2月
2月3日(木)  自己責任

昨年、イラクでの日本人人質問題でのバッシングで盛んに言われた言葉。
三宅島に戻った人たちに向けて言われている、あるいは自らが言っている言葉。
銀行など金融機関のペイオフ解禁に伴って言われた言葉。そのペイオフもこの4月から当座預金を除いて、全面的に解禁になる。

2001年12月、アルゼンチン共和国政府は、外国債務の支払停止を宣言。要するに、国が不景気なので、アルゼンチン国債(国の借金)が返せなくなったから、破綻します、ということだ。
おいおい、どっかの国はだいじょうぶなんだろか。この間、イギリスに出張していたみたいだけれど。

2003年9月には、世界銀行IMF会議で、アルゼンチン債の元本削減率は75%と提示。これは仮に額面100円の債権に対して、25円だけ返すから、これで勘弁してちょうだいね、ということだ。

そして、この2月、アルゼンチン共和国は”エクスチェンジ・オファー”をやるそうだ。これがわかりにくい。証券会社などはその窓口業務を一切をやらない。結局、誰も責任を取らない、という感じ。30年後に償還されるのか?この先どうなるか、誰もどこも保障していない。一市民にアルゼンチンの日本大使館と直接交渉しろと言っているようなもの?でもって、証券会社は元金の約20%で買うという。買う人がいるらしい。

最近はすっかり定着したかのように、このあまり日本にはなじまないような”自己責任”という言葉が氾濫しているように感じる。

が、どうもこの言葉が何かとすり違えられている気がする。何かとてもヘンで、化かされている気がするのだ。この言葉の裏に、何かゆがんだものを感じるのは何故だろう。


2月4日(金)  ハッピー・パワフル

久しぶりに早起き。朝7時に起きて、車を飛ばして着いた先は横浜市にある某小学校。荷物を持って校庭を歩いていたら、空の方から「くろりんですか〜あああ」と呼びかけてくる声。「イエ〜エエス!」と応える。どうやら黄色い車が入ってくるのを目撃していたらしい。

教室に入ると、「元気」という習字が子供たちの数だけ張り出されている。また、模造紙に書かれた「ハッピー・パワフル」の賑やかな大きな切抜き文字が目に入る。どうやらこのクラスのスローガンのようなものらしい。子供たちはやたら元気で、耳がどうかなりそうなくらいノイジーだ。

もし子供たちが妙におとなしかったらどうしようという思いは、これで全部吹っ飛んだ。

小学校以来の友人が担任を受け持っている、小学校4年生のクラスでの”朗読の会”。私が音楽をやり、物語や詩の読み手は子供たち。午前中にざっと通して稽古を行い、午後から発表会。本番には他のクラスの子供たちや先生方、お母様方も見に来てくださった。

報酬は子供たちと共にいただく給食。実は私は生まれて初めて給食というものを食べた。その先生をやっている彼女の教師としての姿勢、目線、子供たちへの接し方や愛情に共感した上での、ボランティアだ。

楽しかった。やってよかったと思う。

そして私は再び彼女に感心し、図書の時間を使ったとはいえ、他の先生方などからバッシングされたりはしないかと少々心配もした。ちなみに、なんのかんのと言ったりする先生は、概して自ら何の工夫もしない先生らしい。けれど、そんなことは彼女はきっと跳ね返すだろうと確信した。今回やったことは、多分胸をはっていい。

そりゃ、内容について欲を言えばキリはない。声が小さい。ぼそぼそ話していて、何を言っているのかわからない。気持ちの入れ方が全然足りない、などなど。知り合いのプロのアナウンサーや役者に来てもらって、みっちり稽古をつけてもらうような時間を設けるべきだったかな、という思いもよぎったり。

なにせ午前中の約1時間半くらいしかリハーサルの時間はなかったから、全部を通すので精一杯で、細かいところまではとてもできなかった。
でも、いっしょに合わせることができる、限られた練習時間で、まあ、あれくらい本番でできれば、おおきなハナマルだと思っている。アンコールに応えて、子供たち自らがこれをやりたい、あれを聞きたい、とあんな風に言うとは思ってもいなかった。

現在の小学校教育ということの詳細はわからないけれど、文学や美術、音楽といった、将来直接的には全然役に立たないような創造力(もしくは想像力)を養うような分野のことは、やっぱり小学生くらいの時にいっぱい学ぶ機会を与えてあげるのがいいような気がした。

実際、事前の先生や私のアドヴァイスはあったものの、子供たちは自分たちで読む分担を決め、それなりに工夫をしていた。紙芝居を使ったグループもあった。話の内容に寄り添うように、左右に分かれて読んだりもしていた。

私が提示した詩のいくつかは、ヴォイスだけのものや、パントマイムマイムのような身体表現を伴うもの、何か音の出る物を使ったもの等々あったのだが、彼らは自分たちなりに楽しんでやっていたように思う。ついでに担任の先生、さらに校長先生にまで登場してもらうようにした。校長先生は「赤とんぼ」をいい声で歌っておられた。

そして、なによりも、こうしたことは他人との関係(コミュニケーション)をどう結ぶか、ということも教えてくれると思う。演劇や音楽を創り上げていく作業には、無駄とも思われるような、決して合理的ではない時間があるものだ。プロセスに意味があることも多々あり、人はその時間の中で、他人との関係をはかり、自分の立場や役目を認識し、自分を作っていくのだろうと思う。

もし、そうしたことが充分な時間と共に、その喜びあるいは苦しみを、子供たちが享受できないような状況に小学校があるとしたら、これは憂うべきことのように思う。今の高校生はもはや夏目漱石を読めない、と聞いた時は愕然としたが。

国や各自治体などのしばり、教育委員会の圧力などがあることも知っているし、今の子供たちはとても忙しいのだろうとも思うけれど。

”朗読”というものには、何故かどうも少し啓蒙的な響きがある。のが、私はどうしても好きになれない。だから、私は最初に子供たちに、今日はいっしょに遊ぼうね、と呼びかけた。先生と呼ばれるのも嫌だったので、あらかじめ彼女には芝居関係者の間で呼ばれている呼び名で言ってもらっていい、と話しておいた。さらに、「伝える」「聞く」「間違ってもいい」ということを、子供たちには言ってから、稽古を始めた。

聞けば、現在の小学生の一般的な状況として、一日の食事の中で、学校で食べる給食だけが唯一の食事になっている子供、万引きは当たり前、校舎の窓ガラスが割れるのは毎日のこと等々、想像しているよりもはるかに細かで深刻な事件が起きていたり、悲惨な状態にあるのが現実らしい。

そうした現実に私は直接的には何もできない。
が、私には私のやれることがあるのであり、私は子供たちが楽しかったと思ってくれて、先生や私といっしょに遊んだ時間が面白かったと思ってくれれば、それで言うことはないと思っている。


2月18日(金)  はんぱ

先月、仙台、盛岡での演奏をピークに下降線。そんなに数多く仕事をしているわけではないけれど、どうも自分の演奏が中途半端でいけない。演奏している最中に、ハンパじゃ〜っ、と、自分で自分の頭をけっぽっている日々が続いている。

人にはいろいろ波がある。時間にも波がある。


2月19日(土)  立っている所

ドミソも歌もない即興演奏を聞きに行く。

細かい音色の変化。呼吸のコントロール。訓練された技術と考え抜かれている方法。そして、切り替えのスピード感。に、誰もついていけていない場面。

立っている所が違う。

といえば、別の日のいわゆる”セッション”。音の出所が違う、音楽に対する考え方が違う、とひしひしと感じた日だった。


2月20日(日)  Everything must change

これは'70年代の名曲のひとつ。かつて、カーメン・マクレイ(vo)が歌っているこの曲を聞くのに、LP盤に何回も針を落とした。アレンジは少々気に入らないところもあったが、この諸行無常をうたった歌は、えらく私の心に響いた。ほとんど「方丈記」の心境。実はこの「方丈記」の出だしの文章が、とても好きだったりする。

この英語で付いている歌詞を、某歌姫が日本語にしてうたった。私がリクエストしてみたのだが、以前から歌ってみたいと思っていたらしい彼女は、これをわずか一週間足らずで自分の言葉にして、すばらしい歌にしていた。心が震えた。いっしょに演奏できる幸せを感じた一日。


2月23日(水)  めんとり

ブラームスはお好き?

などと言っているうちに、”次”の話。それで、あれこれ購入。この際勉強ということで、シューマン、ドボルザーク、ラベル、ドビュッシー、フォーレなど、買い込む。

ラベル(イ短調)はいつかやってみたい。サウンドの質感がすばらしい。
その最晩年に作曲されたフォーレ(ニ短調 作品120)は、なんとも美しい。これもいつかやってみたい。
最初期に作曲されたドビュッシー(ト長調)はちょっと陳腐に感じる。

が、ラベルはちょっと別として、フォーレもドビュッシーも、なんとなく耳馴染みのあるような、ある近さを感じる。というより、エリントンもミンガスも、多くのジャズ・ミュージシャンはいわゆる印象派の音楽からかなりのことを学んでいることを、肌に感じるような感触。

メンデルスゾーンのピアノトリオ第一番。ルビンシュタインの演奏が何故か全然心に響かない。同じCDに入っていたブラームスの第一番も、どうも胸に来ない。それに比べて、スーク・トリオの演奏はなんだかいい。3人の間に心地よい風が吹いているかのような空気感。この違いは何なのだろう?

上記の曲は”メン・トリ”と呼ばれているのだそうだ。クラシック界にもバンドマン用語のようなものがあるらしい。ピアノ三重奏曲の定番だそうだ。前期ロマン派。38歳で早逝したメンデルスゾーン。歌のある、華やかな曲だ。

ううむー、メン!ならず、ドウ!もコテ!もとられてしまって、とても太刀打ちできそうにない。ベートーヴェン、シューベルトとは、やはりまったくピアノ奏法が異なっている。音大生なら誰もが弾く曲らしいが、私には音大生のような技術はない。

日曜日、NHKで放映してた、アルゲリッチが演奏していたモーツアルトを聞いたが、なんだかモーツアルトは怖い。ドレミファソラシド、があんなに怖く感じたことはなかった。それにしても、アルゲリッチの立ったタッチ、それに左手の強力だったこと。

ふえ〜、だめだ、また落ち込みそうだ。はて、どうしよう。


2月24日(木)  シュールーーーッ

国立劇場に文楽を観に行く。私が観た第三部の演目は『壇浦兜軍記』から「阿古屋琴責(あこや、ことぜめ)の段」と、『三十三間堂棟由来』から「平太郎住家より木遣(きやり)音頭の段」。

演目の趣が前半と後半で異なる配慮がされていて、「あこや」が後半は音楽主体の、全体に派手で華やかなのに対して、「きやり」の方は地味な雰囲気で、しみじみと家族の情愛を感じさせるようなものだった。

場所の設定は、前半は高貴な代官屋敷。「この桜吹雪が目に入らぬかーっ」の場面を思い浮かべるといいかもしれない。後半はぼろぼろの侘び住まい。
いずれも女性が登場するが、前半は艶麗な衣装を身に付けた傾城。愛人役。後半は文楽には珍しく柳の木の精、だ。地味な緑の地の着物で登場し、夫や子供、義母への深い愛情を持った、つつましやかな奥さん役。
休憩をはさんで全体で約3時間、たっぷり楽しんだ。

「あこや」は、源頼朝を討とうとした平家の残党・平景清の行方を追っている源氏方に捕らえられた、景清の愛人である傾城・阿古屋の取り調べの場面を扱ったもの。阿古屋は「わたしは景清の行方などまったく知りませぬ〜」と言い張っている。(既に景清の妻は追っ手の前で自害している。)

この取り調べをしている重忠の相役である岩永は、いかにも乱暴者のような風情で、取調べが生ぬるーい!もっときつい拷問をせーい!と言うが、重忠がたしなめ、詮議を進めるべく、かねてから用意してあった琴、三味線、胡弓を阿古屋の前に次々と出して、それを弾かせる。

その音楽が実に面白い。思わず、シュールーーーッ、と小声で叫んでしまった。

通常、内容を語り、義太夫節をうなる大夫と、音楽を担当する三味線を弾く人は、二人一組でペアになって、語りと音楽を受け持つことが多いと思う。そして大夫はそれこそ5歳の子供から中年の男性、女性、老婆にいたるまで、一人で何役も受け持ち、声の調子を変えて表現する。

が、この「あこや」の場合、主要な役にはそれぞれ大夫がついていて、途中から三味線方には2人加わって、そのうちの1人が三味線の他に琴や胡弓を演奏していた。

この3人の並びは、仲良く丸く輪になって、互いを見れるような位置関係、なーんてことは断じてない。親分が一番うしろにいて、やや斜め左前に1人、さらにその斜め左前に1人、という配置。つまり決してアイコンタクトなどできない状態で、演奏者はそれぞれ客席の方にまっすぐ前を向いている。

これを支えているのは、ただひとつ、”気”あるいは”呼吸”だけだ。

さらにこれに加えて、舞台上の人形を扱う演じ手も、その音楽に合わせて人形の手を動かしている。その所作は実に細かく表現されている。その際、言うまでもないが、人形遣いの人が演奏者を垣間見るなどということはまったくないし、既に書いたように、演奏者は舞台の方を見ることはできない姿勢だ。従って、この両者の関係にも濃密な”気”が存在している。

この”在り様”がすごい、と感じた。

常々、大夫と三味線の関係も不思議に感じている。無論、たくさんの決まりごとがあるのだろうが、いったいどこでどうなっているのか、素人には未だによくわからない。無論、ここにも”気”が生きている。

結局、この話は、阿古屋の演奏を聞いた重忠が、景清の行方を知らないという阿古屋の言葉には嘘がない、と判断。何故なら、もし偽りの心を持って演奏すれば、弦の調べは乱れるはずだ。が、阿古屋の演奏にはその乱れがなかった。ということで、阿古屋は放免になる。

ああ、芸は身を助く、か。いやいや、はたまた、清らかな心で音を奏でろ、ということか。かくも音は正直、ということか。
って、ほんとに阿古屋は景清の行方を知らなかったのだろうか。




2005年1月の洗面器を読む

2005年3月の洗面器を読む

『洗面器』のインデックスに戻る

トップペーージに戻る