『洗面器』
2005年

1
1月1日(土)  酉年に

こけこっこ
空は飛べねど
産む卵

ぷるんぷるんと
心に生きよ

初春。
本年もよろしくお願いいたします。


1月6日(木)  自然体

すべて即興演奏による初仕事。
ああ、自然体の美しさとしなやかさよ。
そして、人の在り様。
そこから聞こえてくるものを、空気のように感じ、音を掴んでは離す喜び。


1月8日(土)  HANGA

東京藝術大学大学美術館で行われている『HANGA 東西交流の波』へ、趣味でやっているシルクスクリーンの仲間と行く。私たちが習った先生が丁寧に案内してくださり、みっちり約3時間くらいかけて、様々な版画を見た。久しぶりに足が棒になったが、説明を聞きながら見るのは、ただ見て廻るのと違って、なんだか学んでいる気になる。って、単純に楽しい。

江戸後期のいわゆる日本の浮世絵が、マネ、セザンヌ、ゴーガン、ゴッホ、ロートレックといった西洋の画家たちに影響を与えたことは有名な話だが、第一部ではその関係を知ることもできる展示の仕方になっていた。

ただし、影響を与えたのだ、あるいは影響されたのだ、ということに頷いているだけでは、そこまでだ。だから、なんだっていうのだ。

何かを創り出すという作業は、そう単純な話ではない。いつの世でもそうであるように、誰だって、誰かから、あるいは何かから、必ず影響は受けているのであって、問題は影響や関係性から、その作家がいったい何にひっかかり、どうやって自身の作品を生み出していったかを、感じたり考えたりすることだろうと思う。
そう考えると、簡単に口にされる個性とかオリジナリティといったことが、急に複雑性を帯びてくる。

第二部では第二次大戦後から現代までの作品が展示されていた。入り口には棟方志功の力強い作品群。無論、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズ、キース・ヘリングなど、海外の作家の作品から、日本の著名な作家のものまで、そのおおよそが網羅されている。

今回観てみてあらためて思ったことは、版画は複製が可能だということだった。これは油絵などの他の絵画とは大きくことなる性質だ。

印刷技術が生まれる以前、すなわち例えば今回の展示の中には「解体新書」(1774年)があったが、それは木版。その後、そうした医学書では司馬江漢などが独学で学んだという銅版画による、実に緻密な人体解剖図を見ることができた。実用的な側面では、主として20世紀前半にはポスターや看板にも用いられている。

また、生きている間はいわゆる売れない画家で貧乏暮らしをしていた作家は、あるいは売れている作家は、同じものを何枚も刷って売ることができる版画による作品を、大量にばらまいたりしていたらしい。

今でこそ、印刷技術は発展し、カラーコピー機やパソコンにつながれたプリンターは色鮮やかに再現してくれる。が、そう考えると、版画という表現手段はきわめてアナログで、どうしたって基本的には人の手が「刷る」わけだから、一枚一枚違う。同じことを繰り返しているのに、違う。

強引なことを言えば、その違い、そのほんのわずかな”遊び”は、ちょっと即興的な在り方に似ている。

ヘンな例えだけれど、私にはコルトレーンはひたすら思いを込めて絵の具を塗り込んでいく油絵、ドルフィーは版画(しかも、木版、銅版画、スクリーンプリントと、なんでもやる)の表現のように感じられる。


1月9日(日)  消えてなくなるものに

友人が貸してくれたビデオを観る。年末にBSフジで放映された、栃木県・足利にある『こころみ学園』の園生の生活を追ったドキュメンタリー。番組の作り方に不自然なところが感じられず、時々胸を熱くして観た。

ここでは知的障害者(いわゆる知恵遅れや自閉症の人たち)が、ぶどうやしいたけを栽培していて、毎年11月には新しいワインの誕生を祝って収穫祭が行われている。その年々来訪者が増えている収穫祭で、私は何回も演奏しているのだが、実際は何も知らなかった自分を恥じた。無論園長先生の著作は読んでいて、そのたびに感動するのだけれど、書かれたものと現実を見せつけられるのとでは、ずいぶん違う実感が残った。

命あるものの尊さ。人間が仕事をすることの意味。誰しにも平等に与えられている、生きていく中で負う役目。助け合って生きていくという気持ち。考えさせられた。

朝3時過ぎに朝食(ここでは職員と園生が朝昼晩の100人分以上の食事を作っている)の準備を始める一人の職員の言葉。園長先生が常日頃言っている言葉だそうだ。

「消えてなくなるものに、渾身の力をそそげ」


1月13日(木)  片付かない

「片付くものなんてありゃしない」と書いたのは、夏目漱石。ある意味、日常の片付かなさを書き綴った作家だったのかもしれない。

昨年末、長いツアーから戻った後、なかなか体力が回復せず、マッサージに行ってしまうと、もう何ひとつやる気力がわかず。腕も痛く、年賀状を書く気にもならず。これはいよいよ更年期障害かと思ったり。さらに、年末が押し詰まった頃のレコーディングやライヴがあった日は朝の8時頃に帰宅。で、その翌日は使いものにならず。

というような生活を送っていたため、年明けから大掃除、部屋の模様替え、もろもろの整理を始めた。何の根拠もないが、年女な私で、どうやら私は気分一新したいらしい。って、24歳、って、いいかげんにしろ、って。

が、これが片付かない。もっとさばさばとした、どんどん捨てていける性格ならよかったのに、そうではないから困りものだ。


1月14日(金)  変わること、変わらないこと

絵の中の磁力。
以前は、暗闇に引きずり込まれるような、強く、おそろしくも感じる力が。
何年か前、その光は少し明るくなり、ベクトルは天への解放に向かっているような。
そして今回、その筆の先はもっと散ろうとしているように。どこへ?

大きな絵の一つは、明らかに散ろうとしていた気がする。これまでにない作風と言ってもいいかもしれない。それに比して、どの小さな絵にもどことなく死の影を感じる。これはおそらく彼女の毒、か。初めて見た友人が、ひとこと「こわい」と言っていたのは、おそらくあたっている。

京橋にあるギャラリー・羅針盤で行われている、小山利枝子さんの個展に行く。振り返れば、初めてお会いしてから十年以上の月日が流れている。

とても変わったと感じる部分と、変わらないと感じる部分が混在していたように思う。創作活動をしている人なら、誰しもが抱えている、ある難しさを感じる。

自身が抱えているものへのこだわり、それがないと自分ではなくなるような気分。されど、それを壊していきたいと思う気持ちや、もっと別の場所へ、もっと違う時へと、自分を開放していこうとする、あるいは開放するべきだと言っている自分をも見る。自分との闘い。

それとはまた別に、自分の筆が勝手に動く、ということもあるだろう。描かれた瞬間に、それは、色は、光は、自分から離れるからだ。演奏行為もそうであるように。やってしまった行為そのものから、自分に気づくこともある。

それにしても、”光”であれほど絵が違って見えてくるとは思わなかった。照明を変えて見ると、展示状態の時は明るい黄色や赤が、別の照明にすると青が、浮かび上がってきた。実際は後者の照明の方が創作状態に近いそうだ。なんとなく納得してしまう。

この日、頼んであった堀文子さんの版画を入手。やっと手元に届いた。この3月末、この堀さん(1918年生まれ)と野見山暁治さん(1920年生まれ)の共同個展が開かれるらしい。80歳を過ぎてなお、新たな領域へと、ひょうひょうと創作活動を続けていこうとされているお二人。桜が咲く頃、ひょっとするともう散ってしまう頃、でかけてみたいと思う。


1月18日(火)  集客力

が、ない、私。
あな、情けなや。

私がジャズを知った頃、それは多分彼が20歳頃のこと。そんな頃に、私はこのドラマーと出会っている。時間通りには決して来ないことで有名で、アフリカから帰ってきたら、自分の体内に虫を飼っていたこともある。

これまで彼とはいくつかのバンドで共演したことは多々あったものの、サシで勝負するのは初めてのこと。そうしたバンドでは決して演奏されないような音楽内容で、私は面白かった。うーん、演奏は決して悪くなかったと思うんやけどなあ。


1月20日(木)  宮沢賢治の不思議

六本木・俳優座へ、人形劇団ひとみ座の公演を観に行く。今回は基本的に”朗読と人形劇による”ということで、賢治作品の「やまなし」「どんぐりと山猫」、そして「セロ弾きのゴーシュ」が演目だった。

37歳でこの世を去った賢治。”童話”とはいうものの、実にヘンで、不思議な世界を持っている。明解さとわかりにくさが混在している感じ。

美術、舞台装置、演出の工夫は、いつものことながら美しく、楽しい。後ろの座席にいた小さな子供たちといっしょになって笑った。みんな(ったって、平日のマチネだったから、大人やご老人が多かったのだけれど)もっと素直になればいいのに。

その後ろの座席にいたママと子供たちの会話。
ママ:「これを観たら、六本木ヒルズに行こうか。展望台に行って、高い所から街を見るの」
子供:「うん、行ってもいいよ」
ママ:「あら、あなたたちのために行くのよ」
子供:「えっ?ママが行きたいんでしょ。ママが行きたいなら行ってもいいよ」

公演の作品の内容を全部憶えているらしい子供たち。す、す、素直過ぎる。かくも子供はおそろしい。

来月、某小学校で”朗読と音楽”をやることになっているのだが、けっこう参考になったかもしれない。(ちなみに、読み手は生徒たち。)音楽は少々陳腐、朗読はやや平凡と感じたが、語ることで広がる世界観のようなものを、広い視点から感じることができた時間だったと思う。


1月21日(金)  ケータイカエタ

携帯電話を替えた。今やケータイは多種多様、多機能になっているようだったけれど、この際カメラを捨て、NからPに浮気してみた。

「これ、背広の内ポケットに入れることができる超薄型ですから、ビジネスマンの方が使うようなものですが」と、販売員にいぶかしげに言われる。そりゃ、そうだ、お化粧もせず、町に買い物に出た私だもの。

一つのものにいろんな機能が付いて、いろんなことができ、いろんな情報が入っていく傾向は、ここのところ著しい。

携帯で買い物もでき、音楽もダウンロードでき、テレビや動画を見ることもできる。スケジュール管理もでき、住所録も入っている。それでも手帳を使っている私。どうしても全体を把握したいためだ。さすがに住所録を持ち歩くことはなくなってしまったけれど。

JR東日本のスイカのカードも多機能になった。電車の改札口を通るだけではなく、クレジットカードの役目も持ち、買い物もできる。今度はJALと提携して、ポイントを貯めるとお得ですよ、と宣伝している。
おかげでイオカードは発行停止になる。いろんな絵柄があったので、ちょいと集めていたのだけれど。けっこう楽しかったんだけどなあ。他の人と同じカードを手にして改札を通る自分を想像するのは、ちょっとぞっとする。東京周辺の私鉄及び地下鉄で使えるパスネットはがんばるべし。

ともあれ、落としたり失くしたりしたら、たいへんなことになる。

PCの周辺機器もプリンタ、スキャナ、コピーと複合一体型になっているものもたくさん出ている。ビデオデッキを修理する時、DVDなども再生できる複合型を購入してしまおうかと思ったが、町の電気屋さんの薦めでやめた。一つの機能がダウンすると、そのために修理に出したりすれば、結局は全部がダウンすることになるためだ。

銀行も保険や証券を取り扱うようになって時が過ぎた。コンビニで預金を引き出せるようになってから久しい。そんな時代なのに、銀行カードは旧態依然の管理状態で、自分の知らない間に、他人が勝手に預金を全部引き出していたりする世の中になっている。たまったもんじゃない。

テレビのコマーシャルでも、宣伝する商品や店の他に、別の企業の商品や店の名前を入れ込んだりしている。この間は民放放送でリンクするような試みも行われていた。スマップのメンバーがそれぞれ別の局にいてやりとりをしていた番組を、双方の民放局で生放送で放映していた。

大型電気店、大型家具店、ディスカウントショップには広い駐車場があり、人はそこでお米を買い求める。何故電気屋にお米を買いに行くのだ?ともあれ、どこが何円安いか、知っている人は想像以上に多い。ちょっと高級感や差別感を感じたい人は、それなりに品物が良いデパートなどに足を運ぶ。いずれにせよ、そこに行けば、一度で買い物が済む。
町のお米屋さん、魚屋さん、肉屋さん、八百屋さん、乾物屋さん、酒屋さん、電気屋さん、蒲団屋さん、瀬戸物屋さん、文房具屋さん、・・・は次第に町から消えていく。商品に対する知識や客にアドヴァイスする能力のない、愛想がないかマニュアル通りの対応しかできないアルバイト店員を相手に買い物をする機会が増える。

郵便箱に入ってくる封筒は郵便局からだけのものでないことも多くなった。そして今日の国会でも総理大臣は断固として郵政民営化を行うことを答弁していた。電話会社もいくつもあり、マイライン登録だの、自分はいったい何のサービス(ケンタくんなど)に入っているのかだの、時々わからなくなりそうになる。

便利という言葉と引き換えに、私たちが失ったものは大きい。そして変わっていく現実の中で、時々おろおろしている自分を見る。


1月22日(土)〜25日(火)  豊かな時間

土曜日は仙台・ギャラリー蒼で、翠川敬基(cello)さん、太田惠資(vl)さんとのピアノ・トリオでコンサート。

仙台在住の方はもちろん、東京からも10名くらい来てくださり、他にも天童、村上、花巻、一関などからも、遠方より雪をかきわけ、多くの方が足を運んでくださった。この場を借りて、あらためて御礼申し上げます。

それにしても、いやあ、うれしかったあ。こんな風に東京からもたくさんの方が計画を立てて来てしまう、あるいは予告もなしに突然来てしまう人もいた、などということは、どう考えてもそうそうあることではないように思える。おまけに、何故か私が演奏した場所の背後に、みなさんが固まって座っていたのだ。あり得なーい。

山下洋輔(p)さんがその著作にも書かれていたことがあったと思うが、また坂田明(as,cl)さんからも話を聞いていて、実際にその方たちにお会いしたこともあるのだが。かつて山下トリオ時代には、その海外公演に合わせてフライトを決めていた、追っかけスチュワーデスの人たちがいたそうだ。職権乱用、否、職権範囲内で動けて、交通費や滞在費がかからないのだから、いいっすよねえ。

日曜日は盛岡・紅茶の店しゅんで、翠川さんとのデュオで演奏。

これまで私は盛岡へは坂田さんや酒井俊(vo)さんとの演奏などで何回か行っているのだけれど、正直、いったい黒田は何を演奏するのか?フリー・ジャズか?チェロとデュオなんてどうするんだ?等々、頭の中には?マークが飛び交い、イメージしにくいのではないかと想像して、岩手ジャズ愛好会のBBSに書き込みをしてから東京を出た来た。怖がらずに、ぜひ聞いて欲しかった。

月曜日は再び仙台へ戻り、以前ピアノを習いに来ていた生徒のレッスン。

その晩、彼女が夜店でトラ(替わり)で演奏するというので、それにちょいと付き合ったら、演奏せざるを得ない流れになり、地元の若干22歳というギタリストとテナー奏者と「いそしぎ」と「テナー・マッドネス」をちょいとばかし。都合あわせてのべ7時間くらいのレッスンになってしまったか。
店主にマッカラン(ウィスキー名)をご馳走になって、同じく再び仙台に舞い戻っていた翠川さんと合流して、ホテルに戻ったのは深夜3時半頃だったと思う。

火曜日、新幹線に乗る前に仙台で入ったコーヒー屋さんのコーヒーは一杯1050円也。店員の対応が高級ホテルの従業員のようにえらく丁寧で、店の真ん中にはこの季節だというのに濃いピンクのつつじがどーんと飾ってあった。一瞬逡巡したが、ま、いいか、と座ることにする。おかわりまでしてしまった。

「黒田京子トリオ」と名付けられているユニットの演奏。翠川さんとのデュオでの演奏。正直に言えば、聞きに来てくださった方たちにどれくらいどのように受け入れられるだろうかと少し不安だった。
だいたい普通に考えても、この編成からイメージされるのは、クラシック音楽におけるピアノトリオだろう。実際、一部の人からは、譜面のあるクラシック音楽を演奏すると誤解されているらしいことも知っている。
ジャズだ、いやもはやジャズではない、フリーだ、即興演奏だ、民族系もちょっと入っているだの、なんだかんのと言っても、こればっかりは聞いてみなけりゃわからないという要素があまりに多いと思われる。なにせこの3人だ。だから、まあ、とにかく聞いてみてください、と言うしかないのだけれど。
ともあれ、私はこの音楽を届けたかった。

終演後に頂いた感想の中で、特に印象に残っているのは、仙台では「自分が問われる音楽だった」という言葉。強烈なインパクトをお受けになったらしい。盛岡では「次に何が起こるかわからなくて、わくわくした」と言われたことだった。とりわけ、これまでの私の演奏を聞いたことがある人たちは、私がこんな風に演奏する姿を初めて見て少々驚いたらしい。私は素直にうれしかった。

いずれもとても良いコンサートだったと思う。異様にハイテンションだったかもしれない。

最後に、ピアノの調律師さんのことを少しだけ。
仙台の調律師さんは、ほとんど稼動していない約30年前に生まれたピアノを、去年から計三回もメンテナンスをして、時間をかけて細かい作業を施してくださった。それはもうたいへんに尽力していただいた。
盛岡の調律師さんは、約50年前のピアノを、本当は店の営業に差し障るにも関わらず、調律に私も立ち会うことができるようにしてくださり、現状においてできる限りの調律作業をしてくださった。
お二人とも演奏を最後まで聞いてくださった。その真摯な仕事に、そしていっしょに音楽を創れたことに、心から感謝している。

この場を借りて、主催してくださった方々、調律師さん、音響に力を貸してくださった方々、あらためて聞きに来てくださったすべての方々に、御礼申し上げます。


1月27日(木)  同じことはできない

と思うことが、自分を苦しくする。

おそらく、問題はそうではなく、生きている音を奏でるという本質は、言葉にならない前の「動機」であり、心の持ちようであるように思える。それはクラシック音楽だの、ジャズだの、ロックだの、即興演奏だの、ジャンルだの、スタイルだの、譜面だの、形式だの・・・云々とは、何ひとつ関係ないように思われる。

人は、そこを、聴く。って、そうでない人も山ほどいることも知っているけれど。

精神がだれていれば、何かの要因で状況が不安定であれば、即興演奏とはいえ最低限の準備ができていなければ、音楽は死ぬ。無意味な音の羅列になる。人の心には届かない。

その自分に向き合うことは、あるいはいつでも「新鮮」な関係性やサウンドを保っていくことは、想像以上にしんどい。それは既にORTをやっていた時もそうだった。

だから、様々な方法を考える。同じ素材を使っても違う料理ができるように。あるいは同じ料理でも、調味料の加減で味が異なるように。あるいは全然別の素材で別の料理の仕方を施し、まったく新しい料理を出すこともあるだろう。とはいえ、人は定番料理というものも好んだりするから、やっかいだ。

そんな風に考えると、黒田京子トリオはまだまだこれから、だ。


1月29日(土)  アイランド・ホッピング

ああ〜ん、高橋克典って、なかなかいい男ねえええ。江口洋介もいいなあああ、って思ってたんだけど。って、そこで笑わないよーに。

何かと言うと、その高橋氏が訪れた南の島国への紀行番組を見てしまったのだった。日本からグアム島に降り立ち、ミクロネシア、マーシャル諸島といった小さな島国を巡る旅で、それをアイランド・ホッピングと言うのだそうだ。

それはそれは美しい風景が広がり、そこに住む人々の笑顔があった。あんなところでポケーッとしてみたいものだと思ったり。

されど、地球温暖化は着実に進んでいて、近年、海面上昇は著しいらしい。海岸には倒れた椰子の木の痛々しい姿。それにゴミ。美しい海に車が放り投げられたまま。そして、島のお年寄りたちはみんな少し日本語を話せる。番組では日本人が「移住」した名残だと表現していたけれど。

先の仙台でのコンサート情報を流してくれたラジオ石巻の方から、番組のMDが送られてきた。30分間の番組で私を取り上げてくださり、処女作のソロのCDから何曲かが選ばれて放送されている。

処女作にすべてがある、とは近代文学で言われる言葉だが、十年以上ぶりにその演奏を聞いて、いろんなところにアイランド・ホッピングして今に至っているものの、どうも自分は全然変わっていないんじゃないかと感じ、黒い雲がもくもくと湧き始め、しばらく頭をかかえてしまった。

私はいったい何をやってきたのだ。




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