「よ、今度も宜しく頼むな」
ホテルでの夕食を取る葵の席に無精ひげを生やした男がにこやかに座った。
「何だよ、またお前さんと組むのか?」
皮肉そうな視線を葵がスタインベックに投げるとバッグの中から1枚の写真を取り出した。
「まあ、途中までだがな。それより見てくれよ、マイスイートハニーを」
嬉しそうに妙齢の女性と一緒に写った写真を葵の眼前に突き出して笑う。
「8人目になるけど、その言葉」
淡々と切り返す葵に対して「今度は本命さ、結婚式にはお前さんも呼ぶからな」と半ば向きになって
笑顔を強調する。
「あり難く招待されるよ、9人目のガールフレンドとの結婚式に」
表情を変えずに決定打を放った葵に意気消沈するスタインベック。
「仕事を変えてくれって云われているんだ」
「ほおぉお」
「何だよ、猟銃なんか持ち出して」
出発の荷物として渡された猟銃に怪訝な表情をする葵。
「必要だから用意したまでだが」
「200キロ先なら反政府軍との抗争も終結したはずだろう、別に危険は‥」
「200キロ? 200マイルだろうが」
スタインベックがポケットの中の地図を見せる。
「200マイル?」
自分の地図と見比べて声を上げる葵。業務内容のアクタを引っ張り出してタイプされた文字列を探す。
「別項で距離はマイルだと注記してる、社長にまた騙された!」
「ははっはははっは」
豪快に笑い飛ばすスタインベック。
「またあの阿久津のババーに巧く丸め込められたのかよ」
出張経費以上の仕事を押し付けてくるので念を押して今回も仕事を選んだ筈なのに結局は同じだった。
――バーさんね、スタインベックはホントのこと知らないから良いけれど、社長は酔うと絡むんだよな。
実際、葵と契約を結んでいる阿久津社長は30半ばでしかない。
事務仕事に化粧は不要だと地味すぎるくらいに平凡な格好をしている。宴会をする時位にしか化粧を
したのを葵は見たことが無かった。同じ人物とは思えない位に「詐欺だ」と評した程だ。酒量が凄まじ
く酔うと抱き着いて眠る癖があったのだ。
「一回、ホントの姿を見せてやりたいよ」と小さく呟いた。
「今ごろスタインベックも彼女と旅行中かな?」
工具をとっかえひっかえしながら機械室の修理を続けている葵。
分解してパーツを寄せ集めて組上げた発電機に配線を苦労して半田付けして変圧器とコンデンサーを
通し整流器へネジ付けした。基盤から細い線を取り出して携帯の電源部にプラグを差し込んだ。
「残るは燃料か」
探し回ってみたがどのタンクもやはり少量の燃料も残ってはいなかった。
「100ccさえあれば充分なのになあ」
ぼやく背後でドアが勢いよく開いて「はーはっはっはっは〜」とスタインバックが剛毅な笑い声を
上げて入ってきた。「予備の燃料を持ってきてやったぜ」吐く息が白い。
タイミングの良さよりもどうしてこいつが今ここに来ているのか、という不信の目をする葵。
「お前、ハニーはどうしたんだ?」
「やかましい! ダチを見捨てても女を取るのが平気な男でもいいような女なんか知らねえよ」
ヤケクソ気味の返事に呆れながらも笑う葵。
「あの燃料が役立つのはともかく、携帯のバッテリーの残量ぐらい把握しておけよな。
おかげでこちとら駆けつける羽目になったのだからよ」
暖房の効きが悪い部屋の中で厚着をしたままで歩き回るスタインベックが携帯に接続したPDAの
キー入力をしている葵を覗き込む。
「メールか? 仕事の報告には速いんじゃないのか?」
「知り合いのバースデーメールさ」
顔を向けないで答えた葵に「はは〜ん」とにやつくスタインベック。
「―て、いうことは、女だな、相変わらず他人にはマメな奴だな。
おい、写真かなにか持っているんだろう、燃料の貸しの払いをそれで勘弁してやるよ」
葵の前に回りこみ笑うスタインベックに眉を顰めながら「ほら、見ていいよ」と突き出す。
「−で、どの娘だ?」
「左から4人目、私の左前側にいる――」
「おお、この髪の長い女の子か、随分若い女の子、いや、レディかな、ほうほう」
更に締まりを無くしたにやついた笑いをする相手から写真を取り戻すとポケットに仕舞い込む葵。
「今度こそ付き合うようになったのか?」
「只の知り合いだよ」
「葵、お前、幾つになった、俺と一つしか違わない30だぞ、いい加減に女で苦労しろよ」
「歳が離れているさ」
「生憎な、俺の親父とお袋は11違うんだ、言い訳にはならねえな」
予備の燃料電池のパックを発電機にセットする葵。
「これでここの機器もようやく修理が出来るようになったよ、助かったよ」
携帯食料を箱から取り出して一袋分をスタインベックに投げる葵。
「仕事を最後まで終えたいだけだよ」
換わりにウイスキーのポケットボトルを投げ返す。
「効くな、この高度じゃあ」
軽く口を付けた葵が喉に染み入る芳香に顔をしかめる。
「まさにこいつは命の水だよ」
張り出した太平洋高気圧の影響なのか日中は晴朗となり夏日の暖かさとなった。
新緑の青葉に輝く木々の蔭が次第に短くなっていく季節になったのだ。
風薫る中を週末の買い物を終えた睦月が玄関のドアを開けた。
帰宅を感知したセンサーが三次元ホログラムで留守録を告げた。
『メールが届いております』
乾いたメッセージヴォイスに睦月の目が輝き、開封のコールを告げた。
「フライアウェイ、マーリン!」
居間のフラットパネルが点灯し、ログイン表示が出力されてメール一覧の表示がされた。
『二通の新着メッセージです。共に音声のみです。』
送信元と内容を知ると睦月は落胆してしまった。
「…葵さんからじゃないんだ」
「お〜い、葵、朝には降りるのか?」
隣の部屋から毛布を取り出してきたスタインベックがそのまま毛布を身体に巻いた。
「仕事が終わったからね。1000m下に降りるよ」
暖房用の衣服用のトーチをジャケットに装着した葵が同じように毛布を巻いた。
「寝る前に一服いいか?」
「ダメだ、酸素が減る」
煙草を吸われることで只でさえ薄い酸素が消費されてしまう事を丁重に断った葵。
「(メールはきちんと)届くと思うか?」
「届くさ、直したのは誰だと思う?」
一口啜ったウイスキーのボトルをスタインベックに戻す葵。
次に続く。