真・世紀エヴァンゲリオンシリーズ:外伝

 第壱部「終わりの始まり 〜ただいま〜」


 旧暦なら夏の盛りであるのに、今はもう秋風が吹き、空が高くなっていく。
 寒冷化が進む中で今年の夏はまだ暑い方だったらしい。
 第壱東京市杉並区の中央線荻窪駅に綾波レイはいつものように降り立った。
 野菜と鮮魚の店子が並ぶ駅ビルで夕食の献立を買い、青梅街道を渡り、旧い人家の密集する細い路地を通り
抜けて自宅のドアをゆっくりと開けた。
 大学入学と共に借り上げられた、一人で住むには広すぎ、家族で住むには少し狭い家。
 いつものように食材をテーブルの上に置き、留守録されたメッセージをいつものように確認する。
 全て検閲と盗聴がされたメールと音声のメッセージ。
「…葛城です。レイ、元気にやっている? 残念だけど仕事が急に入って(地球に)降りられそうにないの。
 だから、墓参りは御願いね。それといいニュ、プツッ――――」
 今まで幾度と繰り替えされる肝心な所が削除されたメッセージ。今度のは何だったのだろうか。
 ソファに座り、写真立てを両手で持った。それはシンジと二人でのスナップ。
「…ただいま」


 西暦2028年8月某日、第3東京市、芦ノ湖畔MEATIA施設ケージ内。

 碇シンジは選択を迫られていた。 「巨大ロボ!? いやこれは月の巨人?」
 伊豆半島に上陸し、MEATIAへ侵攻途上の第参宇宙使徒への対阻止攻撃に出撃せよと命令されているのだ。
「そう、これがEVAと呼ばれる月の巨人、汎用人型決戦兵器、その初号機、人造人間エヴァンゲリオン。
 あなたも憶えているはずよ」
 直前に紹介された作戦課長・葛城ミサトがシンジに搭乗を促す。
「そんな…、知りませんよ…、いきなりこれに乗れって云われてもどうやって動かすんですか」
 ―――母さん、母さんは知っていたのかい、これに乗せられることを、なんで僕なんだよ。
 胸の中でごちるが、顔一杯に乗るのはイヤだと現れているのを認めたミサトが言い放つ。
「やはり予定通り、レイでいきます」
「ああ、問題ない」  頭上から聞き覚えのある低く不敵な声。
「父さん、どういう事なんだよ、答えてよ」
 初号機の背中にエントリープラグがせり出し、ハッチが開けられる。
 タラップが動き、その上を白く体にフィットするスーツを着た華奢な女の子が歩いていく。
 搭乗前、立ち止まるとすっとシンジの方を見下ろした。
 透き通った肌に青い髪、紅く大きな瞳。遠い記憶の彼方に知っている気がする。
「その子に何をさせるんですか、何をさせるんですか!」

 二時間後。
 侵攻の停止には成功したが、戦自の無秩序なN2爆雷投下による損傷で撤退した初号機。
 パイロットは負傷。2時間後に予測される宇宙使徒の再侵攻に対抗するにはシンジが初号機に搭乗する
しかない。父の言葉に反感を憶え、操作説明のブリーフィングを受けていく。
「乗ってやるよ、こんなやり方ってあるかよ、乗って動かせば良いんだろっ」


 再び現在。

 高地独特の乾いた質感の、まるで洗いざらしのシャツを着るような風がそよぐ昼下がりのEl Dorado空港に
胴体側面に独立の父:シモン・ボリバールの肖像画を描き込んだ双発の旅客機が着陸した。
 拡張が続くターミナルは観光シーズンに突入したこともあって混雑を極めていた。
 ごった返す入国審査の列の脇を通り、VIP用受付に碇シンジは並び、審査官はパスポートを一瞥しただけで
「どうぞ」と愛想もなくぼそっと喋った。
 バゲッジテーブルではこれも不愛想な空港職員が待ち受けて、シンジの特殊トランクを差しだした。
 国連のタグが貼られ、警備の兵隊といえども開封することは出来ない。
 付き添うように2名の兵士がシンジを出口まで案内し、出迎えの人物と交代した。

「ハンソンさん、お久しぶりです」
「おう三カ月ぶりや、シンジ」
 荷物をトランクに詰め込み、市街地に向けて走り出す。
「直接カリ:Cali;じゃなかったんですか」
「あそこは今、サムソンが先に行っているけれど今日は一時閉鎖されとるからな」
 今朝の新聞をシンジに手渡し、
「こっちで準備もあるし、1日ぐらい観光もええやろ」
「大統領選が近い訳ですか」
 スペイン語は旅行程度の語学でしかないが、強調文字の紙面から選挙戦の激しさが受け取れる。
「案外暖かいのですね」
 窓を開けて車窓に顔を向けるとほぼ真上の日差しも、色も心地よい。
「海抜2500メートルあたりといっても赤道に近いし、秋分も近いしな。
 寒冷化が進んでいても赤道近辺はそんなに寒くはなっとらんわ、でも朝は冷えるわ」
 両脇の車窓には長閑な農牧風景が広がり流れていく。
 東部山脈の標高2600mの高地に広がる南北約500km、東西約100kmの大盆地(というより平原)に築かれた
首都は長閑な情景とは裏腹に様々なエネルギッシュな姿を秘めている。
「昼、何にする?」 「そうですね、お薦めで」
「ほな、魚と豆料理でいこか」  アクセルを踏み込んでサンタフェ・デ・ボゴタ(Santafe de Bogota)市街へと二人の
乗るエレカは唸りをあげながら向かっていく。市街背後の山々の向こうには、うっすらと空を両断するように伸びる
オービタルシャフト“スールヴァーナティ”があった。


 第壱東京市羽田空港出発ロビーVIP待合室。

 搭乗手続きを済ませ、手荷物検査を終わった乗客の中で特別のパス所持者だけが入室出来る待合室。
 早朝の出発ラッシュで喧噪が飛び交うロビーとは異なり、間接照明の落ち着いた雰囲気の中で綾波レイは
待ち人が遅れていることを確認した。5分ほどの遅刻である。
 すると、 「遅れて済みませ−」
 木の実を食べる栗鼠のような足取りで息咳き込みながら一人の若い女性が飛び込んできた。
 明るいロビーからなので目が慣れずVIP室は薄暗く感じたのだが、差し込むロビーの照明に浮かび上がった
綾波の白皙の肌理に目を奪われ、呆然としてしまう。「なんて綺麗な人なのだろう」と。
「マサミさんですね、宜しく御願いします」
 愛想のない怜悧な表情のままで丁寧な口調をしたためか、綾波の顔を見つめていた心を見透かされたようで
火が出る思いで返答してしまう。
「は、はい。こちらこそお世話させていただきます」
 工学博士号を取得したばかりでの学会への出席。
 同行の女性は学会期間中の付添人であるが、身辺警護ではない、と聞いていた。
 実際の警護、というより監視は内閣調査室が直々に遠巻きしながら行っていた。
 度重なる宇宙使徒との戦闘で東海道沿岸の鉄道路線と中央リニアは至る所で寸断され今現在も不通のままだ。
 無論、高速道路も第参東京市周辺の封鎖により復旧の目途すら立たない。
 それ故に西日本方面へ向かう場合には空路を利用するしかない。
「行きましょう」
「あ、はい、はい」


 シモン・ボリヴァール記念舘の傍らにロープウェイの駅があり、記念館のすぐ背後に屹立する険峻な山肌の
頂に聳えるモンセラーテ教会前の展望広場でシンジは眼下に広がる市街のウニセントロを眺めていた。
「経済の中心がカリに移ったとはいえ400年以上の歴史を誇る南米随一の文教都市や。
 さっき見た黄金博物館のように過去の、インカ文明の拠点の再来やな」
「かつて黄金とエメラルドに彩られた帝國がシャフトのお膝元になる訳ですからね」
 夕暮れに照らされて黄金の糸のように見えるシャフトを眺めながら深く息をするシンジ。
「呼吸はなれたかい。ここで標高は三千近いけど、その様子なら大丈夫みたいやな」
「若いですから」
「そうやな」


 国連宇宙開発計画月面基地内、葛城ミサトの執務室内。

「経過報告書の承認後はユイ長官宛にメールして。それと二人の動向は?」
 第三東京市に埋没したエヴァ零号機と初号機の掘り出し作業の進捗報告を見る限りでは年内の作業完了は
難しいらしい。このままでは積雪と予算難で年を越して3月頭になりそうである。
「碇シンジ氏は現在、コロンビア共和国のカリにてCAT:Counter Attack Terrorism 対テロ阻止行動;のオペレー
 ション実施中で、サポートにハンソン、サムソン両名があたっています。
 綾波レイ嬢は神戸の学会に出席中です」
「そう、特に留意するべき点は?」
「やはり二人へのテロだと思われます」
 手元のラップトップ上に予想されるセクトの活動状況の一覧が表示されていく。
「別ルートで入手した情報がこれですが、如何為されますか?」
 プロテクト解除された情報を斜め読みし、
「ううん、これはまずいわね。
 ……地球に降ります、手続きを宜しく。外交ルートの確認を」


 神戸旧ハーバーランド国際会議場内。
 綾波が出席している学会の会場である。
 延べ5日間に亘る学会のテーマはオービタルリングとシャフトの工学的考察と今後の学術利用について。
 寒冷化が進む中、エネルギー供給と鉱物資源確保の為には積極的に利用していくしかないからである。
 会議会場の神戸も10メートルを越す海面水位の低下により貿易港としての重要度は年々低下している。
「退屈かしらん」
 昼食を食べながら綾波がマサミに訊ねる。
「私、理数系は苦手でして…あんまりは…」
 恥じ入るように恐縮するマサミを見て綾波は想う。
 私はこのような表情をすることがあるのだろうか−と。
「寝ていても良いのよ、それは恥ではないわ」


 選挙戦も中盤になり各大統領候補の遊説も次第に熱を帯びて迎えられだしている中でのカリ。
 コロンビアでは首都のサンテフェ・デ・ボゴタ、北部カリブ海への入り口バランキージャ、国内珈琲豆の主要
産地メデジンに次ぐ第参の都市である。1536年、スペイン人達により開かれた寒村。砂糖産業と珈琲、綿花の
加工産業により20世紀中盤以降には経済的躍進を遂げ、今又、オービタルシャフトによるかつてない飛躍を
迎えているのである。
 オービタルシャフトの南米への接合にあたって最も近い都市となったことから降臨戦争終結後の資本と労働
人口の集中は著しく、他3本のシャフト基底部接合国がアフリカのケニアのナイロビ北部、インド洋モーリシャス
諸島、太平洋ライン諸島と主要生産国からの物資集積の便が良くないことから経済の活性化は飛躍的に行わ
れていた。これに伴い選挙戦の焦点もシャフト利用の権益を巡って熾烈に展開されているのである。

 カリ市内、市庁舎近くのホテルの一室。
「−それで、私は選挙のディベート会場で置物のように坐っていればいいわけです、か」
「そうなります」  カリにおけるミッションブリーフィングを受けたシンジが皮肉をこぼす。
「各陣営とも”降臨戦争の英雄”の威光で客寄せして、テロリストの耳目をシンジに集約させる、という魂胆だね、そりゃ」
「恐れ入ります」
 サムソンの毒舌に現地調整員の国連スタッフのファナがばつの悪そうな笑顔で応える。
「ま、それもええやろ。それで今回の相手は?」(ハンソン)
「こちらです」
 予測されるテロの目標と犯行セクトの情報がマルチウィンドウで表示されていく。
「難儀やわ、これを3日間で」
「警察との調整宜しく」
「今日は有り難うね」
 行動予定を練り上げ、明日の集合時間を確認すると
「食事になさいませんか!? カリ一番のレスタランテにご招待しますわ」
 ファナが愛くるしくウィンクした。


「ユイ長官、これで宜しいかな」
 古式ゆかしい羽ペンでサインを終え、判を押し込み2通の書類を手渡す。
「有り難うございます、アゴスチーニ事務総長」
 シンガポールの国連本部ビル事務総長執務室で碇ユイは宇宙開発庁長官任命書と安全保障理事会決議書を
恭しく礼を行い、任命受諾と決議書の受領手続きを行った。
 これにより初号機と零号機の主管が日本国政府からユイに権限委譲されたのである。
 そしてもう一つの決議書こそ、ユイが最も叶えられることを望んだものである。
 たとえ、その向こう側が苛烈だとしても。


「目標の行動経緯を補足。各ビットのカバーレンジ外からのアサルトレベルBで実行可能」
「収束半径の補正は不要。広域警戒防御は観測されず」
「各ビット、並びに警護人員のリストを転送。オペレーションまでに掌握」
「B班よりA班へ。目標S掌握終了」
「コマンドより各班へ。理事会の承認を確認。対処D−4へ移行」

 薄暗い装甲車の中に映し出された映像にシンジと綾波の画像があった。


「いやあ美味かったなあ」
 市中心部を横切るように東西に流れるカリ川近くのレスタランテ”ぬくぱら亭”で夕食を終え、駐車場で
エレカに乗り込むと同時に
「右3」「左4」「後ろ3」
 と口々に言い放ち、サムソンが念のためにファナに質問する。
「協力先の(地元の治安警察の)カーズ警部から何か伺っているのかな?」
「いいえ」 「それじゃあ」「いくでっ!」
 一気にアクセルを踏み込み、けたたましいタイヤのスキールを響かせ、ダンスするように右に左に尻を振り
ながら急発進する。 「ベルト、締めてっ!」
 交差点を突っ切り、ロータリーぐるりと回って大通りのAvenida6に進路を採る。
 追いすがるように重々しい大排気量水素エンジンのエグゾーストノートを撒き散らしながら、無粋な色の
リムジンが2台、3台と急発進しシンジ達のエレカを追跡していく。
 右折左折を繰り返し、追いすがる台数を確認する。
「3台、いや4台だね」
「うひょおぉぉぉお、面白くなってきたわいな」
 口笛を鳴らし、ハンソンが大型拳銃を取り出し、慎重にサイティングを行う。
「ハンソンさん、先に撃ってはダメです」
「伏せて!」  ファナの頭をシンジが掴んで身を低くさせると同時に短い連射音がエレカの両脇を掠めていく。
「いくで」
「あいよ」
 サムソンが急ハンドルを切るのを止めると、トリガーをハンソンが引いた。
 3回の轟音が響くと、後方では横転し、棒きれのように転がるリムジンの姿があった。
 それらの隙間を押し退けるように残る1台が再び追いすがってくる。
「向こうにも腕のいいのがおるよう…、うわぁっと」
 リムジンの両窓にロケットランチャーが突き出され、咆吼をあげて急接近してくる。
 咄嗟にSMGを乱射して近接信管を誤作動させる。
 蹴飛ばされるようにエレカが爆風で飛び上がり、着地するもハンドルがままならない。
「広場を突っ切って!」
 シンジが叫ぶ。歩道を乗り越え、石畳の広場に闖入していく。
「投げて」 「よっしゃあ」
 床のペットボトルをリムジンめがけて遠投し、ハンソンが撃ち抜く。
 ビシャリと液体が石畳にバラ撒かれ、リムジンのタイヤが濡れた石畳に乗った瞬間、あっというまにスピン
して横腹を街灯に食い込ませて停止した。
「今のは?」
 不思議がるファナに
「界面活性剤の一種さ。20世紀の欧州大戦でパルチザンが市街地での対戦車攻略で採った方法さ」
 ハンソンが帽子を被り直しながら説明する。
「ホテルに戻ったら夜食にしましょう」(シンジ)

「クーンよりコマンドポストへ、目標の拘束に失敗した。追跡の有無は」
「――追跡の必要は無い、――次の行動に遷移せよ」
「了解、シャフトに移動する」


 綾波とマサミが会議場ロビーで待ち時間を潰しているところに一見冗談の通じそうもない堅苦しそうな面
持ちの二人組の男が近付いてきた。 「失礼ですが綾波レイさんですね、県警公安部の麻帆警視です」
「上嶋警部補です」
 警察手帳を判で押したような口調と態度で見せながら単刀直入に本題を切り出し始めた。
「いきなり申し訳有りませんが、貴女に対するテロ計画がここで行われようとしているのを御存知でしょうか」
「今に始まったことではありません。
 それに上級職の方がいつも動いていますが…」
 周囲をみやり、内閣調査室詰めの私服SPの所在を促す。
 そんな事は百も承知ですよ、と言いたげな表情で
「お偉いさんはその他の被害は考えないものでね、その範疇は我々が対処しなければならんのですよ」
「つまり、ここで話すのも当てつけですね」
 マサミの返答に河嶋がその通りだと笑った。


「目標の状態は?」
「警察が堂々と警護につき始めた」
 湾岸高速下の薄暗い廃屋ビルの部屋からハーバーランドを覗く影が幾つか蠢いていた。
「心配はない。配置状況が確認出来ればいい、装備は?」
「明朝には揃う筈だ」 「デコイは3箇所、ダミーは2箇所だ」
「カリは?」 「同じだ」
 双眼鏡を最大望遠の倍率で綾波を捉えながら口許を歪めた。
「明日は満月だ。
 姫君を月光の下で天国に送ろうじゃないか」


 再びぬくぱら亭で昼食を採ったシンジ達はネヴァデウィラ山方面へと向かった。
 カリより南東10Km程の距離にシャフト:“スールヴァーナティ”基底部接合施設が建設されていた。
 今朝の小雨の為か、昼を過ぎているのに吐息が白い。最低気温は零度程で、今も10度Cにならない。
 両脇の風景は開発が盛んにも関わらず、住宅地の奥に田園風景が続いている。
 セーターで少し着膨れした感じだが、その下にはボディ・アーマーを装着しているので見た目よりも
存分に阻止活動が出来る筈である。ファナも後ろで髪を結い、ジャンプスーツに着替えていた。
「予測される内容は、シャフト支援設備とシャフト自体への爆破テロです。
 警備部隊の事前調査によれば、昨晩に時限装置付きが1つ発見され、解体は失敗、冷凍して撤去した
そうですが、電源回線の予備が使用不能になりました。声明では残り4つだそうです」
 支援設備状況の透視モデルで行動予定を再確認し、声明文を読みながらシンジがこぼす。
「シャフトの贖罪と“エヴァの禍根をパイロットと共に絶ち切る”−か」


 学会最終日。
 会議場横のホテルで親睦パーティーが行われていた。
「昼間の3発の爆弾で数十人の死傷者が出たのに中止しないのですね」
 カクテルドレスを着たマサミがグラスを傾けながらごちる。
「テロには屈しない、それと撲滅のアピールを行うには厳然と対処していく、という姿勢を見せる必要が
あるからだわ」
 白を基調としたシンプルなカクテルドレスだが、逆にそれが綾波の神秘的な美しさを際立たせていた。
「宜しいのですか、美人局にされて」
「仕事だから」
 素っ気無い返事だが焦りも不安も感じさせない横顔が、マサミには芯の強さに思えた。
「強いんですね……」
「いいえ、今は死ぬ訳にはいかない、…ただ、…ただ、それだけ…だわ」
 そう、シンジと会えるまでは死ぬ訳にはいかない――。


西暦2031年3月30日夜、MEATIA本部からミサト宅への帰路。

「レイ、寝ちゃったわね」
 ミサトが運転するルノーアルピーヌA601の助手席ではパーティードレスを着た綾波が無防備な迄に
安らかな寝息を立てていた。綾波を見るミサトの眼差しも慈母のように暖かさに溢れていた。
「よっぽど嬉しかったのね」
「始めてなんですか、誕生パーティーは?」
 後部座席で蝶ネクタイを外しながらシンジが訊ねる。
「多分ね。月では無かったようだし、ここでも始めてよ。
 でも、シンジ君、どうして急にパーティーをやろうって考えたの?!」
 薄明かりに映える残雪が両脇に残る景色を眺め、綾波の寝顔を見詰めて淡々と語り始めた。
「去年も一昨年も、誕生日のことを考えられるほど気持ちが回らなくて…。
 それに…、それに折角アスカやジャミルさん達が揃ったんだし、馬鹿馬鹿しい騒ぎに綾波を誘って…」
 頭を助手席に持たれ掛けながら
「いつ死んじゃうかもしれないんなら、今日のことは……忘れないと思うんだ……」
「そう。
 それとシンジ君、女の子は好きでもない男の子にキスなんかしないから、ちゃんとしなければ駄目よ」
 誕生プレゼントを渡した返礼で綾波が頬にキスしたことを思いだして、シンジは赤くなり黙りこくった。


 再び現在。

「A班よりB班へ。障害物の排斥を開始した。但し、こちらは目標の拘束は不可」
「コマンドポストよりA班へ。D−5に移行、QRA:緊急対応警戒状態;で待機せよ」
「B班よりA班へ。こちらも障害物の排斥に移行する。以上」

 ドン、ドンと鈍い爆発音が2度響いた。
 支援設備で発見された爆弾が遠隔で爆破されたのだ。
「本命がシャフトや、後処理は現地に任せて俺達ぁ一気に目標階層に向かうぞ」
「急いで!!」
 基底部エレベータ回廊への高架を武装したシンジ、ハンソン、サムソン、ファナが軍用エレカに乗り込み
疾駆していく。
「工事用の外部エレベータパイプを利用して上がった模様です。
 目標階層は地上2km、第5262ブロック基底階層制御機械室横です。
 確認されたテロリストは14名、武装は少なくともSMGを携帯しています!」
 インカムを片手で押さえながらファナが目標の機械室へのルートをウィンドウに表示させる。
「御要望通り、向かっているからスイッチを押すんじゃないぞ」
 シンジは弾倉を確認し、時計合わせを行う。


「これで穢れた人類の罪を贖うのさ、はっはっはっは」
 三白眼に充血させながらアタッシェケース内部のHEW爆薬への起爆コードをセットする男達。
 盲信する信者のような執り憑かれた眼光が妖しく光る。
「ちょっとそれは困るのだがね」
 その場に不似合いな抜けた調子が響く。
「誰だっ!?」 「どこから入りやがった」
 摘み出そうと起ち上がった途端、黒い影が2つ横切り男達を昏倒させた。
「メスカリン使用の必要はない、背後を探る必要もない」
 パシュッ、パスッパスッ、と擦れるような音が響く。
「クーンよりコマンドポストへ、障害物の排斥は終了した。これよりサードを待ちうける」


 第5262ブロック基底階層制御機械室前通路。

「全く厄介な連中だこと」
 SMGを乱射し、テロリストの背後を獲ろうとするサムソンの援護をするシンジ。
「地球に残っている限り古い考えはなくならんもんさ」
 ごちるシンジに応ずるようにサムソンが言葉を返す。
「それっ!」
 閃光グレネードを撃込み、まばゆい閃光が制御機械室を包み込み周囲を白い闇に塗り替えていく。
「よっしゃあっ!!」
 天井を踏み抜いたハンソンが、床に降りるやいなや渾身のパンチとキックで残敵を叩きのめす。
「ハンソンさん、人質をとった残りを追います、そちら側から廻り込んで下さい」
 インカムからファナのサポートが入る。
「おっしゃあっ」
 扉を開けて別通路を進むと撤収中のクーンの部隊と鉢合わせしてしまった。
「なんやこいつら、シンジ、先に行け!」
 云うが早いか猛然と殴りかかるハンソン。
 受けるようにマーシャルアーツで応戦するクーン。殴り、蹴り、打込み、次々と技の応酬が繰り返されていく。
 ハンソンの体術をまるで余裕で受けているかに見える。
「おらおらぁおらぁ」


 ドン、ドンッ、とホテル前の駐車場で爆焔が立ち昇り、パーティー会場がざわめいていく。
 私服、制服の警備担当者の半数以上がパーティー会場から一旦現場に向かい出していく。
「綾波さん」 「陽動ね、これは」
 上嶋警部補が走り寄ってきて
「御二人は壁際に身を寄せて、窓から隠れるようにして」
 云い終えると左脇から回転式の拳銃を取り出し、出口へと向かっていく。
 右往左往する参加者を静めるようにアナウンスが響き、フロアマネージャーが誘導を試みているが、狼狽する
参加者のパニックで混乱は一向に沈静化しない。
 パン、パン、と銃声が響くと私服の内閣調査室SPが一人、二人と倒れこむ。
 怒声が飛び交い、事態の収拾がままならない状態になってしまった。
「ここは危険です、こちらに――」
 荷物を抱えたボーイが近寄ってきて不意に荷物を放す。
 その刹那、綾波は膝を屈め、フィギュアスケーターのようにくるりと身を廻した。
 ボーイが背後から銃弾を打込もうと構える隙も与えずに、反対にすらりと伸びた肢体からの強烈な廻し蹴りを
食らい、壁に叩き付けられ昏倒してしまう。
 マサミが一瞬の出来事に呆然としている暇もなく、そのまま両手を腰溜めにして数メートルをいっきに前に進む。
 二段構えの襲撃を予定していたテロリストのもう一人が銃を抜く暇を与えずに、掌ていを食らわせ床に
倒しこんだ。僅か数秒。躊躇するマサミの腕を掴み、脱兎の如くテーブル下に身を隠す。
「出ましょう」


「ゲームセットだ」
 人質を盾にしながら逃亡を図ろうとした最後のテロリストが、工事用エレベータに乗ろうとして人質を放した隙を
狙い、ロープを使ってエレベータBOX屋根に降りたシンジが不意をついて銃口を顔面に押し当てた。
ファナが電源を切った事で扉が閉まらなかったからだ。

「制圧は完了したようです」
 クーンのインカムに部下からの連絡が入る。
「なかなか出来るな、だが、それだけだ」
 ハンソンに体当たりを食らわせ、眩暈で頭を振る隙に煙幕を使い脱出して行く。
「ザザッ−、ハンソ、、さん、そ、、ら、は」
「ええい、逃げられた、あ、おい、くそうっ、ジャミングか」


「身元確認は終わりました、潜入したのは3名だったようです」
 麻帆警視が事態が収束した事を告げに来た。
「そうですか」  そう答えつつも異様な殺気が未だ感じられる。
 麻帆警視、上嶋警部補の後ろで怪我の手当てを受けていた参加者が不意に立ち上がり、スリックカットした
ショットガンを構える。
 回避するには近すぎる。
 警視と警部補を盾にするほど綾波は割りきれない。
 タタタッ。
 銃声が響く。
 ゆっくりと仰け反る様に倒れる男。
 小脇から小型の護身用拳銃を撃ち放ったマサミが立ち尽くしていた。
「ありがとう」
 ゆっくりと小刻みに震えるマサミの手を包み、終わった事を告げる。
「大丈夫、レイ、怪我は無い!?」
 振返ると銃を持ったまま葛城ミサトが駆け寄ってきた。
「なんとか間に合ったみたいね。あなたも任務、御苦労様」
 ポン、とマサミの肩を叩き、大役を労う。
「はい、大佐。任務遂行しました」
 やはりね、と思いながらミサトに尋ねる。
「ミサトさん、撃ったのは1発ですか?」
「そうよ、それが何か?」
「いえ、何も」
 耳で捉えた銃声は3発。残る1発は誰が?
 遠距離のように聞えたけど――。
 会場から離れる事、約300m。
「こっちも間に合ったいみたいやな、でも済まんな、今はまだあかんのんや」
 シンジと綾波にとって懐かしい声の持ち主、それは誰なのか。


 秋分の日、横浜、外国人墓地。

 花束を抱え、喪服姿の綾波レイと葛城ミサトが彼岸花の咲く中、階段を登っていた。
 小高い丘から見下ろす袖にはサネカズラの真っ赤な可憐な実が集まり、青空に対成すように映えている。
 二人が立ち止まったのは、惣流・アスカ・ラングレーの墓前。勿論、中は空である。
 ミサトが先に花を添え、手を合わせる。
 入れ替わるように綾波がしゃがみ込み、花を添えて手を合わせた。
「レイ、実はもうひとり来ているのよ」
 ミサトの言葉を呑込めずに立上がり、ミサトの視線を追ったその先には……。
 そこには凛々しく、逞しく、そして万感の言葉をしても言い表せない笑顔の碇シンジが居た。
「やっと決議がされてね、貴方達の渡航制限はもう無くなったのよ」
 そっと綾波の肩を押すミサト。
 つぅ――っと両頬を伝う涕に当惑する綾波。
「……ただいま、レイ」
 短く、柔らかなシンジの言葉に更に流れる涕の量が増えていくことに当惑するしかない綾波。
「……ば…か…」
 胸の前で手を絡ませ、顔を覆い、言葉を紡ぎ出す。
「変ね、…嬉しいのに、…嬉しいのに、…どうして、どうして涙が止まらないのかしら」


 遠吼えのような唸り声が響く地中深く。
「そうか、二人は接触したか。構わん、このまま監視でいい」
 シャイアン山中の薄暗い生産ラインを見下ろす部屋の中でクーンの報告を聞いていた男が受話器を置いた。
 眼下の照明の落とされた中で幾十も妖しげに光る何かが蠢く日を待っていたことを碇シンジも綾波レイも
まだ知る事は無かった。

 外伝第弐部へ続く。


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