7月
7月3日(木)  風は

午後、さわやか太極拳の教室。その後のお茶タイムでの会話の中で。

「風は気を奪う」

例えば、故田中角栄が車の後部座席に座って、ずっと風にあたっていたら、顔の半分が麻痺したという話。だから、これからの季節、ああ涼しいと言って、冷房の冷たい風をずっと受け続けていると、どんどん気を奪われていくから、注意したほうがいいそうだ。

私はこういうことを初めて聴いたのだけれど、単純に風が熱を奪っていくことは容易に想像できる。先生によれば、こうしたことはいわゆる“五行”によるところがあるらしい。

また、夏に草むしりをしていると大量の汗をかくのは、暑いからではなく、

「土が水を呼んでいる」

からだという。そして、土に触れることは身体にとてもいいのだそうだ。そういえば、私たちの生活はほんとうに土に触れることがなくなった。小さい頃はどろんこになって遊んでいたけれど。



7月5日(土)  ライヒ

NHK芸術劇場のスティーヴ・ライヒの演奏を観る。若い時に観た『コヤニスカッティ』がトラウマになっていて、どうもイマイチいわゆるミニマルミュージックが肌になじまないでいる。

でも、観た。ライヒ作曲『18人の音楽家のための音楽』(声楽:シナジー・ボーカルズ、演奏:アンサンブル・モデルン、ピアノにライヒ自身が加わる)は面白かった。特に私には“変わり目”が興味深かった。それはフレーズのほんの少しの変化がもたらす喜びや楽しさにあふれたもので、不思議に踊れるような気分になったのが、自分でも意外だった。この類の音楽を聴いていて、初めて味わったような経験だった。

アンサンブル・モデルンは大好きなのだが、ここ何年か来日公演に足を運べていないのが残念。去年、坂本龍一の作品をやった時のものがCD、DVD、譜面付きで限定販売されているのだが、その値段にちょっと躊躇している。が、やっぱり買っておこうかなあ。



7月6日(日)  セットアップ

新しく買い替えたパソコンのセットアップに優秀な友人とそのご子息が来訪してくださる。彼らは家に着くなり、チャチャチャッと作業を始める。うーん、親子、似ているぞ。で、私はただただボーゼンとその様子を口をあけて「わかんなーい」などと言いながら、アホヅラをぶるさげて眺めていただけ。

それにしても、このパソコン、サクサク動く。ストレスがまったくなくなった。こういうものだったのね〜。



7月7日(月)  ジスモンチ

浜離宮朝日ホールで行われた、エグベルト・ジスモンチ(g,p)のソロ・コンサートに行く。ECMを聴いていた若い頃は、その世界に憧れたりもした。いわゆるジャズとは違う音楽の世界、文化、を強烈に感じたことをよく憶えている。

知り合いによれば、今日のジスモンチはちょっと風邪気味だったらしいが、前半はギターのみで、後半はピアノのみで、それぞれたっぷり1時間くらいは演奏していた。

この音楽は何?と言われても、ひとことで表現するのはちょっと難しいところがあるミュージシャンの一人だろうと思う。それでも、追加公演を行うほど切符は売れ、若い人たちも含めて、この会場に聴きに来ていた人たちは、“ジスモンチ”を聴きに来ている、という風に感じた。

それにしても、今年還暦のジスモンチ、ピアノを弾く右手も左手も、よく動いている。家に帰ってもちろんすぐやってみたが、私にはできない。ジスモンチは普段はロールピアノ(紙の鍵盤)で指の練習しているとも聞いたが。そっかあ、これ以上下手糞にならないために、やっぱり旅先にロールピアノを持ち歩くかなあああ。だったら、鍵盤と同じ幅にしてよ、と私はメーカーに言いたいのだが。



7月8日(火)  女神のうた

大泉学園・inFで、松田美緒(vo)さんと、翠川敬基(vc)さん、会田桃子(vn)さんと演奏。

美緒ちゃんは自身でもそんな風に言っているように、ほんとうに古代からやってきた女神、海の歌姫、と言ってもいい感じだ。一昨日ギリシャから帰国したばかりだというが、すこぶる元気で、その様子はまるで生まれ故郷に戻ってリフレッシュしてきたかのようだ。生まれも育ちもまったく異なる、こういう若い歌姫と共演できる私は、ほんとに幸福者だ。

このちょっと超越している感じは、これまで私が出会った歌手としては、例えばおおたか静流(vo)さんがいるが、似て非なるもので、二人は全然違うと思う。

ちなみに、この日、この店のピアノはインシュレーター(3本の足の下にかませているお皿)の上に載っていた。四角の木の板の形をしている。これが、このピアノの響きをこれまでとまるで違うものにしていた。ちょっと耳につく感じの尖った音色がなくなり、柔らかい豊かなサウンドを創っている。それに少し整調されたのだろう、88鍵全体の音色のバラつきが少なく、調律師さんの尽力に頭が下がる。



7月9日(水)  現実のうた

代々木・ナルにて、澄淳子(vo)さん、吉見征樹(tabla)さんと演奏。

昨晩と変わって、なんというか、歌に現実性がある感じ。“ジャズ”が教えてくれるものは、そういうことかもしれないと思う。澄さんはいつになく高音域を使った発声も使い、今宵も3人で楽しく演奏。



7月11日(金)  新しい人たちが

大塚・グレコで、佐藤芳明(accordion)さんと演奏。急遽、ゲストで村中俊之(vc)さんという、若干25歳の芸大出身のチェロ奏者とも何曲か演奏する。

この日、佐藤さんは一昨日にぎっくり腰をやったばかりという。彼はヨガを、私は太極拳をやっているわけだが、やってしまう時はやってしまう、ということなのだろう。私もそうだったが、それはふっと油断した時にやってくるらしい。佐藤さんは往復タクシーで店に来て、椅子に座りながらの演奏だったが、それはいつものことながらすばらしいものだった。

村中さんはクラシックはもちろん、バロック音楽から、ジャズ、即興演奏もこなす方で、ご本人はメタルだ、ハードロックだ、と言ったりもしている。なんでも例の“のだめ”のSオケの首席チェロ奏者役をやって人気があるらしい。いやあ、ほんとにいろいろ新しい人たちが出てきているものだ。その演奏は非常に若く、音はしっかり出ているし、即興演奏も聴き合いながら気持ちを前に出す術を知っている。問題はこれからで、私は彼のこれからが楽しみだ。

そんな彼から、帰り際に、今度いっしょにクラシックをやってもらえますか?と言われる。目が丸くなった。ほとんど自分の子供のような年齢の人から、このような言葉をかけられる日が来るとは、夢にだに思っていなかった。私の演奏はそんなにクラシック音楽っぽいか?魂はやっぱりジャズだろうと思っているのだけれど。細かなタッチや音色や強弱などに配慮しているだけのつもりなのだけれど。

また、彼は田中信正(p)さんがやり始めた、会田桃子(vl)さんとのピアノトリオのメンバーでもあるとのこと。9月には新宿ピットインでライヴがあるという。

振り返れば、黒田京子トリオの活動が定期的に始まったのは2004年1月。現在、既に5年目の活動に入っている。はっきり言って、こうしたピアノトリオという形態の先駆的役割を担っていると自負している。別にことのほかリキんでいるつもりはまったくないが。

そして、感じた。先に松田美緒(vo)さんと演奏した時には、太田惠資(vn)さんの存在と即興力を、そして今晩は翠川敬基(vc)さんの存在と演奏のすごさを。お二人ともその弦楽器の世界の先駆者であることは今更言うまでもないが、そういう方たちとトリオを組んで活動を続けて来ていることは、私にっとてはほとんど奇跡に近いことだとあらためて思う。そりゃもういろいろたいへんなのだけれど、妙に感謝する気持ちになった。



7月12日(土)  地殻変動的気分

この10日(木)に、30年来の友人のお母様が亡くなり、その葬儀に出席する。友人は約2年間、たった一人でお母様の介護を続け、そのほとんどを在宅看護していた。先週容態が急変して、入院して検査するという矢先の、突然のことだった。

お母様は小柄な方ながら、しゃきしゃきっとした感じで、息子を女手一つで育てあげた方だ。昔の若い頃の写真を見せてもらったが、それはそれは美しく、戦後のアプレゲールという感じ。プロのカメラマンが撮りに来るくらいの女性だったらしい。

今日は告別式の後に、すぐに初七日の法要も。若いお坊さんが少し説教してくださる。こうした儀式は年々簡素化されている気がするが、祭壇を見ながら、作家の故城山三郎さんが奥様が亡くなった時に、既に飾られていた政財界の偉い人たちの花を退けて、奥様が親しくしていた友人の方たちの花を遺影の近くに飾り直した、という話を何故か思い出した。

その後、棺に花をたくさん入れる。私は火葬場まで行き、既に上半身と下半身と分かれて出されてきた遺骨を拾う。

今週はあまりにもいろんなことがあり過ぎた。それは10年、20年、30年、40年という単位で襲いかかってきて、私はそのあまりの重さと、あまりの軽さに、困惑し、正直、精神的にとても疲れた。それはまるで自分の内部に地殻変動が起きているような感覚に近かった。とても揺さぶられた。

月曜日はネオンが眩しい新橋駅で、約20年前のバブル期の話が出て、その流れた歳月と泡の感覚に涙があふれた。火曜日には一方的に音信を絶っていた友人が突然目の前に現れ、心底びっくりして心は激しく動揺した。水曜日は小学校の時(10歳の時とすれば約40年前の話になる)から小・中・高とお世話になった体育の先生が、何のしらせもなくライヴに来てくださった。現在、この先生は舞踏をやっておられ、この11月に初めていっしょに舞台を創ることになっている。そして、木曜日には30年来の友人のお母様が亡くなられたというしらせを受ける。

そんな中で、とても若い歌姫やチェロ奏者と共演する機会を得たりもした。今の20歳代の人たちの開放された感じは、30歳代の人たちとはちょっと異なる感じがしている。にしても、まあ、自分はそれ相応に歳をとったんだなと感慨深く思ったり。

そして、漱石ではないが、片付くものなんてありゃしない、のが現実だ。




7月16日(水)  山形

午前中の新幹線で山形へ。坂田明(as,cl)さん率いる“Yahho!(ヤッホー/バカボン鈴木(b)、坂田学(ds))”で、東北芸術工科大学の水の上に浮かぶコンクリート造りの能楽堂で演奏。夕方の開演で、私たちからは空と山の間に刻々と沈んでいく美しい夕陽を見ることができる。時が移り変わっていくのを感じながらの演奏。

終演後、先生方と打ち上げ。その後もなんだか久しぶりな気分で、坂田さん、バカボンさんとホテルの近くにあったショットバーへ繰り出す。その店の片隅にあったサックスのケースをめざとく発見。マスターに聞けば、ご本人が練習し始めたばかりとのこと。以前、信州・松本に行った時、学生と坂田さんのことを話した際、坂田さんは“伝説の人”という認識だったのにちょっと驚いたことがあるが、このマスターもおそらく坂田さんのことはあまりよく知らない感じだった。ま、かくてあれこれおしゃべりをして、午前様。



7月17日(木)  十三回帰、おめでとう

午前中に山形を発って、夜は大泉学園・inFで、黒田京子トリオ(翠川敬基(vc)、太田恵資(vn))で演奏。今日はお店の十三回目のお誕生日ということで、マスターの希望で会田桃子(viola)さんをゲストに迎える。

その会田さん、本日はヴィオラ限定のお約束がどこへやらで、ヴァイオリンを抱えて登場。その後真っ青状態。自宅に戻る時間はないので、いろいろな方面に電話をかけまくって、開演ぎりぎりに美女と共にヴィオラは到着。

面白いもので、たった一人加わっただけで、音楽も関係もすべてが変わる。

終演後、アフターアワーズ・セッション。どういうわけかピアソラの「忘却」を二度弾くことに。お相手はそのヴィオラを持ってきてくれた美女と、会田さん。ジャズ屋の性分なのだろう、演奏するkey(調)は違っていても、どうしても同じようには弾きたくない意思が働く。久しぶりに午前4時過ぎに帰宅。



7月18日(金)  雨男

午後、大粒の雨がちょうど降り始めた頃に、HISASHI(vo)さんから駅に着いたと電話が入る。雨はどんどん激しくなっている。もう待てないという気分になり、大雨の中、車で彼を迎えに行く。ワイパーを動かしても前方はよく見えないほどの降りっぷり。したらば、彼は雨男だという。あらら、ほんとだあ。

というわけで、午後はハジメマシテのリハーサル。いろいろ話をしながら、音楽を創っていく。五輪真弓のレパートリーがあるとは知らなかった。五線譜に書かれた音符だけを見ていてもよくわからなかったのだけれど、彼が歌い始めた瞬間、いっしょに口ずさんでいる自分がいた。レコードの盤面が擦り切れるまで聴いたじゃないの、私。若い頃に聴いたものは、まだ脳味噌が憶えている。

帰り道、すぐそこの二車線の道路には倒れた太い木が。雷でも落ちたのだろうか。よ、よ、よっぽど嵐だったということだろうか。うーん、嵐を呼ぶいい男、という感じかしら?



7月19日(土)  コマキガミ

急遽、黒田京子トリオのマスタリングを某所にて。一刻も早く東京を脱出したい方をなだめて(?)、朝11時集合で、連休のせいか、道の渋滞で少しだけ遅刻してしまったものの、恒例ながら2時間半遅れてやってきた方に比べれば、ほとんど時刻通りの到着。音色、リヴァーヴ感、曲間の秒数など、非常に細かい作業だが、全員のコンセンサスを得ながら、なんとか終わらせる。

夕方、CDのジャケット・デザインをお願いしている方と打ち合わせがてら、仙川へ。昨日から三日間に渡って、巻上公一(vo)さんがプロデュースしている『JAZZ ART せんがわ 2008』に行く。午前中あるいは夕方から、せんがわ劇場や仙川アヴェニューホール、路上などで、たくさんのユニットや即興演奏のワークショップなどが、プログラムとして組まれている。巻上さん自身が言っていたが、こういう小さな町が発信する、いわば画期的な催しと言っていいだろう。

私が聴くことができたのは、アヴェニューホールで行われていた、“自由即興”と、その後、ちょっとだけ引っ張り出されて演奏した“セッション”。この自由即興の方は、巻上さんがリーダーとなって、あらかじめ公募して、さらにそのデモテープが認められた人たちの組み合わせや意思によって、即興で音楽が演奏されていた。

そこには平野公崇(sax)さんが教えている大学で会ったことがある人もいたが、もっとも驚いたのは、“コマキガミ”さんたちがたくさんいたことだった。青巻上、赤巻上、黄巻上、小巻上、という感じだ。巻上さんが以前からヴォイスのワークショップなどを積極的に行っていることは知っていたが、ステージ上で思わず「育てているのねえ」と言ってしまったのは私だ。

こういう即興演奏を聴いていると、三宅榛名(p)さんの言葉ではないが、やはり自分を解放している、という風にとても感じる。その風貌からはおよそ想像できないようなユニークなパフォーマンスをする人もいれば、自分のボディを叩いたり、巻上さんとはちょっと違った方法で音を出すことを試みているプロ級の人もいて、これはこれでなかなか楽しめた。だいたい、客席がほぼうまっていること自体が奇跡かもしれない?が、なににせよ、その質や音楽的な深さはともあれ、即興演奏というものがこうした広がり方をするのは面白いなと思う。

このフェスティバルを十年続けていきたいと巻上さんは言っていた。また、そのパンフレットに「・・・たいていは皆パッケージを好む。いってみればちゃんとした商品というものだ。その意味で、パッケージされた商品を買わなかったせんがわの英断に拍手を送りたい。」とある。このフェスティバルが質のよい中身を持ち続け、長くあらんことを!

それにしても、アヴェニューホールで使われていた、BOSE提供の音響システム。細長い棒状になっているスピーカーが、各演奏者の背後にある。つまり、演奏する人のところから音が出ている。これはなかなかのすぐれものと感じた。

また、このホールにはアップライト・ピアノが2台あるようだった。せんがわ劇場の方にはスタインウェイのグランドピアノがあったと思う。使い勝手のことなどはわからないけれど、某安藤なにがしという建築家が設計したという、コンクリートの打ちっぱなしの建物。どうも必ずしも音楽用になっているとは思えず、全体のコンセプトがイマイチよくわからない、か?

この劇場たち、まだできたばかりで、まだまだこれからのようだが、あとは地域での定着や、地元の人たちの協力、それは例えば音楽科や演劇科を擁する桐朋などとの関係もうまく機能すれば、もっと活用され、地域や文化の活性化につながっていくと思う。

(桐朋音大の建物は建て替えが検討されているらしい?なにせこの大学、専用のホールがない。女子高の方の敷地に、講堂を壊した後、小さなホールができたが、まったく使い勝手が悪く、音楽をやるにもいわんや演劇をやるには、甚だ中途半端な建物。ともあれ、おそらく音大の建物は私が小学生の時から変わっていないと思うから、相当老朽化していると思う。)

それにしても、仙川の町も変わった。なにせ12年間通っていたので、その感慨はひとしおだ。



7月20日(日)  RBB

RBB、これは“両国びっくりバンド”という、ジャズのアマチュア・ビッグバンドの名前。私が長きに渡って関わり、この春に解散した劇団・トランクシアターのメンバーも加わっているこのバンドが、河口湖で合宿をするというので、気分転換のドライヴがてら、初めてその活動の見学に行ってみる。

私宅から河口湖までは90kmくらいしかないのに、行きは2時間半以上かかってしまう。それに猛烈に暑いので少々バテて、まずはボーッとサックス隊の稽古を聴く。リーダーになっている人がいるので、口ははさまず。その後、金管やクラリネットやフルートなども加わって、全員でのレパートリーの練習を聴く。このビッグバンドの全体の先生をしているのは、村田厚生(tb)さんだ。この時も、もちろん、私はじっと稽古を見ていた。

村田さんはジャズの世界の人ではないが、楽器の音の出し方や譜面の読み方など、丁寧に指導されている様子。ユーモアのある雰囲気がとってもいい。

食事の後、なんだかみなさんやる気満々のようで、楽器なんぞを構えていたので、食事代のお礼に、差し出がましくも30分間くらい稽古をつける。譜面はなし。「とりあえず、ソとドだけ吹いていればいいから」とCジャムブルースを全員でやる。(この曲、実はメロディーを吹くのはけっこう難しい。)半音ずつメロディーをあげてみたり、テンポを変えてみたり。4小節ごとに、とにかくなんでもいいから思っている音を吹いて、とアドリブを回したり。挙句の果てには、これまでどうやらアンタッチャブルだったらしいリズム隊に突っ込みを入れてみたり。午後の練習を聴いていて、どうしてもリズムが弱い(ノリが悪い)と感じたためだろう。

こうしてやってみると、ジャズという音楽は如何に譜面によらないところが多い音楽であるかが、言い換えれば、譜面に書かれていないことを、自分の耳が聴きとったり心が感じたりして、自分なりに演奏せにゃあならぬことが山ほどある音楽であるかが、よくわかる。リズムはもちろん、八分音符のアーティキレーションひとつとっても。第一、例えばメロディーを譜面に書かれた通りに演奏している人はまずいないだろう。やれやれ、の音楽だ。が、それが面白いし、楽しい。

結局、夜10時過ぎに河口湖を出たが、談合坂SAから大渋滞でまったく動かなくなった。だんご坂状態だ。帰りもやれやれ〜の2時間ちょっと。



7月22日(火)  ドルチェで

夜、新宿・ドルチェのサロンで行われた、村田厚生(tb)さんのコンサートに行く。ピアノとのデュオで、フレスコバルディ、ショスタコービッチ、ベートーヴェン、バルトークなどが演奏される。現代曲は少し。元はトロンボーンのためではない曲をアレンジしてトライしてみたというものも。思えば、村田さんが普通に吹いているような、例えばベートーヴェンの曲を聴いたのは初めてかもしれない。それに、対位法的な感じで、トロンボーンとピアノがからむような構成になっていたフレスコバルディの曲は面白かった。



7月23日(水)  店で買うということ

お店で、店員さんを目の前にして、何かを買う、ということ。その間にあるべきコミュニケーションは、いったいいつからこんなに雑になったのだろう?

某野山楽器店で、ポイント2倍の時にCDなどを買うと、25000円の購入金額で3000円分が無料になって、なかなかお得ではないかと思っているため、なにかとお世話になっている所がある。

以前はクラシック音楽にとても詳しい女性がいて、とっても感じがよかったのだが、ここのところ、年配の男性が2人いて、とっても感じが悪い。彼らにとってはあまり聞き慣れないミュージシャンの名前ばかりを私が言うからかもしれないが、オジサンはパソコンで検索できない。ということを、あやまることすらしない。とにかく、応対がものすごく悪い。ああ、ほんとうに、大人がダメになったと思う瞬間。それに、若いお姉さんは例えばECMというレーベルの名前すら知らない。全然勉強のようなものをしないのだろうか?

昨日、1時間待たされた某京東菱三JFU信託銀行でも、若いお姉さんの態度はすこぶる失礼で、非常によろしくない。第一、自分が勤めている銀行の商品の説明がきちんとできない。こちらの質問に的確に答えない。仕事意欲がないのだろうか?プロ意識に欠けている仕事をしている人には、私は非常に腹が立つ。たったあれだけの用事に、1時間近くかかり、店のシャッターはとっくに閉まって、もう店内にはお客さんは誰もいないような時間になっているのは信じがたい。省エネと称して、あんなアロハを着ているのが悪い、と母は言う。一理あるかもしれないとさえ思う。

大人が情けない。




7月25日(金)  いろいろ、うた

大泉学園・inFで、HISASHI(vo)さんとデュオで演奏。別の日にリハーサルもしていたし、現在の二人でできることはまんずまんずできたかなと思う。



7月26日(土)  対応

坂田明(as,cl)さんの“mii”(バカボン鈴木(b)さん)で、横浜・ドルフィーで演奏。どうもちょっとピアノの様子がおかしい。高音の方の弦は切れているし、鍵盤がちょっとがたがたしている。と思ったら、昨晩演奏されたのは某さんだった。

ピアニストはいつでもそこにある楽器を演奏しなければならないから、その状態は自分の力ではもうどうしようもなく。だから、経験を積んでいくと、まずはその状況を受け入れることに始まって、いろいろな対応力がおのずと身についていくらしい。

というより、楽器の声を聴けるようになる気がする。

その楽器が痛手を負って悲鳴をあげているとか、ここのところをちょっとだけ治してくれないかなあと言っているとか。逆に、弾いてもらいたくてうずうずしているとか。否、アナタになんかワタシが弾きこなせるわけがないわ、とツンとしているとか。ま、ごくたまに、楽器が「好きなようにうんと弾いてくれ」と言ってくれている時もあって、そんな時は、指は鍵盤の上を喜んで踊ったりもするのだけれど。

やがて、楽器の状態と弾き手の気持ち、そしてその日の音楽が、どのあたりで折り合えるかが、意図的ではなく、ごく自然に呼び合い、響き合うような感じになっていく。

そんなこんなで、今晩の私の指はいつもとちょっと違う演奏をした。らば、坂田さんからはちゃんと指摘される。



7月27日(日)  サウンドする

喜多直毅(vn)さんと北村聡(bandneon)さんと、大泉学園・inFで演奏。この三人のサウンドは何故かよく合っていると思う。喜多さんを軸にすると、西嶋徹(b)さんとのトリオもよくサウンドしていると感じているが、それが何故か、はわからない。とても感覚的なものだろうけれど。

客席には早川(bandneon)さんも来ておられた。北村さんも早川さんも、小松亮太(bandneon)さんのお弟子さんにあたると聞いている。その歴史や、楽器自体の複雑怪奇な構造や必要とされる演奏技術から、バンドネオンという楽器で即興演奏をするのはとてもたいへんなことらしい。けれど、この二人はそういうことに挑戦していると聞いている。

いずれにせよ、亮太君が切り拓いて来た道を、さらに別のかたちで開いていこうとしている次の若い世代に期待したい。そのためには、北村さんには次回こそぜひ自作曲を書いてきて欲しいと、おばさんは思うのだった。



7月31日(木)  少々無気力

今週に入ってから、暑さとともに、ちょっとバテている。気力がイマイチふるわない。更年期かあ?そんな中、黒田京子トリオのマスタリングCD-Rを聴き、あれこれ考える。

深夜には太平洋戦争に赴き、生き残った元兵士たちが証言している番組を観る。言葉につまり、涙を落とす。実際に戦争に行った人たちは、もう80歳を越えているのだ。






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