を開けておいてもらって坂田さんたちと飲みに行き、さらにホテルの一室で深夜3時頃まで話し込む。

21日、空港の手荷物預けのところで、バカボン君のリュックがひっかかる。どうやらライターがみつからないらしい。その中身をほとんど出されるような状況。みんなでちょいと頭に来たり。

帰りは浜松町の一つ先の駅でで山手線が止まってしまう。今月三度目の電車のトラブルに遭遇。迷った挙句、都心に出るのをやめて、京浜東北線で川崎に出て、南武線で帰途に着く。そして駅を降りればどしゃぶりの雨と雷鳴がお出迎え。



8月22日(金)  人はみかけ

雑誌『サライ』に連載されている、堀文子さんの第98回の題名は「卒寿」。その静謐な文章を読んで、先般突然お会いした時に、これまでの堀さんとはちょっと違うと感じた自分の感覚は間違っていなかったと思う。そして、私はとてもあんな風な女性、否、人間にはなれないだろうと思ったりする。

人をみかけで判断してはいけない、というのも真だろう。が、人はみかけだ、というのも、また真なり、と思う。その立ち居振る舞い、雰囲気、肌の艶、言葉遣い、などなど、それらはすべてその“人”を物語る。その人間の中味を映し出す。




8月24日(日)  早い

午前中、友人のお母様の四十九日に出席する。実に時の経つのは早い。

場所は文京区小石川にあるお寺で、その辺りには幸田露伴などが住んでいたらしい。そういえば、大学時代、同人誌を作っていた頃、この辺に住んでいた近代文学の教授のお宅に伺って、インタビューをしたことがあったのを思い出した。その先生は作品論の立場をとっていた方で、私は川端康成や三島由紀夫などの授業を受けた。川端の小説「雪国」の冒頭の記述について、何時間もかけて論議したことを思い出す。

法要の後の会食後、友人たちとお茶をしていた喫茶店に、どこぞのいわゆる芸能人親子がどやっと入ってきて、みなの注目を集めていたようだ。けれど、私がカウンターでお金を払っている時に割り込んできて、そのあまりの傍若無人ぶりに、私は少々腹を立てた。あんな人種にはなりたくない。って、なれるわけもないのだけど。



8月26日(火)  少しずつ

午後、11月にやる予定の、踊りと音楽と語りの公演のフライヤーの打ち合わせ。踊りの人は私の小学校の時の先生でもあるのだが、少し早く集まって、今回の公演の内容や方法について、少しだけ突っ込んだ話をする。

その後、喜多直毅(vn)さんとのデュオのCDや、黒田京子トリオのCDのジャケット・デザインもお願いしているデザイナーの方を交えて三人で打ち合わせ。その方はまたもや喫茶店の机の上に置かれた、フライヤー用のオブジェをデジカメで撮る。その前は喜多君が新しく買ったという万年筆。まったくもってご苦労をかけて恐縮至極。

その後、さらにデザイナーの方と、黒田京子トリオの二枚目のCDのジャケットの打ち合わせ。とりあえず印刷されたデザイン案をいろいろ見せていただく。一つの作品ができるのだなあという実感がだんだんわいてくる。



8月27日(水)  赤いちゃんちゃんこ

現在、日本に来ている高瀬アキ(p)さんの“赤いちゃんちゃんこ”をお祝いするために、かつてアキさんに教えを乞うていた人たちに連絡をしまくる。これまでも確か2回くらい同窓会のようなことを企画したことがあるのだけれど、今回は、ま、もうめったにないことかと思われ、今でもアキさんと親交がある人たちにも手伝ってもらって、できるだけ声をかけてみることにする。12〜3名は集まりそうだ。わーいわーい。



8月28日(木)  ジムさんと

新宿ピットインで、ジム・オルーク(g)さん、八木美知依(筝、十七弦)さん、田中徳崇(ds)さんと即興セッションのライヴ。ジムさん、八木さんとは久しぶりの共演。田中さんとは初めましての出会い。なんでも彼はシカゴで10年間くらい演奏活動していた方だそうで、今春、日本に戻ってきたとのこと。

夜6時には新ピに入ったのだが、既に三人とも完璧な準備態勢になっていて、自分が遅過ぎたことを知る。ピアノの位置決めにちょっと時間がかかったので、みなさんに迷惑をかけてしまった。

演奏はすべて即興演奏。組み合わせすらも決めず。私はとても久しぶりにとても長い即興演奏をやったような実感。弦楽器の響き合いが美しいところや音色的な試みもたくさんあったとは思うが、全体にはフリージャズというテイストだっただろうか。

パルスにあまり変化がなく、さらにシーンや状況が大胆に変わるということもあまりなかったような気がして、ついつい、いろいろやってしまった私がいたように思う。アコーディオンやら笛やら歌やら語るやら。笛はちょっと一噌君が入ってしまったかしら。で、気がつけば、現在の楽器(ピアノ)の状態は割合に良かったにも関わらず、“ミ”の最低音、つまり巻き線一本の弦を久々に切っていた。す、す、すみません。

終演後、聴きにいらしていた坂田明(as)さんも交えて、全員で打ち上げ。餅ピザが美味。帰りはたまたま私宅の近くに住んでいたことが判明した田中さんのお言葉に甘えて、車に乗せていただき帰宅。午前2時頃、甲州街道から見た西の空にはものすごい稲光。ひどい雷雨になる直前に家の中に入る。(翌日、高尾辺りで、土砂崩れや京王線の脱線事故があったことなどを知る。)



8月29日(金)  天国へ捧げる

大泉学園・inFで、黒田京子トリオ(太田惠資(vn)、翠川敬基(vc))で演奏。富樫雅彦(per)さんが亡くなって一年。追悼の気持ちもこめて、富樫さんの曲も演奏し、天国に捧げる。

二枚目のCDは音源のマスタリングもジャケットも大詰め。今秋、発売予定。タイトルは『ホルトノキ』。日にちは未確定。



8月30日(土)〜9月1日(月)  八ヶ岳

原油高もなんのその、えらいこっちゃだけれど、母を連れて、少し遅い夏休み。今回は野辺山にある某ペンションに一泊。料理が評判らしいので、ま、どれどれ、という感じ。ちなみに、母はペンションというものに初めて泊まるという。

どうも・・・私の性格なのだろうか。ここはこうしたらもっといいのに、こんな風にしたらもっと良くなるのに、という意見のようなものを、つい、話してしまう。口うるさい小言ばばあのようで、自分でもちちょっぴり反省したり。

私の場合、どうしても気になるのが“音”。スリッパがすべり止めになっているのか、全部がピタピタと音をたてる。あとは、おそらく湯沸かしのボイラー室が、部屋の真ん前にあって、この音がボワボワとうるさい。この耳にはこたえる。部屋には机も椅子もなく、ベッドが二つああるだけ、というのも、ちとつらい。ま、それでも、仲良く家族経営しているペンションのようだから、まずはこんなものだろうと思う。

一番おいしいのは、なんといっても空気。生きている心地がする。あとは、野菜の味、だ。ちょっとだけ束の間のリフレッシュ。






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