東京物欲物欲日録 2000

A Yamagatan in TOKYO


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1月某日 山形から東京に戻る。ものすごく暖かい。
1月某日 根津神社に初詣。大喜@湯島にて初ラーメン。
1月某日 日暮里→谷中(三浦坂)ルートで通勤。瑞輪寺隣のくだんの駐車場、「瑞輪寺専用駐車場」というプレートが壁に据え付けられていた。
MD/CDラジカセとMDウォークマンを購入。パソコン購入は先送り決定。
1月某日 日暮里→谷中(長運寺)ルートで通勤。長運寺のワンちゃんは相変わらず門前に佇んでいた。
昼は初がんこ@本郷三丁目。スープを一口すすって、「うーむ、これこれ。この味」。今年も一番訪れる回数の多い店になるだろう。気分を良くして本郷界隈を散策。文京ふるさと歴史館の脇から炭団坂を下って菊坂に出、甲山部屋を通る。部屋所属と思われるお相撲さんが一人、ワンちゃんと遊んでいた。この界隈、坪内逍遙や宮沢賢治の旧居跡がある。
1月某日 新橋演舞場の寿新春大歌舞伎昼の部を観る。はねた後、そのまま歌舞伎座まで歩き、夜の部一番目の「双蝶々曲輪日記 角力場を観る。感想は新設の歌舞伎道楽の場にて。
夕食は銀座元楽にて、元ラーメン+ぶためし。
食後、歩いて銀座松屋に行き「銀座古書の市」を覗く。この目録を仙台にいた頃から目にしていたが、その場に自分が立つとは。感慨無量なり。
1月某日 田端から本郷まで歩く。田端では、芥川旧居跡を探すも、見つからず。仕方なくそのまま動坂下まで出、動坂を上り本駒込へ。
本駒込では、蓮光寺の門前に「最上徳内墓」の説明板を発見、山形人としては無視できず、瑩域をしばしさまよって見つけだす。
本駒込から向丘・千駄木の本郷台地尾根沿いを歩く。向丘では夏目漱石旧居(猫の家)跡を訪ねる。漱石・鴎外が住んだという有名な居宅があった場所。
1月某日 木挽町にて、寿初春大歌舞伎昼の部の「廓三番叟」「矢の根」の二本を幕見で観る(二つで\800)。市村羽左衛門丈病気休演が残念。
その後地下鉄で日本橋三越に出て買物。福のれん@日本橋で昼食。日銀→常盤橋御門跡を通り、大手町から帰途につく。
1月某日 木挽町にて、寿初春大歌舞伎昼の部「松浦の太鼓」を幕見で観る(\900)。ついで新橋演舞場の歌舞伎夜の部を観る。今回は先日と逆のハシゴ。
歌舞伎座終了後、少し時間があったので、勝鬨橋まで歩いて隅田川をボーっと眺める。気分がいい。新橋演舞場までは築地市場の近くを通って行く。
1月某日 木挽町に行き、寿初春大歌舞伎夜の部「京鹿子娘道成寺」「壇浦兜軍記」を幕見で観る(\800+\900)満足なり。
1月某日 日暮里→長運寺ルートで通勤。
長運寺へと入る路地の角に、カラカラと鈴を鳴らしながら長運寺ワンちゃんが登場、私が路地を曲がると、先導するかのように長運寺まで私の数メートル先を歩いていく。長運寺門前から脇の路地に曲がると、しばらく佇んで見送ってくれた。いい一日がはじまる。
さらに歩いて、玉林寺脇で、黒プードル三匹を散歩しているおばあさんと二歳くらいのお孫さんとおぼしき男の子とすれ違う。すれ違うとき、男の子はピタッと立ち止まり、丁寧に両手を身体の前で重ね、ペコッとお辞儀してくれる。朝の挨拶。咄嗟にこちらも頭を下げて挨拶する。ますますもって楽しき一日のはじまり。
帰途は谷中銀座経由で西日暮里まで歩く。
1月某日 西日暮里→千駄木ルートで通勤。途中、はじめて高村光雲旧居前を通る。竹藪があって雰囲気のある邸宅なり。
帰りは控えめに千駄木まで歩く。途中往来堂書店に寄道。この本屋さんは、マスコミにも取り上げられるほどの有名な店で、店の床面積こそ狭いものの、ユニークで系統だった、本好きにはたまらない棚揃えをしている店である。今回ゆっくり棚を眺めて、あらためて感激。読みたい本を漫然と探すにはうってつけの店。今日は『谷根千』最新号(60号)だけを購う。
1月某日 ポカポカ陽気の日曜日。家のなかにいるのがもったいないので、いざ外へ。
両国は江戸東京博物館に行き、企画展「昭和のこどもたち」展を観る。感想は漫筆にて。
昼は両国に行ったらお決まりの、がんこ@石原。がんこ系で初めて味噌ラーメンを食べてみる。これまた美味い。久しぶりに美味い味噌ラーメンを食べた。大満足。がんこに行く途中、裏道を通っていたら、お相撲さんが。見ると近くに八角部屋があった。
蔵前橋を渡り、鳥越神社に行く。意外にこじんまりした空間。そのまま北上、合羽橋道具街を抜けて浅草六区へ。浅草は久しぶり。いつもながら、浅草に近づいて、大勢の人混みのなかに身を投じてゆくにつれて、心が躍ってくる。祝祭空間とはこういうものか。
2月某日 木挽町に行き、二月大歌舞伎昼の部「三人吉三巴白浪」を幕見で観る(\900+\800)。三時間をまったく退屈させない。大満足なり。感想は漫筆にて。
2月某日 いつものように日暮里駅→谷中墓地まで出るも、今日は真ん中の大通りを突っ切らず、南のほうに折れて、寛永寺方面を横断する。未知なる空間。犬を散歩させている人が多い。伊達宗城をはじめとする宇和島伊達家の墓所(『国史大辞典』によれば宗城は分骨)、津田真道、馬場孤蝶・辰猪兄弟、澁澤栄一、そして来島恒喜のお墓などを見つける。言問通りに出て、そのまま西進。
2月某日 今日は普通に日暮里→三浦坂ルート。晴れ渡る青空と冷気がすごく気持ちいい。日暮里駅から階段を登り、墓地の大通りに入ってすぐの所にある六代目〜八代目市川團蔵の墓所に、新しいお花が供えてあった。先日「枯れているなあ」と思いながら通りすぎたばかりで、いったい誰がお供えするのだろう。あるいは命日だったのだろうか。
2月某日 行きは日暮里→長運寺ルート。帰りは千駄木までひと駅分歩く。
2月某日 晴海通りをはさんで筋向かいにある岩手県の物産館・岩手銀河プラザにて弁当を買い込み、木挽町へ。三階A席にて夜の部「熊谷陣屋」「桂川連理柵」などを観る。
2月某日 今日も岩手銀河プラザで弁当を買って木挽町に行く。昼の部三階A席。「恋湊博多諷」は初めて。「三人吉三」は二度目。日比谷まで歩いて帰途につく。
2月某日 とある本を探しに、帰途千駄木の往来堂書店まで歩く。相変わらずグイッと客をつかむ品揃えに満足す。棚を見ているだけでも楽しい。
2月某日 湯島から通勤。湯島天神では「梅まつり」開催中。白梅を中心に五分咲き程度。
2月某日 またまた今日も岩手銀河プラザで弁当を買って木挽町に行く。朝日メイト会員特別割引で昼の部一等席半額。席は二列目花道脇。一等席はもちろん初。「三人吉三」はなんと三度目。これまでとは違った角度、距離からの歌舞伎を堪能する。
2月某日 大崎ミツムラ・アート・プラザにて開催中の「鬼海弘雄写真展 東京迷路」を観に行く。鬼海さんは山形出身の写真家。東京の主に下町の、人間のいない風景を撮った面白い写真ばかり。まさに私好み。
会場に行くと何とご本人がいた。緊張して写真鑑賞に集中できず。でも帰りがけにそれら写真を集めた写真集『東京迷路』を買い求めたさい、受付の脇にいらした鬼海さんに「サインをいただきたいのですが」と思い切って申し入れたら、すでにサインが入っていたの本の方を下さった。暖かそうな人。大感激。幸せな一日なり。
2月某日 隼町国立劇場にて、澤瀉屋一門の勉強会「第12回春秋会」を観に行く。黙阿弥の散切物「水天宮利生深川」と、近松作の所作事「日本振袖始」の二本。
帰途、麹町まで歩き、日テレ前から地下鉄へ。「ズームイン朝」の前スタがある!(田舎者)
有楽町線で池袋に出て、リブロジュンク堂の二大書店に立ち寄る。
2月某日 種村サイト“我楽多本舗”のオフ会に参加する。似たような読書趣味をもつ人々との交流はすこぶる楽しい。またこれで知己が増えた。
2月某日 朝、千駄木→根津神社→新坂ルートで通勤。
昼、大喜@湯島にてラーメン。湯島天神の梅はいよいよ盛り。ただよう花の香りが心地よい。合格祈願の若い人々と梅見物に来る高齢の人々とで境内は賑やかなり。
2月某日 昼、尾道ラーメン麺一筋@三崎町まで遠征。ラーメン+煮玉子(\700)。魚介だしさっぱり味しょうゆスープに、味のついた背脂が浮かぶ。美味い。来た甲斐があった。
帰途池袋に立ち寄る。
2月某日 朝、日暮里→谷中墓地→寛永寺前ルート。
帰途、上野から京成電車にて堀切菖蒲園まで。古書店探訪&堀切二郎にてラーメン。約一年ぶりになる堀切二郎、甘みのあるスープは健在。
自宅まで古隅田川の旧流路を辿ろうとしたのだが、途中で見失う。お昼の明るいときに再チャレンジを期したい。
2月某日 上野東京都美術館に、「モナリザ100の微笑」展を観に行く。
上野までは日暮里→谷中墓地→寛永寺を通る。谷中墓地では、上田萬年(円地文子の父、国語学者)・蜷川式胤(明治初年の江戸城の記録写真を撮影した、太政官制度局調査御用掛官吏)のお墓を見つける。澁澤栄一一族の墓域の広さに圧倒される。
2月某日 仙台に行く。駅を降り立ち、まっすぐ駅前のジュンク堂書店へ。目当ての本なし。次いでバスで大橋まで行き、古書店尚文堂書店へ。旧版『荷風全集』第15巻を購入。
その後一番丁・国分町を歩いてお決まりの天下一品こむらさきでラーメン。途中見つけた山頭火にも心を動かされたのだが、「仙台に来て山頭火っつーのもなあ」と、初志を貫徹することにした。もっとも仙台に来て天一というのも同じことかもしれないが。
夕刻より駅前アジュール仙台地下一階の「アジュール銀禅」にて友人と酒を飲む。「十四代」純米吟醸!
2月某日 池袋サンシャインで開催中の庄内物産展に行く。「塩納豆」と手打ち蕎麦を購う。
また、池袋東急ハンズに行く。珍し物好き・新し物好きの私にとって、ここは時間を忘れる空間。
2月某日 朝、千駄木→根津神社→新坂ルートで通勤。根津神社の池にある石のうえに、ぽつんと一羽白い鳥が。最初置物かと思ったら、本物の鳥。帰宅後唐沢孝一氏の『都市の鳥類図鑑』(中公文庫)で確認すると、ダイサギかコサギであることが判明。ダイサギならば不忍池から飛来したものか。
2月某日 朝、西日暮里→富士見坂ルートで通勤。途中、フジテレビのマークが入ったテレビカメラを携えた男性三人連れを追い越す。富士見坂上には三脚を据えている人一人。いよいよもって富士見坂問題は急なるか。
帰途、千駄木でいったん下車。千駄木から西日暮里まで歩く。不忍通りにある古書店に立ち寄る。ここも品揃えがすこぶる魅惑的。
3月某日 東京駅を起点に散歩開始。まずは八重洲地下街の八重洲古書館。ついで八重洲BC。そこから京橋・新富界隈を散策し、旧築地川(現在は首都高環状線)沿いに南下。新富あたりは、中央区役所近傍というロケーションにもかかわらず、古びた木造家屋がそこここに残っており、下町的雰囲気が漂う。またマガジンハウスの本社ビルの脇を通る。今まで何回か通ったはずだが、それと認識したのは初めて。
木挽町にて、三月大歌舞伎夜の部を観る。感想は“歌舞伎道楽の場”にて。
3月某日 電車とバスを乗り継いで小石川植物園へ行く。かねがね行きたいと思っていた場所。ひとつは、私の職場が以前存在していた建物が保存されているということ。いまひとつは、鏡花原作・玉三郎監督の映画「外科室」がここでロケされたということ。
建物というのは、入り口のほぼ対角線の隅、植物園の一番奥まった所にあった。旧東京医学校本館〔写真〕。明治九年築だという。また、この建物がある日本庭園には、梅が盛りで、ここも香りが心地よい。
これまであまり木々や花の名前にこだわったことがなかったが、名前を知りながら植物を見て回るのも一興。スズカケノキが気に入った。園内は鬱蒼というよりも、整然としているという印象。また、猫の楽園。
3月某日 昼休み、小石川こんにゃくえんま近くの春夏冬亭でラーメンを食したのち、小石川から西片辺を散策。西片は、町内の電柱に貼られた売家のビラに「24,500万円」(つまり2億4500万)という売値が当たり前のように書かれているほどの大お屋敷町。ジャンボ宝くじで3億当たったとしても、ほとんど消えてしまうではないか!(5500万残るだけでもいいという話もある。まあ、それよりなにより当てることが先決)
この西片はさすが広い庭を有した大邸宅が並んでいるだけあって、この季節歩いていると、花の香りが漂っていて、実に気持ちがよく、リフレッシュできる。春のこの季節に漂うこの香り、何の花の香りなのだろう。花に疎い私はまったくわからない。
3月某日 朝、日暮里→谷中墓地→長運寺ルートで通勤。
昼、湯島天神に満開の梅を見に行く。少し散り始めている。相変わらずいい香り。昼食は大喜でとりそば。ここもまた相変わらず美味い。
帰り、西日暮里まで歩いていく予定だったが、途中千駄木の往来堂書店に立ち寄って時間を食ってしまい、千駄木から帰途につく。往来堂では文庫本三冊購入。棚配置の妙に見事にはめられたという感じ。
3月某日 朝、西日暮里→富士見坂→根津神社→新坂ルートで通勤。富士見坂は、私のほかに下りる人一人、上る人一人。
団子坂の手前で不忍通りから右に折れて、はじめて千駄木の須藤公園に立ち寄る。ここは旗本松平氏の屋敷の一部だったそうだ。斜面を利用したなかなか面白い庭園。真ん中に池があって、弁天様が祀られている小島まである。
須藤公園から団子坂方面へちょっと進んだところにある新しい立派なマンションの玄関先に、「講談社発祥」の碑と説明版を見つけた。碑の背後にある建物は、マンションと思いきや何と講談社の社宅であった。こういうところにマンション並の社宅なんて、羨まし(ボソッ)。何はともあれ、この界隈には未知なる歴史的遺跡がまだまだたくさん眠っていることを思い知らされる。
帰り、今日こそ西日暮里まで歩いた。本郷通りを本駒込まで歩き、そこから千駄木のごちゃごちゃとした住宅地を勘にたよって、狸坂から不忍通りに出る。狸坂下の古書店に立ち寄り、またも本を購入してしまう。
3月某日 新橋演舞場弥生花形歌舞伎「通し狂言 小笠原騒動」を観に行く。感想は「歌舞伎道楽の場」にて。
はねて後、別の用事で日本橋に来ていた妻と地下鉄銀座線ホームで待ち合わせ、末広町へ。がんこ八代目で昼食。妻ははじめてのがんこで、かなり満足していたようだ。
食後歩いて上野広小路に出、上野松坂屋で開催中の「東北六県観光と物産展」をひやかす。食欲をそそる出品多し。結局、宮城のずんだ餅と牛たん弁当を購入して帰途につく。
3月某日 先日知り合った趣味の合う年少の友人と目黒界隈を散策。友人は目黒在住なので、いろいろと案内してもらう。感謝。待ち合わせの祐天寺に向かう途中、日比谷線事故の場所を東横線電車で通る。合掌。上下の電車がすれ違うとき、少し恐い。
出発点は祐天寺。ここには「累塚」がある。歌舞伎の「かさね」を演じる役者が必ず事前にお参りするという場所。思ったより広々とした境内。
次に目黒の起伏に富んだ小道をめぐって、目黒競馬場跡へ。ここは府中に移る前の東京競馬場があった場所。「元競馬場」という交差点やバス停があり、馬のミニチュアが上にのった記念碑が道端にある。また、奥に入ると、競馬場のカーブの名残だという半円の路地(東京競馬場と同じ左回りだったとすれば、第一・第二コーナー)が残っている〔写真〕。面白い。
次いで林試の森公園から目黒不動尊へ。目黒不動尊もこんもりとした一つの山。これでいよいよ江戸五色不動のうち、未訪問は目青だけ。さらに妙に近代的な五百羅漢寺、目黒川沿いの雅叙園上にある大円寺。大円寺は明暦の大火の火元になった場所。それに関連してお七吉三の碑がある。
散策自体はここで終わり。さらに白金のほうに歩いて、利庵というお蕎麦屋さんで食事。はじめてそばがきを食す。普通の蕎麦(蕎麦切り)とは異なる、もちもちとした食感を楽しむ。さらに恵比寿ガーデンプレイスまで歩き、ビールを数杯呑んで、気分良く帰宅。
3月某日 帰途、友人と待ち合わせ、虎ノ門にある山形の物産館「ゆとり都」のなかで営業している「出羽路」という蕎麦屋で板ソバを食す(900円)。ボリューム満点で満足満足。蕎麦はやはりこうでなくっちゃ。
食後新橋まで歩き、駅前SL広場で開催中の古書市を流す。
3月某日 仕事の打ち合わせのため、仙台へ。その後後輩にわがままを言って、仙台市内の古書店や新刊書店に連れていってもらう。感謝。また、東京に移るまで住んでいた泉区の旧宅近辺をドライブ。懐かしい。いろいろ変わっていて、驚いたこと多し。
今回の仙台行、結局昼は天下一品@クリスロード、夕食はビール片手に牛たん弁当。これでお土産がずんだ餅ならあまりにワンパターンなので、栄太楼の「なまどら焼」にする。これもまた仙台にいたときには好んで食べていたお菓子。案の定喜ばれる。
3月某日 非常勤先で知り合った先生と渋谷で飲む。表参道から宮益坂を下りて渋谷へ向かう途次、青山通りの古本屋で大収穫(漫筆にて)
渋谷では、ドイツ風ビヤホールと駒形どぜう渋谷店へ。駒形どぜうは前々から行きたいと思っていた店。でも渋谷にあるとは知らなかった。どぜう鍋、柳川、いずれもとても美味しい。病みつきになりそう。
3月某日 木挽町にて三月大歌舞伎昼の部「隅田川」「雪暮夜入谷畦道」を幕見で観る(\700+\900)。感想は“歌舞伎道楽の場”にて。
3月某日 桜木町近くにある横浜能楽堂にて、第15回定期公演を観る。狂言「伯母ヶ酒」・能「弱法師」の二番。今回はまあ眠らずに観ることができた。
チケットは戴いたのだが、購入しても2500〜3500円の間と安い。でも、それであるにもかかわらず、上品な奥様方、お嬢様方が多い。歌舞伎の客席との雰囲気がだいぶ違う。大名の芸能と大衆芸能といった歴史的経緯が、こうした雰囲気に影響を残しているのだろうか。
3月某日 友人と銀座元楽にて昼食ののち、木挽町にて三月大歌舞伎昼の部「雪暮夜入谷畦道」を幕見で観る(二度目、\900)。感想は“歌舞伎道楽の場”にて。
3月某日 約二週間ぶりに日暮里→谷中墓地ルートで通勤。桜はつぼみがふくらみ、遠目に並木を見るとすでにピンク色になっている。
夜、後輩二人と東京ドームにて巨人×ニューヨーク・メッツの親善試合を観戦(A指定席\8,000)。ちょっとだれた試合で残念。巨人ファン的には、マルちゃんと高橋由のHRを見ることができたのでよしとすべきか。
3月某日 今日は千駄木→根津神社ルートで通勤。根津神社のツツジも緑が増し、一ヶ月後が楽しみ。裏門坂のほうには、ハクモクレンの並木が白い大きな花を咲かせていた。
aikoのニューアルバム『桜の木の下』を購う。
4月某日 小金井にある江戸東京たてもの園に行く。中央線武蔵小金井からバスで10分弱。感想は「漫筆」にて。このたてもの園が包含されている都立小金井公園はいっぽうで桜の名所でもあるようで、ちらちら咲き始めた桜の木の下は、花見の宴で大賑わい。
帰りは西武新宿線花小金井まで歩く。西武新宿線に乗るのは初めて。
4月某日 谷中墓地→寛永寺ルートで通勤。五分咲き。桜の回廊が美しい。
4月某日 知人・知人の知人と三人で、神楽坂上にあるもきちという居酒屋で飲む。山形風料理をメインにすえた居酒屋で、約一年前にPOYの首都圏オフ会で初めて訪れて以来、二度目。十四代はあいかわらず美味い。
4月某日 サンシャイン大古書市に行く。また、木挽町に行き、中村勘三郎十三回忌追善四月大歌舞伎・夜の部(「一條大蔵譚」「口上」「鰯賣戀曳網」「鏡獅子」)を観る。
4月某日 九段下から千鳥が淵を歩んで花見をしようと思ったが、予想をはるかに上回る人出。前に進むことができない。これではのんびりと花見としゃれ込むことができない。きっと日本一花見客が集まるスポットなのだろう。とりあえずそこに行ったということで納得する。
国立劇場にて四月若手花形歌舞伎「夏祭浪花鑑」「英執着獅子」を観る(チケットは一等A席をいただく)。
4月某日 今日は墓地で花見。
西日暮里から富士見坂を通り、谷中墓地へ。富士見坂上では富士山は曇って見えず。いよいよ問題の建物の鉄骨とそれを積み上げるためのクレーンが上に出てきた。
千鳥が淵の人出で覚悟していたが、谷中墓地もすごい人出。お墓の前でシートを広げ、酒宴に興じる人たち。自分がこれまでもっていた墓場≠フイメージを完全に覆される。桜はおりからの風で少しずつ散りはじめ、風情ある桜吹雪を演出している。
谷中から寛永寺前に出て、根津まで歩く。根津から地下鉄で乃木坂まで。乃木坂から、今度は青山墓地へ。
青山墓地ははじめての訪問。谷中墓地と違うのは、外車や高級車で乗り付け、路駐をして花見をする人の多さ。また土地柄外人の花見客も多い。メインの通りは、谷中墓地同様桜の回廊。ここも桜吹雪で、地面は「薄紅の砂時計の底」状態。
まず見つけたのは、大名相馬家の墓所。調所家墓地の近くで昼食をとり、さらに散策。華族や軍人の墓が多いと感じる。携えていた大雑把な地図にて、初代中村吉右衛門・吉田茂・大久保利通・忠犬ハチ公(飼主上野英三郎氏の墓に合葬)・浜口雄幸・加藤高明などのお墓を確認する。また、鍋島家・黒田家の墓域はそれぞれかなり広い領域を占めている。鬱蒼とした木々に囲まれ、そこだけ青山墓地から隔たれた大名の御廟所という雰囲気。鍋島家の土饅頭形(文字どおり土が丸くつき固められている)のお墓がユニーク。
最後に管理事務所でもらった案内図を確認すると、さらにたくさんの著名人がここに眠っていることがわかった。ここもいろいろな形のお墓があってとても面白い。再訪を期そう。
青山墓地から、南青山の起伏に富んだ道を表参道まで歩き、帰途につく。
4月某日 日暮里→谷中墓地→三浦坂ルートで通勤。すでに先日行ったときには散りはじめていたが、散った桜の花びらが下の道路や墓域を覆い、さらにまだ上には咲き残っているのもありで、この散りはじめの時期がひょっとしたら一番美しいのではないかと思う。
4月某日 西日暮里→富士見坂→根津神社ルートで通勤。富士見坂では青空にもかかわらず、富士山は霞んで見えず。ついに鉄骨が組み上がってしまっていた。嗚呼。
久しぶりに谷中銀座を通る。それぞれの店には、同じ大きさと材質で作られた看板が掲げられていて、屋号のデザインはモダン風あり江戸風ありでバラエティに富んでいる。
さあ、谷中の桜が散ると次は根津神社の躑躅の季節。14日からつつじ祭りがはじまる。根津神社を通ると、二、三株ほど花を咲かせているものもあった。
4月某日 暖かい一日。帰り道、宵の口の風が心地よかったので千駄木まで歩くことにする。歩いているうちにさらに気分がよくなり、谷中よみせ通り・谷中銀座の商店街まで足をのばし、西日暮里から帰途につく。
4月某日 木挽町にて中村勘三郎十三回忌追善四月大歌舞伎・昼の部(「俊寛」「舞鶴雪月花」「髪結新三」)を観る。
4月某日 日暮里→谷中墓地→三浦坂ルートで通勤。
昼休み、東京大学総合研究博物館で開催中の「デジタル・ミュージアム」を観る。
4月某日 所用で新宿・目黒へ行く。
新宿で用事を済ませたあと、麺屋武蔵に行く。開店時間の11時30分に行ったにもかかわらず、すでに長蛇の列。30分並んでようやく昼食にありつく。味は、さすが待っただけのことはある。満足。
山手線で目黒へ。目黒で用事を済ませたあと、目黒駅前から日本橋三越行きのバスに乗り込み、ささやかなバス旅行。目黒→白金台(東大医科研)→恵比寿→広尾(都立広尾病院)→麻布(有栖川宮記念公園)→仙台坂→飯倉(東京タワー脇)→虎ノ門→新橋→銀座まで。小一時間。広尾・麻布周辺の落ち着いた雰囲気、仙台坂の急な勾配、有栖川宮記念公園の緑、退屈させないルートであった。
銀座で下車ののち、銀座三越に立ち寄り、帰宅。
4月某日 友人(♂)と駒形どぜう渋谷店で食事。泥鰌の丸煮と柳川を食べて、ビールを飲んで腹一杯。
その後新橋に出て、そのまた友人(♀)と合流、十四代が置いてある店で飲む。この居酒屋、行きつけにしたい店である。日本酒の話、東京の近代建築の話で大盛り上がり。啓発されること多し。
4月某日 池袋サンシャインシティで開催中の「古本掘り出し市」に行く。
次いで神楽坂に行き、先日も飲んだ「もきち」で山形ML“POY”のオフ会に出席。ここでも十四代をたらふく飲む。二次会はカラオケ。
4月某日 千駄木→根津神社ルートで通勤。つつじ祭りの最中。躑躅は三分咲き程度だが、日当たりがいい場所にある躑躅は赤や白の花盛り。
4月某日 引っ越し