2月
2月2日(金)  衣装合わせと羊屋さん

来週、銀座に新しくできる衣料品関係のお店のオープニング・レセプションで、黒田京子トリオで演奏することになっている。そのため、下見がてら、ちょいと衣装合わせに行く。

うんむう、やっぱり、入らないわ〜。おでぶちゃんのわたし。行っといてよかったあ。それはちょっと斬新な模様がほどこされていて、背中がざくっとあいている、とってもすてきなロングドレスだったのだけれど。私の素肌なんか誰も見たくなーいという声が神様に通じたのだろう。だいじょうぶれす、着れませんでしたけん。

夜は羊屋さんでの遅過ぎる新年会に出席。ライヴによく来てくださる友人たちと羊肉を食べる。手は油でぎとぎと。なんとも甘い香りが指先に残る。

私が初めて羊肉を食べたのは20歳を過ぎてからで、北海道で食べたジンギスカンだった。正直、その時の印象はあまり良くない。だから少々トラウマを抱えていたのだけれど、今晩の羊さんはだいじょうぶだった。


2月6日(火)  ベートーヴェンの場合、私の場合

『本当は聞こえていた ベートーヴェンの耳』(江時 久 著/NTT出版)を読む。

この本は、従来、ベートーヴェンは20代後半頃から耳の病気が始まり、かなりひどい難聴だったと考えられている定説に、否、を唱えたものだ。ベートーヴェンの難聴はおそらく10代半ば頃から始まっており、思春期から自覚が始まる“あぶみ骨”固着の伝音性難聴だったのではないか?というのだ。

そして、人とのコミュニケーションには不便があったが、ピアノのような強い音は死ぬまで聞こえていたのではないか、というのである。

耳鼻咽喉科でいわゆる“聴力検査”を受けると、気導聴力と骨導聴力を調べられる。気導の方はは普通に空気を伝わって耳から聴く力、骨導の方は骨に伝わってくる振動で音を受け止める力のことをいう。ベートーヴェンの場合は、骨導聴力は普通にあったと思われ、そのためピアノの音は聞こえていたというのが、この著者の説。

このベートーヴェンが患ったのではないかとされる「耳硬化症(じこうかしょう)」は、静かな場所や離れた所からの声、また特に低い声が聞こえない。内緒話などは聞こえない。でも大きな声やピアノの音などは聞こえる。さらに、“ウイリス難聴”と呼ばれる、周囲が騒がしいとかえって聞こえる現象や、耳鳴り(「昼も夜もブンブン鳴りどおしだ」/ベートーヴェンの手紙より)、大きな音が不快に感じる、などなどといった症状があったらしい。

この論考はすべて難聴者としての経験がある著者自身の言葉で切々と書かれているから、それなりの説得力がある。と、私には感じられる。

「難聴という状態は、外見からでは、ほんとうに他人にはよくわからないものなのだ。」
「人の聴力に難聴が起こると、それは単に聴覚の問題だけでなく、その人の性格、思考にまで影響してくる。」

これらは本の中の文章で、こうしたことを著者はくりかえし、くりかえし、訴えている。だから、読み進めていくうちに、ベートーヴェンのことよりも、私にはこうした著者の悲痛な声のほうがはるかに大きく聞こえてきた。

わかった、もうわかったから、という気分にさえなってきたが、著者の胸の内には、どれだけ訴えても世の中の人には理解されない、という気持ちが根底にあることが感じられる。それがこの著者が文章を書き続ける動機でもあり、原動力になっていることは容易に想像できる。

実際、私もいくつも病院に行ってみて感じたことは、この待合室にいる人たちはどこが悪いんだろう?という雰囲気だった。無論、補聴器を付けている人もいたけれど、おおむね外見上はごく普通なのだ。近眼で眼鏡をしている、骨折してギブスをしている、包帯をしている、発疹が出ている、腹痛で顔が歪んでいる、といった“現れ”がないから、「難聴」(←実に多種多様、千差万別、十人十色)というものは、こりゃ、他人に理解されるのは本当に難しいのだろうなあと実感したものだ。

さらに、もっとも心が痛んだのは就学前の子供とそのお母さんの姿だった。子供はまだ何もわからないから無邪気に笑ったりもしているけれど、お母さんの顔には不安と焦燥が感じられたり。誤解を恐れずに言えば、将来この子はいじめを受けるのではないかしら、人と上手く話をすることができるかしら、などなどと心配になった。

「聞く・聴く」ということが、どれほど人間の形成やコミュニケーションに関わることであるか。

ただ、敢えて言えば、もしこの著者が音楽家であったならば、もう少しだけ内容が変わったような気もしなくもない。

1801年、ベートーヴェン30歳の時にヴェーゲラーへ宛てて書いた手紙。この初めて難聴を告白している一通の手紙を、どう解釈するかは百人百様だが、この中で「この状態が長引くようなら、次の春には君のところへ行こう。そうしたらどこか景色のよいところに百姓家を借りてくれないか。六ヶ月ほど百姓の生活がしてみたい。おそらくそれが僕にはよい効き目があるだろう」という文章に対して、著者は「わざと、悲痛に書いているとしか考えられない」と書いている。あるいは「心にもないことを書いている」とも。

あまりにおこがましいが、私にはこんなことを言うベートーヴェンの気持ちがよーくわかる。実際、私はしばらくの間、屋久島へ行ってしまったけれど。無論、ベートーヴェンの病気と私のとは違うのだが、とにかく耳を患い、朝から晩まで耳鳴りが鳴り続けていて、それでも作曲したりピアノを弾いたりする音楽家にとって、自分の耳の異変という事態はきわめて深刻で、音楽のない世界で過ごす自分を想像することは、悲痛というよりは、逃避的心境と言ってもいいように思う。

というか、「耳の休めたい」という気分と言ったほうがわかりやすいかもしれない。私の場合は、とてもじゃないが、音楽を聴いたり奏でたりという気持ちにはなれない日々を悶々と過ごした。以前のように音楽に向き合える気持ちにやっと少しずつなってきたかなあと思えるようになったのは、半年以上経ってからのことで、ごく最近のことだ。

この本には耳鳴りのことはほとんど書かれていないが、聞こえない難聴という現実がある一方、この耳鳴りというものは「あっちへ行け〜」と叫びたくなるくらい、もうそれはそれは非常に煩わしい。逆説的に静寂もまた音楽だと私は思っているが、その静寂が耳に訪れることは永遠にないのだ。始終やかましい。その上に、音楽、なのだ。(とはいっても、私の場合は、聴き取りにくいということが多少あっても、聞こえないということはまったくないので、ベートーヴェンの心中を思い測るには値しないかもしれない。)

そして、難聴者は自ら「自分は難聴だ」とは言えないということを、これもまた著者はくりかえし書いているのだが、ベートーヴェンもまた長い間自分の耳の不調を言えなかったのだろうと推測している。言うまでもなく、音楽家として耳は生命だから、当然のことだろう。

でも、私の場合、今の時代、webにスケジュールを公開し、かなりの仕事をキャンセルせざるを得なかったこともあって、早々にカミングアウトしてしまった。少しの勇気が必要だったが、正直、私はそれで楽になった。もしこのまま音楽ができなくなっても、それは神様が決めたことで仕方ないとも思った。(もっとも、私が十代だったら、やはり耳のことは隠したように思うし、もしもっと“聞こえない”難聴であったならば、ここまで公にすることはなかっただろうと思う。)

ところが、どうやら私はまだ音楽をやり続けていていいらしい。しかしながら、試練付きという感じだ。

発症してから7ヶ月の日々が過ぎたが、私の場合、特に右耳の耳鳴りはずっと続いている。そして何故か肩や首がバリバリに凝っている状態も続いている。これに耳の付け根辺りが痛いのが加わってくると、なかなか最低の状態になる。

自転車のブレーキ音や、スーパーやコンビニのバーコードを読み取る時に出る「ピッ」という高音は死にそうになるくらいまったくダメだ。特に連続するとつらい。だから、携帯電話をマナーモードにしていないボタン音がずっと聞こえていると気が狂いそうになる。

それに、大きい音、音圧が高い音がダメだ。ぶっと吹き出して笑うような突発的な少々の風圧を伴っているような音も、この耳はふんばって受け止めている。

また、BGMが流れている店内で人と話をしていると、すべてがよく聞こえて、とても疲れる。

特に右耳の調子は日によってかなり異なり、安定しない。非常に圧迫感を伴ったり、ぼわぼわぼわぼわしている耳鳴りの時は気分的に鬱っぽくなる。そうなると、音楽を聴く気にまったくならない不調の時がやって来る。いわんや、ピアノの練習をや。

それに、演奏したり、音楽を聴いたりすると、これまでとはくらべものにならないくらい、ひどく疲れる。今のところ、一晩、約1時間のステージを2回こなすのが精一杯だ。ほんの一年前はクラシック曲を一日7〜8時間練習したこともあったけれど、今はまだとてもそういうことができそうにない。

さらに、聞こえないという不便さはほとんどないが、音が歪んだり、重音を弾くと別の低音が聞こえるとか、音色や倍音の加減で、あるピッチの音がボワッと耳の中で響いたりしている。とにかく、音がヘンに聞こえてくる。私にはこれがもっともつらい。ほんとうにつらい。

そして、朝、目覚めた時に耳鳴りのピッチをとるのが日課になった。天気予報もかかさず見るようになった。それによって、今日は軽そうだとか、きつそうだとか、ちょいといたづらに予測してみたりする。

とはいえ、自分の耳の状態(種類)はだいぶわかってきたような気はするものの、その予兆や前触れなどをなかなか予知できない。散々書いてきたが、気圧、それに体調や睡眠時間に非常に左右されやすいことはわかってきたのだけれど、こうなったらこうなる、といったことが皆目わからない。このことが少々私を苛立たせる。

だから、医者や薬に頼るでもなく、自分でできそうなことはトライしてみようという気分で、とにかく太極拳を始めてみたという感じだ。でもおそらくもっと生活を改善していかなくてはいけないだろうなと思っている。

でも、もっとも心がけたほうがいいことは「気にしない」ということらしい。


追記
NPOみみより会
このサイトの「みみより会の道程」には、この本の著者である江時久さんの文章がアップされています。
ほか、「web page みみより」の、例えば2番目に掲げられている「大阪駅のプラットホーム」という文章を読んで、私はとても考えさせられました。
また、41番目の「ベートーヴェンの耳」という文章を読むと、この本に書かれていることとその実際とがリンクしてくる部分があります。


2月7日(水)  ちょっとだけ着飾る

黒田京子トリオで、銀座に新しくできた衣料関係のお店のオープニングセレモニーで演奏する。

んで、楽屋となっている小部屋の扉を開けると、目の前にはフリルがフリフリ付いている真っ白なシャツを召された太田惠資(vl)さんのお姿。思わず笑ってしまった私だが、あら〜ん、すてき。

結局、そのシャツがお披露目されることはなかったけれど、三人三様の姿。翠川敬基(cello)さんと太田さんは上から下まですっかりブランド。革靴も美しい。オトコの足元はモノを言う、と勝手に思う。んで、私は「保険の外交のおばさんのようだ」と言われる。普段着ているブラウスとは一桁違うようなシルクをまとっても、着る人によっては・・・ま、そんなもんだろう。

このトリオは大泉学園にあるinFという店で定期的にライヴ活動を行っているから、inFはいわばホームという感じだろうか。ホームにはホームの良さがあり、そういう意味では、こうしたアウェイで演奏することの良さもあるかなと感じた一晩。パーティーだったから、お客様が聴き入るといったコンサートではなかったけれど、その音楽は集中力に欠けることなく、緊張感のあるものだったと思う。


2月8日(木)  トロンボーンの事実

村田厚生(tb)さんのリサイタル『トロンボーンの新事実 vol.4』を聴きに、すみだトリフォニーホールへ行く。プログラムは邦人作曲家のものも含めて、すべていわゆ現代音楽の作品。

すばらしい。とにかくトロンボーンという楽器で聴くことができる、ありとあらゆる技術や奏法を堪能。およそピアノなどという楽器にはできないことを、このトロンボーンは軽々とやってのけている。って、軽々なのは村田さんだからこそ、だが。

配布されたパンフレットの文章には村田さん自身のコメントも書かれており、それはとってもユーモアに富んでいて、私たちの知的好奇心をくすぐる。こういうやわらかな彼の姿勢が大好きだ。

最後に演奏されたのは、村田さん自身が作ったという、ひのき製のアルプホルン。この楽器、出せる音はG♭を基音とする自然倍音に限られるから、出せない音を聴衆に歌ってもらうように指で合図したりしている。最後に客席もちょっと解放されたような気分になる。

また、途中、第三者が出てきて、その先端に何かを置いて、ジョウロで水を撒き始めた。すると、白い煙がもくもく。会場からは笑いがこぼれる。ご本人曰く“色物”のようだが、こういうことを大真面目にやるところが面白い。

実際、やっていることは相当な技術を要することだと思うが、こういうコンサートは例えば現代音楽を敬遠している人たちにも充分楽しめるものではないかと思う。願わくば、やっぱり、私はコンサートの途中でしゃべって欲しい。ワークショップだとそういうことをされていると思うが、こういうコンサートでは集中力とかなんとかの関係で無理なのかしら〜。そうしたらちょっとだけ状況は変わるような気がするのだけど、はかない望みかしら〜。


2月9日(金)  ブラームスのラプソディ

ほんに、やっと、少しずつピアノに向かえるようになってきた。ということで、ブラームス作曲「ラプソディ 第二番」を練習し始める。暗〜くて、重〜い。

記憶によれば、この曲は高校2年生の前半くらい、ピアノのお稽古をやめる直前にトライしかかった曲だったと思う。リピート前までは練習したことを指が憶えている。手元にある譜面はその時の先生のもので、もうぼろぼろになっている。

それで、とりいそぎ参考までに購入したのはマルタ・アルゲリッチのデビューリサイタルのCD。そ、そ、それにしても、演奏がすごい。とてもみずみずしく、抜群に上手い。このCDに収められた演奏を聴いて、ひえ〜状態になった。

でもって、この曲をアルゲリッチは6分31秒で、しかしながらヴァレリー・アファナシエフは7分49秒で演奏している。1分18秒も違う。うんむう、さて、では、私はどう料理しましょか。なんとな〜く途中で飽きてくる感じがしてくるから、そうはならないようにどうしましょか。

と、こればっかり弾いていると、腰は痛くなってくるし、どうも気分が鬱々としてくる。思わず、ハイドンやモーツアルトのソナタをルンルン弾いている自分がいる。若い時にやった曲はよく憶えている、とつくづく。ハイドンは小歌、鼻歌にあふれていて楽しくなってくる。モーツアルトは気まぐれな遊び心満載といった風に感じられてくる。

そんな練習を昼間やってから、夜はいわゆるジャズのスタンダードナンバーの演奏をすると、どうも感覚がうまく伴わない。他の共演者に迷惑がかかるから、これからは夜にジャズの仕事がある時は昼間にクラシック曲の練習はしないことにした。

とはいえ、金丸正城(vo)さんとジャズをやる時は、いつもとても楽しく、学ぶことがたくさんある。今晩も再びガーシュイン作曲の「By Strauss」のリクエストがあり、途中のソロを任された。この曲はNYのブロードウェイでは、コール・ポーターやアーヴィン・ヴァーリンなどの作曲家が活躍しているけれど、“ワルツ”といえばヨハン・シュトラウスに限るよね、といったシャレた歌。だから歌もクラシックの三拍子で歌われる。

私がピアノを弾いている時によくリクエストが来るのだそうだが、とにかくだんだんネタがなくなってきている。これまで、無論シュトラウスのワルツをコラージュしたり変奏したり、ワルツからダンスにひっかけて世界中のダンス曲を弾いてみたり、いろいろアイディアを練ってやってみてはきたけれど。

んなわけで、今晩はワルツではなく、昼間に練習したソナタなどを弾いて、ちょっとだけヨーロッパのクラシック曲巡り。

という翌日に、ポストには某氏からブラームスのクラリネット・ソナタの譜面が到着していた。


2月11日(日)  不便な生活

古くなって汚れてしまった家のロールスクリーンを交換した。十年以上前のものだと、生地だけを交換する方が丸ごと交換するより高く付いてしまうそうだ。で、仕方ないので器具を含めて丸ごと交換した。

家のロールスクリーンは右側にチェーンが着いていて、その加減で高さを調節したりする。これまでのは前と後ろのチェーンがそれぞれ動くアナログなもので、自分で好きな高さにいくらでも調節ができた。

ところが今回のものは後ろのチェーンだけで操作し、しかもちょっと引っ張ると勝手に自動的に巻き上がる。そして自分で調節ができないので、下のほうに1cmくらい隙間ができてしまう。これを埋めようと引っ張ると、生地がたるむ。なんてこっちゃ。どうにもならない。なかなか腹が立つ。

また、最近トイレに入ると、自動的に便座が上がるトイレがある。便座に手を触れなくても勝手に蓋が開いたり閉まったりするから便利と言えば便利だが、用を足す以外の目的でトイレに入った場合、すこぶる不便だ。

演奏する場所に楽屋がなく、あるいはあったとしても男性の方が人数的に優位な場合が多く、着替えるためにトイレを利用することも少なくない。その際、便座の蓋をきれいに拭いてから、衣服などを載せて着替えるのだが、これが自動的に開閉する蓋が付いている場合、その蓋はなんとか開こうとしてパカパカと何回も抵抗するのだ。おいおい、おとなしくしてていいのよ〜。

で、この頃通い始めた太極拳の先生は、日本人はどんどん退化している、とよく言っている。明治時代以来、日本人はどんどん西洋式の生活になってしまった、江戸時代の人の身体はもっと強くてしなやかだった、という。

正座というものも足首が固かったらできない。でも今はみんな椅子の生活だ。あるいは、例えば時代劇などではよく見る、野菜や魚などを両肩にかついで売っている人の姿。ああいうことを今の人はできない。などなど、先生はけっこうお若いのに、現代の日本人の生活面から折りあるごとに話をされる。

便利なようで不便な生活。そして、その中で退化していく身体。


2月14日(水)  女の思ひ

国立劇場開場四十周年記念公演の冠が付いた人形浄瑠璃・文楽を観に行く。ちょっとがんばって、午後の『摂州合邦辻』と夜の『妹背山婦女庭訓』、2本観る。それぞれ間に25分くらいの休憩はあるものの、約3時間ずつの長丁場。

詳しい内容は書かないが、いずれも“時代物”で、こわ〜い女性の思ひを扱ったような内容。事程左様に、源氏物語、否、万葉の時代より、女の執念、思いの強さは凄まじい哉。

『摂州〜』は切に竹本住大夫。重要無形文化財保持者だが、やはりその語りは群を抜いている。以前に比べて少〜しだけ声に艶がなかったような気がしたが、それでも本当にすばらしい。途中でちょっと涙ぐみそうになった。

人形遣いは『摂州〜』には吉田文雀、『妹背〜』には吉田蓑助、いずれもやはり重要無形文化財保持者が登場。最近やっと人形遣いの方にも目が行くようになったかもしれない私。

基本的に、大夫、三味線、人形遣い(一つの人形に3人/1人は顔を出しているが、あとの2人は黒子/その他大勢の役は一つの人形に1人の黒子)、これらの人たちの間には密接な“気”が流れていて、それが舞台の緊張感を生んでいる。誰かが乱れると、空気が躓く。

観客席にいる私たちは、これらを観たり聴いたりする以外に、時々“字幕”を見たりもする。情報源がたくさんあるので、全部を拾おうとするとけっこう忙しい。でも、全部を理解しようとせず、ぼうっといるだけでも充分に感じられる何かがある。というか、たいてい、私は会場でパンフレットを購入して、だいたいのストーリーを把握しておいて、義太夫や人形遣いの細かい表現などを楽しんでいるかな。

この“字幕”、国立能楽堂では日本で初めてのパーソナル・タイプの字幕システムが導入されたらしい。国際線の飛行機などに自分の前の席に備え付けられた画面があるが、あれ、だ。そこに日本語と英語の字幕が出るらしい。そのようになってからまだ行っていないのだが、これ、眩しくないのだろうか?なんとなく気が散る予感がするのだけれど。

というか、今の高校生は夏目漱石さえ読めないらしいので、いわんや、をや、の状況なのだろうか。


2月15日(木)  クラシック曲でアドリブ

20時開演のコンサート、浜離宮朝日ホールで行われた『平野公崇サクソフォンリサイタル』に足を運ぶ。

プログラムノートには平野さん自身の言葉によるユーモアのある文章が載っている。途中でマイクも使って話もしたりしていた。とても彼らしくて、なんだかいいな、と思う。

この公演のプログラムはすべてバッハ・ファミリーの作品。

C.P.E.バッハ シンフォニア ニ長調 Wq.74
J.C.バッハ 4つの四重奏曲 Op.19より 第一番 ハ長調
C.P.E.バッハ ラ・フォリア(原曲 スペインのフォリアによる12の変奏曲 Wq.118-9)
J.Sバッハ ゴルトベルク変奏曲 ト長調 BWV988より 変奏を4曲

アンコールはいずれもJ.Sバッハの
G線上のアリア
プレリュード(平均律曲集 第二番)

平野さんはアンコールの「プレリュード」をアルト・サックスで演奏した以外は、すべてソプラノ・サックスで演奏。ピアノは1979年生まれという松本和将さん。1998年、芸大1年生の時に第67回日本音楽コンクールで優勝したという逸材とのこと。そのコンクールをテレビで見ていた平野さんは、こういうことはめったにないのだけれど、その演奏に涙を流した、と言って彼を紹介していた。

冒頭、なんだかちょっと固い。緊張していたのだろうか。ソプラノ・サックスの音色がいつもの平野さんらしくない。ん?楽器の調子が少し悪いのだろうか、五線譜内に収まる上のミの辺りの音がちょっとヘンに感じられた。が、次第にエンジンがかかってきた感じ。

で、上記中、私にとって新鮮だったのは、大バッハの次男にあたるC.P.E.バッハ、すなわちエマニュエルの曲だった。これが非常に面白かった。「後にベートーヴェンはエマニュエルの作品を教科書にして作曲していた」そうだが、特にラ・フォリアのヴァリエイションは生き生きとしたメロディー、モティーフにあふれているように感じられた。

ちなみに、平野さんはもともとチェンバロのために書かれたこの曲を編曲して演奏しており、「最初にエマニュエルをサックスで、と構想をかき立ててくれた曲」とプログラムノートに書いている。そして、昨年、このエマニュエル・バッハの作品だけでCDを作っている。

そのラ・フォリアが終わった時点で、時計の針は8時半過ぎくらいを指していただろうか。これじゃもうすぐ終わっちゃうじゃないの、と思ったが、そうはいかない平野さん。いわゆるクラシック音楽ファンやその業界を相手に刀を抜いたかのように、まずマイクで話し始め、ゴルトベルク変奏曲以下はすべて“即興演奏”をまじえて演奏。かくて終演は9時20分頃と相成った。ちなみに、松本さんがそのようなことをするのは初めてとのことで、平野さんは「即興演奏デビュー」と紹介していた。

そのゴルトベルク変奏曲、G線上のアリア、プレリュード。無論、元のメロディーもきちんと演奏される。で、組み込まれたのは、いずれも即興演奏というよりは“アドリブ”といっていいと思う。それはジャズのスタンダードナンバーをごく普通にコード通り及びコーラス通りに回すとか、トニック・ペダルを使った、いわゆる一発もの(ある一つの低音がずっと鳴っている上で自由にアドリブする)と同質のものと感じられた。“ヴァリエイション(変奏)”するテーマ曲が、クラシックかジャズか、の違いだけ、というような。

もう少し突っ込めば、即興演奏は方法や形式ではなく、それはもう生き方のようなものだと思っている私にとっては、平野さんの思いと音はこの胸に充分届いた。平野さんの内にある、どうしようもなくはみ出てしまう何ものかが、その音にはあったと思う。

が、サックスとピアノの音楽がそうだったかと問われれば、正直、ちょっと首が傾いてしまう。クラシック音楽のことは門外漢の私だから、こういう試みがどういうことなのかはさっぱりわからないのだが。(批判を受ける?/というか、会場の雰囲気はなんとなく白かった気がしなくもなかった。ステージの上で何が起こっているのかが了解されていなくて、目が点みたいな感じとでも言おうか。)

松本さんがトライしてみるといった心意気はすばらしいと思う。でも、松本さんは譜面に書かれている以外のことを、本当に演奏したかったのだろうか?やむにやまれず、だったのだろうか?本人に聞いてみたくなった。これは重要なことだ。

クラシック音楽を大学できちんと勉強した人たちが、こんな風にこうしたアドリブの範囲内に収まるような即興演奏(勿論、そこにはジャズも入る)に関心を抱いたり、実際に演奏したりする傾向は、これからどんどん出てくるように思う。というより、既にその潮流はあると思われる。そういう意味で、日本で唯一“即興演奏講座”を大学の講義で教えている平野さんの孤高な闘いを、私はいつでも応援したいと思っている。

しかしながら、敢えてこういう書き方をするが、浅薄な意識やゲーム感覚の上に成り立っているような即興演奏、自分自身を問おうとしない姿勢からは、人の心を動かす力を持った音楽は生まれないと思う。あるいは、その時、そこで生まれる音を、わあーっという気持ちで感じられるかどうか、というようなことが、とても大切なことのように思う。

こんなことを思う私はもはやちょいと旧い人間の部類に入ってきているかもしれないとも思う。が、“ジャズ”に出会ってしまった私は、どうもこのあたりのことだけは譲れそうにない。

終演後、築地市場の方に行ってお寿司なんぞを食べてみる。24時間営業しているお店もあるとは知らなかった。で、たまたま入ったお店。残念〜〜〜。職人、店員が全然ダメ。活気がない。格好付けている感じだが、実(ジツ)がない。って、もう少し自分も目利きにならんとあきまへんな。

アルバイト君、トイレのドアを長い時間開けたままトイレットペーパーを交換することなかれ〜。臭いし、便器が見えるのだから不愉快だろが〜。お寿司を握ってくれた職人さん(?)、ラストオーダーの後に、長い包丁の刃先を客の目の前に向けて、寿司ダネを入れる棚の上に置くな〜。危ないだろが〜。さらに気付いた。あちこち地方に行って地元のものを頂いているせいか、どうも少しは舌がこえてきているらしいことに。だから、あれじゃいかんだろが〜。

最後に。大江戸線、やっぱり地下が深過ぎる。会場に向かう時、その環境に約30分くらいいたら、完璧に耳がやられた。途中で冷や汗が出てきて、駅まであといくつ、と必死で数えた。これからはもうできるだけ乗らないことに決めた。


2月18日(日)  シルクロード

知り合ってからかれこれ20年近くになるだろうか、知人が三冊目の本を出し、その出版記念パーティーに出席する。ちなみに、偶然のことだったが、その奥様は私の小学校の時の体育の先生で、以来高校を卒業するまで習ったりした方だ。そういえば、小学校の時に姓が変わったんだっけ。

出版された本は『シルクロードの光と影』(野口信彦 著/めこん)。旅は夢と浪漫、だけではない。シルクロードにもう40回くらいは訪れているらしい野口さんが、文字通り、その光のみならず影のことも書き綴った著作だ。

パーティーではウィグル地区から留学に来ている人たちによる歌と演奏、それにすてきな舞踏も披露され、華を添えていた。思わず、太田惠資(vl)さんを思い出したのは私。イスラム文化といい、これまであまり興味を抱かなかったことだが、本でも読んでちょいと思いをめぐらしてみよう。

帰りに何故かDVD『アマデウス』を購入。これを見たせいかしらん?

ともあれ、気晴らしにモーツアルトのソナタなんぞを弾いていると、なんとなーくどこかが狂気じみている感じがしてきてならない。ぶっとんでいる感じがするのだ。

それでもどうもやっぱり私はブラームスが好きらしい。この感覚は武満徹、エリック・ドルフィー、それに夏目漱石に通じるところがある。って、誰もわからないっすよねえ〜。ひとりごと也。


2月24日(土)  同窓会に出てみる

同じ市に住む大学時代の同窓生が集まる会があり、初めて出席してみる。聞くところによると、同じ市内には約350人くらいの卒業生がいるらしい。そのうちの約一割が出席者とのことで、そのほとんどは私より年上の方たちだった。

歓談の前に、会長・日江井榮二郎さん(国立天文台名誉教授)のとても面白い講演があった。この方はなんでも太陽の研究をされているらしく、細かい説明は省くが、今の太陽は年齢的には23歳くらいだそうで、要するにもっとも元気で活発な時期にあるのだそうだ。などなど、日常的には想像だにしない、それこそ天文学的な数字が頭上を飛び交い、こういう世界があるんだなあと感心することしきり。そうそう、2009年7月22日には今世紀最大の皆既日食があるとのこと。

その冒頭、「宇宙連詩」を出席者が読む。私も読むように言われ、たまたま担当になったのが白石かずこさんの詩だった。まんず適当に読んでみたのだけれど、朗読や演劇との仕事はずいぶんやってきたおかげか、何故か拍手が起こって照れ臭くなった。と同時に、自分が立っている場所を、こんな時にふと感じてしまう。というか、音楽があったほうがいい、とてもきれいな宇宙の映像だったので、歌舞音曲はボランティアでやりますから、と余計なことを言ってしまう。

歓談後、ビンゴ大会などもあり、最後は院歌斉唱。いったい何年ぶりに歌っただろう。そのメロディーを憶えていたから不思議なものだ。音頭を取ったのは大先輩の現市長。なんでも現役の時は国劇部(歌舞伎)にいらっしゃったとのことで、その声がなかなか素晴らしかった。

どうも未だに「ごきげんよう」にはなじめないのだが、いろんな方がおられることがよくわかった。折りしも強風の中、風に向かって歩いて帰る。


2月25日(日)&26日(月)  徳島行き

坂田明(as,cl)miiで、徳島の牟岐町(むぎちょう)で演奏。会場は徳島空港から車で約2時間くらい走った所にあり、あと30分も走れば高知県に入る場所にある。

途中、昼食で食べた饂飩がすこぶる美味。非常に繁盛しているお店で、回転率が高い。国道沿いにある県庁だったか市役所には、大きな垂れ幕がかかっている。その内容は部落差別をなくそう、というようなものだった。ので、いまだに根強く残っているのかと、少し驚く。

会場のピアノは一年に1〜2度しか稼動していないものらしく、私たちが到着した時は、ピアノはバラバラに分解されている状態だった。うんむ、注射器も見えた。調律師さんが相当苦労されていることがすぐにわかり、ピアニストは心からよろしくお願いしますと言うしかない。朝9時から終演後までいてくださった調律師さんには本当に感謝。

会場では女性の方たちがあれやこれやと世話をしてくださり、コンサートもなごやかな感じで進んだ。夜9時ともなると、もう真っ暗な所で、主催してくださった方と打ち上げ後、遠くに潮騒を聞きながら眠る。

翌日、元気に朝食をいただいてから、少しだけ観光。アワビの養殖場、貝の博物館など。漁師さんが獲って来たという生きた魚なども展示されていて、なかなか面白かった。

車がバイパスに乗るまではけっこう山道。やはり主に下り坂で耳がやられる。だいぶ落ち着いてきたと思っていたのだけれど、残りの人生、坂道は苦手になるかもしれない。んで、また途中で、かの饂飩屋さんへ。美味〜。


2月27日(火)  よみがえるピアノ

約一年ぶりに私宅のピアノの調律をしてもらう。今回は鍵盤の裏のある部分を一つ一つ綿棒で掃除する作業をしてくださり、いつものことながら、約3時間近くはピアノの音はまったく聞こえてこない。調律が始まってからも、今日はなかなかピッチが定まらなかったらしく、苦労をおかけしたようだ。

かくて、自宅に来てくださってからお帰りになるまで、約5時間。これはもうほんとうに心から感謝する以外にない。そのタッチは俄然軽く、反応が良くなり、ピアノは一所懸命練習しなさいと言っている。




2007年1月の洗面器を読む

2007年3月の洗面器を読む

『洗面器』のインデックスに戻る

トップページに戻る