一刻館ものがたり プリプロセッション

 −スピーク・ライク・ア・チルドレン−


前編:ドラムン・ベース

 都内、青山の紅茶専門店内の喫茶室。

 路地より二段ほど下がった場所に建てられている。
 玄関を入るとそこは各種紅茶葉がジャムや菓子と共に並べられており、その奥まった
位置に喫茶室がある。茶葉として陳列・販売されている全てが飲めるようになっている。
 その窓際の4人席には女性が3人座っている。
 ロングヘアーの"敦子"、ポニーテールの"麻美"、ショートの"悦子"である。
「やっぱ(八神)いぶきは来られないみたい」
「えー、やっぱり、アメリカで忙しいんだ」
「そうねえ、いぶきってさ、昔から積極的なところがあったじゃない。
 今度も個展で大変なんだなあ」
「そうね、」
 手に持ったカップを上げ、少しばかり紅茶を啜り、
「飽きっぽい割にはよく続いているもんね」
 と半ば嘆息する敦子。
「そうそう、それでいて一途なところがあるなんて不思議よね」
 云いながらもケーキを運ぶ手は休めない悦子。
「でもさ、だから今度の個展も成功したんじゃない」
 あいも変わらずゆっくりとした口調の麻美。
 暫く、近況報告をしていた3人達であったが、実は高校の同窓会の案内があり、今日
その事も含めてここに来ているのであるが。(敦子は紅茶葉も買いに来ているのだが)
「でさ、敦子、4月から本数増えたの?」
「ううん、結婚して1年だしね、去年はシングル6枚出して大変だったから今年は少し
 減らそうかなあ、って考えてるの」
「売れている分にはいいじゃない」
 と麻美が思ったままの口調をとると
「ダメダメ、この家事無能力者は甲斐甲斐しく夫の世話をしないとガサツは治らない」
 悦子の突っ込みにカチンと来るが
「ちゃんとやっているわよ、掃除も洗濯も炊事も」
「ほおお、年末の大掃除も三箇日しか持たないあんたの部屋はどこにいったのお?」
「ぐぐぐ、そ、それは言わないで」
「料理のレパートリーも旦那に負けているのは誰かしら」
「あ"あ"あ"、それは禁句よ」
「これじゃあ、旦那は徒卒みたいじゃない」
「ひぃぃぃ、わたしを責めないで」
 笑いながらも痛い点を衝かれて反論出来ない。
「ああ、だから"閣下"って呼ばれているのね」
 麻美の一言で敦子、遂に撃沈。
 敦子は人気、実力ともbPとも云われ、シングルやアルバムがオリコンチャート入
りする声優なのである。
 麻美は中学の教師になり、3月まで三年のクラスを担任していたのである。
 悦子はグラフィックデザイナーとしてキャリアを積み、数々の賞を受賞している。
そして、八神いぶきは写真家となり、アメリカで2度目の個展を開催中。


「そうそう、入学生の名簿を見ていたらさ、五代先生の娘さんがさ、うちの学校に入学
してくるの」
「えっ、ホントに」
「よく私立に入れる甲斐性が五代先生にあったわね」
「でもさ、確か五代先生の奥さん、前の御主人の親御さんが高校の理事だったじゃない」
「中等部への口利きも出来る訳かなあ」
「ひどおい、うちの学校は授業料、そんなに高くないんだし、高等部へスライドできる
じゃない、結局安上がりになるわよ」
「そうねえ、私の(ラジオ)番組にもちょくちょく受験のシーズンでいろんなハガキが来て
いるわよ」
「ふううん、あ、あれっ!?」
 ふらっと窓外を見た悦子の表情が止まった。
 まるで狐につままれたような気がしているのである。
「ちょ、ちょっと、あれ、あれ、外見て、止まった車を」
「何よ、ちょっと変わった車が止まっただけじゃ−、えっ、ええっ!?」
「何、何、外の車がどうしたの? あ、あ、あ、ホント、何!?」
 麻美は目を丸くして信じられない、といった按配だし、敦子はスコーンを握ったまま
椅子から立ちあがらんとするほどに驚いていた。
 店の前の路地に停まった一台のスポーツカー、マラーレンF1。
 フルカーボンコンポジット・モノコックシャシーにF1そのもののディメンジョンで
開発・製造され、たった一億円の販売価格や時速100Km以下の"低速度"域では正に
トラックのハンドリングでしかないことに驚いているのではない。
 ガルウィングを開けて右座席と中央席(マクラ−レンF1は横3人乗り)から降りて
きた人物の姿を見て驚いているのである。
 膝下丈のタイトスカート(スリットは深い)と着丈の短いジャケットが白を基調とし
藍色のベストを引き立てている。豪奢な栗色の髪、磁器のように透き通った肌、そして
緋色の瞳。手足が長く、細い首筋と同じく引き締められた腰のラインが豊かな胸と尻を
強調している。
 その女性の後ろに立ち、F1の右ラゲッジからバッグを取り出している、長身の男、
藍色の髪に淡いブルーの瞳、ガッチリとした体格に広い肩幅。トラッドスタイルを着込ん
でいるがネクタイはしていないことでカジュアル感を醸し出している。
 二人の表情は自信と信頼に満ちており、翳りなど微塵もない風に感じられる。
 服装は違えど見覚えの有る二人であった。
「あの時の二人じゃない、もしかして」
「ちょっと待ってよ、あれから何年経っていると思うの、十年越しているのよ」
「でも、私達より年上には見えないわよ」
 敦子達の驚きを他所に二人は店に入り、茶葉を買出している。
 壁が邪魔となり敦子達の席からはよく見えない。
「み、見えないわ」
「あ、こっちに来るわ」
 買い物を終えた二人は喫茶室で一時を過ごすようである。
 息を潜める3人。
 3人達の横を通り、反対側の窓際に着座する二人。
 間近で見たとき、肌の張りも艶やかさも20代半ばである。
 驚きを通り越して夢をみているかのように考えてしまう。
「あの時の二人かしら」
「そうよ、間違い無いわ」
「忘れないわよ」


 敦子達の記憶が急速に遡っていく。
 それは八神いぶきが五代祐作の部屋に篭城をしていた時の事。
「それじゃあ、管理人さん、今日は失礼します」
 陣中見舞いに一刻感を訪れた敦子たちは帰りの挨拶をしていた。
「あなたたちも大変ね、八神さんの心配をして下さって」
「いえぇ、そんなことありませんわ、むしろ管理人さんのほうが大変でしょう」
 家庭教師の際のこともあり気が引ける悦子。
「八神がまた裸で五代先生を追い詰めるかもしれませんしね」
 敦子がウィンクして響子の心を揺さぶる。
「でも、大目に見てくださいね、管理人さんには敵わないんですし」
「な、何を言うんですか、わ、私は別に何も…」
「顔に出ていますよ、じゃあ、さようなら」
「やがみーぃっ! 又来るね!」

 二人とは一刻館から時計坂駅までの坂道で会った筈だった。

以下、後編:時計坂セレナーデへ続く。


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