12月
12月5日(火)  義経千本桜

国立劇場へ文楽『義経千本桜』を観に行く。

この作品は『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』とともに、浄瑠璃の三大名作と言われているそうだ。物語は義経伝説を題材として、義経主従が都を追われて吉野に至るまでを描いているのだが、この話では義経はむしろ脇役で、義経に破れて滅んだ平家の武将たちの後日談になっている。

途中、昔慣れ親しんだ謡曲の一節なども出てきたが、全体には歌舞伎的なケレン味がある舞台だった。観ている方は飽きない。

といっても、前半ちょっと眠ってしまったのは私。そして、大好きな義太夫節と三味線の音に、耳栓をしていないとつらかった自分に失望。


12月7日(木)  おしゃべり

高校時代の友人たちと母校がある街でランチ。この3人で食事をしながらおしゃべりをするのは初めてのことだ。2人とも今でもずっと音楽に関わっていて、一人はピアノ、一人は声楽。制服を着ていた頃は別段親しい友人というわけではなかったのだけれど、何十年かを経てこんな風にいろいろ話せたのは素直にうれしい。


12月8日(金)〜13日(水)  耳と心のリハビリ

8日(金)
“鹿児島市民文化大学”で、鎌田實先生と坂田明(as,cl)さんの講演及び演奏があり、朝早く家を出る。この講演と演奏の企画、私は素晴らしいと思っている。とにかく鎌田先生と坂田さんのコンビは最高で、それぞれの話が絶妙なバランスを保っていて、来た人は少なからず心のどこかが浄化されていると思う。そのお手伝いができる私は幸せ者だと思う。

んでもって、遅めのランチはフレンチ、ディナーは薩摩地方の郷土料理、たらふくご馳走をいただき、夜は鹿児島の110万ドルの夜景を眺めながら露天風呂の温泉に浸かって熟睡。本当によく眠れた。うれしい。

9日(土)
師走というのに、なんたって二週間くらい休みの私だ。ということで、散々迷ったが、単発の鹿児島での仕事の後、屋久島で過ごしてみることにした。って、屋久島は鹿児島県なので、結局、沖縄県と和歌山県、この二県はまだ足を踏み入れたことがない地として残ることになったけれど。

午前10時の高速船“トッピー”で屋久島へ渡る。高速船とはいえ、種子島を経由して屋久島・安房(あんぼう)港まで約2時間半かかり、片道7千円する。

基本的にはなーんも決めていない。ガイドブックを読んだり、ネットで調べてはいるものの、いきあたりばったり、自分の気分で、すべてを過ごすことだけは決めてある旅だ。できるだけあらゆる束縛から自分を解放するんじゃ〜。

んで、なんとなーく、港にいたちょっと色黒のお兄ちゃんに声をかけて、生まれて初めてレンタカーを借りることにする。軽自動車で充分でしょうという薦めもあって、これまた生まれて初めて軽自動車に乗ってみることにする。ずいぶんおまけもしてもらった。この軽自動車、なんだかおもちゃみたいで、登り時には全然馬力が出なくて、少々違和感があったものの、じきに慣れて、小回りは効くし、この島を一人で走るにはちょうどよかった。

遅めのランチに、割と最近できたらしいイタリアンに行ってみる。まずまずだったが、あのランチであの値段はちと高いと感じる。東京ではもっとサービスしている。で、店の片隅に置いてあったアップライト・ピアノに思わず眼が行ってしまう。天井が高いからよく響くだろうな、などということまで考えてしまう。やめよ、やめよ、そういうこと考えるの。

その後、“屋久杉自然館”へ行ってお勉強。屋久杉の伐採は江戸時代に行われたとのことだが、無論手で太い株を切っていたわけだし、それを山奥から港までどうやって運んだのだろう。トロッコ、か。ともあれ、ものすごい苦労があったことは容易に想像できる。ロビーにはおそらくほとんど弾かれることがないグランド・ピアノがあった。弾いて来てあげればよかった。

そこを出てからしばらく周辺を散歩する。誰もいない。自然館には私以外に1人だけ見学している人がいたが、島はもはやオフシーズンに入っていて、とにかく全然人がいないのだ。途中でみかけた公共交通のバスには誰も乗っていない。お茶を飲もうと入った“杉の茶屋”にも当然人はいない。

外は雨。それほどひどい降りではないが、屋久島は「月のうち、三十五日は雨」と書いたのは林芙美子(「浮雲」)。要するに雨が多い所なわけで、ぎりぎりまで行くのをためらったのは、この雨のため。つまり、低気圧がよく来るわけで、この条件はなによりも耳によろしくない。耳がつらいに違いない、が、どうしよう、どうしよう、と言いながらもやってきてしまった。

この後、今日のところは早めに、あらかじめ予約しておいた民宿へ。“民宿”には約30年ぶりくらいに泊まったと思う。家族できりもりされているようで、扉を開いたら、お父さんは寝っころがってテレビを見ていて、お母さんは本を読んでいた。のを、なんとも微笑ましく感じてしまう。

夕飯前にお風呂をいただき、地元の魚などをいただく。なんたる贅沢。私の他にはお客さんは2人だけで、遠くに聞こえるのは海の潮騒だけだ。あたりは真っ暗。一日の終わりを夜8時頃に感じる、というような日常感覚を味わったのは、いったい何年ぶりのことだろう。

10日(日)
日曜日だけれど、すれ違う車は少ない。午前中、“ヤクスギランド”へ行く。ここは遊歩道が作られていて、屋久杉(ちなみに、“屋久杉”とは樹齢1000年以上のものを言い、それ以下の杉は“小杉”と呼ばれている)が点在している自然の森を手軽に楽しむことができる。30分、50分、80分、150分と、東京で言えば高尾山のように、整備されている4つのコースがあり、体力や時間などによって選ぶことができる。

その入り口まで行くには、当然のことながら車で山を登っていく。で、やっぱりその道で耳がやられる。標高がどんどん上がっていくにつれて、耳が痛くなってくる。さらにぐるぐるとカーブが続くので、三半規管にちょっと来ている感じがする。一所懸命唾を飲み込みながら、対向車が来たらどうしようというような細い道を神経を使いながら車を運転して、なんとか辿り着いた感じだ。

ほんでも、その甲斐があった。人為的に作られた道を歩いているとはいえ、森に足を踏み入れてまもなく、なんとはなしに涙ぐんでしまう。よくわけがわからない。けれど、なんだかそういう気持ちになってしまった。不思議だった。何かの力を感じたような気がする。生命、再生、遺伝子、持続・・・一人でぶつぶつ言っていたかもしれない。かなり怖いオバサンだったかも〜。

とにかくこの森、なんだかすごいのだ。倒れた木(伐採や台風などで巨木が倒れたもの)から、新しい生命が育っている。これを“更新”というのだそうだ。また、“着生”といって、木に別の植物が育っていたりする。はたまた、木同士が、あるいは杉とひめしゃらなど何本かの木が“合体”しているものもある。ほかに、屋久杉は非常に樹脂分が高いので、江戸時代に伐採された杉の残材が、今でも腐らないで森に残っている。これを“土埋木(どまいぼく)”と言うそうで、現在、屋久杉の工芸品はこの残材を使って作られているそうだ。

そして、絶えず水が流れる音が聞こえる。川や滝は豊かな水をたたえている。信じられないくらい透き通っていて美しい。あまりにも透明度が高くて、魚はほとんどいないらしい。餌となるプランクトンがいなかったり、空から鳥などに狙われ易いためとも聞いた。

樹齢1800年と推定されている“仏陀杉”は空洞化が進んでいるらしいが、非常に存在感がある屋久杉だった。さらに車で登った所には“紀元杉”と名付けられている樹齢3000年の屋久杉があり、それも見てきた。幹周りは8.1mもあり、なんでもこの木には約20種類の植物が生育しているらしい。すごいなあ〜。

結局、私は150分コースは普通の靴ではちょっときつい登り(いきなり登山という雰囲気になる)だと感じて、途中で引き返し、80分コースをゆっくりゆっくり歩いて廻った。何回も深呼吸をして、とても気分がいい。

その後、どうしようかなと思っているうちに、車は南へ下り、そして西の方向へ。右手に見えるモッチョム岳(本富岳)は非常に存在感がある。“有用植物リサーチパーク”で食事をして、園内見学。トロピカルフルーツの甘い香りが漂う。“トローキの滝”も見た。この滝は海に直接流れ込んでいる。途中でパン屋さんでパンを買い、そのままどんどん西へ車を運転する。

最終的には、落差88mという、大川(おおこ)の滝まで行ってみる。帰りは夕陽が美しい。さらに“フルーツガーデン”という、おじいさんとおばあさんが二人でやっているらしい所に行く。特に頼んだわけではなかったのだが、親切に案内してくださる。よっぽど暇だったのかも。帰りがけに“ぽん・たん館”に立ち寄り、お土産にぽんかんを買って送る。

既に午後5時を過ぎていて、だいぶ暗くなってきた。ちょっとがんばって運転し過ぎたのか、だんだん首がバリバリになってきて、頭が痛くなってきた。こりゃいかん、と帰りを急ぐ。運転して疲れていたのでは本末転倒だ。というより、耳のことがあるにせよ、体力が衰えているなあと実感する。

民宿には私以外に女性が2人。いずれも一人旅で、1人は縄文杉を経て宮之浦岳登山をしたという本格的な登山者。昨晩は山小屋に泊まったとのことで、ものすごい湿気で寝袋もびちょびちょになって、寒くてよく眠れなかったらしい。もう1人は白谷雲水峡(「もののけ姫」で有名らしい)を、エコツアー・ガイド付きで歩いたとのこと。こちらもちゃんとトレッキング・シューズを持参している。ちなみに、このエコツアー・ガイド、これだけで食べていけるのは屋久島だけだとは宿の人のお話。その料金はなかなかお高い。

11日(月)
さて、今日は白谷雲水峡へ、と思い、午前中から車を走らせる。山々はちょうど紅葉が始まった感じで美しい。耳は昨日ほどひどくはならない。んが、途中からすれ違うのがたいへんな道に入る手前で、このまま進むべきかどうか迷う。この季節、ほとんど車など走っていないことはわかっていても、運転で神経を使うと体調が悪くなるのを懸念したためだ。

で、決断。行くのをやめた。引き返して、“屋久島自然公園”へ行き、野生植物園を見学してから、山と川を眺めながら遅いランチをとる。とにかく、自分をできるだけゆったりさせたかった。この自然公園内には野外劇場もあった。が、これ、使われることなどあるのだろうか?宿の人すらよく知らないようだったし。

それでふと思ってしまう。自然にあふれ、夜8時にもなれば真っ暗になるような所で、この野外劇場が使われるような「文化」は必要なのだろうか?宿の若主人は音楽が好きそうで、自身でもギターなど弾いているようだったけれど、例えば私が普段やっているような「音楽」は、ここに必要なのだろうか?今回は武満徹の本を持って来たのだが、いったい「音楽」は?そういえば、だいぶ運転しているけれど、本屋さんもCD屋さんもなかった。今はネットでなんでも購入できる時代になったけれど、うんむう・・・。

などと考えてしまうのは、もしかしたら、私自身が音楽を必要としていないのではないか、という自身への質問へと変わっていく。どうも私は“自然”の中にいると、ほとんど音楽はいらなくなるためだ。森のざわめきも、水が流れる音も、風のそよぐ声も、すべてこよなく素晴らしい。ほっとする。このまま生き方を変えて、屋久島で民宿のお掃除オバサンとして死んでいくのもいいような気もしてくる。というか、なんとなくこの屋久島で死にたいと感じている自分がいた。って、考え杉、否、考え過ぎ、か。

それから途中のホテルの大浴場に寄って、ひたすらのんびり。ただこの浴場、塩素がものすごく入っているのが臭いですぐわかった。残念。屋久島にも温泉はある。が、ほとんどが共同浴場で、またちょっと運転しなければならないので、ここで我慢。その後、おみやげなどを買ったりして、早めに宿に戻る。

宿には若い女性2人組と男性1人があらたにご来場。若い2人はやはりエコツアー・ガイドをを頼んだとのこと。一人あたり16000円と聞いた。うひぇえ〜。男性はなんでも一週間滞在する予定らしい。

家族経営の民宿に宿泊したわけだが、料理はおいしく充分な量だった。部屋もそれなりに清潔で快適に過ごせる。民宿も悪くないということを実感。自慢の展望風呂には入れなかったのが、お風呂好きの私としては心残り。ボイラーが壊れたということではあったが、客が少ないから仕方ないのだろう。

12日(火)
お世話になった民宿をあとにして、北へ車を走らせる。宮之浦港にある“屋久島環境文化村センター”を見学。第三セクターがやっているらしく、若い女性たちが制服を着て見学者を案内してくれる。映画も上映していて、観ていたのは私一人きりでなんだか申し訳けない気分になってくる。耳栓をしながら観ていたが、やはり映像に付けられている音楽が気になって仕方ない。もそっとどうにかならないものか。

そのままそこで食事をする。サバ節が入ったトマトソースのパスタは、トマトソースが濃過ぎるのと、サバ節は私にはやはりちょっとナマ臭くて、なんともミスマッチだった気がする。勇気を出して頼んではみたものの、残念〜。

今日は北の道路を走る。“志戸子ガジュマル公園”に行く。ガジュマル自生の北限地にある自然公園で、樹齢300年という、大きくてなんとも不気味なガジュマルなどを、へえ〜、はあ〜、うわあっ〜、と眺めて歩く。

さらに北の西側には白い砂浜が続く箇所がある。うみがめの産卵で有名な“永田いなか浜”は実に美しい。南の島の海というものを初めて見て感動する。また、もう少し足を伸ばして“横川渓谷”に行く。大きな岩、きれいな水、ここの風景にもだいぶ癒された。

そしてもう一泊。最後だけちょっと贅沢な海辺の宿に泊まることにした。ロビーには勝手に演奏していいということで、ギターや電気ドラムのセット、それにアップライト・ピアノがあった。・・・から、いけないってば。弾いちゃったじゃないの〜。あっという間に1時間くらい経ってしまった。もうほとんど性(さが)のようだ。

泊り客は私以外におじいさんが1人だけで、実に閑散としている。異様に静かだ。夕方、波の音が聞こえる露天風呂に浸かり、夕飯をいただく。それなりに格好はつけているものの、夕飯は民宿の方がよかったように感じる。って、民宿では宿の人や宿泊客と話をしながら食事しているから、その分気持ちが豊かになるのだろう。ただ、部屋の広さは民宿の5倍くらいはあり、窓は広くとってあって、いわゆるリゾートという気分になる。

13日(水)
朝から右耳の耳鳴りがひどい。これまでけっこう快調な気分で過ごしてきただけに、ヘンだなあと思う。低気圧が接近中かしらん?

で、午前中のプロペラ機で鹿児島に渡る。空港に着いたら、本当にうるさい、と感じる。ケータイはピーピー鳴っているし、食事中でも他人にかまわずケータイで話をしている人はいっぱいいるし。冷蔵庫・冷凍庫がうなる音はブーンと騒いでいるし。うるさーっいっ、とストレスがたまりそうになる。のを、まあまあ、と自分で押さえる。

鹿児島空港で昼食をとっている頃から、外は雨。余裕を持ったスケジュールにしたので、しばらく本を読んで過ごし、午後の便で羽田へ戻る。ますますうるさーっい。羽田からはたいていバスで自宅近くの駅まで直行するのだが、バスから見るビルやネオンの景色が異様に見えて来た。

屋久島。素晴らしい所だった。いい旅をしたと思う。多分再び訪れるような気がしている。あの森と水の中に自分の身を置くために。それに、今回行っていない所もあるし。白谷雲水峡は行ってみたいし、縄文杉も見たい。

ちなみに、お世話になった屋久島のサイトはこんなところ。
http://www.realwave-corp.com

耳。やはり気圧に非常に左右される。そして、飛行機にせよ、車にせよ、移動の際に非常に負担がかかる。そのため、非常に疲れやすくなっている自分に気付いた。これからはこれまでのようにはいかないだろう、ということを自覚した。

外は雨。右耳の耳鳴りが何故か猛烈な状態になっている。ピーと鳴っている。まいった〜。せっかく屋久島で快適に過ごして来たのに〜。


12月14日(木)  束の間の静けさ

朝、目覚めたら、とっても静かだった。耳を澄まし、耳を疑う。耳鳴りがまったくなくなっている。驚いた。約五ヶ月ぶりに耳の静寂を体験して、そのあまりの静かさに感動する。

屋久島は私に合っていた。と、思うことにした。私は再び訪れるだろう。あるいは、知らないうちに何かを捨てたかもしれない?

午後から、右耳には薄く耳鳴りが残っているのに気付く。あーあ。それでもこんなことがあって、私はうれしい。やっぱりこんな生活を捨てて、屋久島に移住するかなあああ。


12月16日(土)  クラリネットが4本

大泉学園・inFへ、清水一登(p)さんが中心になって組んだという、クラリネット・カルテットの演奏を聴きに行く。他のメンバーは梅津和時(as)さん、多田葉子(as)さん、近藤達郎(p)さん。所用あり、後半40分くらいしか聴けなかったが、清水さんの作曲が面白かった。このユニットはまだ始まったばかりという感じだったけれど、これからもがむばって欲しいなと思う。

クラリネット・カルテットとして忘れられないのは、1990年頃だっただろうか、ベルリンで行われたFMPのフェスティバルで初めて聴いたルイ・スクラヴィス(cl)のカルテット。それはそれはすばらしかった。それからルイに魅せられ、追っかけた。

クラリネットとかトロンボーンという楽器、何故か、好きだなあと思う。来年早々、実は初めて梅津和時(as)さんとデュオで演奏する機会を得ている。その際、梅津さんはサックスは吹かず、クラリネットだけ演奏される予定になっている。梅津さんとはかつてその“大仕事”や“キャバレー”(「たま」のセット、また故板谷(tb)さんと最初で最後の演奏をしたのもこの時だった)で呼んでいただいたりしているのだけれど、こうしてサシで勝負するのは初めてだ。どうなりますか〜。どうしましょうか〜。


12月17日(日)  魔笛

今年は“モーツアルト”の生誕250周年だそうで、友人に誘っていただき、上野文化会館へモーツアルト作曲『魔笛』を観に行く。「ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場」による演奏。

振り返れば、オペレッタを観た経験はあるが、オペラを鑑賞するのは初めてだと思う。オペラ鑑賞の掟のようなものがあるのかどうかは知らないけれど、どこをどう鑑賞したらいいかが自分でよくわかっていないことがわかった。

そんな初心者ながら、聴いていてもっとも気になったのは、歌手とオーケストラとのテンポ感とか、呼吸感だった。最初はオケがなんとなくもたついている感じがして、あら〜と思ったけれど、だんだん良くなっていったような気がする。あとはやはり歌手の技量や声質だろうか。これは好みの部類に入るとは思うが、声質というものが音楽全体に与える影響ははかりしれないと感じた。

それにこのワルシャワ室内歌劇場のみなさん。オペラ歌手もオケの人たちも、とにかくモーツアルト・イヤーということで、一ヶ月以上日本で何種類かのオペラを公演している。歌手はおおむねダブルキャストにはなっているが、長期間に渡って、その体力、集中力、演奏の質などを維持していくのは、ものすごくたいへんなことだろうと思う。一晩、ちょいと即興演奏をして、お酒を飲んで、ハイ、サヨナラ、というのとはわけが違う。

それにしてもなかなか長い。それに物語の進み方はほとんど能楽のようでさえある。間に休憩があったが、女性のトイレは長蛇の列。


12月19日(火)  ファジル・サイ

友人が貸してくれたファジル・サイ(p)が演奏するモーツアルトのCDを聴く。驚いた。その音楽がなんと生き生きとしていることか。なんだかとっても楽しい。そして、私にとって、その演奏内容はグレン・グールドに次ぐ衝撃に近いものがあった。


12月20日(水)  ヴァイオリニストが3人

大泉学園・inFで、普段はクラシック音楽をやっているわけではない人たちがクラシック音楽の作品を演奏する、というので聴きに行く。3組ともヴァイオリン&ピアノによるヴァイオリン・ソナタを演奏。

会田桃子(vn)さん&徳永洋明(p)さんはブラームス作曲『ソナタ/雨の歌』、喜多直毅(vl)さん&千野秀一(p)さんはラヴェル作曲『ソナタ』、太田惠資(vl)さん&渡部優美(p)さんはベートーヴェン作曲『ソナタ/春』を演奏。

喜多さんと千野さんが演奏したラヴェルはすばらしかった。何回もリハーサルを重ねたらしいが、この演奏者二人ならではの合意とビジョンがある音楽内容になっていた。おそらくクラシック音楽だけをやってきた人では実現できないような音楽になっていたように思う。その出自がジャズだろうが、ロックだろうが、タンゴだろうが、“スピリッツ”がある人間が真正面から曲に向き合えばこうなるのだ、という感じだろうか。とにかく、聴いていてわくわくした。

「挑戦し続ける人は信用できる」と言っていたのは、今晩は演奏しなかった、プロデューサーである翠川敬基(cello)さんだが、挑戦しているのはクラシック音楽ではなく、つまりは自分自身と向き合って挑んでいる、ということだろうと私は思う。そしてそれはやり続ける以上は“一生涯”ということを意味するのだろうなと思う。

今年、実はメンデルスゾーンのピアノ・トリオの作品を演奏した後、猛烈な反省とともに、ヴァイオリンあるいはチェロ・ソナタの譜面をいくつか購入して、ゆるりと練習をやり始めていた。さらに、夏の発表に向けてバッハの作品も練習し始めていた。が、その時、耳をやられた。耳がおかしくなってからも、バッハの練習を何時間かやって、さらに耳がおかしくなったのをよく憶えている。

耳は発症当初よりはだいぶマシにはなってきたものの、というよりはだいぶ慣れてきたものの、この約半年というもの、自分の身体と心に向き合うのに精一杯で、音楽と向き合うどころではなかったというのが正直なところだ。来年からは体調などをみきわめつつ、決してあせらず、音楽をもっと深めていきたいと思う。


12月21日(木)  若き歌姫

大泉学園・inFで若き歌姫・松田美緒(vo)さんと、元“鼓動”で活躍していたNY在住の渡辺薫(fl、笛など)さんと演奏。二人とも若く、とてもすてきだった。

美緒さんはファドに魅せられ、十代からポルトガル、さらにブラジルなどを旅して、今に至っている。ポルトガル語の発音は完璧らしく、現地の人は日本人が歌っているとは思わないらしい。日本語の歌も大事にしている。言葉を即興で語ったりもする。ジャズ風味のアドリブも上手い。譜面は苦手だが、すべてを耳で聴いて、歌にする。天性の才能があると感じた。ちなみに、私が演奏したことがある人で、その心に抱えているもの、在り様がもっとも近いと感じたのは、おおたか静流(vo)さん。

渡辺さんはご両親は日本人だが、アメリカ生まれで、約8年前に日本に来て鼓動のメンバーになった時に日本語を学んだと聞いた。この日、美緒さんは「雨降りお月さん」をポルトガル語と日本語で歌ったのだが、渡部さんはこの歌を知らないという。知らないことは何一つ問題ではない。が、彼自身がこの歌を知らない自分を、つまり、日本人である自分のアイデンティティを、懸命にとらえよう、自分自身を生きようとしている姿勢に感銘を受ける。

若い二人のこれまでの生き様は、およそ私のそれとは異なっている。美緒さんのように幼少の頃から世界の民族音楽を聞いて育った人や、渡辺さんのように日本以外の国で生まれて日本の音楽を学ぼうとしている人と関わってみて、時代は大きく変わっているとしみじみ感じた一夜でもあった。


12月22日(金)  少しずつ

小森慶子(cl,sax)さんとリハーサル。8月に予定されていた彼女との演奏を私がキャンセルしたため、久しぶりに会う。お互い、煙草をやめたせいか、ちょいとふっくら。こりゃ、ふっくら・でゅお、だ。ともあれ、丁寧に関係を築きながら、練習を重ねて、これからも大切にしていきたいデュオ。

 


12月24日(日)  インパクト

美しい。ほんとうに美しい。
スタート時はいつだってとっても後方にいて、4コーナー辺りからぐんぐん飛んでくる。今日は少し早めに武騎手は鞭を打ったけれど。とにかく、すごい。
をを、ディープインパクト、あなたは今日も強かった。これで引退の有馬記念。

その後、何気なくテレビを付けていたら、NHKでジュリアード音楽院のことが放映されていた。今やNYで“ジャズ”を聴く若者など、皆無だという。そして学生曰く「ジャズなんて年寄りが聴くもんだと思っていた」と。
うんむう、そっかあ、ちょっとしたインパクト。

でも彼らはジャズに魅せられて、ジャズを学んでいる。
私とてジャズを学んでしまった一人ではあるが、彼らはジャズの何を学ぶのだろう?コードのことか?テンションか?スケールか?佐藤允彦(p)さんは「フリージャズ(の語法)は教えられる」と言っているそうだが。
少なくとも私がジャズから得たことはそんなことだけではなかったけれど。

それにしても、今に始まったことではないが、ジャズはもはや教えられる古典あるいは伝統音楽としてある、ということか。うんむう。


12月25日(月)  天国へ

深夜、訃報の電話があり、車を飛ばす。約3年間の闘病を経て、いとこが亡くなった。小さい頃はよくいっしょに遊んだ人だった。享年45歳。若過ぎる死だった。きれいな顔をしていた。心から冥福を祈る。

鎌田先生や坂田さんと仕事をしているからだろうか。あるいは自分が眼や耳を患ったためだろうか。“老い”や“死”というものが、年を経るごとに自分と遠い世界のことではないという自覚が、自身の内に生まれてきている気がする。非常に冷静な自分に気付く。

にしても、葬儀でお経を唱えてくださるというお坊さんが、私がまだジャズを習っている頃にセッションで演奏したことがある人だったのには驚いた。彼の結婚パーティーは原宿・クロコダイルで行われ、その時も私は演奏したのだった。そんな彼も今はお坊さん。縁は異なもの、不思議なもの。南無阿弥陀仏。


12月26日(火)  冬場所

すべてが音楽になる。
許されないことは何ひとつない。
太黒山の冬場所。

(太黒山=太田惠資(vl)、山口とも(per)、私による、完全即興演奏ユニットの名前)


12月27日(水)  りんともくぎょ

お坊さんが叩くりんのわあ〜んと響く倍音と、ほぼ裏打ちでお経と共に途絶えることなく続けられる木魚の音。親戚の葬儀に出て、今の私の耳はこれらの音に耐えられなかった。途中で耳栓をしても、けっこうきつく、たかだか45分から60分そこらなのに、終わった後は首と肩がバリバリになって、疲れる。これがけっこうつらい。

耳の病に陥ってから、まもなく半年が経つ。完治は無理なのはわかっているが、なんとかもう少し良くなって欲しい。未だにダメな音がいくつかある。自転車の高音のブレーキ音は最悪。それに耳の調子が悪い時にピアノを弾くと、相変わらず弾いた音とは別の音がこだまして、うわんうわんする。こちらは低音域。悪いのは右耳だが、どうも左耳も少し塞がった感じがしている。えーっい、くそーっ。いやいや、ストレスをためるまじ。


12月28日(木)  これから、だ

夜、大塚・グレコにて、小森慶子(cl,ss)さんとデュオで演奏。この日、彼女はクラリネットとソプラノ・サックスしか吹かない。

突如「メモリーズ・オヴ・ユー」からやってみたくなったので、ちょいと意表をつく感じでこの曲から始める。他、非常にクラシック音楽的に感じられる“ショーロ”の曲なども交えつつ、オリジナル曲も演奏する。ショーロは全〜然ショーロになっていないけれど、何かうまく工夫して面白くできそうな予感がする。また、互いの呼吸の駆け引きや、細かな音色への配慮などは、後半になるにつれて、少しずつ良くなっていったような気がする。んでも、まだまだ、だ。

今年、彼女とは1月に演奏し、8月の予定は私がキャンセルし、今晩、ということで二回目。これから、だ。って、まるでどこかの生命保険の宣伝のようだけれど。ともあれ、少しずつ、丁寧に、大事に育てていきたいと思う。


12月29日(金)  次へ

大泉学園・inFにて、黒田京子トリオで演奏。私にとって今年最後の仕事だ。満席のお客様に心から感謝。そして、前半は私が作曲した曲、後半は主に翠川敬基(cello)さんが作った曲を中心にプログラムを組んでみる。

なんとか新たなところへ踏み出したい。

開演予定時間が過ぎてもお酒を飲んでいるお兄さんと、開演予定時間が過ぎても姿を現さないお兄さん。その間に入っておたおたとしているクソ真面目過ぎるお姉さんが一人。なんでこうなるの〜?って、こうなっているのだから、やるっきゃない。ま、気を大らかにして、眼と耳をいたわりながら、やるっきゃないっしょ。


12月31日(日)  年の終わりに

大掃除をしながら、お昼時にTVをつけたのがうんのつき。ハイ・ヴィジョンで、今年31年ぶりにやったという、吉田拓郎と南こうせつの“つま恋”コンサートの総集編(再放送)をやっていたからいけない。見てしまうに決まっている。

つくづく青春だったと思う。新しい歌はわからないが、小学生、中学生の時に聴いていた歌はほとんど口ずさめる。拓郎の歌だけではなく、かぐや姫の歌もけっこう憶えている自分に少々驚く。

拓郎も還暦かあと思うと、かなり感慨深い。歌詞には字余りが多く、お経っぽい感じがする時もある。たいてい音域はそんなに広くなく、コード進行は似たり寄ったりで、下手するとどの歌も同じように聞こえてきたりもする。それでも、拓郎の歌を支えているのは、あの声(声質)と、誰かに語りかけている言葉のベクトル(あるいはメッセージ性)だと、床のぞうきんがけをしながら思った。

私はそれにひっかかってしまったのだから仕方ない。永遠の青春なのだ〜。こうせつが聴衆に向かって「もっと大きな声でえええ」と、やたら唱和や“連帯”(古臭い言葉だ)を促しているのに対して、非常に照れ屋の拓郎は決してそんなことは言わない。その昔、コンサートで「引っ込め〜」コールと共に、トイレットペーパーを投げつけられていた拓郎だが、その“どこまでも一人”っぽいスタンスがいいなと思う。

その後もいけましぇん。ディープインパクト(競走馬)の特集番組だった。すごい。そして、なんて美しいんでしょう。

今年も31日の仕事はなく、母と紅白歌合戦を見て過ごす。衣装のセンスや、この人はやっぱり歌が上手いなど、勝手なことを言いながら、炬燵に蜜柑の大晦日。




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