東京物欲見物欲日録 2003.1-4

A Yamagatan in TOKYO


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1月某日 山形より東京に戻る。今年は珍しくそれほど寒暖の差を感じない。
1月某日 谷中墓地を通って通勤。色川武大さんのお墓に詣づ。いたるところ霜柱で表土が浮いている。踏むとサクサクして気持ちよい。
昼、本郷大横丁のラーメン屋助六に行く。一口スープをすすり、「うまい」。ここも訪れるたびに進化している感じ。マスコミにあまり出ないといいのだが。
1月某日 千駄木から歩いて通勤。今年初めて根津神社境内を通るので、遅ればせながら初詣。私の前に男性一人が手を合わせている。清々しき正月の朝なり。
1月某日 池袋から初めて東武東上線に乗り、ときわ台下車。昭和初期の計画住宅地として田園調布と並び称される常盤台を歩く。楕円に近い扁平な円形を形づくる外周道路(プロムナード)の中央には分離帯に街路樹、町のところどころにクルドサックという袋小路のロータリーが設けられているユニークな住宅地だ。ただしここにも開発の波が及んでいるようで、自分たちの住む町を考えようと呼びかける住民集会のビラが町内会掲示板に貼られていた。古めかしい門と鬱蒼と繁った植栽、庭の石灯籠だけを残し、家屋そのものは取り壊されてしまった家もある。
常盤台から歩いて、東上線一つ手前の駅中板橋へ。駅前のブックオフ中板橋駅北口店では嵐山光三郎『芭蕉の誘惑』が収穫。意外に駅前商店街が賑やか。
その商店街を抜け、ほぼ石神井川沿いに東に歩くと旧中山道に突き当たる。ここから一路南下。板橋から滝野川を経、庚申塚まで中山道を歩く散策。旧中山道沿いには蜿蜒と商店街が続く。歴史のありそうな米屋、酒屋、銭湯、また古本屋も7軒。左右に入る横丁も奥へと細長く続いて雰囲気あり。400年の歴史ここにありという感じ。
1月某日 日本建築学会があるの建築会館内に新たに設けられた建築博物館に行く。開館記念展として「伊東忠太展」が開催されている。伊東は山形米沢出身。日本建築史の祖にして、独特な建築(築地本願寺・震災慰霊堂など)で知られる。彼はフィールドノートと呼ばれるスケッチ・メモ帳や葉書絵と呼ばれる自筆の社会諷刺画を厖大に遺しており、それらは現在日本建築学会の所蔵にかかる。デザイン的にも資料的にも貴重なこの資料群、わたしたち一般の目に簡単に触れるような形で公刊してくれないものか。
三田線で内幸町まで戻り、新橋亭新館で開かれた大学研究室同窓会東京支部の新年会に出席する。先輩方や後輩の皆さんと再会。この会はいろいろなお立場の先輩のお話を聞くことができるので楽しい会なのだが、この日は運悪く大頭痛の日だった。朝昼晩毎食後頭痛薬を服用しても頭痛が取れない日が年に数回ある。それがこの日にあたってしまった。せっかくの中華料理もお酒も満足にとることができず残念。二次会以降も遠慮して帰宅する。こういう日は就寝時になると頭痛がきれいさっぱりなくなるのだから不思議。
二次会会場を探す途中、とある偉い先生に新橋の烏森神社にご案内いただく。いまは境内は狭くなっているが、鳥居が独特で、門前の飲み屋街も軒が低くひと昔前のたたずまい。先輩方は大阪の法善寺横丁に擬していた。
1月某日 この連休、子どもをほったらかしにしておいたので、その罪ほろぼしに二人で散歩に出かける。行き先は小石川植物園。いつも通勤時に下車する駅を経由して植物園近くを通るバス路線を発見したためなり。ここに来たのは二度目(入園料330円)。低地部分にある寒紅梅の花がすでにちらちら咲きかけていて、それだけでも香りがあたりにただよっていた。
目当ての一つ、東京大学総合研究博物館小石川分館(結局自分の関心で子供を連れ回している)は植物園の敷地内にあるのだが、いったん分館に入ると植物園の敷地に戻れないため(逆に言えば、植物園に入らずとも分館に入館できる)、しばらく園内を散策してからにする。園内で食事をとってなおも散策。出かける前にメールでお誘いした日寺言十氏と合流(どうもお疲れさまでした)、三人で散策を続ける。ここは植物一つ一つに名札がついているので至便。咲いていた花は山茶花、寒椿、そして上述の寒紅梅。
最後に小石川分館に入る。この建物は、以前も書いたが明治9年築の重要文化財旧東京医学校本館であり、私の職場も一時期その建物を使っていた。本郷から移築していま当所で余生を過ごしている。ここが東京大学総合研究博物館の分館としてオープンしたのが一年前。いま一周年記念として、「マーク・ダイオンの驚異の部屋」という特別展を開催中(入場無料)。
マーク・ダイオン氏はアメリカの美術家で、東大の学術標本を彼なりのコンセプトで「ヴンダーカマー」に組み立てなおすという意欲的な試み。骨格標本や植物・鉱物標本、動物の剥製やホルマリン漬、様々な機械類・模型類がずらりと並ぶ。ただ子供は暗い部屋を怖がって入ろうとせず、無理に入らせてもすぐ出て行ってしまう。建物に初めて入ったが、内部は、天井の梁がむきだしになって見えるほかは完全に作り変えられて、明治の雰囲気をしのばせるのは外面のみであることがわかった。パソコンに入っていた、明治から現代までの東大本郷キャンパスの変遷がわかるソフトが秀逸。関東大震災で崩壊した建物の写真を見ることができた。
1月某日 妻と隼町に行き、国立劇場新春歌舞伎「双蝶々曲輪日記」を観る。チケットを知人から2枚頂戴した。感謝。
1月某日 仕事帰り、大江戸線で蔵前に出て浅草まで歩く。浅草きずな書房に立ち寄ったあと、松屋浅草で始まった古本市を冷やかす。演劇・芸能関係の本が多い。戸板さんの本が目についたので2冊購入。この会場で南陀楼綾繁さんと待ち合わせ(初対面)して、場所を六区の定食屋(店名不詳)に移しいろいろと本の話などをする。喫茶店アンジェラスに場所を変えてコーヒーを飲みながら蜿蜒と本の話。楽しい一夜なり。
1月某日 学習院大学百周年記念会館で開催された「山口瞳の会」第1回例会に参加する。山口治子夫人、ご子息正介氏をはじめ、知友・ファンがわけへだてなく山口瞳という作家・人間を語る集まりである。緊張が徐々に和気藹々と変わっていくさまを肌で感じる。一ファンがこのように深いところまで関与できる作家はそういまい。懇親会は山口瞳さんゆかりの目白駅前の中華料理屋華天園にて。
会場におもむく前、ブックオフ目白駅前店に立ち寄る。目白駅がすっかり小奇麗になっていて驚く。
2月某日 由布院・阿蘇・熊本・柳川・長崎に二泊三日で駆け足の家族旅行。詳しくは「読前読後」参照。
2月某日 仕事帰り池袋西武に立ち寄り、西武ギャラリーで開催されている「江戸川乱歩展―蔵の中の幻影城」を観る(入館料500円)。15年前の自分であれば、勇躍仙台からこのためだけに上京し、涙を流しながら興奮して観ていたに違いない。15年の時間はそうした狂信に近い熱意を冷まさせるに十分だ。といっても、あらためて乱歩の記録魔・整理魔なる側面を資料で見せつけられ、またモダン味あふれる著書の現物を見て、興奮をおぼえた。乱歩は偉大なり。
2月某日 昼休み、湯島天神に散歩。梅まつりの直前にて、白梅がちらほらほころび始めていた。また鈴本演芸場に立ち寄り、二月中席「春風亭柳朝十三回忌追善興行」の前売券を購入する(2700円)。小朝の「芝浜」やこぶ平の落語が楽しみ。昼食は広小路に最近出来たらしい熊本・博多ラーメンの店職神厨房にて。煮玉子入職神(熊本)ラーメン750円。スープは桂花や先日食べてきた本場の黒亭のような、こがしにんにくの味がただようとんこつ。麺は平凡な細ちぢれ麺なれど、まあまあの味。
2月某日 息子と二人で散歩に出る。今日めざしたのは中井にある新宿区立林芙美子記念館。彼女が晩年の10年間住んだ純和風の邸宅をそのまま保存したもの。家からは二回乗り換えして西武新宿線中井駅下車。入館料150円、図録700円。
生活棟とアトリエ棟の二棟からなる平屋家屋で、南向き斜面、庭に南面するという絶好の立地。屋内も各間がゆったりとつくられ、縁側も広々としてすこぶる住み心地が良さそうな家なり。
記念館脇の四の坂の急な階段を上ると落合・目白の台地。周辺にはやはり落ち着いた昔ながらのお屋敷が多い静かな町並み。住みたさがつのる。
その後西武バスで池袋に出、ジュンク堂に立ち寄り、またマックで昼食をとって帰宅。
2月某日 仕事帰り、鈴本演芸場に行き、「春風亭柳朝十三回忌追善興行」を聴く。平日なれど超満員。出し物は春風亭朝之助「やかん」/三増紋之助(曲独楽)/橘家圓太郎「勘定板」/春風亭一朝「祇園祭」/林家正楽(紙切)/春風亭小朝「芝浜」/春風亭勢朝「新柳朝伝」/林家こぶ平「鹿政談」/春風亭正朝「蛙茶番」。このなかではやはり小朝の「芝浜」がいい。また正朝、圓太郎、勢朝。久しぶりの寄席を楽しむ。
2月某日 仕事帰り池袋に出て、サンシャインシティ大古本市に立ち寄る。海野弘・山口瞳の本などに収穫あり。今回は珍しくゆっくり棚を見て回ったため腰が痛い。
2月某日 新橋演舞場にて「二月花形歌舞伎」夜の部を観る(三階席A)。その前に銀座をぶらぶらと散歩。銀座は久しぶりのためか、心中ウキウキする。町を歩いてこんな気分になるのは銀座と浅草くらい。観劇前に元楽銀座店にて腹ごしらえ。
2月某日 仕事帰り、体力に自信がなかったので電車を一駅分だけ乗るということをして古書ほうろう@千駄木に立ち寄る。長く探していた色川武大『小説・阿佐田哲也』の元版を入手。
2月某日 仕事帰り、歩いて神保町に出る。東京堂書店、ブックマーケット小川町店などに立ち寄る。また初めてキントト文庫に入る。
2月某日 仕事帰り上野に出て「古本まつり」を冷やかしたあと、京成電車に乗って堀切菖蒲園へ。堀切二郎で久しぶりにラーメンを食した後、青木書店へ。しかし店が閉まっていた。仕方ないので綾瀬まで歩こうと思っていたら、二郎の道路をはさんではす向かいに新し目の新古本屋を発見す。興奮しつつ講談社文芸文庫を購う。
3月某日 朝、湯島切り通し坂下の郵便局に所用を済ませたあと、湯島天神を見ると梅が満開。思わず時計を見て余裕があることを確認してから、急ぎ湯島天神を女坂から上る。紅梅白梅満開。梅の香りあたりに充満す。気持ちのいい朝なり。
3月某日 岩手県金ヶ崎町にある妻の実家に帰省。真冬並みの寒さ。ひと休みしたあと、花巻宮沢賢治記念館に行く。あんな山奥にあるとは思わなかった。観光客多し。企画展「蛙たちの愚かなたたかい―童話「蛙のゴム靴」にみる―」では、「蛙のゴム靴」の自筆原稿を見ることができた。
3月某日 横手へ出張。毎度ブックオフ詣で。結城昌治さんの文庫本に収穫あり。昼は駅前の待庵という店で横手やきそばを食す。しょっぱめ、汁・具多め。目玉焼きが半熟より生に近く、崩すと麺の中に溶けてしまった。仕上げに白ごまをふりかける点これまで食べた店とは違う。
3月某日 朝、谷中墓地ルートで通勤。色川武大さんのお墓に詣づ。色川家の墓地は日陰にあるためか、今日も霜柱が立っている。地面を踏むとさくりと浮き上がっていた土が崩れ、タンポポの綿毛のような白い霜柱が顔を出す。谷中墓地の桜のつぼみは少しずつふくらんでいる。春である。
昼、穏やかな日和だったので、散歩の足を伸ばして小石川まで。蒟蒻閻魔の前を通り、中食は春夏冬亭にてラーメン。食後善光寺坂を上り久しぶりに青木=幸田邸前まで行く。前の通りの椋の木は健在。帰りは樋口一葉終焉の地(旧丸山福山町)、西片を通る。西片界隈は春の香りに満ちている。
3月某日 木挽町に行き、三月大歌舞伎夜の部を観る。
3月某日 地下鉄・都電を乗りついで王子に出、飛鳥山公園にある紙の博物館渋沢史料館に行く。
紙の博物館では新館開館五周年記念展「洋館を彩った金唐革紙」展開催中。金唐(革)紙とは、洋館の壁紙として使用された、唐草模様の凹凸に箔押し・彩色されたもので、日本では革の代わりに和紙を貼り合わせて代用されたという。箔押しした和紙を版木に巻き付け、それを叩いて凸凹をつけ、彩色している。たとえば湯島の旧岩崎邸や鹿鳴館などに使われ、今でも国会議事堂に残っている。近代建築を見るときの視野がまた広がった。
また常設展示も面白い。紙の製造過程やリサイクル、また全国で生産されている和紙を触って確かめることのできる見本など、和紙の良さを存分に味わう。
渋沢史料館。飛鳥山は申すまでもなく渋沢栄一邸があった場所。常設展示では、栄一翁の一生が数多くの資料とともに説明されている。
たまたま、同じ敷地内に残る渋沢邸の貴重な建物の一つ「晩香廬」が公開される初日にあたってラッキーだった。大正6年、栄一の喜寿にあたって清水建設から贈られた接客用の離れであり、談話室・配膳室・トイレからなる。細部に凝った作りで見事な建物なり。
その後バスで滝野川まで出て周辺の中山道をJR板橋駅まで歩く。駅前に新撰組近藤勇・土方歳三墓碑があるのを見つけて驚いた。
3月某日 地下鉄・バスを乗りついで早稲田に行く。リーガロイヤルホテル早稲田の前にある徳島ラーメンのうだつ食堂で腹ごしらえをしたあと(美味しい。和歌山ラーメンに似たとんこつ醤油、チャーシューの代わりに豚の味付焼肉が入る)、早稲田大学総合学術情報センター(中央図書館のある建物)に行き、「館蔵資料でたどる書物の歴史」展を見る。パピルス・タブレットから日本の古文書、お経、古活字本、近代の書物を経て、俵万智『サラダ記念日』(署名入)・村上春樹『ノルウェイの森』までが並ぶ。会場はそれほど広くない部屋一室のみで少し期待はずれなり。
その後グランド坂を上り早稲田通りの古本屋を数軒覗き、西早稲田の野口冨士男邸を探すも、見つけられず。女子学習院の脇からバスで新宿に出、新宿二丁目にある成覚寺に野口冨士男さんの墓所を探す。これまた見つけられず。事前の準備不足がたたった。二つながら今後の課題。
都営新宿線で小川町に出、ブックマーケットに立ち寄り帰宅。散歩の失敗を取り返す収穫あり。
3月某日 電車を乗り継ぎ、豪徳寺に花見に行く。前々より行きたかったお寺なり。出かける前にネットで下調べをしていたら、偶然駅前の北にブックオフがあることがわかり(これ本当)、駅を降りたってまずそこに行く。
次いで小田急線を再びくぐって駅の南へ。駅前から豪徳寺へと続く商店街の中に古本屋二軒あり。双方ともなかなかの品揃え。
豪徳寺は予想以上に広大な境内。しだれ桜は五分咲き、その他(ソメイヨシノ?)は二分咲き程度。ここは彦根藩主井伊家の菩提寺である。広々とした塋域の一角に井伊家の墓所があり、奥まったところに井伊直弼のお墓がある。その他招福堂というお堂は招き猫のメッカらしく、招き猫がずらりと並ぶ。
豪徳寺周辺は閑静な高級住宅地。南へ歩くと世田谷城趾公園あり。少し歩くと東急世田谷線上町駅に出る。駅前の蕎麦屋で昼食をとった後、はじめて世田谷線に乗る。改札や車輌は最新鋭のもの。ただ電車の運行はゆったりとしたもので、路面電車の風情あり。
終点三軒茶屋の一つ手前西太子堂で下車。近くの寺院教学院を訪れる。ここには目青不動尊がある。これでとうとう江戸五色不動(目白・目黒・目赤・目黄・目青)を全て制覇した。三軒茶屋キャロット・タワーまで歩き、東急田園都市線と最近水天宮の先まで開通した半蔵門線に乗り帰途につく。
3月某日 桜満開近しという報を聞き、朝、谷中墓地ルートで通勤。つい数週間前はつぼみの状態だったのに、ほぼ満開になっている桜の花の鮮やかさに酔う。
墓地入り口にある花屋付近で人だかり。何かと思い近づくとドラマのロケをやっている。松坂慶子さんを確認す。木造家屋の前に古い電話ボックスのセットが設置され、その前で演技が行われている。一昔前の時代を背景にしたドラマならん。
4月某日 二日連続して谷中墓地ルートで通勤。前日に増して花が開いている印象。一日でも変化する桜の神秘。今日はロケなし。三浦坂上宗善寺境内にある桜が三浦坂の道の上で咲かせている桜も見所の一つであるとひそかに思っているが、今年は道路に伸びている枝が伐られてしまっていてすこぶる風情なし。行政の指導なのか。
4月某日 仕事帰り北千住で途中下車。ブックオフ北千住駅西口店、また初めてカンパネラ書房に立ち寄る。
4月某日 息子と松戸に行く。駅前でラーメンを食べ、ブックオフ松戸駅西口店に行く。
4月某日 海浜幕張に買物。その後中山競馬場。3レース買い、最初のレースで初めて馬単的中(といっても340円)。メインはダービー卿CT。コース周りに植えられている桜は散りつつあった。風が強くはあったが、春の風を浴びながら息を思い切り吸い込み、青空を見上げて「うーん」と伸びをすることの気持ちよさ。内馬場からメインレースの最後の直線で怒号をあげるスタンドの群衆を見る面白さ。競馬場はやはりいい。
4月某日 朝、桜が散り始めの谷中墓地を歩いて通勤。目先を変えて、スカイ・ザ・バスハウスのある横丁を通ってみる。ここは桜の季節自性院のしだれ桜が美しい。バスハウス辺からしだれ桜を眺めると(西方向を見る形)その奥にひときわ色とりどりの花々と緑が植えられているお寺が目にはいる。金嶺寺というお寺だった。
花と緑につられて境内に入ると、目の前に緑に覆われた不動明王の石塔、その左脇に根岸党の文人幸堂得知の句碑、境内左手の墓地の一番手前には、明治大正の新派俳優高田實のお墓あり。
桜の季節、バスハウスから金嶺寺を見る風景は、谷中の風景ベスト・テンに入れてもいいほどため息のでる美しさだ。
4月某日 息子の幼稚園入園式。幼稚園に行くのが楽しいらしく、泣いて親を困らせるというようなことはない。この無口な親からなぜこういう子供が生まれるのかと不思議だが、新入園児のなかでもおしゃべりで活発な部類に入るようで、つねに何かしゃべっている。
4月某日 やましたさん・やっきさんと東武東上線沿線古本屋めぐり。東上線大山駅集合。私は少し前に大山に入り、昼食後近くのSNS大山という古本屋に入る。これが大当たりだった。店頭本に収穫あり。今日の古本運はこの店で使い果たした感じ。
お二人と合流後再びSNS大山に入り、じっくりと棚をチェック。その後旧川越街道を中板橋まで歩く。大山駅から西に延びる「ハッピーロード大山」という旧川越街道にある商店街は、長いアーケードがかかっていて、かなり賑やかであることに驚く。川越街道は別に国道254号線として車の幹線道路があるから、旧街道は車もあまり通らず、それゆえか寂れた道筋が残っていてなかなかいい。いかにも街道筋らしい古びた仕舞た屋やモダンなファサードを持つ家がちらほら見える。
中板橋では古本屋北條書店とブックオフ中板橋店。その後東上線に乗って志木に出る。やましたさんのお友達岩元さんと合流前に古本屋一軒。もう一軒を探すも、なし(その後閉店したことが判明)。
駅前で岩元さんと合流して、近くの古本屋東西書房に連れて行ってもらう。駅から少し離れたところにあのようなしっかりした品揃えの古本屋があることに多少驚く。全集の端本が多い。国文学系の評論書がけっこうある。ひととおり眺めたあと、岩元さんのお宅でお酒や手料理などをご馳走になる。お世話になりました。
4月某日 テレビのプロ野球中継を見ていると、息子が「自分も球場に行きたい」とうるさいので、春のシーズンが開幕したばかりの東京六大学野球を見に神宮球場に連れて行く。第一試合慶大×法大の後半、第二試合早大×東大の前半を見る。子供はというと試合そっちのけで、まるでキャンプの練習のように外野席通路の階段を走って上り下りして遊んでいる。今日は夏日に近い炎天下。ビールがうまい。子供は帰りの電車で爆睡。
4月某日 水天宮へお参りにいこうとする。ところがこれまで見たことのないような大行列を目の当たりにして、諦める。池袋大勝軒の行列よりすごいのではないか。たしかに週末と戌の日が重なり好天とはいえ、行列までして神仏に頼るか、と呆れる(といいつつ自分たちもその同類なり)。小耳に挟んだ雑談「少子化だから一人の子供にかけるお金と情熱がすごいのだろう」。なるほど。
仕方ないので人形町で昼食。すると鳥料理の玉ひで・洋食の芳味亭・すき焼きの今半とことごとく大行列。人形町は「行列の町」だ。そのなか、妻がかねがね行きたいと珍しく主張していた洋食キラクに行く。5、6人待ちだったがこれは我慢。ビーフカツ定食(1550円)を注文したが、待って高い金を出した甲斐がある美味しさ。お肉が柔らかい。
携帯していた地図を見て、水天宮と同じ御利益のある神社を探したところ(わが家の神仏頼みはこの程度)、富岡八幡宮を発見。人形町よりタクシーで門前仲町へ。久しぶりに富岡八幡宮・深川不動尊を参拝する。
その後私は家族と別れ、ブックオフ門前仲町店に立ち寄り、また地下鉄で銀座に移動、奥村書店三店をめぐり、歌舞伎座にて夜の部を観劇す。
4月某日 根津(旧根津宮永町)にある「茨城県会館 職員東京宿泊所」の見学会に行く。ここは以前通勤時に偶然発見した二階建て二棟続きの古めかしい日本住宅で、どんな来歴を持った建物なのか興味を持っていたのである。今春所有者の茨城県が手放して競売に付されるという話が出て以来、市民から保存の声が出ていた。見学会はその一環で、保全活用へ向けた市民案を提示するためのもの。
資料代300円を出していただいたパンフレットによれば、この家は明治43年(煉瓦蔵)・明治44年(母屋)・大正五年(東棟)に建てられ、施主は東海道線丹那トンネルの工事請負をした田嶋浅次郎という土建業者。それから画商・新潟県の手を経て茨城県所有となったとの由。華族・政治家ではなく、浮沈の激しい土建屋・画商がここを所有していたこと、次いで自治体の手に渡ったことが興味深い。
宿泊所として使用されていたため、内部は大きく改修されているが、明治大正の、洋風趣味を取り入れた和風住宅のおもむきを伝えるいい建物だった。庭も回遊式で井戸や滝の設えもあり、風趣がある。この界隈は戦災を免れたとはいえ、このあたりでは随一の日本家屋だろう。何とか保存の方向で決着してもらいたい。
その後つつじが五分咲き程度の根津神社へ。つつじ祭で大にぎわい。恒例のビールで焼きそば。子供は猿回しを楽しむ。
4月某日 ラピュタ阿佐ヶ谷に成瀬巳喜男監督作品「稲妻」を観に行く。「昭和の銀幕に輝くヒロイン第九弾 高峰秀子スペシャル」の最終上映作品。これまた良かった。50席が満席、補助椅子も出る盛況。映画館を出て、近くにあるげんこつ屋でラーメンを食べ、阿佐ヶ谷の古本屋めぐり。千章堂・ブックギルド・ブックオフ・古書弘栄の4店。山口瞳墨書献呈署名・関頑亭絵入りの『迷惑旅行』が収穫。
その後中央線に乗って御茶ノ水まで戻り、東京堂書店へ立ち寄ってから帰宅。
4月某日 仕事帰り京橋東京国立近代美術館フィルムセンターに行き、成瀬巳喜男監督作品「めし」を観る。「逝ける映画人を偲んで 1998-2001(2)」というシリーズの一環。500円。300席の客席がほぼ埋まるような大盛況。成瀬映画は人気がある。原節子・上原謙・杉村春子・大泉滉・小林桂樹・浦辺粂子など。上原謙がいい。モダン都市大阪が随所に出てくるのも面白い。
映画を観る前に、鍛冶橋通りをはさんでフィルムセンターの真向かいにある山形蕎麦の店山形田にて田舎板蕎麦(600円)。