8月
8月2日(木)  うらめし台風

広島県庄原市で行われたアサヒビール主催のコンサート。坂田明(as,cl)さんのユニットで演奏する他に、地元の中学校の吹奏楽の子供たちとの共演もあって、ちょいと楽しみにしていた。本番の前日に現地に入り、リハーサルもやった。

が、午後3時頃だっただろうか、近付いてきた台風のために、気象庁から庄原方面にも“警報”が出された。かくて、会場は屋内の市民会館ではあったけれど、コンサートは中止になってしまった。残念〜。

裏で主催関係者はお客様客全員(葉書やe-mail等による申し込みで、全員無料のコンサート)に電話をしまくっていたらしい。開場時間よりも早くから、強風の中、ずっと立って入り口で対応している人たちも何人もいた。そして夕刻、こちらは子供たちを迎えに来た親御さんたちを前に、公開練習といった感じで、とにかく一度舞台上で演奏してみることに。

この中学校の吹奏楽部の人たちは全員女子。男子は一人もいないのだが、なんのなんの、いやあ、この思いがけない事態になってしまった状況の中で演奏された2曲は、その前日のリハーサルの時などよりも、ずっと引き締まった良い演奏だったと思う。

そのうちの1曲は「のだめ」(漫画)に出てきたクラシック曲が、次から次へとコラージュ、編曲されたものだったのだが、いやあああああ、中学生のブラバンとはいえ、なんというか、すっかりピアノ・コンチェルトを演奏している気分になってしまった。もちろんピアノの蓋は取り外されている。譜面はブラバン用にしかなっていないから、私は適当にコードを付け、アドリブできそうなところを勝手に弾いたりしたのだけれど、ををを、なんと気持ちがいいことか。ここにはやみつきになりそうな快感と感動があった。

また、その中にブラームスの交響曲第一番のあの冒頭が8小節くらい出てくるのだけれど、選ばれていた全体の曲の中で、この曲は異様な光を放っているように私には感じられた。ここの箇所の流れにのって、坂田さんがアドリブをするという噂があったので、楽屋でサウンドの分析をしてみたのだが、まことにおそれいってしまった。すごい。なんなんざんしょ、このメロディーとハーモニーは、みたいな。ああ、またブラームスにハンマーで頭を殴られてしまった。

懇親会では「リベンジ」の声があがっていたから、もしかしたらまた中学生のみんなや先生と会えるかもしれない。楽しみだなあ。

また、その席でアサヒビールが続けている、こうした文化活動のことや、環境への取り組みなどについて、話を伺うこともできた。テレビ・コマーシャルは派手だが、そうした活動は実に地味、地道なところがたくさんあることを知った。私が住んでいる所にはサントリーのビール工場があるのだけれど、これからは時々アサヒビールも飲むことにしよう。


8月5日(日)  肘折温泉

先の広島県庄原市(広島県の北東に位置する)は広島空港から約2時間弱、車で山道を走ったところにあったが、この山形県肘折温泉も、山形新幹線の終点・新庄から、車で約1時間くらい走った山奥に突如出現した温泉だった。

この肘折温泉、今年で開湯1200年とのことで、東北芸術工科大学が「東北ルネッサンスプロジェクト」の一環行事として関わったりしている。私は見ることはできなかったが、温泉街を手作りの灯篭でライトアップしたりしているらしい。

温泉が好きな私には、演奏した後にお湯に入れるのがとてもうれしい。いわゆる湯治客も泊まれるような旅館もたくさんあるから、ほんとにのんびり、なーんもしたくなくて、なーんも考えたくなくて、という状態だったら、その身体と心を癒すには絶好の秘湯かもしれない。そのかわり、冬は4m、雪が積もるそうだ。


8月10日(金)  アコーディオンの君と

アコーティオンの君、佐藤芳明さんとデュオで、大塚・グレコにて演奏。若手アコーディオン奏者の一線で活躍する彼の演奏はいつもすてきだ。

んが、うんむう、今日も集客少なく。世の中はお盆に突入したとはいえ、あな、さみし。もっとなんとかせにゃあなあ。いずれにせよ、すべての面において、私には戦略が足りない。


8月11日(土)  あらためて即興

“ストレスマネジメント・フォーラム 2007”のシンポジウムに参加する。いわゆる音楽療法を長年実践され、著書もたくさん出版されている先生や、同じく音楽療法に携わり、ドラムサークルをやっておられる方、「精神分析における自由連想法とジャズの即興演奏との関連について」といった研究論文を書かれている方、精神科医の先生、といった方々の中で、さてはて、私は・・・。

最初はいわゆるジャズ・ソングが歌われる。私はピアノ伴奏。そこで歌った方は精神科医の先生と、上記の難しそうな論文を書かれた方で、ジャズはクラシック音楽よりも自由で、かつ、ジャズには枠があってその中で遊んだり工夫できるのがいい、というようなことをおっしゃっていた。

クラシック音楽はすべてが音符で書かれている譜面があり、ジャズはメロディーとコードが書かれた譜面しかない、というのが一般的な理解だ。どちらの枠の方が縛りが強いか?と問われれば、その答えは概ね決まっている。

で、5年前の私だったら、その辺りで意識や思考は活動を停止したかもしれない。が、そんな風に考えることで、いかに大切なことが抜け落ちるかを、近年の私は学んだことがはっきりわかった。

それから音楽療法の先生のレクチャー。主として即興の方法について話されていた。が、それらがいったい何のために役立っているのか、それらをすることでどんなことが起きたのか、といった話はほとんど出なかったように思う。また、譜面は読めないとおっしゃりながら、ピアノで阿波踊りの伴奏をしておられた先生だが、全体のお話はちょっと一方的で残念な気がした。

そんな状況の中、「即興は方法ではない」などとバカな切り込み方をしてしまったのが私。精神分析、心理学、心の病、音楽療法といったことには詳しくない私だが、どうも肝心なことが問題にされていない気がしてならず、いたたまれなくなっての発言だった。

そもそも「まったくまとまらなくていいんです。収拾がつかなくなって、大混乱になってもいいんです」というのが、精神科医の先生、すなわちこのフォーラムの主催者のお話だったから、ま、いいか、という感じではあったのだけれど。ちなみに、この方がこういスタンスでおられるから、おそらく私は長年付き合って来れているんだろうな、と再認識した。

ともあれ、私は即興というのは在り様であり、自分と直面すること、せざるを得ない状況に追い込まれることだと思っていることを話した。それは自分が揺さぶられたり、それまでの自分が脅かされるかもしれず・・・云々と。けれど、そう考えることは「怖い」とか「不安」という感情も伴うがゆえに、どうもそこまで音楽療法はつっこまないのかなあ?と後で思ったり。

また、現代、どんどん失われていく人と人とのコミュニケーションを学ぶのに、即興という方法は有効ではないかと考えること。・・・などを勝手に話してしまった。

で、演奏を、というので、他の人を少し巻き込んで演奏。その際、ちょっと安易だとは思ったが、リズムを奏でる。そして、最後にエリントンの曲をソロで。終了後、何人かの方が声をかけてくださり、うれしく思う。非常に僭越だが、百の理屈より一音ですべてが溶けることもあると感じた瞬間。

世の中には様々な分野、様々な方法で“即興”に関わっている人がいることを、あらためて学んだ気分。明日は即興劇のワークショップがあるそうだ。あるいは、うっかりぼうっとしていると、摩訶不思議な世界や、非常に宗教的な色彩を帯びてくる道が開けていることもわかった。音楽における即興だけではなく、広いところから即興を見るのも、その意見に賛同するにせよ、批判するにせよ、悪いことではなかったなと思った、暑い夏のひとときだった。


8月14日(火)  毎日一曲

代々木・ナルで、小森慶子(cl,sax)さん、西嶋徹(b)さんと演奏。きしくも今日は小森さんの誕生日とのこと。そんなこともあって、パスコワールがとにかく毎日1曲書いたという曲集から、それぞれの誕生日の曲も演奏してみたり。その譜面は譜面というよりも絵画に近い雰囲気だ。

毎日一曲、365日、できる?


8月16日(木)  暑い日々

少しだけ八ヶ岳に行き、猛烈に暑かったらしい東京の様子をテレビで観る。地球温暖化は確実に進行しているようで、この高原も昼間は以前よりかなり暑くなっていると感じる。夜はかなり涼しくなるから、久々にぐっすり眠ったけれど。とにかく、眠れることがなによりもうれしい。

行きも帰りも、中央道・談合坂の長い坂道で、耳がやられる。ずっと唾を飲み込み続けて運転している状態。そして、耳は自律神経と直結しているのだろう。長時間運転した後はぐったり疲れてしまい、横にならないといられない。これはもう仕方ない。けれど、実は不安だった標高1400mの所での滞在が大丈夫だったので、ちょっとほっとする。


8月19日(日)  変わる音

神奈川県・伊勢原で演奏。そこにある小さな古いピアノを30年以上メンテナンスしておられるという調律師の方が、リハーサル後、少し手を加えて下さり、音色はずいぶん明るくはっきりとした感じになった。もう少しだけそんな感じにして欲しいとお願いしたのは私だ。

が、人間の欲というのは恐ろしいもので、なんというか、今度はちょっと元気過ぎる感じで、微妙なニュアンスや陰影のある感じが消えた感触。どうしたものかと思っても、どうにもならないのがピアニストの定め。

でも、今日は弾いているうちに、何故か徐々に音質が変化していっている気がしてならない。最後にはずいぶん柔らかい音になっていて、別人28号のようになっていた気がしたのは、私の気のせいだろうか。これほど音色が変化する感じを抱いたのは初めてだった。

そんなこんなもひっくるめて、自分の奏でるピアノの音というものが、どうもここ最近ちょっと変わってきている気がしている。少なくとも5年前の自分ではないような。というより、何もモノを言わぬピアノなれど、それぞれに生き様があるピアノの声のようなものを、なんとなく自分がどこかで感じながら弾かせていただいている、というような気分といった方が近いかもしれない。そして最後には親和性が生まれているような。自分でもちょっと不思議な感覚。


8月22日(水)  糞ころがし

富山のお寺の本堂で演奏。当然、クーラーなど、ない。以前、同じ所で演奏した時も、全身びしょぬれになるくらい暑かったことを思い出した。その時よりも幾分凌げた気がするが、それでも歌詞を忘れる人あり、意識朦朧となって半分眠っているような感じになったという人あり。やはり暑い夏の演奏はたいへんだ。

ピアノはカワイの古いセミコン。調律師さんが某人から譲り受けたものだそうで、ハンマーには全面的にカビがたくさん付いていたし、なかなかの状態ではあったけれど、調律師さんがものすごく努力してくださった。額に汗して、懸命にやってくださった。

さらに、そのピアノはピアノ教室をやっていた先生がご家庭の事情でやむを得ず手放すことにしたものだそうで、その方はピアノが家から去って行く時、泣いておられたと聞いた。その気持ち、痛いほどよくわかる。

そして、私の気持ちは元のピアノの持ち主の方と調律師さんになんとか報いたいと動く。

終演後、“糞ころがし”の映像を観る。『世界自然 野生生物映像祭』のオープニング・コンサートでの演奏だったのだが、ビールも飲まないうちに、その会場に連行された。こちらはへとへとだったけれど、その映像自体はとても面白かった。糞ころがしが懸命に糞をころがしている映像。ただそれだけなのだが、シンプルなだけに、いろんなことを感じてしまう。

「何故薔薇にはトゲがあるんですか?」「何故人間の脳は記憶するんですか?」これらはNHKラジオの“夏休み 子供電話相談”で、子供たちが偉い学者先生たちに質問したものの一例だが、いやあ、この番組、面白い。シンプル・イズ・ベスト、とはよく言ったものだ。それはともあれ、いったい、何故、糞ころがしは糞をころがすのだろう?

世界にはほんとにいろんな生き物、いろんな人がいるものだ。


8月25日(土)  哀悼

大泉学園・inFで、黒田京子トリオ(太田惠資(vl)さん、翠川敬基(cello)さん)で演奏。今日は久々に本番前に三人揃ってリハーサルができた。あな、うれし〜〜〜。

後半のセットは22日に他界された富樫雅彦(per)さんに捧げて演奏。富樫さんの作品を3曲、そして私が若い頃に作曲したものをリメイクした作品(トリオにとっては新曲)を演奏。

その曲はひらひら、すーっと、蝶が深い谷間を飛んでいる光景が、どうしても見えてきてしまったので、譜面を書いているうちに富樫さんに捧げようと思ったもの。それで幻の蝶の名前を付けようとあれこれ検索してみたものの、結局よくわからず。果たして、直感的に“瑠璃色”が浮かんできて、題名を「瑠璃色の風」としておいた。

らば、富樫さんとよくいっしょに蝶を採集に行かれた翠川さんが、7mくらいの高い所に飛んでいる瑠璃色の蝶も採りに行ったことがあると言われる。その蝶の名前は「ゼフィルス」。ということで、即、曲名を変更。

このトリオは共演当初から富樫さんが作曲したものを演奏してきた。CDにも収められている。それで、富樫さんの家にみんなで行こうとずっと話をしていたのだけれど、結局行くことができずにいて、こういうことになってしまった。正直、心底、悔やむ。せめてもの救いは、富樫さんがそのCDを聴いて下さって、その感想を翠川さんに電話で伝えて下さったことだ。心から合掌。

また、この日は翠川さんに捧げて、「Green Cradle」という曲を持っていった。今度は太田さんのために曲を書こう。と話したら、「僕のは“壊れたロッキングチェア”という曲名ですね」とご本人。なんとなくよくわかるので、うし、ほんでは、書きましょか。


8月26日(日)  散りゆく夏

馬インフルエンザに揺れるJRAだが、今晩は東京競馬場の花火を見る。昨年は新スタンド建設のために開催されなかったこともあってか、30分に6500発という、時間短縮濃厚型花火。

その花火のすべてを、友人が住むマンションのベランダから見る。夜空に打ち上がるものだけではなく、競馬場の内馬場も使った演出も見応え充分だった。

こうして夏は散って行く。と言いたいけれど、実際、まだまだ暑い。帰宅後、クーラーをかけた部屋で、自作曲「ホルトノキ」を弦楽器五重奏のためにアレンジする。自分にこんな日が訪れるとは夢にも思っていなかった。第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、っすよ〜。

とにかく、明日のリハーサルに間に合わせるため、帰宅後、夜11時頃から明け方5時過ぎまで、必死に書き続ける。間際になって作業する自分にほとほと呆れる。でも、ぜいぜい苦労はするけれど、こうした時間はものすごく楽しい。それはおそらく自分の目の前に選択の自由が許されている世界が広がっているからだ。次の音をどうするか、これとあれとの関係性を考えて・・・云々と、一つずつ丁寧に紡いでいく作業。そして、どんなサウンドになるのか、想像するだけでもわくわくしてくる。

それで、ちっとは勉強せにゃあと、ブラームスの交響曲第一番のスコアなども買ってみたりして。この第一楽章、八分の六拍子だとはまったく思っていなかった。ブラームス、すごい。あるいは、たいへん恥ずかしいことだが、自分は弦楽器の奏法や技術的なことを、ほとんど知らないことに今更ながら気付く。ヴィオラの音域や記譜法すら、よく知らなかった。それでよく五重奏のアレンジなどやるものだと思うが、こんなきっかけでもなければ生涯やらなかったと思う。なににせよ、勉強することはまだまだ山程ある。

それにしても、最近引っ越してきたご近所さん。朝から窓を開けてピアノを弾かないでー。同じ箇所を何回も繰り返されると、もう、たまらない。それに、調律しろーーーっ。モーツアルト「トルコ行進曲」のオクターヴが揃っていなくて、気が狂いそうになる。もう少しでドア・チャイムをピンポンしそうになった。


8月28日(火)  何のための?

何のための「即興」か?
そんな問いかけが頭の中をうごめく。

大泉学園・inFにて、喜多直毅(vl)さん主導の、向島ゆり子(vl)さん、会田桃子(va)さん、翠川敬基(cello)さん、西嶋徹(b)さん、というメンバーからなる、弦楽五重奏の演奏を聴く。後半は自分も加わって、いっしょに演奏。

弦楽五重奏の響きはほんとうに豊かだ。昨日のリハサールの時、扉を開けた途端に浴びたあの重厚な響き、倍音を伴った音圧は、今でも忘れることができない。ああ、これが弦楽器の響きなのだ、という実感に満たされた瞬間だった。

前半は喜多さんがバルトーク作曲『ミクロコスモス』を五重奏用に編曲したものが、即興演奏の部分も入れ込んで演奏される。選ばれた曲はどれも面白いメロディーやリズムを伴ったもので、そのアンサンブルもとても面白かった。1曲だけ演奏されたピアソラの曲もすてきだった。

が、正直、その間にあれこれ差し挟まれている即興演奏の部分が、よくわからなくなる。なんとなく同じような感じに聞こえてきたり、冗長さを感じたり。どことなく少し退屈な気分になる。

これは決して批判しているわけではない。この日はそうだった、というだけのことかもしれない。というより、大いなる問題は、この現象が自分への問いになったことだ。先の黒田京子トリオの演奏でも、後半の富樫さんに捧げたセットは、手前味噌ながら、その内容はとてもよかったと思っているが、前半に演奏したプロコフィエフやチャイコフスキーの曲をモチーフにした曲における即興演奏の内容は、いったいどうだったのだろう?と、思考が自己批判への穴倉へ落ちて行ったのだ。

何のための「即興」か?
「曲」って何だ?
ぐるぐるぐるぐる。

後半はまず喜多さんのオリジナル曲が3曲が演奏される。演奏者の中にいても、やはり即興演奏の部分は少々混迷を呈していると感じる。そこで、誰が、何を、やっているの?今、私たちはどこにいるの?時間も空間も停滞し、ただやり過ごすためだけの時間が流れて行くような感覚になるようなこともあった。

拙作「ホルトノキ」は、編曲された部分のサウンドは想像以上によく響き合っていて、私はとってもうれしかった。即興のことについては、今回全体で感じたことも含めて、考えをまとめた上で、後日また。

この五重奏+ピアノ(六重奏)のライヴ、次回は12月に決まった。他の人たちも曲を提供すると言っていたが、とにかく今回の反省もふまえて、もうワンステップ上がった内容の音楽を創りたい。



追記

「ホルトノキ」は樹齢400年という大きな木と、それが伐採されるのを救った画家・掘文子さんに捧げて書いた曲です。

この堀文子さんの特集が、9月16日(日)のNHK教育テレビ・新日曜美術館で放映される予定です。興味のある方はぜひご覧くださいませ。

なお、既に東京での展覧会は終わりましたが、大阪・高島屋を巡回した後、10月11日から22日まで、横浜・高島屋で『画業70年 自然と共に生きて 堀文子展』が開催されます。さらに、東京・ニューオータニ美術館でも、9月29日から11月18日まで、『年月の記録 スケッチ帳より 堀文子展』が開かれるそうです。ご用とお急ぎのない方は、こちらもあわせてどうぞ〜。

さらに、9月初旬、坂田明(as,cl)さんのユニット・mii(バカボン鈴木(b)、私)で録音されたCD『夢』が発売される予定ですが、このジャケットにはこの堀文子さんがお描きになられた絵が二作品使われています。こちらもよろしければ、ぜひ。なお、このCDの中で、私は約百年前のスタインウェイ(ピアノ)を弾いています。




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