年末の紅白歌合戦
いまだにこんなことやっているのかという気持ちでいたが、いやいや紅白を楽しみにしているお年寄りもいるのだから、という柔らかさもすこし出てきたのは歳のせいか。
ま、どっちにしても俺は見ない。ドリフターズの「ドリフのほんとにほんとにご苦労さんスペシャル」という演目にはそそられるものがあるが、やっぱり見ないだろう。
司会が言う、「21世紀はじめての紅白歌合戦、トリをつとめるのはこの人、井上順さんです。曲はもちろん『お世話になりました』、どうぞ」
井上順が歌う、♪タバコ屋のおばあさん、お世話になりました…、という構成なら見てもいいけど。
12月30日 ほぼ満月の夜
3連単を導入して初めてのグランプリはD-A-G。レースが終わったあと、全国でどのくらいの数のファンが「なんだ、マージャンのスジじゃないか」とつぶやいたことだろう。
帰り道で見た月は、ほぼ満月だった。
「月がとっても青いから遠回りして帰ろう」という歌ではないけれど、ぼんやりとしたまん丸の月だから、わざとゆっくり歩いて家にもどった。
前が競りになったとたん番手に追い上げた高木隆弘のレースが、競輪道に反するのか、あれこそ競輪なのかなどという議論など、どうでもよくなるような月だった。
あの高木が追い上げた瞬間、「汚ねえ、それなら最初から番手にいけよ」と吐き捨てたやつも、「よし、そうじゃなくっちゃ」と叫んだ人も、どちらも根っからの競輪ファンだ。
「今年も一年、スケールは小さいけど思いっきり車券も買えて、バカやりながらもたくさん笑えたことに感謝します」
月にむかって心のなかでつぶやいた。
12月 ワイドショーなど見なきゃいいんだけど
8チャンネルのワイドショーでの芸能コーナー。サンケイスポーツのなんとかいう人が「IとNが付き合っていて…」どうたらこうたら。百鬼夜行の芸能界での仕事というのがどういうものか、ぼくには皆目わからんが、イニシャルの芸能報道というのはお手軽というか、見るほうは苛つかされる。
ま、マンガだと思えばいいのだろうが。
アホな番組はすぐ消せばいい、タダの放送なんだから。
12月28日 女の遺伝子
南浦和で座席が空くと、我先にと若い女が四五人座った。そして座るや否や目を閉じ下をむき加減に寝はじめた。
ほんとうに寝てるんだかどうかはわからぬが、なんだかすごい。
そういえばいつ電車に乗っても座っている若い女は寝ているかメールを打っているかだ。(話は変わるが、もう携帯電話は社会問題なのだから、なんとかしなきゃ。いっそ料金をうんと上げてしまえばいいと思うけど…。このままだと近いうちに絶対「携帯」がらみで殺人事件が起きるでしょう)
昔、誰のマンガだったか。原始時代、男と女がセックスをしている、男はしきりに周りを気にしてびくびくしている。けれども女はセックスに集中しているという描写があった。
そのときから女のなかには「太い神経」の遺伝子が継がれているのだろうか。
12月27日 なにがアメリカ万歳だ
有馬記念はマンハッタンカフェにアメリカンボスで四万円余り。
どこかのアホが「タリバンを撃退したアメリカですよ。アメリカンボスであるジョージ・ブッシュがマンハッタンカフェでコーヒーだかなんだかで乾杯なんですよ」、そんなことはわかっていた。(ほんとうは終わってから思っただけだが)だけどなあ、そりゃ二千五百円買えば百万かもしれないがなあ、アメリカは強い、なんて馬券は買やせんのよ、俺は。
ゴッドファザーの1シーン。場所はシチリア、アルパチーノに向かって現地の人間が「アメリカさん、アメリカに連れて行ってくれよ。アメリカ万歳」と叫ぶのを思い出した。
雑誌「タイトル二月号、映画で旅するシチリア」を読んだばかりのせいもあるのか、シチリアにいきたくてしょうがない。
12月26日 グランフリ、高木は三番手か
高木隆弘は伏見−岡部の後ろをまわるらしい。そのくらい伏見の先行力を評価しているのだろうが、三番手は三番手だ。地元で三番手という競走は高木らしいとは言えない、というのがぼくの考えだが大きなお世話なのだろう。もし井上茂徳が同じ立場だとしたら、どこを選ぶのだろう。すごく興味がある。神山の番手だと思うけどなあ。
12月25日 街はクリスマス気分
種屋という駄菓子屋というかお煎餅とかいろいろ売っている店が赤羽にある。
時々無性にそこの煎餅が食べたくなる。
昼間その発作が出た。
いまにも降り出しそうだというのに、地下鉄で二駅先の店まで買いに出かけた。
塩、醤油、青海苔風味の三種類がはいったやつを買い、近くの公園で食べた。
寒風が吹いている。
煎餅を食べながら、なぜかホームレスのことを考えた。
運よく、なんとか路頭に迷わずにいることにほんの一瞬感謝する。
袋を抱え込んで食べている俺が餌をくれる人間に見えたのか、鳩が一匹、また一匹と集まってきた。靴の近くまで鳩がくる。もともと臆病なせいもあるけれど、七八匹の鳩に迫られると小さな恐怖だ。鳩は大嫌いと言った女の子がいたが、なるほどわかるような気がした。
鳩が怖くて公園をあとにしたのだが、なんとも気分が滅入る。
12月19日 さよならCOLOR
カーラジオのDJは「お送りしたした曲は、さよならから、なんとかかんとか…」と英語だか日本語だかわからないイントネーションでしゃべった。局はインターFMだ。
アコギの静かで地味なイントロからはじまるバラードだった。
大宮アルシェのレコード屋(ぼくはここがあまり好きではないのだけどしょうがない、大宮では一番でかいし。しかし雰囲気のよくないレコード屋だ)の検索機で「さよならから」と入力するといろいろ出てきた。
そのなかでタイトルに「さよならから」と使われている最近の曲はない。ひとつだけあったのが、というか似かよっていたのがSuper
Butter Dog の「さよならCOLOR」だった。
ジャケットに写っていた男は曲のイメージとはほど遠いファンキーな感じだった。
「さよならから」と聞こえたのは「さよならCOLOR」だったのか?
店員に「この曲アコギ一本ではじまるバラードですか?」なんて聞ける性格ではないし、ましてやこの店にはそんな優しさは存在しない、と勝手に決めつけている。
三分くらい考えたとけど結局は買った。
喫茶店に寄って歌詞カードを読む。なんとなく車での曲だった。
「そこから旅立つことはとても力がいるよ 波風たてられること嫌う人ばかりで ………………サヨナラからはじまることが たくさんあるんだよ 本当のことが見えているなら その思いを僕に見せて」
昨日からこればっかり繰り返しで聴いている。
12月12日 手書きの予定表
池袋で映画「光の雨」を観た帰りの電車のなか、ぼくが立っている斜め下方の女の子が少し皺の寄った紙をじっと見ている。それはなにかの予定表らしい。「池袋・西武」という手書きのタイトルがあり、線引きがされ名前の欄があり、横には月日が書かれている。
そういえばぼくの会社の予定表もずっと手書きだった。それがいつの時期からかワープロ書体の見映えのよい予定表になった。いったいいつからだろう。
彼女はずっと予定表を見ている。頭を斜めに少し沈めるようにして見ている。
予定表は永遠のベストセラーという言葉をどこかで読んで、冗談じゃねえと、なるべく予定表を見ないようにしていた時期がある。明日から三日間どこどこで次があそこでそしたら休みか、とか思いながら予定表を見るのは敗北思想だと、ひねくれていた。
「敗北思想」という言葉が「光の雨」にはふんだんに出てくる。
「光の雨」はずっと観たかったんだけど、観ないで済ましたいという気持ちもどこかであった。
いつか「光の雨」について語りたいと思う。
12月11日 それが問題だ
腐った日本と、そこに済むアホなガキやバカな女や諸々の恥知らずたちとなるべく接触しないで生きるには、やはり宝くじか。
「場所をかえて、三箇所ぐらいで買うのがいいでしょう」とテレビで誰かが得意げに言っていた。
三箇所か。バラ、連番、バラといくか、いやいや連番でなくては三億はないのだから、やはり連番、バラ、連番だろうなどと考えていて、「レンバン、バラ、レンバン」と小さく発声してみたら、なんだか妙におかしくなった。アホらしいというか、いと滑稽なり。
気分を変えてブルースの練習。
マーシャルのアンプにエフェクターは「ブルース・ドライバー」だ。
いきなりかなりの音量で弾いたら、びっくりしたのか隣の犬が鳴きだした。
12月10日 三番手も四番手もちゃんとまわらなきゃ
3連単のレースにおいて、ラインの三番手が誰かということは直接車券に関わる重要な問題である。(もちろん2連単だろうがなんだろうが競走の推理においてはおなじく重要なのだが)
だけども選手のほうは平気で選手紹介とは違う位置をまわったりする。
たしかに同じ三番手なら利のあるほうの三番手や、叩いて出るほうの四番手を選ぶのは人情だが、その時点でスジの車券がはかない別線車券になるわけで、お客さんをがっかりさせることになる。実戦で違う並びをした選手に対する罵声は厳しい。3連単の時代になれば、三番手や四番手にもお客さんの厳しい目が注がれることになるのを、選手は自覚すべきだし、関係者も考えるべきである。
12月9日 石原慎太郎がアリーナにいるK1
K1の決勝戦は凡戦だった。K1シンパから言わせれば、真剣勝負のすごみであるとかいろいろ反論はあるのだろうけど、ぼくには退屈だった。そしてそれにも増して嫌な感じだったのは、アリーナで観戦する石原慎太郎をテレビが大写しにしたことだった。
「石原都知事も観るK1」という効果を期待しているのか、ただの権威傾倒なのかしらぬが、とても嫌な感じがした。
石原慎太郎が観るK1なんてというのは、まったくぼくの私怨まるだしの感想になるのだろうが。
相変わらず長島一茂や藤原紀香がいる放送席、有名人が陣取るアリーナ席。
こんな興業が長く盛ってはいけない。
12月8日 「笑う3連単」の原稿
3連単についてのぼくの「総括」というか感想めいたものをアオケイの「笑う3連単」というコラムに載せたので、それをここにも転載しておきます。
3連単がはじまって昨日で6日。的中は2回だけだけど、なかなかどうして面白い。いままでこのページでもけっこう3連単について否定的な発言をしていたけど、反省というか転向。3連単ウエルカム派にになりました。以下、なぜ「歓迎」なのかということを書いたコラムです。少し長く、うまく表現できていないかもしれないけど、ヒマなら読んでください。
12月7日 3連単は車券の「構造改革」
競輪でいくら儲かれば一応満足するか。「そんなもん際限なんかねえ」と言われる
かもしれないが、ま、各自「目標となる額」というのはあるはずだ。
たとえばそれが10万円だったとする。
いままでの枠番や車番では500円の配当なら2万円、1000円の配当なら1万円、200
円の配当なら5万円、いや利益を考えればもっと投資しなければならなかった。
むろん万穴なら千円で済むし、2万円の配当なら500円でいい。だけど2連単で
は、かなりの理外の理を求めないと成立しない配当であった。理屈の立つ車券からは
遠いということだ。
言い換えれば、いままでの車券システムにおいて理屈の立つ車券で10万円にしたい
ときには、それなりの投資が必要だったということだ。
3連単はそこのところを「楽に」してくれた、というのがぼくの感想というか、3
連単の位置付けであり効用だと思う。
むろん10万円台の配当の出現率も上がったわけだし、やっていれば100万の配当
だっていつか出る。その方向を3連単の魅力と考える人が多いのは否定しないし、自
分もそういうものに期待して車券を買うことは多々ある。
しかしそれとは別に、いままでは理屈の立ちにくかった10000円以上の配当を、3
連単ではある程度「読み」を存在させながら買えるという要素が3連単の大きな魅力
なのではないだろうか。
枠でも車番でも2連単の時代では、何とか10万円にしたい、ならば500円配当を二
万、200円を五万とかずっとやってきた。金がなければしょうがないから無理を承知
で万シューを千円。
だけど3連単では違う。
手元に二千円しかなくても、理屈の立つ車券で10万円にすることが可能になった。
むろん、当たり外れは別です。理屈の立つ結果ばかりがギャンブルではないのだか
ら。
十年前に比べれば10万円の価値というのは下落している。だけど競輪という競技は
10年前より確実に当たらなくなっているし(この言い方は語弊があるだろうけど)、
ルールも選手気質も複雑? です。
しかしその競輪で満足のいく「戦果」をあげるにはそりなりの投資がかかる。その
投資を減少させてくれるというか、投資と利潤の関係を「修復」してくれるのが3連
単なのではないか、というのが3連単にたいするぼくの総括めいた感想です。
「なに言ってるんだ、504通りに増えたのだから買い目を増やさなきゃ」とか「点
数が増やしてすごい配当を狙う」のが3連単なのだというもの言いもよく聞くし、そ
う公言している解説者たちもいます。
だけどぼくにとっての3連単の意味付けは、繰り返しになるけど、資金不足でも理
屈の立つ車券で逆転が可能になったという「車券の構造改革」なのです。
なにか長々書いてしまいましたが、3連単は確実に競輪ファンに受け入れられるこ
とでしょう。ぼくはいままで「3連単」というものに懐疑的でしたが、前言撤回、よ
うこそ3連単、という感じです。
ただ既存のファン以外、つまり新規ファンの参入にどれだけ3連単が貢献できるか
という問題については、まだまだ疑問です。3連単は車券の魅力についてはすごく効
用があるシステムであるというのは厳然とした事実だけど、競輪競走自体が変わった
わけではないのですから。
新しいファンにうったえる術は「すごい競走」しかないのです。 竹林一
彦
12月6日 牛の一生
テレビで狂牛病のことをやっていて、フランスの牛はパスポート制であるらしい。
「フランスの牛は一生、このパスポートによって管理するわけです」と解説の声。
だけど死んでから、つまり食肉になってからもパスポートはついてまわるわけで、このもの言いは正確ではないし、なんだか「牛の一生」という言葉が悲しく聞こえた。
ちょうど歯を磨きながらこれを観ていたのだけど、流しで口をゆすいだとき、吐き出した水の下に虫がいて直撃、虫の一生を終わらせてしまった。
なんだかなあ。
11月30日 敵は身内にいる?
「3連単がスタート」という新聞記事をある競輪ファンが見る。ほうと呟きながら会社へ行く。帰ってきてスピードチャンネルのダイジェストを見る。
いったいどんな配当がでてるのだろう、ドキドキしながら見る。
しかしである。テレビは3連単の配当を無視して放映され続ける。
「おいおい、どうなってんだ」誰だってそう思う。
どのような技術的な理由があろうとも、これは愚行である。手書きのフリップでてもかまわないから3連単の配当を流すべきだ。
競輪界最後の一手と公言する関係者もいるなか、身内とも言えるスピードがこれでは、あきれるしかない。
なんとかしよう、なんとかしなければと一枚岩にならなければいけない現在に、水をさす敵という表現はいささかも過激ではないはずだ。
11月29日 競輪場で文庫本を読む男
京王閣はバックもホームも新築となって、かつての面影があるのは2センターのスタンドだけとなった。昨日その遺跡のようなスタンドの下を歩いていたら、陽の当たるベンチでまだ20歳台に見える青年が文庫本を読んでいた。
ぼくもある時期、毎日のように文庫本を片手に競輪場にかよっていたことがある。
その激しく競輪に淫していた時期。その場所場所でかならず見かける顔が幾つかあった。西武園の特別観覧席には水戸黄門とまるっきり同じ装束の老人がいたし、立川のゴール前の金網には、レースが終わるたびに「当たった、当たった」と叫ぶ名物おやじがいた。
黄門様、当たったのおじさん、競輪はなんと3連単なるものをはじめました。
いまどこに、この世なのかあの世なのか、どうしておられるか知りませんが、3連単をどうぞ見守ってやってください。
しかし話は変わるけど、3連単の新聞の広告。なんでよりによって中山秀征なんだろう。あんな魅力のないタレントに「やっぱり血液型とか星座とかで…」などとアホなこと言わせておいて、なんの効果が望めるのだろう。中山さんがやっているなら競輪行こう、なんて若い奴は皆無でしょう。
ま、文句ばっかり言ってもしょうがないけど、中山はないよ、ほんと。
11月28日 沖縄
今日付けの朝日新聞の天声人語が、沖縄への観光客激減について触れている。
「修学旅行のキャンセルは17万人を超えた。」「行き先を変更した学校が大半で、変更先は東京、大阪周辺がけっこう多い。かなりの部分がディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパン゜に流れたのではないかと見られる。米軍基地を敬遠して米国産テーマパークへ向かう。考えてみれば皮肉な光景である。」(以上抜粋)
今回の戦争によって日本人の大半が敬遠し危険視する場所があり、それが沖縄である。
ほとんどの日本人が沖縄の「苦」を認めながら、それを傍観してきた歴史は続いている。
言い換えれば「沖縄差別」である。
観光復興とかそういう趣旨ではなくとも、こういうときこそ沖縄にいかなければいけないのかもしれない。
11月26日 申し訳ないが気分がいい
朝起きて「液キャベ」を飲んで風邪薬も飲んで寝たり起きたり。昼過ぎからストーンズの古いやつをずっと聴いている。「12×5」「out
of our heads」「now !」「december's children」。風邪薬が効いているせいもあってかいつもよりリズムがはいってくる。音を消したテレビではカンボジアの大火、アフガンの戦争。だけどぼくは少しラリっていて…。申し訳ないが気分がいい。
11月24日 グルーバーズのライブ
地下鉄の途中駅から乗ってきた男はテニスラケットを2本持っていた。椅子に坐るなりナガセレコードと書かれた袋を破ってCDを取り出した。気づかれないようにCDのジャケットを確認したら石原裕次郎ベストと加藤登紀子だった。
そんな光景に出くわしたあとで新宿へ。コマ劇場の裏手にあるロフトでグルーバーズのライブだ。藤井一彦(ぼくとおなじ名前だ)のギターは相変わらず「転がって」いた。いい気分で歌舞伎町をちょっとだけひやかして帰ってきた。帰ってきていまジョニー・リバースのロカビーリーを聴きながらこれを書いている。
テロの影響で海外旅行が敬遠され、その分なのかどうかしらんが高級おせち料理の予約が増えているという。高級おせちを家族で囲んでアホなテレビ番組でも見るしかないのだろう。
こんなときだからアホ番組の制作などやめてNHKの傑作「映像の世紀」を全局で放映する、なんてことはできないよな。
そうだ、CDを加古隆のベストに換えよう。
11月20日 デーブ・スペクターの愚かな発言
20付けの日刊スポーツ。拘束を解かれ帰国したジャーナリスト柳田大元氏の発言に対してデープ・スペクターがこう言っている。「柳田さんの言っていることは世界の論調と逆行していて(中略)タリバンを擁護するというのはこの戦争の全体像が分らないんでしょう。それに日本の国会議員もわざわざパキスタンに行って解放交渉をしたのに日本政府を批判するのもおかしなことです」
「世界の論調」「この戦争の全体像」をデーブ・スペクターが確信しているのは、それはそれでいい。自分の判断にずいぶん自信がおありなのですね、ということだ。ただ「解放交渉してくれた日本政府を批判するのはおかしい」というもの言いはそれこそおかしい。日本国家が日本人を救出するのは当り前のことである。救出する人の主義主張には関係ないし、ましてや今回の戦争には日本も加担しているのだから。
解放の労に感謝しろというのならまだ分かる。だけど助けてもらったのだから政治的批判をするのはおかしいという発言は愚かしい。しかも同じジャーナリズムの世界にいるわけでしょう、あなたも。いつだったか川が増水して救出されたガキどもがレスキュー隊のひとたちに悪態ついたのとはワケが違うのだ。助けてもらったのだから主張を曲げろとも聞こえるデーブ・スペクターの発言にはあきれてしまう。
11月19日 しし座流星群
集英社のイミダスによると、しし座流星群「33年ごとに活発な活動を見せる流星群。1998年から2002年頃までが活動期に当たっている」。流星「数mmから数cm程度の砂粒か氷のような固体粒子が地球大気に突入し、摩擦熱で高温となり発行する現象」とある。
べつに見る気もなかったのだが、何かに呼ばれたように目がさめたら3時だった。
そうだ、とベランダに出たらすぐに星が流れた。
次から次へという感じではなくとも、短時間のなかでこれだけの数の流れ星は経験がない。都会の汚い空でこれだけのものなのだから、田舎の山の上や大島の海岸でならさぞかし…という欲望がちょとだけもたげた。。上ばかり向いていた首は少し痛くなったが、午前3時にぼくを「呼んでくれた」見えない「何か」に感謝したい。
11月18日 三連単
「競輪の三連単なんてギャンブルにならん」と吐き捨てていた友人たちも「ま、やるからには買わんとな」と語調が柔らかになってきた。
この30日から三連単がスタートする。三連単がはじまったからって競輪が即活性化するなんていう夢みたいなことは誰も思わないだろうが、話題づくりにはなるはずだ。
それよりも既存のファンがどの賭式の車券を最終的には重視するかがぼくには興味深い。
競艇の場合は簡単に三連単が二連単を凌駕したけど、競輪の場合はそうはいかないだろう。
504通りか。たしかにインパクトはあるけど、いまの競輪はただでさえ当たらない。
「読めば読むほど…」と競輪のCMが流れているけど、読めば読むほどアホらしくなってくるレースもまた多い。しかも当たらない。どうせ当たらないなら三連単か?
どうなることやら。
11月17日 玄侑宗久
前から気になっていた玄侑宗久をやっと読む。
「中陰の花」と「アブラクサスの祭」を続けて読んだ。電車の中、喫茶店、寝床と本を離さなかった。「アブラクサスの祭」では躁鬱で分裂症の僧侶がロックを歌う。アブラクサスとは神様と悪魔を兼ね備えた存在だとあった。
「中陰の花」の中陰とはあの世とこの世のあいだというのか、あの世でもこの世でもないところをさすらしい。
いま「アブラクサスの祭」を読了した直後だが、なんとも不思議な気分でいる。
11月14日 ユーミンのベスト
テレビのCMでユーミンの歌を聴き昔の男との日々を想い出すというのを見た。
ぼくがユーミンの歌、とくに初期の荒井姓時代の歌で連想するのは異性ではない。
ひとつは大学の先輩だった小原沢さんという男性で、たしか水道橋から15分ぐらいのところのアパートに下宿していた。
ユーミンの存在は彼の部屋のレコードジャケットで知った。彼はユーミンと、そのころショーケンがドラマ「傷だらけの天使」のなかで着ていたメンズ・ビギという服をぼくに教えてくれた。
ユーミンから連想するふたつめは新宿歌舞伎町だ。いまほどチャンネルの多くない歌舞伎町の有線放送、いつも夜の10時になると誰のリクエストか知らないが、計ったようにユーミンの「翳りの部屋」が流れた。なんとも暗く重いこの曲をぼくは、新宿の街のある店で数週間続けて聴くことになったのだ。
11月11日、昼間 マノロ・カラスコのサイン
池袋のHMVでミック・ジャガーの新しいソロを買おうと手にしたときにピアノでのセビジャーナスが大きな音で流れてきた。。ピアノにギターがかぶるフラメンコに聴き入ってしまった。「いま流れているのは?」と店員にたずねると、スペインの新進ピアニスト、マノロ・カラスの日本デビュー盤であると言う。
さっそく買った。買ったらレジの女の子が「いまクラシックの売り場でマノロ本人が来ていてサイン会の最中なんです」。あんまり勧めるからその場にいってサインをもらい握手までしてもらった。
最近フラメンコから遠ざかっているけど、ふいにあのリズムを聴かされると少しだけだが確実に体が動くし、体温も上昇する。
11月11日 工藤静香の君が代
テレビで工藤静香がサッカーの試合前に君が代を歌うVTRが流れていた。
最近アメリカの猿真似のようなセレモニーというやつがやたら多い。
ま、それはともかく、工藤静香のアカペラは勘弁してくれだ。
11月10日 言葉の果てに雨が降る
街に流れる音楽。
カーラジオ、喫茶店の有線。この曲いいなと思って曲名やら歌手名をうろ覚えにする。
その「うろ覚え」の記憶の断片がレコード屋や本屋で「本人」と一致したときの嬉しさの「質」はティーンエイジャーのときからまったく変わらない。
深夜の車中で聴いてずっと頭に残っていた曲、「瞳は空を吸い込んで 涙の色は水色に あなたはまた同じ場所で 空を見上げ 言葉はない」と歌うヘルマンH&ザ・ペースメーカーズの「言葉の果てに雨が降る」にジャスコのWAVEで「出会う」ことができた。
記憶にあったのは「言葉の果てに…」という歌詞ぐらいだったのに、なぜかこのアルバムに辿り着けた。すごい偶然で。
この曲いいなと思いながら二度と聴かずに死んでいくという場合だってたくさんあるわけだから、いや竹林、きみはけっこうラッキーメンだよとビールで祝杯した。
11月9日 定員制の新人デビューの愚かさ
86期がデビューして数か月がたった。
もうA級でも優勝しているもの、いまだB級の準決勝もアップアップのもの。
強い奴は強いし弱い奴は弱い、ってあたりまえか。
プロ野球の場合、毎年新しく入団してくる選手の数は不定である。豊作の年もあれば不作?の年もある。結果はともかく、プロにはいって活躍できる可能性があるであろうひとしか入団が許されることはない。
なのに競輪ときたらどうだ、競輪の新人に関しては最低限のレベルというものが(関係者はあると言っているが)先にあるのではなく、まず定員ありきではないか。
強い弱いという表現だけでは正確なもの言いにはならないかもしれないが、「あまりにも弱い新人」は競輪界には不要である。同じひとりなら、まだ経験のあるベテランのほうがいい。
あまりにも弱い新人をふくめて毎年定員を送り出すことの愚かさよ。
あまりにも弱い新人を平気で送り出す教育システム、その教育にたずさわる人たちの責任が問われなければいけないのではないか。
11月6日 御茶ノ水の喫茶店
ほんのちょっとしたひょうしに、たとえば車窓から見えた看板だったり、料理屋から外の道路にもれているにおいだったりが昔の思い出につながることがある。そしてそれが連想を重ねていく。
大学時代の御茶ノ水の駅、聖橋。天ぷら屋、喫茶店ハイライト。学生だらけの雀荘。マージャンをしているあいだにノートをコーピーをしておいてくれた雀荘の女の人の顔を思い出せない。
何十年も会っていない人、連絡のつけようもない人、恩人、先輩、後輩、元恋人、元の妻、D君、Hさん、アキノリ。
皆、元気ですか。ぼくはまあまあです。
11月5日 全日本の決勝戦について
山田裕仁のイン切りが物議をかもしている。
しかしあれだ。もし山田がイン切ったあと三番手なりに飛び付いて優勝したとしたら、それでもあの作戦は酷評されるのだろうか。
選手紹介で三番手なのだから、イン切りしてからの三番手キープ作戦は認められない、あくまで外競りになろうと三番手にいるべきだろう、というのが山田を非難する人たちの「思想」なのか。
ま、どっちでもいいけど、イン切りというのは列記とした作戦である。それとも一流はイン切りをしてはいけないということなのだろうか。ま、しかし山田も山田だ。選手紹介で少しはそれらしきことを山田はファンに教えなければいけない。たとえ他の選手に覚られる危険があったとしてもだ。客にはヒントは与えなければいけない。競輪とはそういうものだ。野球とかサッカーとは違うのだから。
山田のイン切りばかり論じられているけれど、もっと叩かれなければいけないのは、松岡の番手が無風だったということではないかと、ぼくは思う。小橋は濱口の同期だし…とかいろいろ考えるのは勝手だし本人の気持ちなど誰にもわかりはしない。だけど競輪だったら、ほんまもんの競輪を見せたいなら、誰かは松岡にジカでいかなければいけない。その競りによって共倒れが見えていたとしてもだ。伊藤の捲りもあるからだって? ばかを言うな。今回の松岡のデキは半端じゃないのは客でも選手でもわかるはずだ。その松岡の番手が初手から競りにならないレースは競輪とは呼べない、とぼくは思う。
11月2日 人の気持ち
隣の家のおじいちゃんが亡くなった。
朝ぼくが新聞受けに朝刊を取りにいくと、たいがい庭に椅子を出して煙草を吸っていた。
逝ってしまった日の数日前もおなじようように煙草を吸っていたのに。
いつも微笑しているおじいちゃんとは逆に、おばあちゃんのほうは近所でも評判の口うるさい人で、ぼくは苦手にしていた。「おじいちゃんがこんなになっちゃって」とおばあちゃんは言ったという。突然伴侶を亡くした悲しみ。その真がぼくにわかろうはずもないが、悲しみの一端が胸に響く歳にぼくもなった。そんなもの歳には関係ないという人もいるかもしれないが、すくなくとも若いころのぼくにはわかっていなかったと思う。たとえばぼくの父が急死したときの母の悲しみをもだ。
若いやつはなにもわかっちゃいないと怒るぼくが、実は若いころはもっとなにもわからんやつだったのかもしれない。歳を取らなきゃわからないことも多い、とこのごろ思うことがよくある。
11月1日 花月園11レース
東出剛がインを突いて、というより近回りをして1着。赤旗は一本も上がらずだからルール上は問題なしのレースなのでしょう。
もうアホらしいから言うのはやめようと思ってたけど、もう一度。
選手間ではあれが正当で巧い競走であったとしてもだ、見ているファン、とくに競輪という競走をビギナーにアピールすることにおいては「最低の見せ物」だということを、少しは皆わかりなさい!
三連単だの小手先をいくらいじったって、肝心の競走が小学生の徒競走以下では新しいファンなど増えるわけがない。
11月1日 花月園全日本選抜開幕
このページで1回だけ金子真也のことを褒めたことがあるが、前言撤回だ。
なんなの、今日の3レース。ああまで簡単に同県の後ろを渡してしまっては競輪は成立せんよ。重注が多いからなのか理由はわからないけれど、あれじゃ小林大介がかわいそう。金子がもう少し闘ってくれていたら、一旦三番手に飛び付いているのだからなんとかなったかもしれないのに。べつに小林を買っていたわけではないけれど、あまりにも金子が無抵抗だから…。初日から「嫌なドラマ」を見せられた感じ。
10月29日 反戦ならぬ闘おうのスーパーライブ
ミックよポールよ、皆で集まってなぜ反戦ではないのだ。
「これこそはと信じられるものが この世にあるだろうか 信じるものがあったとしても 信じないそぶり 悲しい涙を流している人は きれいなものでしょうね 涙をこらえて笑っている人は きれいなものでしょうね」と歌う吉田拓郎の「イメージの詩」。
ニューヨークがんばれと叫ぶなら、アフガンの難民キャンプの前で「イメージの詩」のような曲を歌うというような行為もなければいけないのではないか。もしジョンが生きていたらどんな行動をし、どんな歌を歌ったのだろう。
10月22日 スポーツの残酷さ
こいつはここで打ってくれるだろうと皆に思われてそのとおり打つ選手は一流で、その一流は打てないときには酷評される。
こいつは打てないだろうと期待されぬ二流は、打てなくてもまあそんなに叩かれるということはない。たまに打ったりするとなんだか違うもてはやされ方をされる。
野球にはこの一流と二流の境界線というようやものが自然に、正当に、そして残酷に引かれている。一流は成績もプレーも一流である。
競輪はどうだろう。
昔の競輪は特別のタイトルを取れば文句なく一流だった。だけどいまは違う。特別を取ったって二流と言わざるを得ない選手は間違いなくいる。
一流は成績はもちろんだけど、闘いかたも一流でなければいけない。
夕方からずっとレニー・クラビッツの新しいアルバム「レニー」を聴いている。
10月19日 「最後の家族」
今週号のピアに村上龍のインタビューが載っている。
村上は最新作の「最後の家族」について語っている。この小説はテレビ化もされ、脚本も村上の手によるらしい。観たいなという気持ちも少し起きたが、主演があの赤井英和だと聞いてやめにした。
インタビューの後半、村上はこう言っている。「たとえばある作家が週刊誌にガングロの悪口を書くんですよ。『よくわからない』とか、『バカじゃないか』とか。だけど、そういう人たちから『バカ』って言われるためにやっているわけだから、連中は。ほんとにガングロの女の子を不快に思ってるんだったら、ガングロの女の子に届くような媒体に書かなきゃダメですよね。週刊誌なんて高校生誰も読むわけないんだから。親に向けて書いてるかっていうと、そうでもないんですよ。どういうことかっていうと、『あいつヤだよね』って仲間内で言ってるだけなんだよね、結局、イヤだったら、そこ行って言えばいいんですよ。でもそうじゃなくて、仲間内での価値観の同じようなところで『ほんと、あの人たちたまんないよね』とか『イスラムってこわいよね』って言い合ってるだけなんですから。そういうのは、すっごい嫌いなんですよね」
考えさせられる「指摘」である。
10月18日 高橋尚子の写真
電車をよく使う人には見覚えがあるかもしれないが、東京新聞の車内広告にマラソンの高橋尚子が使われている。そしてその写真の出来栄えがひどい。ともかく変な顔に映っているのである。もともと美形というわけではない高橋だが、なんたってマラソン世界一女子だ。走っている顔は凛々しいし、笑顔はかわいい。いい写真はいくらもありそうなものなのに、なにもこんな写真使わなくても、と誰もが言いそうなやつが電車という電車に並んでいるのである。
この写真を撮った写真家と、それを作品OKにした人間のセンスというか能力を疑わざるを得ない。
10月14日 まるで心のこもっていない「そうですね」
競馬中継を見ていたらある騎手のインタビューの映像。なにか聞かれると気のないトーンで「そうですね」しか言わない。インタビューアーのことが気にいらないのか忙しいのかしらないが、テレビの向こう側には競馬を支えてくれるファンがいるということがまるでわかっていない。
競輪選手にもこのタイプがいるけれど、どうしようもないね。口ベタは口ベタでいい。ともかく向こう側にファンありき、という気持ちに少しはなれないものか。
10月13日 涙とともに種を蒔くもの
赤羽の街をうろうろしていたらいつのまにか教会の前。
掲示板のようなガラスケースのなかに「涙とともに種を蒔くもの」の文字があった。
爆撃に死したアフガンの人。逃げまどう国境線の難民。いったい彼らは生まれてこれまで、なにかいいことがあったのだろうか。いいこととはなにかという疑問があったとしてもだ。たとえばこうでもいい。アフガンの難民はこれまでただの一度でも腹いっぱい食べたことがあるのだろうか。そしてアメリカの爆撃によって死んでいくかもしれないのだ。むろん貿易センターで死んだ人間も悲劇だ。しかしなにもいいことがなく、ただ理不尽に死していくアフガンの人に対しての罪は、いったい誰が背負うのだろう。
「ダイエットなの」とラーメンを半分捨てる日本人。いままで腹五分目さえ経験のないであろう難民。理由はどうあれ食えているほうが食えないほうを攻撃する。
「南北問題」などという陳腐な言葉では括れない「ひど過ぎる不平等」が目の前に存在している。
10月10日、元体育の日 渡哲也の車内づり
10月10日は統計的にほとんどが晴天で俗にいう晴れの特異日だったらしい。
しかし「体育の日」を外されて神様がむくれたのか、ひどい雨が降っている。まさかどしゃ降りを装った「バイオテロ」では、というのが洒落にならない暗い世相だ。
車内広告に渡哲也のアップ。「この街に銃はいらない」だったか、銃器取締りのコピーがあった。「西武警察」という番組で拳銃からバスーカまで打ちまくっていた渡さんが銃器取締りというのもなんだか滑稽な気がした。ま、高等な洒落を散りばめた広告という見方もできるのだろうが。
10月9日 渋谷AX
原宿駅で降りて代々木体育館の方。まあ大丈夫だろうと歩いていったが全然見つからない。見つからないのは渋谷AXというライブハウスだ。いったりきたりしながらやっと見つけたが、開演に15分遅刻してしまった。
ひさしぶりにチャボこと仲井戸麗市のライブ。
なんと3時間45分の長丁場、しかも彼は今日で51歳になった。
終演した会場にジョンの「Don't Let Me Down」が大音響で流れた。
チャボの「打破」という歌の歌詞に「世界中のヤバイニュースも 茶の間のテレビで知る 14インチ分程度のニュースさ」とある。
悲惨な戦争がテレビのなかだけのものと錯覚してはいないかと、自分に問い掛ける。
10月4日、夜 武部農水相らのパフォーマンス
白い前掛けをして牛肉を食べる大臣たち。
「この部分は大丈夫です、ここも、牛乳も…」
ちょっとまってよ。
安全が保障されている牛の霜降りを食べたってしょうがないでしょう。
だって感染している牛でも眼や脳や脊髄附近以外は安全なんでしょう。だったら感染した牛を食べて「カルビやロースの部分はへいちゃらです」ぐらいやらないと誰も納得はせんですよ。
まったくもって滑稽なり。
10月4日、夕方 鼻血の小学生
赤羽駅の近くを歩いていたらあわてている様子の制服すがたの女の子ふたり。ひとりの子がかなりの鼻血を出しており、地面のアスファルトにも血が点々としている。
ぼくは自分の鞄からティッシュペーパーを出したけど、どうしたもんだか要領を得ない。そこへ年配の女のひとが通りかかって、「上を向いて」「これをこうやって鼻に詰めて」とてきぱき。
ぼくは女の子から電話番号を聞いて母親に知らせるぐらいのことしかできない。母親は駅まで来るという。赤羽駅前の交番に預けることにした。警察官は女の子の血がついた手を奥まで連れていって洗ってくれた。帰るとき婦警に敬礼をされたぼくは、どんな表情を返したのか憶えていないというか認識していない。。
ぼくは警察というものが嫌いだけれど、こういうときに頼りになるのは警察と、歳のいった女のひとなのだなと思いながら喫茶店でコーラを飲んだ。
10月4日 祭ばやしが聞こえる
CS放送のファミリー劇場というチャンネルで「祭ばやしが聞こえる」というドラマを再放送している。ショーケンこと萩原健一が競輪選手役を演じている20年以上も前のテレビドラマだ。その劇中に流れる当時の競輪場の熱気のすごいこと。
このドラマを観て競輪選手になったという現役選手もいると聞く。
ぼくはといえば、このドラマが発端ではないにしても競輪記者になった。
毎週不思議な気分でこの放送を観ている。
10月3日 大河の一滴
有楽町で「大河の一滴」を観る。
どうしようもない愚作。なにゆえに安田成美などをつかうのだろう。それから南野陽子も。
三國連太郎と倍賞美津子の演技でもっている、いやあまりに脚本がお粗末で…。ほんとうに新藤兼人のホンなのだろうかと疑ってしまう。加古隆の音楽だけに涙腺が刺激されるだけの映画でした。ま、映画1000円の日だったもんで、金返せとは言わんけど。
10月2日 レコード屋の警備員
新宿のHMVというレコード屋。いまレコード屋などとは言わないか、HMVというCD屋さんと言えばいいのかな。ともかくそこでの出来事。
ぼくが日本のレゲエのコーナーで物色していたら、「至近距離」を警備員がゆっくりゆっくり歩く。まるでぼくをマークするみたいに。俺、疑われているのかな? と思ってしまう。ま、しばらくすると彼はいってしまった。ぼくは2階に移動、洋楽のレゲエのコーナーへ。とそこにはさっきの警備員。警備員はBかCのあたりの棚から一枚のCDを手にしたところだった。??? 警備員の万引き? 警備員はそのままレジへ。そう、お買い上げだったのです。レジの女の子と親しげに話す警備員。彼はレゲエ好きらしい。ぼくはなんだかほんわかした気持ちになった。と同時にぼくのなかにある「差別」の種みたいなものが気になった。
ぼくが警備員の制服だとかデパートなんかですれ違う清掃員の制服を見る目は、やさしくないと思う、おそらくきっと。
9月31日 長嶋監督の勇退
長嶋が現役を引退したのは昭和49年だった。
最後の試合は後楽園球場、中日とのダブルヘッターだった。その日ぼくは高校を途中から抜け出しそこにいた。満員札止めにもかかわらず、外野席の塀をよじ登って球場内にはいり長嶋の最後の打席に間に合った。6-4-3のゲッツー(もしかすると5-4-3か)だった。塀をよじ登り不正入場するひとを係員は黙認していた。
あれから27年だ。そんな思いで監督勇退のテレビ放送を観ていた。
9月28日 井戸が欲しい
「プラダが欲しいの」と声高にしゃべる若い女。その横では化粧の合っていないガキが携帯でがなっている。
「この背景になにか欲しいよねえ」と、どこかの会議室。ぼくは街を歩きながら、冬物の上着が欲しいと思っている。
枯れた大地を歩くアフガンの子どもは「井戸が欲しい」と言った。
ぼくをふくめ、ほとんどの日本人は皆バカで唾棄すべき低脳だ。
9月26日 太陽を盗んだ男
長谷川和彦の映画『太陽を盗んだ男』がDVDで発売された。もう二十年以上前の映画である。
内容は中学の理科の教師が原爆を作り政府を脅すというもの。「ナイターの野球中継を最後まで見せろ」「ストーンズを日本に呼べ」といった政府への要求が「時代」を感じさせるが、いい映画はいつ観ても何度観てもいい。
そのDVDには付録の映像がたくさんあって、そのなかで当時の11PMというテレビ番組に主人公の沢田研二と監督の長谷川和彦が出演しているものがある。司会は藤本義一だ。
まあ、そこでのジュリー(沢田)のかっこよいこと。
いまのキムタクなんと比じゃない、かっこよさである。
ジュリー!
9月24日 あれでいい
オールスターは伏見の優勝。
伏見の「車券を買ってくれたファンのおかげです」という発言は素晴らしかった。伏見の競輪にたいする感謝の気持ちが伝わってきた。
松本と渡邊の競りもよかった。
あそこでやっちゃあ優勝はないでしょうという物言いは愚かだし、優勝を取るなら競りは…と考える選手にも魅力はない。
あそこで競っては優勝はないかもしれないが、あそこで競らなかったらやはり優勝はない、というのが追い込み屋なのではないだろうか。
へいちゃらで捲りにまわった山田も「らしい」といえばらしい競走で、ひさしぶりにいいドラマ観させてもらいました。
9月23日 「ゴッド・ブレス・アメリカ」
アメリカではどこかしこで「ゴッド・ブレス・アメリカ」が歌われている。
映画『ディア・ハンター』のラストでもデ・ニーロらが歌っていた。
たしか歌は「ゴッド・ブレス・アメリカ、マイ・ホーム、スゥート・ホーム…」という歌詞だったと思う。
聖戦を叫ぶ側は「アラー」を口にする。
どちらも「神」を口にする。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の主人公は「見るべきものなどあるの」「見たいものなどあるの」と歌う。ぼくはこの映画で感情移入がどの人物にもできなかった。だから主人公の金を盗んだ警官が撃たれたときに、ぼくは「陳腐な裁判官」になり下がり、自分のなかだけの感情のバランスを取るというダメな決着をつけたがため、あとの展開がツラくなってしまった。
ぼくの古典的な映画の見方では、この映画は解からないのかもしれない。
キリスト教においてもイスラム教においても死に近づくことは昇っていくことである。いやそれ以外のどんな宗教においても、そこに神が存在するのならば「死」や「老いること」は昇っていくことのはずだ。死がポジティブなものという表現はおかしいかもしれないが。
しかしぼくら日本人のなかでそういう気持ちになれる人間がはたしてどのくらい存在するのだろうか。死や老いることは、下がっていく、降りていく、離れていくという暗いものである、と考えているとしたら、恐れしかない老後が待ち受けている。
なんとかしなくては。
ぼくはそこから抜け出したい。
9月22日 だけど君は
だけれども君はいま生きているだろう。
「わたしの彼は強いひとだから、きっと生きている」と長い髪の女が言った彼は絶望だ。
だけど君は生きている。だけど君は生姜焼き定食の大盛りなんか注文している。
ビールをごくごく飲んでいる。
アラー、と叫んだ男は確実に死んでいる。死体もあがらず溶けている。
だけど君は生きている。髪の毛の色を脱色したりしている。
君とはぼくだ。
吹っ飛んだビル、消滅した人間、怯えるゲリラ。
だけど君はたいして驚きもせず、山田詠美なんか読んだりしている。
だから君はいきているんだろう。
死んではいないのだろう。
やめていたコーヒーを飲んだ。たいして美味さを感じなかった。
やめてた煙草を吸うのも時間の問題だろう。
吹っ飛んだ男も女も子どももゲリラも、もうなにも食べられないし感じられない。
でも君は快楽をむさぼれるだろう。
誰かが言った、「これからの日本人は老いていく怖さが魔界のように忍び込む、この日本の、とりあえず食える国での自殺の多さはなんだ」。
だけども君は、いま生きているのだ。
それだけが事実だ。
9月21日 野猿の好きな少年
京浜東北線の車内。
三人掛けの席に2人の女子高生がゆったりと坐っていらした。そこに図体の大きな少年が奇声を発しながら中を割った。三人掛けの真中の席にどんと坐った。すこし障害があるらしい少年に驚いた女子高生2人は逃げていった。ぼくは思わず笑った。すると少年も笑っている。少年はCDのジャケットを鞄から取り出して見た。ひとつはシングル、アイドル系の写真だった。もうひとつはアルバムだった。途中駅で中年の女が2人隣に坐った。少年は大きな体をきっちり一人分の座席に埋めている。少年は「野猿好き」と中年の女にむかって言った。どうやらアルバムのほうは野猿らしかった。「野猿好き」の少年の言葉を受けて女は笑いながらなにか言った。
野猿なんてゴミだぜ、とはさすがにぼくも言えない。
ある駅の前でいきなり知らない男の子が寄ってきて「どこからきましたか」と大きな声で聞かれたことがあった。「埼玉県」「埼玉県のどこ」「浦和」。「名前はなんですか」「竹林」「竹林さん、これで終わり」と叫んで男の子は立ち去った。男の子はいろんな人におなじことを繰り返していた。男の子が缶ジュースを買って蓋を開けてくれるよう女の人に頼んだら、女は逃げていった。近くの高校生らしき男の子が蓋を開けてあげた。
昔ラーメン屋で、餃子にラー油と醤油を直接だぼだぼかけている女の子がいた。障害のある人は味覚にもその影響は当然あらわれる。
その光景を見てほとんど食べられなかったぼくと、その場でなにもできないぼくの滅入りをよく憶えている。
9月20日 目標
ぼくの2001年、残る三ヶ月の目標。
バカは相手にしない。
アホも無視する。
泣き言を言わない。
食べて飲んで悪口言って寝るだけ的な生活に陥らない。といって食べて飲んで悪口言って寝るだけの人を嫌わない。
どうせ動かないやつらには共闘を叫ばない。
バットのスィング速度を上げる。
もっと速く走れるように鍛える。
電車のなかでは貝になる。
9月19日 岐阜オールスター開幕
2レースの川原義哲は相変わらず。S取って下げてインをうかがう。開けば中団だしダメなら下げる。どっちにしても捲りだ。(たまには番手勝負も見せるけど、それだって、ただただインを潜ってくるやつだ)
中団ならきれいに捲り切る? 後方からだと自分だけ届く捲り? 中バンクを張られないように川原は踏む。「川原のレースはそれだよ、だからスジ違いを買えばいい」と友人は言う。むろん、そうだ。だけどこの川原の出走するレースで車券の「食欲」がわくファンは少ないのではないだろうか。
こういう競走を「スタイル」とは言わない。ただ自分がないというだけのことだ、とぼくは思う。
8レースの金子真也がよかった。
この選手、ほんとにGPレーサーかと言いたくなるようなレースが続いていたが、このレースに関しては感心してしまった。同県小林大介の後ろの競り(新開将のひやかしのようなイン粘で、たいしたことはなかったけど)をしのぎ、別線の捲りをきれいに止め、三番手からインを突いた藤田和彦をもしっかり締めて、小林に流れ込んだ。金子が「番手の仕事」しているときに姑息にインを突いた藤田が情けなく見えた。
9月18日 万華鏡
ぼくはよく幼児にじっと顔を見られる。とくにサングラスをかけているときなど、しょっちゅう見つめられる。そして幼児はすこし顔を引きつらせたりする。髪の毛の色も変だし、へんてこなサングラスが「鑑賞の対象」になるのかもしれない。それとも顔の形状だろうか。このページでもかつて書いたが、電車のなかで若い女ともめて「ブス」、女から「お前だった変な顔してるだろ」と言われた経験がある。幼児も「変な顔」に食指を動かすのだろうか。幼児の眼にぼくはぼくとして映っているのだろうか。じつは幼児の眼にはぼくなんかは映ってはおらず、それこそ万華鏡の世界が広がっているということはないのだろうか。
そういえばこのあいだはじめて、カレイド・スコープの意味が万華鏡だと知った。カレイドスコープというバンド名は万華鏡だったのか。
カレイドスコープのCDをくれた人のことを思い出した。
幼児の網膜に一度はぼくの顔が照射されたのは間違いがない。だけどそれはすぐ忘れ去られる。それがどうした。
長田弘の「すべてきみに宛てた手紙」のなかの「手紙1」から。
はじまりというのは、何かをはじめること。そう考えるのがほんとうは順序なのかもしれません。しかし実際はちがうと思うのです。はじまりというのは、何かをはじめるということよりも、つねに何かをやめるということが、いつも何かのはじまりだと思えるからです。
わたしの場合、子どのときから、はじめたことよりも、やめたことのほうが、人生というものの節目、区切り目として、濃い影のように、心の中にのこっています。
すぐに呼吸がくるしくなって、どうしても全力で走れずに、走るのをやめ、はじめて、最後にゴールするには、とんでもない勇気が必要だと知ったのは、少年のある日です。(中略)
ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったことと、わすれてしまったことでできています。(中略)
物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。
9月15日 電車のなか、死ねよブス
「携帯むこうでやってくれる」「チェッ」舌打ちか? 「このブス」破廉恥なバカ女は大概ブスだ。「うるせえ」「その顔ブン殴ってやりたいけど、これ以上壊れたら悪いから」と言いたかったけど、出た言葉は「化粧のやりかた考えな」。ついでに頭に人差し指を当てるポーズまでつけた。「うるせえ」としかブスは言わない。
迷惑防止条例とは痴漢行為だけなのだろうか。車内の携帯は逮捕には値しないのだろうか。今度専門家に聞いて、訴訟とか、バカ女に警鐘をうながす行動をとるつもりだ。などと記すと「やめとけ」と諭されるだろう。ま、たしかに時間の無駄だ。
携帯のバカ女を注意する。すると女が痴漢の濡れ衣を着せる。男は裁判で争うが巧妙なアホ女と怠慢な警察によって罪を着せられる。男はほとんどのものを失う。そして男は復習に出る。とっておきの方法で。という小説を書きたい。
9月15日 その一、金を賭ける気のしない選手
週刊・大衆のコラムで伊集院静が「金を賭ける気にならない」と某特別ホルダーを名指ししていた。ぼくもまったく納得である。競輪はたしかに展開がイノチだ。だけどその展開をつくるも壊すも選手だし、結局は選手に金を賭けるギャンブルなのだ。その選手が信じられなくなったとき、こいつは賭ける気しない、あ、これもダメ。
金を賭ける気のしない選手が増えれば、車券の売上げはさらに減る。
その二、狂牛丼
「牛肉や牛乳は安全ですから、安心してください」とアホ面のアナが言う。とにかくこう言うように、と圧力をかけられたような言い方だ。お前はほんとうに安全だと信じているのかと、ぼくは言いたい。「当局は安全と発表していますが、いま牛肉を食べたくないというのが皆の本心ではないでしょうか」ぐらいのこと、言えないだろうな。
価格破壊の吉野屋に対抗してどこかが、「狂牛丼、100円」とかやったら。
牛も人も死んでいるのだし、これは洒落にならんか。
その三、田中知事の発言
きょうの朝日新聞から、田中康夫の発言。
米国民の感じている悲惨さに触れて「私たちはこれまで、中近東やアジア、アフリカなどに(同じような悲惨さを)与えてきたのではなかったのかということを冷静に考えねばならない」
9月14日 ニューヨークの悲劇
「わたしの恋人は強い人だから、きっと生きていると信じています」と瓦礫の近くの路上で、ロングヘアーの女が涙声をふりしぼる。
ぼくにはただただ気の毒にとしか言葉がない。被害者にとってはそれは怒りとなる。
真珠湾攻撃以上の悲劇と米マミコミは報じる。
映画「パールハーバー」は恋人たちを襲った突然の悲劇が主題だった。
瓦礫を眼前にしての悲劇、それはいままで数限りなくあった。
アメリカが落とした原爆、ベトナム戦争、湾岸戦争。そこでもニューヨークの女の涙とおなじ光景があった。
9月13日 青梅の坂の小さな花束
小山卓治の「ギャラリー」から。
「山道のカーブの脇に 小さな花束が置いてある 昨日バイクで飛んでった 男の子のためのものだろうな 俺もスピードを上げながら カーブを攻め始める 頭の中が白くなって 生きてるって気がする 思い切り笑って 思い切り走りたい 誰かがここをギャラリーと呼び始めたんだってさ」
かなり昔の話だ。ぼくは八王子から青梅や御岳山のほうに「アルバイト・ニュース
2001年1月から9月13日途中までの日記消失 |