6月
6月5日(日)  即興のおしえ

即興演奏のことを教える。
というようなことが、この私にできるのだろうか?

縁あって、某音楽大学で代講を頼まれ、引き受けてみることにしたので、先週ちょいとその授業をどれどれと見学に行った。もし私が20歳代後半に子供を産んでいれば、学生たちの年齢はちょうどその子供の歳にあたる。

という状況に気づき、さらにそうした立場に立とうとしている自分に少々呆然とし、いささかの狼狽と苦笑を伴いながらも、1コマ90分の授業3コマすべてを楽しく見学する。

「疲れているから」と言って(って、先生に向かって言うかあ?/それくらい楽〜な雰囲気とも)最初は演奏を拒んだ学生が、結果的には一番多く演奏していたことを微笑ましく感じたり。

この授業は、基本的にはクラシック音楽を学んでいる学生が多く、単位の関係でジャズ科の生徒も受講できるようになっている。

私は音大というものをよく知らないので、詳細はさっぱりわからない。が、どうもクラシック音楽を勉強している学生たちは、楽器の技術的な熟達を目指したり、学理的なことを学んだり、といったことで、かなりがんじがらめな教育を受けているらしい。

そういう環境の中で、この新しい”即興演奏”について学ぶ講義(正式名称?)に興味を抱いてやってくる学生たちは、それなりに「何か」を求めてやってきているのだろうと思う。もっと自由になりたい、のかしら?

そこに全体の10〜20%くらいなのだろうか、アドリブが命、のような環境にいるジャズ科の学生たちが混ざっている。不思議なもので、風体や態度で、すぐにそれとわかる。それになにゆえにそうなるのか、私には理解し難いものがあるのが正直なところなのだが、このアドリブができるという自信のようなものを根拠とする、ともすると他者を排斥する雰囲気を持つ優越感のようなものがひらひらと漂っている。
ちなみに、ジャズをやっている人の多くは、クラシック音楽をやっている人たちに対して、大概、技術的な側面でコンプレックスを持っていたりする。

逆に、クラシック音楽を学んでいる人たちは、ジャズの演奏というのは、曲が同じでもまったく違う演奏になることがものすごく驚異的なことに感じられるらしく、どこかにコンプレックスを抱いているようだ。う〜ん、クラシック音楽だって、人によって演奏は全然違うじゃないのお。

実際、私のところにレッスンに来る生徒にも、そういう人がけっこう多い。譜面に書かれたクラシック音楽を、私などよりもずっと上手に弾いてみせる。ラフマニノフやプロコフィエフでも、ビル・エヴァンスの少々複雑なコピー譜でも、私なんかよりちゃんと弾いている。

けれど、自由にアドリブができるジャズに憧れを抱いていて、どうしたらアドリブができるようになるか?と、私に決まって尋ねてくる。

だから、自分のためにジャズのことも勉強したいという強い意志がある人には、私はごく基礎的なジャズの語法のようなものだけを教えるようにしている。知っていればまことに便利だったりすることも多々あるし、本人がやってみたいのなら、まったく知らない言語、例えば中国語とかベトナム語を学ぶような感じで、実際にその世界で使われている言語(方法)を学んでみればいいと思っている。そうすれば、少なくとも現状よりは、違う世界の人とコミュニケーションをとることができるようになる。

さらに、世界の事情が少しわかってきた生徒には、誤解を恐れずに言えば、想像しているよりもジャズは自由じゃない、みたいなことも言ってしまう。だいたい、世界の即興演奏から見れば、ジャズのアドリブなどはそのごく一部でしかない。そして、どんどんいろんな音楽を聞きなさい、自分自身をしっかりみつめなさいと言い、ジャズから離れた即興演奏をするのに助けになるであろう、あれやこれやをレッスンしたりすることもある。

もとい。
ともあれ、ちょっとヘン。ヘンでしょう。

事実、すべての授業が終了した後にも、ジャズ科の人と演奏することになった時、自分はどうしたらいいのか全然わからない、と言って来た学生がいた。それはおそらくジャズ科の学生にも問題があるし、あなたにも問題があるんだろうと思うと答え、上記に書いたようなことを言ったけれど。

まだまだ若いのだから、うんと学べばいい。将来、プロの演奏家になろうがなるまいが、今、学べることはやまほどある。音楽を享受する喜びは一生のものだろう。

ここで私ができそうなことは、学生たちがどんなことに気づけばいいのか、もし何か一つでも気づいたら、そのことによって、音楽の豊かな喜びを自分のものとしてもっと感じ取れる時間を持つことができるか。そんなことかなあと思っている。

そういう意味では、去年一年間に自分が学んだことは、たまたまこういう機会を得た自分を逆照射しているようでもある。とはいえ、いや、ほんと、こんな流れにもなろうとは、想像だにしていなかった。

最後に、こうして書いてきたけれど、即興は方法ではない。方法という部分も含んではいるが、決してそれだけではない。ここで多くは語らないが、その辺りまでを学生と分かち合う時間を持つのは、今回はちょっと無理かなあ。って、ほんとはそこをちゃんとやらないと何も始まらないと思っているのだけれど。ついでに言えば、私がこんな風になってしまったのも、この肝心なところにあると思っている。


6月11日(土)  うなりを聴く耳

「(ピアノの)調律師に絶対音感は必要ない」と聞くと、おそらくほとんどの人がえっ?と思うに違いない。また、「ピアノの音の特徴は”濁った響き”にある」などと言われると、ますますえっ?と思うだろう。

『もっと知りたいピアノのしくみ』(西口磯春、森太郎 著/音楽之友社)は、「音響学」的な視点と「調律師」の視点から書かれた本で、ピアノという楽器のことをもっと知りたいと思っている私には、非常に示唆に富んだものだった。

倍音とは違う”部分音”(音の成分)というものの存在、この部分音の振動数が基音の整数倍からずれていくインハーモニシティ(inharmonicity)=非調和性がピアノの音の大きな特徴の一つであること、そのことから生まれる”うなり”を聴き取ることが調律師の耳にもっとも大切らしいこと、などなど、そうしたことがかなり具体的な記述で書かれている。

音を出さずに鍵盤を左手で押さえながら、右手で任意の音をスタッカートで弾くと、すてきな響きがする、ということは既に実践しているから、私の耳は知ってはいる。
が、どうしてそうなるのかはこれまでよくわからないでいたが、文系の私にはいささか違う回路を必要とする理論ではあったものの、合点がいった。

また、ピアノの音はヴァイオリンなどとは違って、基本的に音をいつまでも伸ばして演奏することはできない。そのためにサスティーン・ペダル(一番右にあるペダル)があるわけだが、私は多分おおいに無意識に、さらに無駄に、このペダルを多用する弾き方をしていると反省。
そうではなく、もっとこの指自体が鍵盤をしっかりと深く押さえることで、楽器そのものの非調和に富んだ豊かな響きが生まれるのではないかと思うに至った。

ともあれ、今の私に、その”うなり”が聴き取れるかと尋ねられれば、おそらく答えはノーだ。ピアノの響きについて、なんと無知であったことか。もっと豊かな表現を実現するために、この耳とこの指がやらねばならないことが、なんと山のようにあることよ。


6月12日(日)  リリ・フリーデマン

難しい譜面が読めて、指が速く動くから、なんだっていうのだ。アドリブができて、格好良くアメリカ生まれの音楽を奏でることができるから、なんだっていうのだ。

それらのことと、音楽の喜びとは、本質的には関係ないことだ。

即興演奏のことを学生に教える機会を持つ予定になった私に、友人が教えてくれた本が一冊。『おとなと子どものための 即興音楽ゲーム』(リリ・フリーデマン著 山田衛子訳/音楽之友社)。原題は『Trommeln-Tanzen-Toenen 33 Spiele fuer Grosse und Kleine』。原著は1983年に出版されており、この訳本は2002年に出されている。

このリリさん(1906年ドイツ生まれ〜1991年逝去)、その最晩年に直接本人と会ったことがある訳者の前書きによれば、1920年代に、ベルリン音楽大学で、ヴァイオリンをカール・フレッシュに、作曲法をパウル・ヒンデミットに学び、アルトゥール・シュナーベルのピアノ・トリオのパートナーでもあったそうだ。卒業後は、ヴァイオリン奏者(バロック・ヴァイオリンによるバッハと現代音楽の演奏を中心に)及び教師として、著名な活動をしていたとある。

そんな有名なヴァイオリン奏者だったリリさんは、ほぼ50歳できっぱりと演奏活動をやめて、全人生を即興演奏やその指導にあてるようになったという。
うんむ、ただものではない。

いったい、そのきっかけは何だったのだろう?
1987年1月のインタビューによれば、ある音楽会議で音楽家たちが集まった時に、こんな事を言う人がいたそうで。
「こんなに何人もの音楽家が集まっているっていうのに、いっしょに何も弾けやしない。ただ、楽譜が手元にないからって、こんなことでいいのかい?」
という言葉に、リリさんは大きな衝撃を受けた、とある。

クラシック音楽はいつからこんな風になってしまったのだろう?何が失われてしまっているのだろう?
バッハだって、それ以前の人たちも以降の人たちだって、みんな即興演奏をしていたと聞いている。あるいは、20世紀の初め頃だって、例えばカザルス・トリオの人たちなどは、夜な夜なサロンで即興演奏に興じていたと、本には書かれているではないか。

この本には33のゲームのやり方が書かれていて、小さな子どもたちから大人まで、あるいは障害を持った人たちでも楽しめるようになっている。それらはいたってシンプルだ。それゆえに、実際にこれが行われる現場は、書かれているようにやってみたとしても、おそらく様々な現われや問題があるであろうことは容易に想像できる。原題が「Trommeln 太鼓、Tanzen 踊り、Toenen 音」となっており、太鼓が一番最初に来ていることでもわかるように、その方法は音楽の初源的なところに置かれている。そして、その根底には実はコミュニケーションとイマジネーションの力が非常に必要とされていることがわかる。

ちなみに、原題にある「Spiele」は演奏、遊び、ゲームといった意味を持っている。また、「Ich spiele den Klavier.」と言えば、私はピアノを弾きます、という意味になる。
そして、”ゲーム”と言えば、ジョン・ゾーンの「コブラ」や「ベジーク」といったゲーム・ピース、あるいはブッチ・モリスの「コンダクション」といったことが、すぐに頭に浮かぶ。
私はブッチ・モリスのコンダクションには関わったことはないが、ジョン・ゾーンのゲーム・ピースについては、いずれもジョン自身のコンダクションによるものに参加している。「ベジーク」の方は確か日本初演だったと思う。

ジョンのゲーム・ピースはいわば即興演奏におけるコンポジション(作曲)を考える上で、非常に具体的でわかりやすい性格を持っていると思う。おそらく音大で学んでいる人にとっては、こちらの方がとっつき易いかもしれない。

が、ここにはリリさんのような根源的な視点はあまりない。むしろ、フレッド・フリスが実践していたような即興音楽における提案の方が、あるいは山口とも(per)さんの在り様(NHK教育番組でUAとやっていたことも含めて)の方が、よりリリさんの方法に近い部分があるように思う。

これに、天鼓さんやローレン・ニュートンさん、フィル・ミントンさんといった、何故かヴォイスパフォーマーばかりだが、これらの人たちが開いたワークショップに、私自身が参加して得たものを加えながら、またパリ音楽院の即興演奏科を卒業している平野公崇(sax)さんの意見も聞きながら、私は即興演奏のことを他者に伝える自分自身のメソッドを考えなければならないと思っている。これはなかなかたいへんな作業になるかもしれないが。

既に、巻上公一(vo)さんは長年に渡って「コブラ」を広める活動をしてきているし、大学で講座を持ったり、ワークショップもよくやっておられるようだ。内橋和久(g)さんは現在日本には居を構えていないが、以前からずっと即興演奏のワークショップを積極的に行っていた人だ。大友良英(g)さんも素人でもできるオーケストラといった感じでワークショップをされているそうだ。

実を言えば、過去足かけ5年間に渡って行った、地元の一般市民を対象にしたジャズ講座を終えた後、聴講生が踊ったり歌ったりしているのを見て、私の中にはもっと普通の人たちが気軽に音楽に参加することで楽しめる場を持てないものだろうか、という思いが漠然と残った。実際、市の担当者に、即興演奏ワークショップを講座として開かないかと持ちかけたこともある。

いいかげんいい歳になってきた私には、もう無駄なことをやっている時間はない。自分ができることをきちんとみきわめる必要があるし、そういう時期に来ているように思う。


6月14日(火)〜24日(金)  目に緑

上記11日間、坂田明(as,cl)さんのユニット”mii”(みい)で、岩手県内ツアーに行った。幸いなことに天気には恵まれた旅になった。

例によって、バカボン鈴木(b)さんが運転する車(通称バカボン号)で、東京から一ノ関、三陸町、大槌、宮古、盛岡、花巻と、時計と反対に周るルートで一周。岩手県というのはたいへん広く、この一県で四国四県に匹敵するくらいの面積があるらしい。

岩手県をmiiで周るのは、このユニット結成以来三度目のことになるが、もうほぼ道を知っているからなかなか慣れたものである。

「あそこ、いそうですよ」
「をっ、いるな」
「ミジンコ・セット、用意」

こうして、移動日にあたる演奏がないオフの日は、今回は三日間ともミジンコ観察と相成った。新しい特製のミジンコ捕獲網が大活躍し、途中、大槌にある東大の海洋研究所でゲットされた携帯顕微鏡が、生命とはなんぞや?を探求するバカボン一家に幸福をもたらすことになった。また、バカボン君はかなりミジンコに詳しくなっており、すっかり坂田さんの弟子のようになっている姿が、岩手県内の道端では見かけられたことと思う。

三陸町でのオフの夜は、みんなでDVD鑑賞。今度、坂田さんはミジンコについて講義しているDVDを出されるので、その映像を堪能する。これはものすごくきれいだった。とてもわかりやすく、全国の小中学校必携かと思う。さらに、このmiiのライヴ映像まで付いているという、すぐれものだ。こんな豪華なおまけが付いている理科の教材は他にはないだろう。

宮古から盛岡へ向かうオフの日には、再び早池峰山への登山道を目指す。権現の滝という、ほとんど誰も行かないのではないかと想像されるところで、しばし休憩。途中の道で、眼下にきれいなたんぼを発見したが、誰に聞いても何故か道がよくわからず、ミジンコ採集は断念。

盛岡・松尾村でのコンサートの打ち上げは宿泊先となった温泉で。流れと勢いから、ここではカラオケ・タイムに突入する。私は生涯にほんの何度しかカラオケはやったことがない。が、歌うのはなんたって都はるみ。ところが、その古いカラオケには何故か一曲もなかったので、そういうことなら、歌うのは「夢は夜ひらく」に決まっている。坂田さんも「別れの一本杉」を歌われ、私は踊る。バカボン君も渚ゆうこが歌ったベンチャーズ作曲の歌をうたう。そのちょっと照れ臭そうな笑顔が、なんとも可愛いらしい。

最後のオフとなった盛岡から花巻への移動日には、高校2年生の修学旅行の時以来訪れていなかった八幡平を一周した。出身大学の寮も初めて見た。あんな標高の高い所にあるとは知らなかった。ともあれ、それはそれは素晴らしい景色だった。雪もそこここに残っており、流れている水は驚くほど冷たい。まさに、目に緑。

そして、今回もホヤ、アワビの踊り喰い、カキ、とげとげの殻付きのウニの山盛りなど、おいしいものをたくさんいただいた。焼肉も二回食べた。栄養過多の分、演奏で汗を流す。

実際、今回のツアーにおける坂田さんの音は圧倒的な説得力を持っていたと思う。今年2月の誕生日で還暦を迎えられた坂田さんだが、ほとんどの会場でノー・マイクで演奏され、そのサックスの音は響き渡っていた。

また、最初の一ノ関ベイシー、最後の花巻ブドリ舎での演奏には、坂田さんのご子息である学君(ds)も加わって演奏。ベイシーでの最前列は美しい女性ばかりという珍しい光景が広がる。ブドリ舎では高くなっている舞台から私たちは降りて演奏。私たちの周りを聴衆が囲むといったステージ設定で、バカボン君はドラムがいることもあって、エレクトリック・ベースも演奏して、ディストーションもがんがんかけて爆発しまくっていた。

今回も、昭和40年代半ば頃からジャズ喫茶やジャズクラブをされている、岩手県のジャズを支える重鎮の方々はみなさんお元気で、その笑顔を拝見して安心する。また、最近こうしたコンサート活動をオーガナイズし始めた方々も含め、お世話になった多くの方々に、この場を借りて、ほんとうに心から感謝いたします。

それにしても、暑かった。帰りの東北道に出ていた気温表示は32度。その後、私は完璧にダウンしてしまい、28日に楽しみにしていたアンサンブル・モデルン(ドイツ・フランクフルトを拠点に活動している、主として20世紀音楽と現代音楽を演奏する集団)のコンサートは行くことができなかった。これは非常に残念。29日には整体に行き、少しずつ復活。


6月27日(月)  多くの人に届きますよう

黒田京子トリオの初CD 『 Do you like B ? 』 が、6月25日に正式発売されて、初めてのライヴ。このトリオの成立にあたってはたいへんお世話になっている、東京・大泉学園にあるinFは満席となり、みなさんに感謝。

<コメント>
より多くの人に、私たちの音楽を聞いてもらいたい、このトリオの存在を知ってもらいたい、と切に願っています。
フライヤーも作りました。CDは3人(翠川敬基(cello)、太田惠資(vl)、私)それぞれが分担して持っていますから、どうぞお気軽にご連絡ください。
また、JJazzNetからもご購入いただけます。
既に拙webでも宣伝していますが、ぜひ、一家に一枚。ご友人のお土産に一枚。




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