一刻堂草子

 禄の巻「破邪当来」


 衣装箪笥を開け、夏物を仕舞いだす響子。
 一番下に紙に包んだ装束を取り出し、少し哀しい微笑を浮かべる。
「とうとうこれを使うしかないのね」
 鮮やかな朱色の紐に包まれた小刀二本が折り畳まれた帯の上に鎮座していた。
 包みを解くと樟脳の匂いが少し鼻腔を刺激する。
 少し色褪せてはいるが生地は絹色に輝き、深い藍色が覗いていた。

 三友屋に向かう響子と五代。
 医薬品原料の輸入について少しばかりの示唆と、診療を兼ねたものだった。
「御免下さいな」
 奥座敷に通される二人。
 小春日和の空は高く、絹層雲が幾筋か牽かれただけで、広く澄み渡っている。
「これはこれは、わざわざ御足労願い忝い。
 ついてはこの荷品について吟味して頂きたい、宜しいで御座ろうか」
 手渡された大福帳に記載された取引品目録。 
 上段に材料名がカタカナで書かれ、下段に一貫あたりの値段が書かれている。
「色々な品々が御座いますね、少しばかりお時間を頂きまして、宜しいでしょうか?」
「存分に吟味して頂ければ幸いです。店の中には高名な藩医に相談してはと申す手合いも居りまするが、
 市井の民が必要とするものは市井に住まうもので無ければ見間違うかもしれませぬ。
 忌憚の無い具申を所望する次第に候、なにとぞ宜しく仕る」
 深深と辞儀を済ませ席を立ち、八神番頭は商いに戻って行った。
 丁寧に一枚一枚捲り、丹念に書面を確認して行く響子。
「何か不審な点はありますか、響子さん」
「いえ、これといって目立つものは何もありませんわ、でも」
「でも?!」
「綺麗過ぎるの、内容が」
「綺麗過ぎる?」
「ええ、まるで売買契約書の見本を書き写したみたいに整いすぎているの」
「まんべんなく取り揃えられていると?」
「そう、そうね、不慣れな原料でここまで無駄なく配分されているのもおかしいわ」
 縁側を誰かが歩いていくる床の軋む音に気付き、声を顰める二人。
「茶をお持ちしましたわ、五代先生、大家さん」
 語尾に敵意を隠そうとしない、八神いぶきだった。

 茶室に招かれ、鎮座する三人。
 茶の湯の御点前を披露するいぶき。若いだけでないことを見せたいようだが、挙動の端々にその
思いが表れていることに響子は気付いていた。
「ささ、どうぞごゆるりと」
「では、御相伴に与れさせて頂きます」
「頂きます」
 出された菓子は「かすてら」である。
 江戸時代、庶民の利用する砂糖は精錬度の低い黒砂糖であり、幕末の砂糖の利用が一般化したとは
いえ白砂糖は高嶺の花である。また、オーブンの無い時代にあって作るのが難しく、酒の肴や料理に
用いられていたのである。茶菓子ひとつでも三友屋の権勢を示すには充分であった。
「ここで折り入って音無響子様にお話が御座います」
「私にですか?」
「何を改まって話をするなんて…」
「五代先生は黙っていて。これは女と女の話です、御意見無用!」
 さしで向かい合い、響子と対峙しようとするいぶき。
「一つだけお伺い申し上げます。
 大家さんは五代先生を好きなのですか、どうなんですか?」
「おい、八神、なんて事訊くんだ、場所をわきまえろよ」
「いいえ、弁えません。五代先生が横に居ては恥ずかしいのですか、答えられないのですか?」
 ちらり、と五代の顔を見、八神に向き直る響子。
「私は」
「私は?」
「私は好き、私は五代さんの子を産みたいの、そして添い遂げたいの。
 例え江戸中から追われる身となっても、果てる地無くとも、離れる気はありません」
 そっと右手を五代の左手に添える響子。
「やっと素直になったじゃない、これで安心できるわ」
「えっ、何を八神さん」
「八神どうしたんだ?」
「これからが本当の話し、これを−」
 次第に息が荒くなり、苦しみだすいぶき。
 がくりと倒れかかるが、肩肘をつき、よろよろと立ちあがる。
「これが、これが来てから皆、みんな、父様もおかしく…」
 茶室の和時計をずらすと、奥から別の置物が出てきた。
 それは今まで闇夜の銀が盗み、壊してきたものと同じ物である。
「みんなを、たす、け、、、」
 昏倒してしまういぶき。
「八神さん!」
「八神っ!」
 助け上げようとするが周囲に充満した殺気に感づく響子と五代。
「囲まれたか」
「五代さん!」
 ベネチア仮面の男達が茶室を次々と無数の槍で串刺しにしていく。
 中の様子を確認しようと一人の仮面男が障子に手を掛けた瞬間。
 中から障子を蹴破り、響子が飛び出して来た。
 正面の仮面男の腹に蹴りこみ、顔面を殴打し、肩を踏み台にしてジャンプした。
 続いて五代もいぶきを抱えて同じように仮面男を踏み台にしてジャンプした。
 本屋の屋根に飛び移り、いぶきをそっと降ろす。
「黒炎!」
「は、ここに」
 呼び声に呼応するように仮面男の一人が仲間に廻し蹴りを入れて響子の元に飛び込んできた。
「八神さんを安全な場所に」
「かしこまりました」
 バサッツと仮面男の装束を脱ぎ捨てると、そこには闇夜の銀に付き従う黒装束の男が現れた。
「四谷さん、もう少し早く助けて欲しかったなあ」
「それは五代君の奢りということで」
「はいはい」
 バッといぶきを抱え、飛び去ろうとする黒炎こと四谷。
「逃すか!」
 追おうとする仮面男の側頭部を銃弾が射貫く。
 吹き飛ばされた頭蓋からはからくり細工が音を立てている。
「駄目だなあ、主役の相手をしてくれなくては」
 珍しく気障を決める五代。
「そうですわね」
 思わず笑みを溢す響子だが、目は笑ってはいない。
 帯に右手を掛け、左手で胸の右合わせ目を掴み、大胆に解いて着物を脱ぎ捨てた。
 中から現れたのは、巾着に似た、というより首筋を巻き、乳房を包み背中を開けた水着に前と後に
二枚づつの腰布と大きな朱色の帯、いやリボンを身に纏った響子である。
 両手には短刀を携え、下ろした長い髪が風に棚引く。
 五代も同じように着衣を脱ぎ捨て、身体にフィットした防具に身を包んでいる。
「ここまでです」
 云うが早いか仮面男達に斬り込んで行く。
 上半身が胸掛けだけといえ、両腕の袖を奮うにはなんら制約がない。
 長い袖口を相手の腕に絡ませ、牽く勢いで反対の腕で当て身と短刀と打ち付ける。
 縦横無尽に華麗な乱舞と見紛うばかりの戦いの舞を舞う響子。
 五代も掌蹄を次々と繰り出し、仮面男達を翻弄し、離れた相手にはピースメーカーで倒していく。
 背中から羽交い締めにされそうになると膝を蹴り宙返りをし反動で仮面男の後頭部を地面で叩き割る。
「ふはははっははっはははは」
 からくり人形の面をつけた黒マントの大男が土蔵の屋根に屹立している。
「そこまでだ、諸君」
 ステッキと振り下ろすと土蔵を飛び越えるように三鷹達を襲った鬼の面と甲冑の巨漢が現れ出でた。

「あなた!」「ああっ」
 ミレイとシェン・ヅーが察したのか、二つの鞄を持出し邸宅の外に出向き、各々の鞄の取手を曳いた。
 すると鞄の一つはみるみる竿状に変化してゆき、槍に変形していく。
 もうひとつの鞄も竿状に変化して行くが、先端部が窪みと突起状に変わっていく。
 ミレイが5mを越えんばかりの槍の底部をその突起と窪みにあてがうと、シェン・ヅーは竿の末端を
持ち振りまわそうと構えた。巨大な槍と投槍器となったのである。
 鍬を打下ろす様に構えたシェン・ヅーの身体が消えた瞬間、衝撃音が轟き爆風が居留地を揺るがした。
 構えて刹那の間で踏み込み、振り下ろしたので放たれた槍が音速を超えて江戸に向かって飛んでいく。

 八尺近い鬼男に盛んに蹴りや打込みを行うが何ら痛痒を感じていないのか響子と五代に張り手を食ら
わせ、突き刺そうとした短刀も折られてしまう。
「このぉぉおお」
 立て続けに鬼面の眉間に銃弾を撃込んでも歩みは止まらず、僅かな罅しか入らない。
「こいつが三鷹の云っていた化け者か」
 ガチャリ、ガチャリ、と甲冑が擦れ合う音が不気味さを一層強調する。
 じりじりと詰め寄られてくるが防戦するだけで手一杯である。
 掃われた豪腕を両手をクロスさせ衝撃を和らげようとするが、紙風船を叩くように吹き飛ばされる
響子と五代。障子と襖を幾重も壊して座敷の奥でようやく止まった。
 両腕の袖を外し、腰布の一つを破り、短刀を構える響子。
 不意に鬼の口許がパクリと開いた。
「危ない」
 響子の腰を抱え、横に飛ぶ五代。
 その横を火炎が包み込む。
 再び、庭へ出るが、もう後がない、鬼が向直る。
 その時、西南の空に煌く星一つ、いや、違う。
 眼を見開こうとした束の間、落雷の如く轟音と突風が巻き起こった。
 身を伏せて防いだ後に見えたもの、それは飛来した槍に木っ端微塵に破砕された鬼の姿である。
「あれはっ?」
 槍の中心を見るとミレイとシェン・ヅーのサインが刻まれている。
 カパッと槍が割れ細長い刀が現れた。
 紐を投げて手元に取り寄せる響子。
「ここは撤退だ」「はいっ!」
 その途端、鬼は大爆発し天を焦がすような巨大な火柱が起ち上がった。
「Kghen-duh GokicaLyjha、MeRRei ay GokicaLyjha(シェン・ヅ−、ミレイ)今回も邪魔をするか」

 七の巻「寂然の夕べ、納受の朝」へ続く。


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