7月
7月15日(金)  インカム人間

7月に入って、名古屋、山形などにも行って演奏をし、やっと少し落ち着いた時間を持てて、その間、黒田京子トリオのCD発売にあたっての文章を書き、推敲する日々が続いた。現時点で、このトリオについて考えをまとめることができて、少々苦労したが、書いてよかったと思う。(なお、この文章は北里義之さんが主宰している、音場舎通信に掲載される予定です。)

で、で、でも、早く曲を書かなきゃ。クラシック曲の練習もしなくちゃ。CDを売らなくちゃ。演劇の音楽はどうする?あれはどうする、これはどうすると、この頃、「疲れてますねえ」と、会う人ごとに言われる自分が情けなや。

ところで、最近、インカムを付けている従業員をよくみかける。

インカムというのは、耳にイヤホンを付けて、口元あたりに小さなマイクが付いているものだ。キャパのある大きな劇場などでは、会場後方のブースに入っている音響さんや照明さんが、舞台上のスタッフと連絡を取り合うために使ったりしている、あれ、だ。

先日、TVで放映されていた老舗旅館の仲居さんがこれを付けていた。母が「ここ、いいわね」と言ったので、私はインカムなんか付けているから、やめといたほうがいいと言ってしまう。

先般泊まったホテルのフロント従業員も、これを付けていた。この6月にオープンしたばかりの新しいホテルで、部屋は清潔で快適だったが、やはりこれが気になった。何故、付けながら接客するのだろう?もしかしたら、どこかに隠しカメラがあって、そいつは怪しげだから部屋はあそこ、この方は丁重におもてなしをしたほうがいいから部屋は最上階のあそこ、なんてことを、上司が客を観察しながら、密かにフロントマンに伝えているのだろうか?などと想像してしまう。

旅館やホテルを選ぶ時、施設やロケーション、アクセス、値段といったことも選択の重要なポイントだが、その時の従業員の応対は「再びここに来たい」と客に思わせるための大きな要因になる。どうもそのあたりのことが大きく変わろうとしている感じがする。

小さい頃、家族で千葉の鴨川に行った時に泊まったホテルの部屋付きの仲居さんのことは、今でもはっきり憶えている。とっても親切でやさしかったのだ。心づけを渡していたからだろうが、夕飯の後にサービスで果物を運んでくれた。多分、手弁当だ。私はスイカがあまり好きではないので、夏の季節はぶどうか桃になってしまうのだが、そんなことにも気を遣って対応してくれた。子供にきれいな笑顔を見せる女性だった。

そして、今日、パソコン・ショップでも、これ、だった。胸に初心者マークを付けたレジにいた従業員は、私と対応している時に、ちょうど何かメッセージが入ったらしく、客の私ではなく、どこかの誰かと話している。でもって、「いらっしゃいませ」も、合計はいくらになったか、などといったこともまったく告げない。最後に「ありがとうございました」とだけ言われたが、これでいいのかっっっ!

問題は、そうさせられていることを、そうさせられている人間が、どう思っているか、だ。企業の、あるいは上司の命令だから、イヤイヤそうしているだけか。否、もしかしたら若い人の中には、そういう姿の自分がいかにも仕事をしている風で格好良いと思っている人もいるかもしれない。まるで宇宙映画に出てくるヒロインであるかのように、ちょっと未来的な気分で、自分を誤解して。

なんとも暗澹たる気持ちになってしまった。考えようによっては、この状況は日本の将来にっとて憂れうべき大問題だ。


7月24日(日)  しはうちから

NHKの番組『こころの時代』で、かつて堀文子さんが語っていた。

「死というものは、外からやってくるとばかり思っていたの。けれど、自分の内側からやってくるのね。」

堀さんは2001年(平成13年)83歳の時に、解離性動脈瘤で倒れられたのだが、その時のことをそう話されていた。今は治癒されて、とても元気でおられる。

その言葉がしみじみ身に沁みる。確実に歳を重ねている自分の肉体と、どう折り合いを付けていくか、ひとつ、気楽に考えてみましょか、と、日々自分に言い聞かせる。


7月25日(月)  その人、を聞いた

東京の下町の夕暮れ時、打ち水をうった玄関先に置かれている縁台に腰掛けるおじいちゃんのような格好で、あるいはこれから海水浴にでも出かけるような感じで、ピアニスト・高橋悠治さんはふらっと下手から現れた。水色の開襟シャツに、膝丈くらいの涼しそうなぶかぶかのパンツ、そしてサンダル。

あ、こう書いていて思い出した。ベルリン・ジャズフェスティバルで、かのベルリン・フィルハーモニー・ホールで演奏することになっていた、ミシャ・メンゲルベルク(オランダのピアニスト)は、まるでコロンボ刑事のようなよれよれのコートを着て、履いているのはスリッパで、守衛さんに引き留められたそうだ。

とにかく、蝶ネクタイ、黒のタキシード、あるいは派手な色の提灯袖の付いた華やかなロングドレス。といった世界からは、とっても遠い雰囲気が広がって、会場にいる人たちの力が一気に抜けていくような空気に包まれる。

そして、ピアノに寄りかかりながら、マイクを片手に”バッハの啓蒙主義”について語り始めた。

浜離宮朝日ホールで行われた、<ピアノ&トーク>と冠が付いている『高橋悠治のバッハ、シューベルト、シューマン』を聞きに行く。
このコンサートは、”第21回 東京の夏 音楽祭2005”の一環として開かれたもので、今年のテーマは「宇宙・音楽・心」。

チラシに書かれている悠治さん自身の言葉によれば、

バッハの音楽は理性による世界把握である啓蒙主義のさきがけとなった
シューベルトは その後の反動期に 内面化した遍歴の歌をつづる
多重人格の交錯するシューマンの仮面舞踏会は
幻想のなかに 音楽の批判から批判の音楽へと展開する
かれらの音楽を演奏しながら それらの現在的意味を考える

と、ある。

悠治さんが話されたことを、ここで逐一書くことはとてもできない。その世界史や音楽及び音楽史に関する膨大な知識の量は、バカな私にはただただはあーっと感じながら聞いているしかなかった。また、音楽を政治情況や社会環境といった視点から考察することを決して失わない音楽家としての姿勢に、私はあらためて共感した。

少し意地悪く言えば、いわば「啓蒙主義」を現在のアメリカがイラクに対して行っていることまで引き合いに出して批判しながら、自身が啓蒙主義的な存在として、私たちの目の前に在るという感触をぬぐうことはできなかった。

が、これは、私自身への批判でもある。というのは、どうも、ブレヒトに関心があって関わっている人たちには、おしなべてそういうところを感じるためだ。

演奏されたのは、J.S.バッハは『パルティータ第3番 イ短調 BWV.827』に収められている全6曲、シューベルトは『楽興の時 Op.94 D.780』の全6曲、シューマンは『幻想小曲集 Op.12』。

トークをしながら演奏し、またトークがあって演奏し、を繰り返しているうちに、バッハだけでほとんど1時間弱を費やしていた。「あまりしゃべらないように」と主催者からは言われていたらしいが、どうやら予定していた時間より約30分も長くなってシューベルトまでたどり着き、休憩。後半はあまりトークをせず、シューマンが弾かれた。アンコールは「1曲だけね」と言って、エリック・サティの『グノシエンヌ』の中から。

印象として、私にはどうもシューマンを弾く悠治さんはピンと来なかった。それでもいかにもロマン派らしい、華やかな感じのメロディーやサウンドの連続、ともすると今日のプログラムからは少々ごてごてしているようにさえ聞こえてくる、その最後で聞いた、あの薄いヴェールに覆われているようなピアニッシモのひととき。その落差。あの表現は素晴らしかった。

そんな静かな、心が深く沈潜していくような時間に、私の目の前の髪の臭いおじさんが、やをらクシャクシャと音を立ててティッシュ・ペーパーをポケットから取り出して、眼鏡を拭き出した時、私は頭をド突いてやろうかと思ってしまった。あと1分待てば、シューマンの曲は終わったのだし。何もこんな時に眼鏡を拭くこともあるまいに。

そんなシューマンの曲の後だったせいか、アンコールで弾かれたサティの曲における音の明晰さには、非常に心を打たれた。

バッハの構造(実に理論的な感じ)、シューベルトの歌(調はよく変わるし、なんともうねうねとしていることがよくわかった)は、対照的な感じがして面白かった。

けれど、なんというのだろう、バッハを聞いた、シューベルトを聞いた、ということではなく、私はまさしく”高橋悠治を聞いた”という感慨を深く抱いた。おそろしく個性的で、孤高だと思う。

そして私がいつも驚くのは、トークをして、マイクを置いて、ほとんど間をおかず、呼吸もせず、「僕はこんな風に考えていてね〜」、でふっと、椅子に座って、すぐにピアノを弾き出す自然さ、だ。ピアノに対して、演奏する自分に対して、構える、といったことが感じられない、その弾き方、だ。
今の私にはまだとてもこんなことはできない。

悠治さんも割合に最近、大病を患ったと聞いている。ところが、どうだろう。とっても元気だ。1938年生まれというから、現在はや67歳になられるわけだが、今年などはかなり積極的にピアニストとしてコンサート活動をされている。元気でうれしい。

私にはとても面白い、刺激的な、いいコンサートだった。


追記

10月1日、この高橋悠治さんと古澤巌(vl)さんが、モーツアルト、ブラームス、フランクのヴァイオリン・ソナタなどを演奏されるコンサートが開かれる。

また、10月3日、村田厚生(tb)さんなどが作っているブラス・エクストリーム・トウキョウのコンサートがある。このグループは金管楽器のための現代作品をレパートリーとしているのだが、とても面白い。また、ここに所属している橋本晋哉(tuba)さんは、私がこれまでに聞いたことがないような素晴らしい演奏を、チューバという楽器でされる。

ああ、聞きに行きたいなあ。と思って、手帳を見れば、私は北海道の空の下。ざんねーん。




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