2日目(バンコク〜バタワース)
目が覚めると蚊に食われていた。一瞬、マラリアの恐怖が頭をよぎったが、こんな都会ではまず大丈夫だと自分に言い聞かせていると、Mが起きた。2人とも十分な睡眠をとれたおかげで完全に復活したようだ。昨日、苦労した分、今日はホアランポーン駅14:15発バタワース行きの国際急行に乗るだけだ。しかし、油断はできない。それを逃すとバタワース行きは丸1日ない。そもそも、この「深夜スーパ超特急」の旅はぜんぜん時間的余裕がない。17日にはシンガポールに着かなくてはならないのだ。今日はすでに15日。シンガポールはここから2000km先のマレー半島の先っぽにある。少しでも、もたついていると間に合わなくなる。忙しさから逃げ出して旅にでたつもりが、なにをやってんだか…。と言っても午前中は空いていたので10時ごろ宿をでて、昼頃までカオサン通りからちょっと奥まったところでMと2人で座りながら通って行くいろんな人々ををボーっとながめていた。不思議と全然飽きなかった。そろそろ駅に行こうと思いカオサン通りにでた瞬間、トゥクトゥクが寄ってきた。値段を聞くと80B(270円)。来たとき60B(200円)だったのでそう言うと「cheap!cheap!」と叫ぶ。そしたら70B(235円)だと言うとすんなりO.K.した。得したのか損したのよくわからない。そもそも相場もよくわからない。ともかく、そのトゥクトゥクでまた爆走し駅に向かった。
気合いれて来たので発車2時間以上前に着いた。暇だ。だだっ広い駅のホームのベンチで待つことにした。まわりを見渡すとみんなベンチで寝ている。確かに年中暑い、ここバンコクでは無駄な動きをせずに寝ていたほうが賢いのかもしれない。彼らに見習って寝ようかと思ったとき、タイ人の青年がなにやら話し掛けてきた。ここで、ガイドブックの最後についてあったコミュニケーションシートが役立つことになった。その青年は27才で、チェンマイから来ているらしい。調子にのってこちらのこともベラベラしゃべっていたが、途中からその青年の話がなんか変になってきた。どうやら麻薬を買わないかと言っているらしい。「マイアオ、マイアオ(いらない、いらない)」と何度も言ったがそれから30分間しつこくまとわりつかれた。とうとう諦めたのか、その青年は立ち上がってコミュニケーションシートの「小心者」という単語を指差し去って行った。
予定通り国際急行はバンコクのホアランポーン駅を出発した。あとは約22時間列車に揺られていればマレーシアのバタワースに着く。座席は通路を挟んでMと離れた。お互い向かいにタイ人が座った。目の前に座ったタイ人のおじさんは、こちらが日本人であることがわからずタイ語でしゃべってくる。近くにいたタイ人の青年が日本人だよというようなことを言って笑っていた。ここでまたコミュニケーションシートが役立ち、お互いの国の言葉を教えあった。そのおじさんは列車の中のことをいろいろ教えてくれたり、食べ物をくれたりした。窓の外はバンコクを離れるにしたがってのどかになっていくのがわかった。そしてだんだんと南国風に…。駅に着くたびにパックに入った弁当のようなものを売りに車内に入ってくる人たちがいる。発車までのわずかな時間の間に販売を済ませ、風のように降りて行く。小さな子供までもが手伝っていた。夕食を終えて少ししてから乗務員がベッドメイキングをしに来てくれた。寝台車には等級のほかに上段と下段があり、上段のほうが下段のほうより安くなっている。ぼくらは2等上段のチケットを買っていた。上段は列車の天井のカーブで狭くなっている。でもそのほうが狭くて集中して寝れそう。まだ10時にもなっていないのにまわりは寝静まりはじめた。仕方ないので、揺れる車内で苦労しながらAIR MAILを書くことにした。それを書き終えると、上段のベッドの狭い空間に仰向けになり、しばらく揺られながら天井をずっとながめていた。