3月
3月1日(木)  健康法

午後から「さわやか太極拳」の教室へ。実際に太極拳を習うのは最後の方の時間で、今は“練功十八法”という、病気の予防、未病を目的とした医療体操、例えればストレッチ体操のようなことをやっている。

この練功十八法の前半部分の三節を指す功法の“第一套”は首、肩の痛みを予防するもので、これは今の私の身体がもっともつらい部分なので、非常に効く。この後、第二套は腰、背中、第三套は大腿部後ろ、脚部、踵、つま先を鍛えるそうだ。第四套は四肢の関節痛を予防し、第五套は腱鞘炎を、第六套は内臓の効能を改善する功法だそうだ。

この第一套をやるだけで約二ヶ月かかっているから、すべてを憶えて、ちゃんとできるようになるには(って、これがちゃんとできないわけだけれど)、まだまだ時間がかかることは容易に想像できる。

西洋医学、中医学、整体、鍼、お灸、マッサージ・・・とにかくいろいろ試みたけれど、最終的には、自分の身体が持っている自然治癒力を、どう自分で引き出すか、という方向へ考えは変わってきた。実際、太極拳か気功かは迷ったが、自宅から気軽に参加できる少人数制の教室がみつかり、とにかく続けてみようと思っている。

しかしながら、今朝は左肩が痛く、すわ四十肩か?、また最近手がしびれるので、これはまずい、と感じていて、この教室を終えた後、思い切って三鷹の温泉に行ってみた。こうなったらヤケクソで、今日は一日中、健康の日なのだ。

したらば、偶然に高校時代の友人とばったり会い、彼女に館内などを案内してもらう。ここの温泉、天井が高く、なかなか気持ちいい。露天風呂から夕陽が見えればなおうれしかったが、そうはいかなかったのが残念。そして初めて岩盤浴なるものを経験してみた。約30分ということだったが、汗びっしょりになって、最後はかなりきつかった。というより、癒しでもなんでもいいが、いわゆるBGMで流れているピアノの音を全部拾っているこの耳が疲れた。なんともはや、自分の商売を恨む。

岩盤浴の後、さらにマッサージも受けるという重症の彼女と別れ、私はミストサウナやら、お風呂やら、足裏マッサージやら、とにかく身体を休めることにいそしむ。おかげで身体はだいぶ楽になった。そしてなによりも熟睡した。


3月2日(金)  旧友的気分

午後、喜多直毅(vl)さんのバンドのリハーサル。メンバーは鬼怒無月(g)さん、佐藤芳明(accordion)さん、吉野弘志(b)さん、芳垣安洋(ds)さん。

佐藤さんとは最近演奏する機会を得ているし、吉野さんとも例えば坂田さんとの仕事でごいっしょさせていただいている。が、振り返れば、鬼怒さんと演奏したのはいつのことだろう?いわんや、芳垣さんと演奏したのは10年くらい前?もう記憶は曖昧模糊としか言いようがないが、旧友に再び会ったような気持ちがして、なんだかうれしい。

また、去年の夏、喜多さんのバンドでの演奏をキャンセルしてしまったので、今回、こうして再び声をかけてくださった彼の気持ちに応えるべく、いい演奏を残したいと思う。


3月3日(土)  ぐりぐり整体

私宅から歩いて約百歩の所にある整体院に行ってみた。女性の先生で、これがとても痛い。「癒しのマッサージなどと言う人がいますが、そういう人は来なくていいんです。私はそうではありません。痛いですから。」・・・実にきっぱりとしていて頼もしい。ををっ、そうですか、はい、という感じだ。

ということで、ツボをめがけて一直線にぐりぐり、とやられる。またしてもベッドの上で叫んでいる私。そして最後は気功を施してくれる。頚がとても楽になった。右手中指は揉み揉みされた上にテーピング。

とにかくこうなっている身体はどこかに原因があるわけで、それはこの頚と右手中指ではないかと私は疑っている。突発性難聴もこの指が起因している気がしている。あとは少々慢性化している右手の腱鞘炎か。とは、別の整体の先生も言っていたことだけれど。

とにかく、自分の身体の声に丁寧に耳を傾けるようになった。そして自分でできること、他人の力を借りること、適切な薬の処方など、だいぶ気を使うようになったと思う。私はまだピアノを弾いていたい。ので、これからはもう少ししっかり自己管理をやっていこうと決心。

ちなみに、この整体院、スリッパは緑色で、蛙のマット。施術室もなんとなく緑色っぽい。それで“ぐりん”なのね、と思わなくもないが、それよりぐりんぐりん揉む方に、名前の由来はあるような気がするぞ〜。


3月7日(水)  やっぱり大地の音

大泉学園・inFで、喜多直毅(vl)さん、西嶋徹(b)さんのトリオで演奏。西嶋さんと共演するのは初めて。なんでも井野信義(b)さんにコントラバスを習ったことがあるとのこと。振り返れば、井野さん、吉野弘志(b)さんのお弟子さんたちはけっこう活躍している。

演奏している最中は、私が座っている所からは西嶋さんの手元は見えないのでわからなかったが、彼は弓で演奏する時、ジャーマンとフレンチ、両方の持ち方でコントラバスを弾いているそうだ。ピッチカートのみならず、弓の奏法が安定していて、喜多さんとの音色の混ざり具合もしっくりしているように感じられた。非常にサウンドする。つくづく、若い人たちがいろいろ出てきているんだなあと実感。

彼のプロフィールを読むと、幼い頃にヴァイオリンやヴィオラを弾いていた経験を持っているようだ。彼が聞いて育った音楽といったことも含めて、例えばゴリゴリのジャズだけをやってきたような人たちとは、その音楽性や音色などがかなり違うように思われ、いい意味で縛りから解き放たれているのだろうなあと思う。

そして、このコントラバスという楽器、やっぱり大地の響きがする。拙曲「ホルトノキ」を演奏してみたら、あの樹齢300年だかの大きな木がどーんと見えてきた。いつか大編成にアレンジしてやってみたい。


3月8日(木)  座り方

午後、“さわやか太極拳”の教室に行って、新しい“練功十八法”を習う。その際、椅子に座って、腰からの上の身体を動かすのだけれど、問題はこの“座り方”。

椅子に座ってピアノという楽器を演奏する私にとっては、実に由々しき問題で、どうやらまた混乱し始めた。これまで、私はほんの少しお尻を載せているだけだったのだが、もう少し太腿も載せて、深く座った方がいいかもしれない、のだ。自分の身体の重心のイメージ、腕と鍵盤との距離など、ちょいともう一度洗い直す作業をすることになるかもしれない。

その他、手の指を一本ずつバラバラに動かす意識の持ちよう、腕の力は全然入れずに指先だけに神経を注ぐなど、実生活というか、演奏に生かせそうなことがあれこれありそうだ。同じ教室にクラシック音楽のピアニストだった方がおられることがわかったので、これからいろいろ聞いてみようと思う。


3月9日(金)  ジム

って、スポーツ・ジムに通い始めたわけではありませぬ。坂田明(as,cl)さんに呼ばれて、初めてジム・オルーク(g)さんと演奏した。調べてみたら、3人とも酉年。年齢は言うまでもなく。

ジムさんは非常に繊細な方で、その音楽もとても繊細だと感じる。ギターを抱えて俯く姿は、その場の空気をすべて感じて読み取っているように見える。

このジムさんが坂田さんにずっとラヴコールを送っていて、既に共作のCDも出していて、いっしょに音楽をやっている、というのが面白いと思う。何故ジムさんは坂田さんに惹かれるのか。

などと書いていくと、思うことは山のようにあるけれど、今日のところはここでやめ、っす。


3月10日(土)  存在感

土曜日、家にいる時に見ているテレビ番組は某国営放送局のドラマ『ハゲタカ』。どうも私はなにかと社会派のドラマやマンガが好きらしい。

今日は電機メーカーの会長として菅原文太が登場。役柄ではもう死んでしまったけれど。実際のドラマの中でも「すごい迫力だ」とかなんとかいうセリフがあったが、それよりも気になったのが、憮然とした感じでひたすらレンズを磨き続けて40年、という男だった。

どっかで見たことがある、会ったことがある、とずーっと感じていて、最後のロール・テロップを見て、わかった。田中泯(舞踏家)さんだった。どうやらテレビドラマ初出演らしい。その存在感がすごい。


3月13日(火)  あな、楽し その1

吉祥寺・スターパインズカフェで、喜多直毅(vl)さんのバンドのメンバーとして演奏。他に、鬼怒無月(g)さん、佐藤芳明(accordion)さん、吉野弘志(b)さん、芳垣安洋(ds)さん、さがゆき(vo)さんという超豪華な顔ぶれ。気圧、音量などの加減で、ちょいと耳栓をしなければならなかったけれど、それはそれはもう、いっしょに演奏できることの幸せをしみじみと感じる。

残念なことに、ピアノは瀕死の状態で、救急車を呼んで根本的治療、長期療養を必要とするような感じ。ここまでいじめ抜かれたピアノは見たことがない。弦を止めるピンの高さが見事にバラバラ。、そうしたピンの調節、弦の巻き方などが、なんでそうなるの?と素人目にもわかるほど痛々しい状態だった。そんな状況の中、苦労してくださった調律師さんに感謝。

というようなことを既に知っていて、見事な対応をしていたのが芳垣さんだった。ほとんどスティックを使わずブラシを使って演奏し、常に全体のバランスに配慮して音楽を創っていた。お客様の中には少々物足りなく感じた方もいたかもしれないけれど、私は感服。すばらしい。「僕たちが時代を作っていかなくちゃいけないんだよ」かれこれもう十年くらい前のことになってしまうだろうか、私宅でリハーサルをした時に、熱く語り合ったことを思い出した。そこには太田惠資(vl)さんもいたっけ。

鬼怒さんとも久しぶりの共演。いつ会ってもほんとうにナイスガイだ。ナイスガイなどと言うのは私しかいないらしいが、ギターが唸ると、うれしくてのけぞってしまいそうになる。

そんな彼らも、いつのまにやら、眼が見えないだの、髪の毛には白いものがちらほらだの。私だって同じなわけだけれど、こんな風に大人になって、なんだかうれしい。

そして、私一人が勝手に言っている、ヴァイオリン界の貴公子、喜多さんは最近なかなか色っぽい。時折目は空中を泳ぎ、身体が前後左右に激しく動くようになり、その演奏姿はずいぶん変わったように思う。コンタクトマイクのシールドが足にひっかかって、ころびはしないかとはらはらした。

そしてもう一人のアコーディオン界の騎士、少女漫画の世界から抜け出して来たような風情の佐藤さんも、常にバランスを考えて演奏している。なんたってピアノ、ギター、アコーディオンと、コード楽器が3人もいるわけで、その関係性の中で、私たちは誰に指示されるわけでもなく、聴き合いながら、自分が出すべき音や居場所を判断して演奏している。なんて大人なんざんしょ。

大人と言えば、年長の吉野さん。相変わらず、その発言はどこかヘンで面白いが、喜多さんの音楽、そして私たちを底辺で支えている。さがさんは喜多さんが作詞も手掛けた名曲を丁寧に歌う。ちなみに、喜多さんの歌は非常に面白い。あのような感性は何を源としているのだろう。

コンサートの間、無論自分も演奏しているわけだが、他の人が演奏しているのを聴いているのがすごくうれしい感じがして、にこにこしたくなる、踊り出したくなる、というようなライヴは、実はそうそう多くはない。んで、今宵は、あな、楽し。


3月14日(水)  あな、楽し その2

大泉学園・inFで、“太黒山”のユニット(太田惠資(vl)さん、山口とも(per)さんとのトリオ)で演奏。

前記の如し。にこにこ、げらげら。ということで、今宵も、あな、楽し。あっちにもこっちにも、そっちにも、どこにでも行ける。


3月15日(木)  春の陣、開幕

門仲天井ホールと私(ORT Music)が企画制作している、『くりくら音楽会vol.2 ピアノ大作戦 春の陣』の一回目。

最初は千野秀一(pf)さんとさがゆき(vo)さんのデュオ。後半は三宅榛名(pf)さんと翠川敬基(cello)さんのデュオ。いずれも途中でMCなど入らず、すべて即興演奏で貫かれ、なかなか濃密かつ硬質な時間が流れる。

終演後、そのまま会場で軽く打ち上げ。その後、みんなが居酒屋にいるというので行ってみる。大衆的な居酒屋という感じなれど、店内には大きなマイルスのポスターなんぞが貼られている。流れている音楽はもちろんジャズ。つまみが美味。気に入った。って、なんだかだんだんミドリカワ菌に侵食されている気がしてきた・・・。


3月16日(金)  音楽の職人

夕刻、某オーケストラの団員として仕事をしている友人に会う。しばし互いの職業病について話が盛り上がる。

彼らもいろんなホールで演奏するわけで、場合によっては舞台がとっても狭いこともあるらしい。つまりオケ全員がステージに乗り切っても、ぎゅうぎゅう状態というようなこともよくあるそうだ。んで、耳をやられる。彼女の場合、自分の頭の上でシンバルが鳴り響いたり、真横にホルンの朝顔があったりするんだそうだ。ひえ〜っ、想像しただけでも気が狂いそうだ。

それにちょいとスケジュール表を見せてもらったが、それはもういやはや驚異的なスケジュールだ。今日はベートーベン、明日は新人作曲家が書いた現代音楽、昨日は子供向けの映画音楽・・・といったようなことをやり続けるわけだから、それはもう音楽の職人という感じだ。それに常任以外の指揮者がやってきて、その人の音楽に対応しなければならない。そのためのリハーサルなどせいぜい1〜2回だという。とてもじゃないが、私にゃあできない。

そもそもオーケストラを維持していくこと自体がたいへんな世の中であろうことは想像に難くないが、いやあ、オケの団員という職業も身を削っているのだなあと思う。あ、ほんでも、“のだめ”の影響か、少しスポンサーが増えていると聞いた。のだめでもこえだめでもなんでもいいが、恵まれないミュージシャンに愛の手を。


3月18日(日)  風吹く玉川上水

玉川上水にあるロバハウスへ、“でんでらライヴ”と称された、おおたか静流(vo)さんとロバの音楽座の人たちの演奏を聴きに行く。

ロバハウスの存在はずっと気になっていて、やっと訪れてみることができた。靴を脱いで入る小屋は洞窟のような内装になっていて、壁にはいろんな楽器がかけられている。ステージとなる所にも普段はあまりお目にかかれないような楽器が並んでいる。当然、触ってみたく、演奏してみたくなるも、我慢する。

オーロラパワー(カナダ・イエローナイフにて、レベル5のオーロラの空の元で歌ったそうだ)、さらに沖縄パワーがずっと続いているというおおたかさんはすこぶる元気そう。数人の子供たちの笑顔や声が共鳴する空間で、「にほんごであそぼ」の中の曲を中心に、コンサートの時間は流れる。

ロバの人たちの音楽は素朴で、それぞれの楽器の音色が重なるサウンドや、歌をうたう声がとてもナチュラルに響いて聞こえてくる。そこには何ひとつ大袈裟なものはない。これはどうだっ!みたいなことがまったくない。思わず、約二十年前の劇団“時々自動”を思い出した。曲の雰囲気などがとてもよく似ている。

終演後、お茶くらいして帰りましょかと思えども、玉川上水駅周辺にはほとんど何もない。うんむう、国立音大の人たちはどのように青春を過ごしているのだろう?って、国立音大を卒業したミュージシャンをたくさん知っているが、みんな、どうしてたのおおお?


3月21日(火)  MBT

マサイ・ベアフット・テクノロジー、略してMBT。これ、靴。を、買ってしもうた。私にとっては、これまでの生涯でもっとも値段が高い靴だ。友人が履いているのを試させてもらって、いろいろ話を聞いているうちに、買い求めてみることにした。なにせ、とにかく、今年は身体に良いことはなんでもやってみる、そしてあと十年は元気でいられる自分を創るのだ、と心に決めたのだ。

この靴は履いてみるとすぐわかるが、とにかくふわふわふわふわしている。足元が非常に不安定にできている。とても不思議な感覚を伴っている。それに妙に背筋が伸びている気がしてくる。また、足のふくらはぎなどに負荷がかかっていることが感じられて、なんだか運動をしている気にもなってくる。これでウォーキングをしたら、しばらくはきっと筋肉痛になるだろうと想像されるけれど。

とどのつまり、アスファルトの上しか歩かなくなった、都会に住み、腰痛や関節痛に悩む現代人のため靴、ということになる。“M”のマサイは東アフリカの半遊牧民であるマサイ族の人々を指す。彼らの身体能力は優れていて、それはやわらかな土の上を歩いていることに起因すると考えた製作者が、ならば、硬い地面でも柔らかな感覚を得られるように、と考案した結果の靴だそうだ。

確かに、屋久島で土の上を歩いたりした時は、それだけでずいぶん気持ちがよかった記憶が甦ってきた。それに、小さい頃は舗装された道路はほんとに主要な道だけだったし、土の庭でゴム段やキックベースボール、ドッジボールなどをよくやったものだ。そう思うと、今はほんとにアスファルトの上しか歩いていないではないか。

ただこの靴ではピアノは弾けない。車の運転もできない。だから、街へ買い物に行く時や、近所の公園に散歩に行く時など、「歩く」ことを目的に、いっぱい履いてみようと思う。


3月23日(金)  ぶっぶっ

来月初めていっしょに演奏する橋本晋哉(チューバ、セルパン)さんとリハーサル。あれこれ話し、いろいろ曲をやってみる。とっても楽しい。んだども、私の方が本番までに弾けない曲があるやもしれず。って、多分、今回はちと無理かも。

「当日は話しながら演奏しますよ」とは橋本さん。チューバやセルパンの魅力が満載、喝采、あなたは天才、みたいな状態で、すてきな春の宵にいたしやす。どうぞおこしやす〜。(4月12日(木) 大泉学園・inFにて、ライヴがあります。)


3月24日(土)  ハイテンションな一夜

大泉学園・inFで、黒田京子トリオ(太田惠資(vl)さん、翠川敬基(cello)さん)の演奏。

土曜日ということもあってか、初めて聴きに来てくださった方たちがたくさんおり、前半はこのトリオの王道の曲を3人で演奏する。のっけから、太田惠資(vl)さんは弦を切り、最後の方では叫んでいた。さすが、だ。そして、なんだか3人とも最初から飛ばす。

後半は、昨晩遊びに来ることが決まった、仙波清彦(per)師匠と高橋香織(vl)さん、それに今日の午後、店でリハーサルをしていたという喜多直毅(vl)さんも加わって演奏。ヴァイオリニストが3人!である。いやあ、実に華やかでゴージャズだった。時代は変わったものだ。

三人三様、音色、奏法などが非常に違っていて、共演している方はとても面白かった。おそらくもっともプレッシャーを感じていたであろう太田さんは、他の2人が決っしてやらないヴォイスやメガホンなどを戦略的に取り込み、深いビブラートをかけない奏法。高橋さんの音色は太く、がしっと根性が座っている感じ。喜多さんはフレージング、特にフレーズの終わり方がなんだかエロティック。・・・とかとか。

で、共通してあったのは“私は負けず嫌いよっ”か?当人たちはちょっとした警戒心や保身の意識を抱く部分(すなわち、それはおそらく自分を問う作業につながると想像する)と、すんごく楽しく感じるところと半々だったろうとは思うけれど。こうしたことは自分がそういう立場になった時のことを思えば、容易に想像できる。自分は自分だとわかっていながらも、冷静に考えれば小さなことだとは思っても、感情が許さないというか、ミュージシャンの性(さが)というか。

仙波師匠はドラムセットなどは組まず、持参したパンデイロなど小物のパーカッションや、そこにある本棚やら、机やら、果ては音などほとんど出ない観葉植物の葉をそよそよさせるとか、突然テレビのスイッチを入れるとか、そりゃもう、すばらしかった。ユーモアにあふれるパフォーマンスだった。ご本人も含め、既に周辺からは声が上がっているが、山口とも(per)さんとの演奏もそう遠くはない日に実現するだろう。

終演後、いきなり、笛を持った天才、一噌幸弘さんが現れる。そこからまた始まった。ビバルディ、モーツアルトなどなど、初見大会が始まる。喜多さんは疲れを知らず弾いている。若さだよ、やまちゃん。(って、古過ぎるか。)すごいなあ。と、夜はどんどん深く更けていくのだった。


3月27日(火)  ワンデフル

なんである、アイディアル、ワンデフル。すなわち、ワン(一人)でfull(いっぱい)な夜だった。えらいこっちゃ。

横浜・ドルフィーで、井野信義(b)さんとデュオで演奏。今宵はなんとお客様は一人。最初から最後まで聴いてくださった方に、心から感謝。そして、このデュオを薦めて、ブッキングしてくださっているお店のマスターに申し訳ないと思う。「こういうことはそうそうあるものではないから、これはとてもラッキーかもしれないです、人生は面白いです」とは、常にポジティヴに物事を考える井野さんの言。

久しぶりの状況だったが、井野さんとの演奏のレベルは決して低くはないと自負はしているつもり。何かおおらかなものをお互いに感じているところがあって、歌はあふれていて、それが二人が創り出す音楽を大きくしている。このような音楽は他のベーシストとはできない。

にしても、ほんとに私は知名度低いっすねえ。どうすりゃいいんでしょっ。って、今さら、ですねえ。某サックス奏者からは「君の演奏は玄人にウケる、素人にはウケない」、あるいは「もっと有名になりなさい」とずっと言われ続けている私だけれど。また、その大昔、某ピアニストからは「あなたはもっと自分を出しなさい、売りなさい」というようなことを言われたことがあるけれど。

うんむう〜。わかっちゃいるけどやめられない。ということで、クレージーキャッツのCDを聴いたりする。享年80歳、植木等さんのご冥福を祈る。


8月28日(水)  じゃがいも

夜、スピリチュアルなことを扱うテレビ番組に登場した、マエストロ・佐渡裕さんを観る。彼の背後には指揮者・トスカニーニと、阪神淡路大震災で亡くなったたくさんの人たちがいるという。前世はフランスの反抗心の強い貴族だそうだ。

全体としては、神様が彼を選んで使命を与えているという作り方になっていた。って、実際、私もそう感じているのだけれど。人にはその人の役目のようなものがある、と最近よく思うわけで。

にしても、佐渡さんは自分のことを“じゃがいも”と言っていた。著書にもバーンスタインが佐渡さんのことを「泥だらけのじゃがいも」と言っていたことが書かれていたと思うが、私が知っているだけでも、自らをじゃがいもと称する人が他に2人いる。それは諏訪中央病院の名誉院長の鎌田實さん、そして長いお付き合いになっている坂田明(as,cl)さんだ。してみると、私はじゃがいもに縁があるということか。うーん、3人の顔がみんなじゃがいもに見えてきた〜。


3月31日(土)  微生物に酔いしれる宴

新宿湘南ラインのグリーン車中で、なだ万の美味なお弁当を食べ、大磯の海でミジンコ採集。顕微鏡を覗いて見える世界に、ををっ!と驚嘆する。

米寿を迎えたとてもすてきな絵を描く画家と、還暦を過ぎたハナモゲラなサックス奏者、天の光を風に乗せて祈りの歌をうたう歌手、きれいな発音で言葉を伝えることのプロ、絵を売ることを専門にする人、が集まった春の一日。

樹齢四百年の“ホルトノキ”に再び会う。生きている。小さな実をつけた若葉がまぶしい。

子供を持たなかった画家はそのことがコンプレックスだと言う。どうやら神様はその人の“分”や“役割”のようなものを与えているらしいと、最近よく思うけれど、他人がどう言おうと、コンプレックスを抱くという感覚は、やはり同様に子供を持たなかった私にはよくわかる。あなたには絵があり、あなたには音楽があり、それで他人の心に感動を与えているではないか、と人から言われても、この感覚が消えることは決してない。

畢竟、人間にできることは命をつなぎ、何がしかを子供に伝えていくことではないか。そこに突き当たると、ほとんど絶望的な気分にさえなる。人間失格などという言葉さえ出てきて、あとは泣くしかない。

だから、だろうか。そこにちょっと咲いているぺんぺん草やたんぽぽが、自分なんかよりもずっと偉くて、とってもけなげですばらしく感じられる。せめてそういう心持ちだけは持っていたい。そういうまなざしを向けることを忘れない自分でありたい、と思う。




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