東京物欲物欲日録 2000

A Yamagatan in TOKYO


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9月某日 山形より東京に戻る。思ったほど暑くなくて安心すれども、湿気には辟易す。
9月某日 新宿伊勢丹で開催中の大北海道展に行く。函館出身の友人から、そこに出店しているハンバーガーショップ“ラッキーピエロ”を薦められたため。ボリューム満点でお肉も柔らかい。
その後東急ハンズ新宿店新宿タカシマヤにて買物。暑さが尋常ではなく、へとへとに。
9月某日 休み明け。幸いにも涼しくなったので、日暮里→谷中墓地→三浦坂ルートで通勤。心が軽くなり、休み明けのだるさを感じなかった。谷中墓地を出た先にある神田山感応寺に行き、渋江抽斎の墓所に詣づ。
帰途、これまた涼しいので、古書ほうろう@千駄木に立ち寄る。途中千駄木のいままで通ったことのない道を歩く。大学の寮や自治体の寮、大邸宅、武者小路千家の茶室など、まだまだ見るべきところは多い。
また、途中、アンディ・フグがその生涯を閉じた日本医科大学付属病院の脇を通る。黙祷。
9月某日 今日は西日暮里で下車、久しぶりに富士見坂を下る。曇り空で富士山は見えず。問題のビルがすっかり出来あがってしまっている。
さらにこれまた久しぶりに谷中銀座→へび道→S字坂を歩いて職場に着いたときには汗だくに。このルートは上り→下り→上りと起伏が激しく、歩いて通勤するのは時期尚早のようだ。
9月某日 仕事帰り、木挽町に行き九月大歌舞伎夜の部を幕見で見る。「菊晴勢若駒」「二人椀久」「魚屋宗五郎」の三本(\700+\900)。夕食は元楽。夏はつけ麺一辺倒だったが、久しぶりに元ラーメン(醤油味)を食す。うまい。
9月某日 妻と木挽町に行き、九月大歌舞伎昼の部を見る(三階B席)。なぜか妻は芝翫ファン。昼食は小法師でラーメン。終わって外に出ようとしたとき、入り口に橋之助夫人三田寛子と福助夫人を見かける。
その後、ある物を探して有楽町西武・有楽町阪急・有楽町そごうに。閉店セールのそごうは、ゆっくりと物を見てまわるどころではない。
9月某日 朝、谷中墓地→長運寺ルートで通勤。だるかったのだが、谷中墓地を歩くと不思議にだるさが抜ける。でも汗だく。汗をかくのもいいのかもしれない。
昼は湯島のカレー屋で超サラサラのスパイシーカレー。ここでも汗だく。
仕事帰り、上野広小路まで歩いて、鈴本演芸場にて今月下旬の寄席の前売券を購入(\2,300)。はじめて寄席に行くので今から楽しみ。最後まで汗だく。
9月某日 出張明け。東京もかなり秋らしくなってきた。歩きたい。朝、日暮里→谷中墓地→三浦坂ルートで通勤。めちゃくちゃ気持ちいい。バリバリ歩く。
出張先の古都のたたずまいにかなり心が傾いたのだが、やはり私は東京という街が好きなようだ。
職場に調査に来た後輩とともに青葉@飯田橋へ。特製中華そば。うまいうまい。
9月某日 三島由紀夫の短篇小説「橋づくし」で取り上げられた銀座・築地界隈の橋めぐりをする(特別企画参照)。いまは高速道路や公園として整備されているが、もしこれが川だったら…と想像してみる。浅草橋辺の船宿がある光景が脳裏に浮かぶ。きっと風情があったのだろう。また、築地本願寺に立ち寄る。正面左手の敷地隅に、赤穂浪士間新六のお墓。画家酒井抱一のお墓まである。その他九条武子の歌碑。
その後日比谷まで歩き、友人と合流、日生劇場にて「夢の仲蔵」を見る。
9月某日 隼町国立劇場に行く。小劇場で上演中の文楽「仮名手本忠臣蔵」の昼の部のみを見る。
9月某日 朝、日暮里から谷中墓地へ。そろそろ荷風の『下谷叢話』を読み終えるので、主人公の一人鷲津毅堂のお墓を詣づ。彼岸が明けたばかりなので、毅堂のお墓を取り囲むように建てられている鷲津家のお墓それぞれにお花が手向けてある。
そのまま上野桜木町に出る。芸大の隣に高層マンションの計画があるらしく、言問通り沿いには建設反対のビラがたくさん貼り出されている。たしかに台地上にマンションを建てられてしまうと、空が狭くなる。
昼、大喜@湯島。中太麺のつけ麺という新メニューが出ていたのでそれにする(\700)。つけだれも少し変わったようだ。もちろん美味しい方に。青葉に匹敵すると言ってよい。ここは一つの味に満足するのではなく、日々進化しているという感じ。
仕事帰り、南北線東大前から麻布十番まで。今日が待ちに待った南北線の全線開通の日であった。駅の電光表示が武蔵小杉行や白金高輪行なのは、溜池山王に見慣れた目からは新鮮。ホーム表示も「目黒・武蔵小杉方面」となっている。そして入ってきたのは、いつもの南北線の車輛ではない!銀色に赤線が入った東急電車である。これまた新鮮なり。
なのに、目の前に座っているスーツを着たおじさんたちは、ずっと前から南北線は六本木や麻布に伸びていたんだよという顔で平然と本などを読んでいる。ワクワク興奮気味の私がおかしいのか?
麻布十番で下車。地上に出たときには、すでにとっぷりと日が暮れてしまっていた。麻布から広尾まで歩く。外に出て、麻布善福寺の山門前(閉門)を通り、仙台坂を上る。この界隈は意外に下町的。食欲をそそる匂いがあたりにたちこめている。仙台坂の途中にある韓国大使館前には多数の警官がいて物々しい雰囲気。何かあったのか。
仙台坂を上りきり、区の運動場から有栖川宮記念公園沿いに今度は南部坂を下る。「忠臣蔵」の「南部坂雪の別れ」で有名な場所だ。道路をはさんだ有栖川宮公園の向かいは、大邸宅・高級マンション。一度でいいから住んでみたい。有栖川宮公園の深い森のなかからは、秋を感じさせる虫の音が。さらに下ると左手にドイツ大使館。近く(中?)からドイツ人とおぼしき子供たちが出てきて、わけのわからないドイツ語を話している。うーんインターナショナル。
短い道のりなれど、変化に富んで楽しい散策であった。
9月某日 朝起きてみると抜けるような秋晴れの青空で空気も爽やか。「富士見坂を通ろう」。
西日暮里で下車し、一路富士見坂へ。着いてみると、富士山こそ綺麗に見えたものの、左側三分の一が例のマンションで隠されてしまっている。向かって左側の稜線がまったく見えない。無惨やな。
その後谷中瑞輪寺へ。無事読了した『下谷叢話』の最後のほうを読んで、鷲津毅堂とともに主人公の一人である大沼枕山の墓所があることを知ったからだ。谷中ルートのときはいつも前を通る瑞輪寺であるが、今日初めて瑩域に踏み込んでその広さ奥深さに驚く。さすが谷中で一番大きいお寺である。これでは目指す枕山のお墓にたどり着くことができるかどうか危ぶまれたが、さしてうろつかずにそれらしきお墓に目星をつけたら、「枕山大沼先生之墓」と刻まれた大きな墓石を、瑩域のかなり奥まった場所で見つけた。私の探墓の嗅覚もまんざらではない。
その後三浦坂→異人坂ルートで通勤。
仕事帰り、私に歌舞伎の面白さを教えてくれた先輩と落ち合って、上野広小路にある鈴本演芸場に行く。はじめての寄席体験。面白い面白い。涙を流しながら大笑い。有名どころでは、春風亭小朝(うまいし一番面白い)・鈴々舎馬風(下ネタ大爆発)・林家木久蔵・林家こん平(笑点が目の前に)・三遊亭圓歌(年齢がネタに)など。「笑点」などを見ていて、あまりに寒くてチャンネルを替えたくなるようなギャグでも、なぜか笑えるのだ。寄席という空間の魔力のようなものを感じる。
この九月下席は、紙切りの林家小正楽が三代目正楽を襲名する披露興行となっている。圓歌・馬風・こん平・木久蔵が並ぶ口上も、練られた演出で最高に面白い。そしてトリの正楽の紙切、これまた「笑点」などでしか見たことがないのだが、実際に見ると本当にすごい。あの細かな細工を短時間でできる芸に瞠目す。格好のストレス解消法を見つけてしまった。
今年の目標ひとつ達成。
9月某日 新しく延伸した三田線を利用して、白金東京都庭園美術館に行く。ここは旧朝香宮邸で、アール・デコの建物とインテリアが有名な所だ。いま内部公開をしている。しかし外壁補修中のため、建物はすべて覆われ、建物内から庭などを見ることができない。残念なり。以前ここを訪れたときには、建物内に入ることができなかった。めぐりあわせが悪い。
さて朝香宮邸内部は、純洋風で、和の匂いは寝室などでかすかに感じる程度。書庫が広くていい。いっぽうの書斎は、モダンすぎて勉強しにくそう。
10月某日 山形ML“POY”の首都圏芋煮会に参加。レンタカーにて会場の二子玉川までドライブ。車の運転は去年の芋煮会以来一年ぶり。芋煮のほうは、地元の食材にこだわり、とろとろの里芋(こちらではこんな大きな里芋はまずスーパーにない)、甘いネギ、芋煮にするにはもったいないと散々言われた米沢牛。そして酒は十四代。でも、こういう良質な食材だからこそ、芋煮になったときが美味いのである。大満足なり。
帰り支度をしているとき、多摩川河原に散策に来ていた少年隊の植草克秀ファミリーを見かける。
帰途、ブックオフ駒沢店に立ち寄り、段ボール箱2箱分の本を処分する。2箱で5000円を超えた。1箱せいぜい1000円だろうと思っていた私は、心中ニンマリ。
10月某日 帰途、駒込にある洋菓子店アルプスに立ち寄り、シュークリームなどをおみやげに買って帰る。
10月某日 朝、日暮里→谷中墓地→あかぢ坂→おばけ階段ルートで通勤。仕事帰り、歩いて古書ほうろう@千駄木まで。西日暮里から帰途につく。
10月某日 昼、無性に吉野家の牛丼を食べたくなり、散策がてら根津まで歩く。偶然今日から牛丼100円引きセールをやっていた。ラッキー。
何となく嬉しいので、帰る足取りも軽い。途中、池之端正慶寺というお寺の前を通りかかったら、そこに北村季吟のお墓があることを知る。せっかくなので詣でる。今日の収穫。池之端界隈は、モダンな雰囲気の印刷工場の廃墟があったりして、なかなか面白そう。
仕事帰り、何となく歩きたくなったので、浅草まで歩くことにする。本郷から浅草まで、45分かかった。さすがに疲れる。雷門にある古書店きずな書房に立ち寄り、帰宅。
10月某日 麻布再訪。南北線麻布十番駅から、今日は麻布十番商店街を歩く。昼は商店街の先にある更科堀井総本家で食事。その後暗闇坂→一本松坂を上り、有栖川宮記念公園へ。有栖川宮記念公園を都立中央図書館側から広尾方面へ下り、日比谷線広尾から東銀座へ。芸術祭十月大歌舞伎座夜の部を観劇。夕食は先日の100円引セールに味をしめて吉野家ふたたび。歌舞伎座から北に少し行ったところにある。
芝居がはねて外に出ると、正面入り口近くにテレビで見たことがあるような人が立っている。凸凹した顔が特徴的。…と思ってその人の正面にまわってみたら、やはり思ったとおりナンチャンであった。同じく歌舞伎を見に来ていたらしい。インド系の外人さん五、六人の集団を引き連れていた。あとで友人に聞いたところでは、彼は「踊るマハラジャ」のパロディ映画を作ったので、その縁かもしれないとのこと。
しかし歌舞伎座に来るようなおばさま方は、正面に堂々と立っているナンチャンに気づきもしない。気づいたのは私くらい。ナンチャン一行が歩いていってしまってから、気づいたとおぼしき若い女の子数人がキャーキャー言いながら追いかけていた。
10月某日 つねづね食べてみたいと思っていた店≠ナ昼食を食べたいという欲望がにわかにわき起こり、淡路町神田まつやに遠征。カレー南蛮(\900)。とろりとしたカレーがかかった蕎麦を啜ると、カレーの味がまず広がり、次いでジュワッと麺に絡んでいたつゆが口中に広がる。このつゆの味がたまらない。お店の雰囲気も、良い意味で「普通の店」といった感じで、また来たいと思わせる。
近くの神田藪にも立ち寄って蕎麦の梯子としゃれ込みたかったが、時間がなく断念。
10月某日 ウォーキングシューズを履きつぶしてしまったので、新しい靴をを探しに銀座へ。
少し銀座を歩きまわったあと、谷中へ行く。谷中菊まつり開催中。大円寺から谷中墓地を経て、谷中銀座をひやかして帰宅。疲れた。
10月某日 仕事帰り、本郷から歩いて早稲田に行こうとする。後楽園・大曲を経て、同潤会江戸川アパートをはじめて見る。暗くて全貌がわからなかったが、雰囲気は濃厚。その後西進すればよかったのだが、ふらふらとさまよっているうちに神楽坂に出てしまう。ここまでの所要時間30分。仕方ないので東西線に乗って次の早稲田まで。
早稲田大学演劇博物館。これが今日の目的。曜日によっては19時までやっているのでありがたい。現在「五世中村歌右衛門展」開催中。「葛の葉」を演じたときに「曲書き」でかいた書が屏風に仕立てられている。それが、口に筆をくわえていたり、逆さに書いたりしたとはとても思えないほど立派なもの。唖然。舞台写真や衣裳はもちろんのこと、『学海日録』の実物や昭和初年の歌舞伎座ポスター(今の夜の部しかない)、建坪200坪という豪邸千駄ヶ谷御殿≠フ見取り図など、見所満載の面白い展覧会であった。演劇博物館の建物は土足OKなのだが、土足で上がるのがもったいないくらい木の床はピカピカに磨き立てられている。また歩くと床や階段がミシミシいってちょっと恐い。
夕食は、どうせ早稲田まで来たのだからと、がんこ家元でラーメンを食べようとする。店を見つけるのは容易であった。なぜなら15人位の行列があったから。せっかくだから並ぶ。食べて仰天。並んだ甲斐大あり。これまでがんこ系列はいくつか食べて、そのいずれの味にも満足してきたが、さらにそれを上回る美味しさ。スープ・麺・チャーシュー・ネギいずれをとっても極上。久しぶりにショッキングなラーメンに出会う。これは周囲の麺好きに薦めなければ。
早稲田から高田馬場まで、演博の興奮とラーメンの味という二つの幸福を反芻しながら、古本屋にぶらぶら立ち寄って帰宅する。
10月某日 仕事帰り、有楽町朝日ホールに行く。『日本国語大辞典』第二版発刊記念講演会なり。丸谷才一「漱石と日本語」・井上ひさし「黙阿弥と日本語」という魅力的な演題。二人の山形県人作家の講演を聴けて満足。
10月某日 木挽町に行き、昼の部を観劇。はねたあと、奥村書店に立ち寄り、大きな(たぶん)掘出物。
今日は趣向を変えて、銀座から30分歩いてどこまで行けるかという散歩をする。とりあえず深川方面を目指す。宝町から八丁堀を経て、亀島川に架かる高橋を渡り、さらに永代橋を渡って門前仲町まで。ここまででおよそ30分。永代橋から下流の佃島に聳える高層マンション方向の眺めが素晴らしい。
その後清澄通りを北上するバスに乗る。森下辺の商店街が活気があって面白そう。業平橋で下車、帰途につく。
10月25日 33歳の誕生日。仕事帰り、赤坂ふきぬきという鰻の店でひつまぶし≠初めて食べる(上\3,500)。茶碗三杯分もあるご飯のうえに、幾分細かくなっている鰻が一面にのせられている。一杯目は茶碗に普通にご飯と鰻を盛る。二杯目はご飯と鰻を盛ったあと、葱と海苔をのせて食べる。三杯目は、ご飯・鰻・葱・海苔をよそった茶碗にだし汁をかけて、お茶漬け風にサラサラと流し込む。鰻好きにはたまらない。三杯はいかにも多く、私でも腹一杯になったが、最後にお茶漬け風であるためにかろうじてお腹に入ったという感じ。満足なり。妻はうなとろ重。
赤坂辺に来たのは初めて。食後お上りさん感覚でTBS前をうろうろ歩いてみる。島田伸助司会のクイズ番組でやるマラソンはこの道路を走るのかなど、くだらない検証ばかり。TBSホールでは、田中麗奈出演の映画試写会があったらしく、大勢の男性たちが列を作っていた。
11月某日 3日〜12日の期間に企画された「東京文化財ウィーク」という都内にある文化財の一斉公開のなかの特別企画「旧細川侯爵邸公開」に参加する。公開は一日のみ、事前に往復葉書で予約し、多数の場合抽選という厳しい条件であったが、幸運にも見ることが叶った。説明の方の話によると、約150人の申し込みがあり、当初は午前中一回だけだったものを三回に増やしたのだという。見学料\1,050。
さてこの旧細川侯爵邸は目白台にあって、現在は首都圏の大学で学ぶ男子学生のための寮である財団法人和敬塾の所有になっている。和敬塾創立者の前川喜作が昭和30年に細川家から敷地と本館を購入したとのこと。江戸時代以来この地は熊本藩主細川家の下屋敷で、元首相細川護煕氏も幼少の頃住んでいたという。隣には細川家の所蔵する史料が保管されている永青文庫がある。
建てられたのは昭和12年。護煕氏の祖父にあたる護立氏による。英国チューダー様式の住宅建築で、外観は洋館でありながら、屋内には純和風の部屋があり、家に入るときには室内履きに履き替えるなど、この建物は現在の私たちの生活様式の走りと評されているらしい。この点先日見た旧朝香宮邸の純洋風のアール・デコとは趣を異にしている。内装も見たところ豪奢な装いがストレートに伝わるものではないが、実は竹材や栗材を使うなど、各所に凝った部分があった。
見学料が高いのが気になったが、見学をひと通り終えたあと、広間でお茶とケーキが振る舞われて、バルコニーや庭をゆっくり見てまわることができるなど、配慮が行き届いた実に心地よいものであった。
その後目白通りを日本女子大方面に行ったところにある目白御殿田中角栄邸を見る。また、関口にあった佐藤春夫邸跡(建物は故郷の新宮市に移築)を探すも、見つけられず。音羽の鳩山邸前からバスで帰途につく。
11月某日 友人たちと神田まつやにて飲み会。予約が必要な太打蕎麦(割箸一本分の太さ!)と卵焼きを堪能しながら酒を飲む。次に神田藪で軽く蕎麦でもと思ったら、満員であきらめる。二次会は神保町のビアホール・ランチョンにて。
11月某日 浅草待乳山聖天の前に仮設された平成中村座の公演「法界坊」を見に行く(竹席\11,550)。浅草駅から当所へ向かう途中の隅田公園には幟が立ち並び、いやがうえにも盛り上がる。
入口のところにフジテレビ境鶴丸アナが。食べ物の入ったビニール袋をさげていたので、プライベートなのかなと思いつつ中に入ると、どうやらこの日は共同主催たるフジテレビご一行様の団体観劇日だったらしい。須田・山中・吉崎各アナもいた。とくに吉崎さんは3万円する「お大尽席」で大はしゃぎ。「木佐さんもいるーっ」という声も聞こえたが、見ることはできず。
帰るとき、私たちの数列前で見ていたとおぼしき清元延寿大夫親子を発見。連れていたお子さんが妙に静かに見ていた(妻の証言)ということからすれば、彼は以前歌舞伎の初舞台を踏んだ岡村研佑君なるべし。中味に関しては「歌舞伎道楽の場」にて。
11月某日 仕事帰り、ひさしぶりに古書ほうろう@千駄木に立ち寄り、西日暮里から帰途につく。
11月某日 今日もまた古書ほうろう@千駄木に立ち寄る。友人のためのもののほか、自分用にもまた購入。釘町久磨次『歌舞伎大道具師』(青土社)は掘出物だと思う。
11月某日 「東京文化財ウィーク」で公開された本郷徳田秋声旧宅を見学する。母屋の書斎のみ。
11月某日 木挽町にて顔見世大歌舞伎昼の部を観る。小屋を出た直後、付き添いの女性に脇を抱えられながら穏やかな表情で歩く沢村宗十郎丈(昼の部に出演)を目撃。また、昭和通りと晴海通りの交差点付近にて、ステッキをつきながら歩く沢村田之助丈も目撃。紀伊国屋一門は満身創痍といった感じ。頑張れ。
例によって奥村書店に立ち寄り、戸板康二さんの署名本を購入したあと、偶然にもまたまた清元延寿大夫とすれ違う。先日平成中村座で目撃したばかりである。これは運命的な出会いなのか。私に清元を習えとでも言うのか。
今日も銀座から30分でどこまで歩けるか実験。昭和通りをひたすら北に歩く。岩本町付近までたどりつくことができた。秋葉原まで35分。そこから帰途につく。
11月某日 隼町国立劇場にて、「桜姫東文章」を観る。知人から一等A席のチケットをいただきました。感謝。
11月某日 同級生の結婚式に出席するため、家族で仙台に行く。いいお式であった。
11月某日 出身大学・学部の研究室対抗野球試合に飛び入りで参加する。今年のチームは断然の優勝候補で私の出る幕はないのだが、監督のご高配で出場機会を与えていただいた。2打数1安打2得点で何とか面目を保つ(そうだよね。監督)。ほとんど私が知らない三年生・四年生中心のチーム。それにしても仙台は寒い。
11月某日 昼、神保町に遠征。友人犬太郎氏の日記に刺激を受けて、共栄堂にてポークカレー。冬でも汗がしたたり落ちる。でも美味い。
また、東京堂書店にて、紀田順一郎『神保町の怪人』の署名入本を購入。隣に並んでいた坪内祐三『シブい本』署名入本もついでに購入。ささやかな幸福。
サザンオールスターズのニューアルバム『バラッド3』を購入。「真夏の果実」「逢いたくなったときに君はここにいない」「希望の轍」「せつない胸に風が吹いてた」「涙のキッス」「慕情」「クリスマス・ラブ」「愛の言霊」「TSUNAMI」など名曲揃いで聴くのが楽しみ。
11月某日 渋谷区上原(代々木上原)のギャラリー「ストラーダ」で開催中の「三人のアメリカ」展に行く。同展に出展されている写真作家・人形作家石塚公昭さんの作品が目当て。紀田順一郎さんの新刊『神保町の怪人』の表紙を飾っている荷風人形の作者だ。石塚さんから、紀田さんのサインの隣にサインを頂く。ワインまで頂戴する。ともども感激。上原は閑静な住宅地なり。
その後銀座に出る。遅めの昼食をグリルスイスでとる。カツカレー元祖の店。因縁の「千葉さんのカツカレー」を食す(\1,300)。千葉さんとは、申すまでもなく千葉茂のこと。
木挽町にて歌舞伎夜の部を観劇。大満足。
11月某日 朝、快晴だったので西日暮里で下車、そこから歩いて出勤。残念ながら富士見坂から富士山は見えず。
三崎坂→根津神社を通る。三崎坂の中腹には、景観問題でいっときマスコミを賑わせたライオンズマンションがすっかり出来上がり、すでに入居者もいるようであった。さらに入口には引っ越しのトラックも停まっている。
11月某日 如月さん主催の歌舞伎鑑賞オフ会に参加する。歌舞伎座夜の部の「将門」。幕見席。私はこの演目は先日につづいて二度目。
終わってから、如月さんが雀右衛門丈に贈り物があるというので、楽屋口まで行って待つ。千秋楽のため、出演していた役者さんたちの行李が楽屋から運び出され、慌ただしい雰囲気。そのなか、微笑みを浮かべた染五郎丈が楽屋から出てきて、私たちの前を通りすぎる。大感激。今井美樹と共演した「ブランド」そのままの雰囲気の青年。また逆に、楽屋に尾上松助丈が入っていく。二人は国立劇場「桜姫東文章」に出演中のはず。終演ののち、染五郎丈は監修の雀右衛門丈に、松助丈は菊五郎丈に楽日の挨拶にきたのだろうか、などと想像する。
その後築地正直鮨でお刺身・鮨を食す。築地の寿司屋なんて入れるとは思ってもみなかった。この店は看板に「明朗会計」と謳っていて、いわゆる時価≠フ、勘定が想像もつかない高級寿司屋とは違って親切。なおかつ美味い。
つぎに赤坂のバーdesperaでワインを飲む。まことにいい雰囲気。居合わせた作家の須永朝彦さんとお話しする機会を得た。
銀座→築地→赤坂と、これまでの自分の暮しからは考えられないようなコースで飲むという、得難い経験であった。とともに、地下鉄を使えば、たった一晩でこんな場所々々で飲むことができるのだと実感する。やはり東京という街は…。
11月某日 妻の誕生日。仕事帰り、人形町の洋食屋芳味亭にて食事。昭和8年創業の老舗で、構えも中も洋食屋という雰囲気ではない。何せ通されたのは二階の座敷なのだから。
でも出てくるものは素晴らしく美味しい洋食ばかり。最近カレーに傾斜している私はもちろんポークカレー。これまた懐かしい味。でも食べているうちに内側から辛さがにじみ出てきて、汗がふきだす。妻はビーフスチュー。われわれが思うシチューの概念とはまったく異なる。柔らかくてとろけるような牛肉の大きなかたまり数個に、ドミグラスソースがかけてある、そんな感じ。その他柔らかいポークカツレツ、ボジョレーのワイン。
人形町という街は、神保町に劣らず食欲をそそられる街だ。夜の街にただよう匂いがたまらない。帰途、腹ごなしのために小伝馬町まで歩く。
11月某日 朝、千駄木で下車。団子坂を上る。普通だと根津神社境内を通って通勤するのだが、今回は気分をかえるため、まだ歩いたことがない向丘の路地をくねくねと歩く。家を出るときは前日の疲れが残っているようなだるさを感じていたのだが、青空の下、こうした路地を抜けて職場に着くと爽快な気分になっているから不思議なり。
11月某日 仕事帰り、京成線に乗って堀切菖蒲園まで。約半年ぶりに堀切二郎にてラーメン。甘いスープと野太い麺は健在。チャーシューもうまい。でもトッピングに頼んだ唐辛子は不要だった。次回のための備忘に。
12月某日 ラーメン道の先達と蒲田武田流インディアンに食べに行く。以前ラーメン+半カレーセットの美味しさに驚愕した店だ。
昨日から胃もたれがひどく、食欲があまりなかったので、今回はセットは諦め、「最高級カレーライス」だけにする(\950)。美味い。ほろ苦さ健在。美味いので、食べているうちに胃もたれのことなど忘れてしまう。
食後、蒲田から目黒へ。上大崎喜多六平太記念能楽堂にて開催された、東京大学観世会・OB会の自演会を見に行く。同僚が出演した能「杜若」を見る。能鑑賞は三度目。上手下手の区別がつくほど鑑賞眼がないのだが、立派な能である。尊敬の念を覚える。
12月某日 職場に調査に来た後輩と偶然逢ったので、工学部棟に入っている松本楼でカレーを食べる。
午後、安田講堂にて利根川進氏の講演会を聴く。蓮実重彦総長もいる。安田講堂がある大学に勤めていながら、これまでそのシンボルともいうべきその建物(講堂)には入ったことがなかった。
私の頭が悪いだけなのかもしれないが、学生の質問と利根川さんの答えがかみ合わない。また、利根川さんの考え方と養老孟司さんの唯脳論はどう違うのだろうか。そんな印象。
12月某日 木挽町にて十二月大歌舞伎昼の部のうち、二本を幕見席で見る(\1,000)。
その後、銀座二丁目にあるカレー屋ニューキャッスルにて「大森」を食す(\630)。美味い。カレーを食べてラーメンのスープを啜った感覚。帰宅後調べてみると、豚骨スープを加えているらしい。どうりで。友人が最大級の評価を与えていたが、うなずける味。何度でも食べたい。おかわりしたいくらい。建物が古い。銀座の真ん中にこうした建物が残っていることは奇跡的だ。味といい、建物といい、今後に残すべきもの。
その後港区海岸のフジフィルムサービスセンターに立ち寄り、修理に出していたデジカメを受け取る。ここは竹柴桟橋に近い。そのまま日の出桟橋まで歩いて、水上バスで浅草に出ることを思いつく。途中の新浜崎橋から眺めるレインボーブリッジおよびお台場方向の眺めは絶品。気分すこぶる良し。隅田川クルーズへと気分は昂揚していたのだが、水上バスの時間が合わず、今回は泣く泣く断念する。
12月某日 長野県茅野市にある神長官守矢史料館に行く。本業と嗜好両面で満足のゆく場所なり。
12月某日 仕事帰り、大江戸線に初めて乗る。本郷三丁目→蔵前。蔵前から歩いて駒形のきずな書房へ。仲見世・伝法院通りをぶらぶら歩いてから帰途につく。さすがに平日の夕方では仲見世はがらがら。
12月某日 小石川を歩く。幸田露伴旧邸、伝通院、「やまとなでしこ」の魚春。詳しくは“読前読後”にて。
12月某日 友人が東京に来たので、仕事帰りに大江戸線で蔵前に出て、駒形どぜう本店で丸鍋をつつく。本店は初めて。渋谷店はガスコンロであったが、本店は炭。これがなかなかいい。入ってすぐの一階にある追い込みの座敷も魅力的だが、なにぶんテーブルもなくコンロだけを囲むかたちなので疲れそう。ということで地下のテーブル席にする。食べ終えて店を出ると、順番を待つ人々の大行列が。相変わらずの人気店なり。
ああ、こんなことがしてみたかった。門前仲町の居酒屋で一杯、月島でもんじゃで一杯、こんなこともできるではないか。大江戸線万歳。
12月某日 ふだん通勤するときに下車する駅(根津)の、いつも使う出入口とは別の出入口を使ったら、近くに古本屋を発見。たまには違うことをしてみるものだ。
12月某日 隼町国立劇場に歌舞伎を見に行く。「富岡恋山開」と「素襖落」の二本。はねてのち、有楽町線で銀座に出て、ニューキャッスルにて「大森」を食す。
その後八重洲ブックセンターに立ち寄り帰宅。
12月某日 代々木上原から散策開始。井の頭通を東へ向かう。途中、上原に小さな古本屋を発見。入ってみると、店番のおじいさんが佃煮を肴に、やかんのお湯で徳利を暖めながら熱燗で一杯やっていた。のどかなり。さらに東に行くと、道は下りになる。地名も上原から富ヶ谷に。よくできているなあ。
山手通に入って南下、松濤へ。かの法の華もある高級住宅地である。ここの地名の由来となった鍋島松濤公園の脇を通り、渋谷区立松濤美術館に行く。松濤公園は、元紀州藩下屋敷、明治に鍋島氏が譲り受け、松濤園という茶園にしたもので、南向き斜面を利用した典型的な大名庭園風(?)。松濤美術館では「細江英公の写真 1995-2000」開催中。土方巽を撮った写真がいい。
さらにそこから目と鼻の先にあるBunkamura ザ・ミュージアムにて開催中の「デ・キリコ展」に行く。不思議な魅力。
渋谷から銀座に出て、またまたニューキャッスルにて食事。今日は一番多い「蒲田」。それでも物足りない。夜は木挽町にて夜の部を観劇。今世紀最後に見た演目は「蘭蝶」。いかにも渋い。
忙しい一日であった。
12月某日 仕事帰り、神田一ツ橋にて所用。その前に神保町にて所用。夕食は共栄堂でポークカレー。頭髪の毛穴から汗が吹き出る。リフレッシュ。
12月某日 江戸東京博物館で開催中の企画展「大江戸落語展」を見る。圓朝の遺品も興味深いが、落語初心者の私にとっては、戦後の名噺家の略歴と遺品を飾ったコーナー、現役落語家の写真をずらりと並べたコーナーなどがためになった。また、ビデオにて春風亭柳朝の「船徳」、林家正蔵(彦六)の「五人廻し」を見る。柳朝は表情豊かに全身を使った楽しい芸、正蔵は楷書の淡々とした語り口といった印象。後者の彦六は、晩年の老齢になった姿を「笑点」で見た記憶があるほかは、木久蔵の物真似の印象が強かったが、ビデオで全盛期(?)の芸を見て、その印象をあらためた。でも声は木久蔵の物真似と同じ。
その後がんこ@石原でラーメン。心なしか味が薄くなった感じ。腹ごなしのため、蔵前橋を渡り、浅草御蔵前書房に立ち寄ったあと(ここで友人用に掘出物)、浅草橋まで歩き、さらに両国橋を渡って両国に戻る。
夕刻より、両国駅のビヤステーション両国にて、友人二人と忘年会と称して飲む。本の話やインターネットの話で盛り上がる。
12月某日 仕事帰り、今度は大江戸線本郷三丁目駅から初めて西方向へ。東新宿駅から新宿伊勢丹へ歩く。伊勢丹では、美術館にて金子國義展「美貌の世紀」を見る。金子さんご本人が会場にいた。ちょっと派手だが見た目は普通のおじさん。
ナマ金子國義を見て感激しながら、同じ伊勢丹で開催中の大古本市に立ち寄る。こちらではマニアの毒気にあてられて、幸せな気分が減退してしまう。今の気分、「もうデパートの古本市には行かなくていい」。でも少しすると忘れてしまうに違いない。
12月某日 朝から快晴。富士の見納めと思って西日暮里で下車するつもりが、ついうっかりして日暮里行きの切符を買ってしまった。もったいないので日暮里下車、谷中墓地の歩き納めをする。青空と、葉こそないが春への希望を包んだ桜並木が気持ちいい。
昼は東京でのラーメン食べ納めでがんこ@本郷三丁目へ。また、本富士署前の奥まったところにある古本屋アルカディア書房に久しぶりに行ってみる。学生の頃、東京に来たついでに一度来たことがある。この頃は澁澤・種村を探していた。懐かしい。その当時店は春日通り沿いにあったと記憶しているのだが。
帰途、古書ほうろう@千駄木に立ち寄る。また、帰省のためのお土産を物色するため谷中銀座をぶらつく。
12月某日 朝、千駄木→根津神社ルートで通勤。家族ともどもこの一年を無事に過ごせたお礼で根津神社にお詣り。
昼、神保町へ遠征。共栄堂にてカレーの食べ納め。相変わらず頭髪の毛穴から汗が吹き出る。ぶらぶらと歩いていたら、神保町の裏通りに「海坂書房」という時代小説専門の古書店を見つけて入る。名前がいかしている。江戸東京古本コーナーなどがあったり、時代・歴史関係の品切文庫なども多い。年末にきて、素敵な古本屋の発見。
12月某日 山形に帰省する。