一刻堂草子

 八の巻「竜攘虎搏、天を焦がす」


「あなた、如何為されましたか?」
「うむ、いぶきはどうしているかと思ってな」
「大丈夫ですよ、音無様の元で療養しているのですから」
「そうだな」

 その日は乾いた南風が吹きこむ、秋としては暖かい夜だった。
 広小路では祭りの宴も終わり、人出も次の祭りまで一段落したのか少なかった。
 夜とはいえ江戸の賑わいが消えることは無いのである。
 異様に静かさに包まれた頃、蠢動が開始された。
 江戸の町の南北、東西にベネチア仮面の集団が現れ、松明を手に手に持ち、火付けを行おうとした、
その矢先。
「御用だ!!」
「御用!」「御用!」「御用だっ!」
 次々と蝋燭の照明で仮面男達を照らし出して行く。
 また、金箱に入れた照明用花火で煌煌と照らし出す。
「クカァッカァカ」
 町方と仮面男達の捕物が開始される。
 多勢に無勢だが、果敢に火元を奪い、火付けを阻止していく。

「なんの、それも手筈の内よ」
 カラクリ仮面は動じない。
「さあ、では始めようか」
 大きな店子の三友屋向かいの屋根に立ち、指揮をする。
 手下の仮面男達が松明を掲げ駆け出さんと位置に着いた。
 カラクリ男が右手を挙げ、振り下ろして合図をしようとした矢先、ヒュー、と飛んできた短剣が男の
側頭部を突き刺そうと迫ってくる。
 バッ、と飛び上がり避けた跡を短剣が空を切っていく。
 いや、違う。
 背後の鐘楼の付け根に突き刺さり、鐘を打ち壊す。
 銃声が轟き、落ちて行く鐘を粉砕する。
 破片の中から例の置物が現れ、弐発目の銃弾が撃ち抜いていく。
「何奴かっ!?」
 マントを翻して問う。
「誰しも炎上した三友屋の傍に最後の一つが残っているとは思わないものさ」
「でも、それでは見え透ぎよ」
 引き戻した紐の先の短剣を掴み響子が、ピースメーカーを手の中で廻して五代が口上を告げる。
「やれい!」
 手下の仮面男と響子、五代の殺陣が始まった。
 短剣を巧みに奮って仮面男の急所を衝いていく響子。
 脚払いをし、体勢を崩させて仮面男の首をへし折る五代。
 すかさず連射し、貫通した銃弾が縦に並んだ男を続けて撃ち抜いていく。
「黒炎!」
「はっ!!」
 バク転、横転を繰り返し、廻し蹴りで次々と仮面男達を屠っていく。
 突きを次々と打付け、舞う様に相手を翻弄して行く。
「まだ始まったばかりよ」
 浮上し、滑るように下町へと飛んで行くカラクリ男。
「ふぁははははははぁはっはっは」
「待ていっ」
 響子も屋根に駆けあがり、屋根伝いにカラクリ男を追い出していく。

 玉川上水、上水源泉地。
 虚ろな目をした男達に襲われた番人達はほうほうの体で逃げ出した。
 懐から瓶を取り出し、栓を抜いた。
「今だ、ひっ捕らえい」
 茂みに隠れていた精鋭の捕物達が一斉に飛び出し、あっという間に取り押さえていく。
 神田上水でも同じように機会を覗っていた町方が侵入した不審な一団を捕縛した。
「どうだ、面は割れそうか?」
「残念ながら薬による催眠術で操られているだけの模様です」
「この分では口は割れんでしょう」
「構わん、企みを未然に防いだだけでも由としよう」
 采配を次々と揮い、指揮する三鷹。
「江戸の町に火を放ち、同時に上水に毒物を流し込んで擾乱を図るとは不届き千万」
 勿論、毒物とは病原菌のことであり、衛生状態の悪化した江戸の町を壊滅させる企図なのである。
「江戸のほうは火付盗賊改が名誉挽回に手腕を見せているだろう、さあ、駆けつけるぞ」
 声を張上げ、早馬の手配をする三鷹。
 だが、彼は未だ全貌を知っている訳ではなかったのだ。

 両国や浅草、深川や芝や赤坂、本所、内藤新宿、品川、佃島界隈にて応戦する火付盗賊改。
 町方と共同で仮面男達と捕物を展開し捕縛していくが、火付けを全て阻止できた訳ではない。
幾つかの店子に火が点けられ、次々と燃え出していく。
「ええい、何をやっているか、消し番はまだか」
「組長、お、鬼が出てきました」
「な、なんだと」
 ガチャリ、ガチャリと甲冑の音を軋ませ、不気味な呼吸音を発てながら鬼が次々と現れる。
 一体ではない、二体三体と何処からか出現して来る。
 口顎を大きく開き、火炎放射を連射する鬼達。
「こ、このままでは辺り一面が火の海になりまする」
「しかし、きゃつにどうやって近付いて仕留めるのだ」
「そ、それは」
 火炎の熱さに腰が退け、為す術がないことに憤る火付盗賊改の残存部隊。
 その時。
 一條の光が金鎚で胡桃を割るように鬼を一瞬でバラバラにし、押し潰した。
 瞬きをする間もなく目の前の鬼達が圧壊され粉砕されていく。
 続けて爆炎が立ち昇り、破片が飛び散って行く。
「那、那、何が起きたのだ? 一体?」
 それは江戸の町で次々と起こった。
 仮面男達に対峙する火付盗賊改め&町方部隊に襲いかかる鬼達が同様に瞬時に破壊されていく。
 江戸中に立ち昇る爆炎はまるで狼煙のように。
 弾かれた毬のように宙に飛ばされた鬼が次の瞬間には木っ端微塵に変わっていく。
 爆発し、轟音が周囲を揺るがしていく。
 その中を撥ねるように光が飛び込んで去って行ったことに誰もが吾を忘れていた。
 そして仮面男達も全て破砕されていた。

 横目で立ち昇る爆炎を見つけ、成功を思ったがすぐにそれが失敗であることに気付くカラクリ男。
「奴等め、最後まで邪魔をする気か」
 風に流される風船のようにすうっと屋根の上を飛んで行くカラクリ男。
 その後を必死で追い掛ける響子。
 その響子を見上げながら通りを追走する五代。
 後ろ手でステッキ銃を連射するカラクリ男。
 足場が不安定なので避けようとするとカラクリ男との間が開いてしまう。
 ピースメーカーで援護する五代だが、走りながらでは狙いがつけ辛くかすりもしない。
 そうこうする内に次第に場所は一刻堂のある長屋の近くまで来てしまった。
 バンっとジャンプし、高く舞いあがったカラクリ男はマントを広げ、隠し持っていた焼夷弾を雨振る
ようにばら撒き出した。
 燃え上がる燐光が明滅し、一軒、また一軒と火が点いていく。

「ああっ、なんて事を」
 嘆く暇も無く、カラクリ男目掛けて短剣を投げ付けるが高すぎて届かない。
 逃げ惑う人々がいて思うように闘えない。
 界隈の先の一刻堂までは火の手は注がれていないが、早く阻止しないとあっという間に火が廻って
しまう。五代も見上げながら撃ち続けるが、夜空に翻弄されて照準も甘くなってしまう。
 一刻堂方面をみると、長屋の住人達が逃げ支度を始めている。
 ここはひとまず延焼を食い止めようと通りに降りて一刻堂に向かう響子。
 近傍に住まう隣人達のしんがりを行おうとするが、怪我をした子供が逃げ遅れている。
「さ、早く、私に掴まって」
 子供を抱かかえ離れようとした矢先に般若の面の巨漢八人に取り囲まれてしまう。
 子供を抱きかかえては思うように闘えない。
 五代も長屋の者たち、子供達を護ろうと走り急ぐが、邪魔が入り中々近付けない。
「ふはははははははははっははっはっはぁ」
 一刻堂に向かって焼夷榴弾を連射するカラクリ男。
 小爆発を繰り返し、次第に一刻堂に迫っていく。
 一刻堂横の店子に着弾し火のついた破片が宙を舞い住人達子供達の頭上に降注ぐように広がっていく。
「逃げてぇっー!」「早くっぅ!」
 叫ぶ響子と五代。
 もう駄目だ、そう住人達、子供達が目をつぶった途端。
 落雷する稲妻のように二つの光が出現したと同時に住人達と子供達を白く輝く光の翼が幾くも重なり
火の粉と破片から防禦する盾の代りと成って包み込み、響子の眼前に顕れた光輝は捲起こる風のように
取り囲んだ般若の面の巨漢全てを朽ち果てさせていた。
 その間、一瞬。
 長く長く感じられた時間もほんの数秒。
「遅いな、動きが」
 響子の前に背中を見せて立っているのは、天駆ける騎士の正装姿のシェン・ヅー。

「もう大丈夫よ」
 六耀の光の翼を背中に畳んだのは、天上の巫女の正装をしたミレイ。
 二人とも凛とした表情でカラクリ男を見上げる。
「役者が揃ったな」

「さ、掴まって」
 両手で子供達を囲み、瞬間移動して後方へ下がるミレイ。
 子供達は何が起きているのか見当もつかない。
「て、天女さまだ」「いい匂いだあ」「おっかあみたいにあったけえ」「ぷにぷにだぁ」「おっぱい」
 めいめいに思ったことを口に出してしまう。
 再び瞬間移動し、響子の横に立つミレイ。
「新しい装束を持ってきたわ、着替えるわよ」
 言い終わらない間に翼で響子毎包み込み、再び翼を広げた時には、新しい衣に身を包む響子が現れた。
 形状は似通っているが白と藍色の2トーンで3つに分かれた腰布と鮮やかな橙色の帯と襟紐である。
 力が漲って来る感じがして思わず昂揚し、頬が桜色に染まる響子。
「さあ、御行きなさい、響子」

 九の巻「姫新讃嘆、思いは届かず」に続く


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