11月
11月2日(月)〜7日(火)  関西へ

2日(月)
坂田明(as,cl)miiでの一週間弱の関西ツアー。久々にバカボン号ででかける。このバカボン号、東京都の排ガス規制により、云百万円かけてディーゼル・エンジンからガソリン・エンジンに替えられていて、その走りは以前とは比べ物にならないくらいスムーズ。ガソリン代は倍になったけれど、バカボン君は死ぬまでこの車に乗り続けるつもりらしい。

出発時、「お二人にお願いがあります。昨晩、僕は2〜3時間しか寝ていないので、絶対寝ないで下さい」とはバカボンさんのお言葉。・・・これがなかなかきついのであった。大型二種免許も持っている坂田さんと交替してはどうか?と無論提案してみるも、空し。他人には絶対運転させたくないらしい。

京都に着いてから、夕飯を某寺にてご馳走になる。松茸を思う存分いただく。その他、すべてがすこぶる美味。

3日(火)
連休ということもあってか、京都駅前のタクシー乗り場には200人は並んでいるのではないかと思われる、すごい観光客の数。あまりの混雑ぶりに驚く。

夕方から京都の町屋にある蔵で演奏。約百年前のスタインウェイがあり、この楽器を弾くのは三回目になる。今回の整調・調律はそれは素晴らしく、これまででもっともやわらかく温かな響きをしていたと感じる。と、調律師さんに率直に話すと、ご自身ももっとも納得のいく調律ができたとお話されていた。ああ、やっと・・・(調律師さんと心が通じた)という思い。

4日(水)
午後からレコーディング。これは、今夏、その町屋のおばあさまが亡くなられ、その追悼の私家版CDのためのものだ。ここのスタインウェイは、そのおばあさまがわざわざウィーンまで出向いて購入されたものと聞いている。そのピアノで録音できたのだから、私としては光栄このうえない。ラフを聞いたが、なかなか良い感じに仕上がっている。

夜は中華をたっぷりいただき、祇園へ。祇園のおかあさんはやはり客あしらいがめちゃくちゃうまいと感じる。というより、場の雰囲気や気配をちゃんと感じて接客している。何故かこういう時に非常に即興的なものを感じる。

私が宿泊したのは東山にある旧い宿。この季節、京都はどこのホテルも満杯とのことで、この昭和初期に建てられたという宿に一人で宿泊。なかなか渋い。祖父の家あるいは生まれた家を思い出した。一泊・素泊まり5500円どす。なんなら紹介しまっせ〜。共同トイレ、共同浴場。あ、そうだ、門限があって午後11時どすえ。

5日(木)
枚方へ移動。夜は“枚方ジャズストリート”という催しで、大隆寺で演奏。関西方面でお世話になったことがある方たちと、久しぶりにお会いする。今もなお、こうしたイベントに積極的に関わっておられる姿を見てうれしくなる。

お寺は満員。廊下の方にもたくさんの人が立って聞いている。演奏中、記録のためにステージに近付いてビデオを撮っていた若者たちに気が散り、途中でやめてもらうように頼む。終演後、軽く打ち上げに出て、神戸へ移動。

6日(金)
夜、神戸・MOKUBAで演奏。店は移転して以前より少し狭くなったが、そのセンスは相変わらず抜群でなんだか落ち着く。小型のアップライトでの演奏だが、坂田さん、バカボン君ともとても近い所で演奏し、音がまわるためか、耳がつらく、すべての演奏を耳栓をしてやる。

この神戸でも久しぶりにお会いした人たちがいて、うれしくなる。そのお一人からは、鍼治療はやめた方がいいと言われ、“むつう整体”なるものを紹介される。ふんむう、実に世の中にはいろんなことがあるものだ。

そして、某マエストロの自筆の手紙、さらにそのお母様が編んだ手袋をいただき、とてもうれしい。大事にしよう。(で、帰ってみたら、手袋の左右の色が微妙に違うことが判明。同じペアの手袋を持っている人がわかっているので、それもまた楽しいかな。)

7日(土)
不穏な低気圧が近付いている気がする。と思っていたら、北海道では竜巻で死者が出たというニュース。そして、バカボン号は途中から初めて中央道を選択してひた走る。途中から雨模様になり、この低気圧、そして疲労、さらにカーブとアップダウンの多い中央道に、完璧に耳がやられた。途中から耳鳴りがひどくなり始める。こりゃ、もう、生涯、ジェットコースターには乗れないかもしれない。うーん、この旅、最後まで耳がもってよかったなあと思っていたのだけれど、やっぱりダメだった〜。疲労困憊。


11月8日(水)  リサイタル

8回目の鍼治療に行く。どうもなかなか身体が良くならない。実際、あちこちがだるかったり、痛かったりしている。このままだと、耳はおろか、再び眼もやられるぞ、とも先生からは言われる。なんだか先生がだんだん気の毒になってきた。

って、私はいったい何を治しているのだろう?そして、自分が持つ自然治癒力を引き出すのに、正直、この刺激の強い鍼百本は私には合っていないのではないかと思っている自分がいる。実際、今日も鍼の後は2時間くらい寝ていないとだめだった。

夜、高校時代の友人がサントリーホール・小ホールで開いたピアノ・リサイタルに行く。この日は終日耳の状態が悪く、街を歩いていても、地下鉄に乗っていても、そしてこの演奏を聴いている間も、ほとんど耳栓をして過ごす。コンサートで耳栓をするのは初めてのことだ。

プログラムはシューマン、ショパン、最後はメンデルスゾーンの『ピアノ三重奏曲第一番』だった。麺鳥の復讐(と勝手に思い込んでいる)にあってから、遠い記憶の彼方にあった曲だが、自分の指はしっかり憶えていた。

人、それぞれ、いろいろな音楽との関わり方があるのだなあと、あらためて感じる。自分の人生において、私はそれを考え直す時期(節目)に来ているのかもしれない、と妙に客観的になる。


11月10日(金)  トンネルこわい

朝9時の新幹線で山形へ。坂田明(as,cl)さんと寒河江で演奏。温泉にゆっくりつかり、翌日帰京。

この新幹線、やはりトンネルが耳にきつい。約三時間弱、ずっと唾を飲み込んで闘っている感じになるので眠れず、なんというか、演奏よりも移動で疲れてしまう感じだ。それに、停車駅が近付いて急にスピードが落ちる時に、車内の気圧が変化するようで、この時も一所懸命唾を飲み込まないとならない。うんむう、私の耳、これでもだいぶ良くなってきていると思うのだけれど、もうちょっと元に戻らないかなあ。


11月11日(土)  ウォーカーズ

NHKドラマ『ウォーカーズ』を見た。お遍路さんをする人たち、それぞれの人間模様を描く物語のようだ。音楽は細野晴臣。上手いなあ、と思う。と感心していたら、ご本人が登場していたので、思わず笑う。

お遍路さん、かあ。やっぱり旅にでも出るかなあ。(耳を患って、すべての演奏をキャンセルした時期のブッキングにあたったせいか、なにせ12月はほとんど仕事が入っていないのら〜。)


11月14日(火)  踊った後に

夜、先のコンサート『ピアノ舞踏会』の打ち上げに参加する。明大前のキッドアイラックホールの地下にある店でやったのだが、明大前駅のあまりの変貌に道に迷う。そっかあ、キッドアイラックに来たのは15年以上前のことになるだろうか。ひえ〜。

出席者は企画・主催の千野秀一さん、事務方を担当してご苦労様の新井陽子さん、この打ち上げには途中入場及び退場の神田晋一郎さん。打ち上げ、反省会というよりも、その話題は多岐に渡った記憶が残る。少なくとも5時間以上は話していたと思うから、なにやら楽しかったのだと思う。千野さんともこんなにたくさん話ができてうれしい。

それにしても、スタインウェイのフルコンが自宅にあってホーム・コンサートを開いたり、はたまた、自宅にピアノが4台もあるピアニストなんて、そうはいないだろう。ある程度環境に恵まれなければ、ピアノなんていう楽器は弾けないんだろうなあと思ったりする。ブルジョアの極みか?って、古臭い言い草だが、実際、そうしたことに自覚のある演奏者はその矛盾を生きている。


11月16日(木)  楽しいデュオ

今年、企画・制作した『くりくら音楽会 秋の陣』の最終回。前半は谷川賢作(p)さんと宮野裕司(as)さんのデュオ、後半は森下滋(p)さんと田中邦和(ts)さんとのデュオ。

今回はピアニストが選んだ相棒がいずれもサックス奏者だったわけだが、宮野さんと田中さんの風貌が対照的で、宮野さんは山羊、田中さんは熊、と思わず思ってしまったのは私。また、ピアニストも仕切り屋先生とどうでもええけんねえ王子様という、これまた対照的な感じで、見た目もなんだか面白い。

いずれのペアもジャズのスタンダード曲を主体に、この人とでなければできない音楽を演奏し、とてもしなやかで楽しかった。

アンコールのように行われた最後の合同演奏では「枯葉」が奏でられた。私も呼び出されて、一台のピアノにピアニストが三人並ぶという場面も。なんだかわいわい気分で、みんなの顔から笑みがこぼれる。

終演後、その場で打ち上げ。その後、演奏者のみなさんは居酒屋に行かれたようだったが、私は門天ホールの支配人と反省会、さらに来年のことなどを話して、終電にぎりぎり間に合って帰宅。ミュージシャンの人たちと話ができなかったのは心残りだが、今晩のところはいた仕方なかった。

ということで、この『くりくら音楽会』に足を運んでくださったみなさま、ありがとうございました。心から感謝いたします。

来年は春の陣、秋の陣、を考えています。来年も強力なミュージシャンを揃えたいと思っています。その折はお友だちをお誘いの上、ぜひおでかけください。これからもどうか応援してくださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


11月17日(金)〜19日(日)  雨のココファーム

毎年参加させていただいている、足利にあるワイナリー、ココファームの収穫祭で演奏。坂田明(as,cl)miiプラス坂田学(ds)さん、ヤヒロトモヒロ(per)さんという編成で、午前中から演奏なので、前乗りでいつもの宿へ車を飛ばす。運転できるようになってうれしい。

18日(土)はよく晴れ、昼間は温かい。初参加のヤヒロ君は半袖Tシャツ一枚だ。演奏中。坂田さんはおしゃべりの中で、「みんなで、ありがとう、と言おう」と呼びかけている。ぶどう畑の山にたくさんの声がこだまする。素直にそういう気持ちになるところが、この場所の力だと感じる。

夜の宴会では、一人ずつ“ありがとう”についてひとこと言うという自己紹介があった。ここに来ると、学ぶことがたくさんあり、謙虚な気持ちになる、と言ったのは私。生きているということ、ただそれだけのことがすごいことだと思えたり。人間、一人一人には役割のようなものがあって、それを生きることの意味あるいは無意味さ(禅問答のようだが)、なんてことを思ったり。

また、毎年来てくださっているご家族と握手。一年に一回だけでも笑顔で会えるとうれしい。そして今年もまたプレゼントをいただき、とってもうれしい。

19日(日)は宿を出た時から少しずつ雨。演奏途中からは本格的に雨は降り出した。私よりもずっと長くここに来ている坂田さんでも、「雨は初めて」だそうだ。

というわけで、冷たい雨が降り続き、演奏する方は寒くてたいへんだ。が、傾斜のあるぶどう畑で聞いている人たちももっとたいへんな状況だろう。さすがに早い時間から去っていく人たちが多い。でも、残っている人たちもいる。傘もささずに、身体を揺らしながら聞いてくれている人たちもいる。のだから、がむばらないわけにはいかない。

今回の演奏は野外だったこともあるが、バカボン鈴木(b)さんが主にエレベを演奏したこともあって、私は自分のモニターは撤去してもらったものの、それでもPAの関係で、ディストーションをかけた大音量のベース音が聞こえてきた時は、思わず耳を塞いでしまった。結局、演奏する時はずっと耳栓をしたのだけれど。

ほんでも、演奏していれば、やっぱり楽しい。このmiiでは普段あまり共演する機会のないヤヒロ君、学君とも、音が応えている感触が充分に伝わってくる。実際、一日目はPAの関係で非常にやりにくかったが、二日目はこちらのセッティングも変え、楽しくできたと思う。

雨の中、ずっと聞いていた大学時代の友人たちは、二人でワインを4本空けたと言っていたが、無事に帰れたのだろうか。帰りは少し渋滞にはまったが、ゆっくり運転して帰途に着く。


11月20日(月)  またひとつ

本の奥付が、自分の誕生日と同じ日付のものを二冊購入。

『生涯現役』(吉本隆明 著 聞き手:今野哲男/洋泉社新書)

“老い”に対峙している吉本が語っている本。相変わらずのべらんめえ調に、電車の中で読んでいて思わず笑ったりして。
さーて、私は、いつまで現役でいられるか。「眼も耳もぼろぼろ〜」ってな歌でも作曲しましょか。

『谷川俊太郎が聞く 武満徹の素顔』(聞き手:谷川俊太郎 話し手:小澤征爾、高橋悠治、坂本龍一ほか/小学館)

ま、“素顔”なんてえものは、誰にもわからないに違いないと思えども。武満自身よりも、話し手の方が見えたりするのが面白い。
曲名はすぐに出て来なくても、「あ、これは武満だ」と感じる、あの独特のサウンドは、いったい何なのか。

など、ぶつぶつ言っているうちに、またひとつ歳をとった。


11月21日(火)  元気な師匠

私がジャズ・ピアノを二年間習った高瀬アキ(p)さんと、二年ぶりくらいに会って話をする。変わらず、チャーミングで若々しく、再来年の1月に還暦を迎えるとは到底思えない。互いの耳のことなどを話したり、現在の活動について話したり。そして、私は『くりくら音楽会』への出演を打診した。


11月22日(水)  友情

大学時代の友人たちと会食。

一人は現在は全盲の人。学生時代は少し見えていたので、彼の記憶の中では私はずっと20歳のままでいるそうだ。うれしいじゃないのお。彼には同じような知覚障害者の友人たちがいるのだが、一般の企業に勤めているのは彼だけだそうだ。彼はコンピュータ・プログラマーとして自立して生活しているのだが、これまでの努力は決して半端なものではなかっただろうと思う。と、言葉にするのは簡単だが、そうした彼のことを、私は本当にちっともわかっちゃいなかったと思う。眼や耳を患って、初めてわかることもある、という感じだ。

もう一人は最近突然お父様を亡くされ、その後を継いでパン屋さんをやっている人。朝4時半に起きてパンを焼き、奥様と店をやって、一日が終わって一息つけるのは夜の9時だという。ひえ〜、ハードだ。これまではお父様がされていたことも、彼がすべてやらなくてはならなくなり、時間的にも精神的にも、ちょっとしんどい状態だったようだけれど、少しは元気になったかしらん。ちなみに、彼や焼いたパンはとってもおいしい。

大学に入学した時から数えれば、既に30年の月日が流れている。それでもこうして語り合える友人たちがいるのは、思えば幸せなことだ。有り難い。


11月25日(土)  ひとり競馬

あまりにも空が青いので、思いっ切り洗濯して、押入れの中の蒲団なども干しまくる。それから街へ買い物に出たら、神社にお参りをしたくなって、そのまま何故か足が競馬場へ。

既に9Rが始まる頃で、たくさんの人が来ている。新しくなったメインスタンド、その施設、それに大画面のスクリーン、なかなかのものだ。緑の芝生も、黒く光って見える馬も、実に美しい。そのうち夕焼けも美しくなった。気分が晴れる。

メインのG1・ジャパンカップダート(11R)と最終レース(12R)だけ、馬券を購入。見事にはずれた。あったりまえだのクラッカー。


11月27日(月)  トリオの行方

夜は大泉学園・inFで黒田京子トリオの演奏。その前に集合を呼びかけて、翠川敬基(cello)さんが“楽屋”と言って親しんでいる店で話し合い。

この楽屋、気のいいおじさんとおばさんが夫婦でやっているこじんまりした飲み屋さんだが、今月いっぱいで店を閉めるという。店にはinFのスケジュール表が置かれていて、これから演奏にでかけるという時には「いってらっしゃーい」と見送られる。そっか、これから仕事をするんだ、という意欲が湧いてくるってえもんじゃないの。有り難い。

ともあれ閉店ということで、あな寂し。で、太田さんもやってきて、inFのマスターやいつも来てくださっているお客様たち(予告もしていないのに訪れるところが素晴らしい)がやってくる。ほんとに人のつながりというのは面白い。

さて、その話し合い。リーダーは誰?これからトリオはどこをめざす?

今年、夏以降、耳を患ってほぼ三ヶ月間仕事をキャンセルした私だが、このトリオでの演奏もそうせざるを得なかったものが何本かあった。その間、特にこのトリオが生まれた店では、私以外のピアニストが、翠川さんや太田さんと組んでピアノ・トリオの演奏をたくさんやって、そこでは素晴らしい音楽が生まれているらしい。

んならば、このトリオはいずこへ?

その鍵を握っているのは私らしいのだが。ほんとうか?関わるという意識の上で、きちんと差別化をすべきなのは私ではないのではないか?トリオといえども小さな組織で、それをどうやっていくのか?これまでのコンセンサスと在り様が変質するとどうなる?などなど、率直に意見を交換し合う。

いずれにしても、このトリオ、3人がやり続けていく合意がある以上、来年に向かって新たな出発をしなくてはならない。というか、あらたに出発したい。





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