歴史劇


エリザベス(1998年英/監督:シェカール・カブール)

25歳にして英国女王の座についたエリザベス一世の数奇な半生を描いた歴史ドラマ。

1998年度の英国アカデミー賞最優秀イギリス映画賞、主演女優賞など、世界の映画賞16部門を受賞。重厚な演出、豪華絢爛なセットと衣装、絵画のような映像美は、歴史大作にふさわしいものです。エリザベス女王って名前だけは知っていたけど、実像が今イチだったので、百科辞典を開いてみました。

1533年ヘンリー8世とアン・ブーレン(1000日のアン)の間に生まれる。36年母が刑死し、議会で非嫡出子とされたが、その後44年に王位継続権が認められ、53年メアリー(異母姉)と共にロンドンに入る。54年ワイヤットの反乱のとき疑いをかけられ、一時ロンドン塔に幽閉されたが、のちに許され、58年メアリー没後即位した。スペインのフェリペ2世などとの間で、政略結婚問題がおこったが、女王は国民と結婚したと称して終生独身をとおした。王が教会の首長となる新教は、カトリック教会と対立し、69年北部でカトリック貴族の陰謀がおこり、70年教皇ピウス5世は女王を破門した。女王は83年異端取締りのため特設高等法院を設置したが、一番大きな問題はスコットランド女王メアリー・スチュアートの動きであった。彼女はカトリック教徒で、国内のみならずスペインなどの国際的なカトリック的陰謀の根源となった。86年バビントンのエリザベス暗殺の陰謀に関係した疑いで、87年メアリーを処刑する。このことは、88年のスペイン無敵艦隊襲来の動機付けとなったが、逆に無敵艦隊を破り制海権を得て、イギリスの海外発展の途を開いた。(それ以前にも、ホーキンズやドレイクの黒幕として、スペインに対する海賊行為を支持していたんだよなァ。とてつもない女王ですね)

大臣として、セシル父子、ウォルシンガム、ニコラス・ベーコンなどがいたが、大臣に任せきりでなく、絶対君主として君臨していたようです。主演のケイト・ブランシュット(よく知らない女優さん)は、最初は少し荷が重いかなあと思っていたのですが、後半は見事にエリザベスを演じきっていましたね。だけど、エリザベス女王といえば、『シー・ホーク』(1940年/マイケル・カーティス監督)のフローラ・ロブスンが強烈に印象に残っています。

 

ジャンヌ・ダルク(1999年/監督:リュック・ベンソン)

フランス救国の英雄ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた人間ドラマ。

百年戦争の末期、神の名においてイギリス軍によるオルレアン攻囲を解き、イギリス軍を各所に破ってシャルル7世をランスに戴冠させるが、シャルル7世側近の陰謀により、ジャンヌはパリ攻撃に失敗してイギリス軍に捕えられる。イギリス軍は、ジャンヌの行動は悪魔の所業ときめつける目的で、ルーアンにおいて宗教裁判を行い、彼女を火刑に処した。

この手の歴史絵巻は好きなんだけど、ジャンヌの宗教的側面になるとどうも……。

彼女の深層心理がダスティン・ホフマンの存在なんだろうけど、哲学的でよくわかりません。神の声か、処女の妄想か……

それより、なぜフランス民衆(兵士)はロレーヌの小農民出身の19歳の乙女にしたがったんだろう。ジャンヌ・ダルクの奇跡をフランス民衆が作り出した社会的背景が今イチぴんとこない。フランスでは衆知の事実なのかなァ。

 

国姓爺合戦(2001年/監督:ウー・ヅーニィウ)

北京が陥落し、明から清へ支配が移る17世紀前半の中国。鄭森(チウ・マンチェク)は、父・鄭芝龍と共に福建の地で、明の皇帝を守って清に抵抗していた。鄭森は、皇帝から同じ“朱”姓を賜り、国姓爺鄭成功と名乗ることが許される。明の復権のために、鄭成功は海上の要衝である台湾をオランダから奪還することを計画し……
 鄭成功は日本人を母に持つ混血児で、史実では徳川幕府に台湾奪還ための援軍要請(徳川幕府は拒絶)をしているんですね。だから当時、彼の名前は結構知られていて、近松門左衛門が『国姓爺合戦』という戯曲を書いたわけです。それで、またいっそう知られるようになりました。ちなみに、この作品での母親役は島田陽子です。
 物語展開や人物描写は粗っぽいのですが、大量のエキストラを使った戦闘シーンは迫力ありますよ。ただ、鄭成功が戦うシーンはカンフー・アクションでしたけどね。

中央:島田陽子

右端:チウ・マンチェク

 

蒼き狼 チンギス・ハーン(1998年/監督:サイフ)

テムジンはキヤト族の族長エスガイの息子だったが、同盟を結んだオンギラト族へ預けられる。オンギラト族の娘ボルテとの婚姻が決まった時、裏切り者によってエスガイがタタール族に殺される。郷里へ帰ったテムジンは裏切り者を殺し、キヤト族の族長となるが、メルキト族にボルテを拉致されてしまう。テムジンの母は、かつてエスガイがメルキト族から拉致してきた娘で、その仕返しだった。テムジンはボルテを取り返すためにメルキト族を襲撃するが、大敗をきっする。1年後、武器を改良したテムジンは、少数でメルキトの大軍を破り、モンゴル中にその名が知られるようになる。ボルテはメルキトの子を宿していたが、「民族は一つ」という母の教えにより、テムジンはボルテを暖かく迎える。タタールを破ったテムジンはモンゴルを統一し、チンギス・ハーンを名乗る。

史実として伝えられている通りの物語展開です。元結(もとゆい)を切った日本の戦国武将のような髪型も、当時のモンゴルのものなんでしょうね。ハリウッド製のような派手さはありませんが、ジョン・ウェインやオマー・シャリフとは違う、本物のジンギス・カンでした。

それにしても、ボルテ役の女優さん、夏目雅子に似ていて綺麗だったなァ。

 

黒船(1958年/監督:ジョン・ヒューストン)

1856年8月、タウンゼント・ハリス(ジョン・ウェイン)は、通辞のヒュースケン(サム・ジャッフェ)を伴って、初の日本総領事として下田へやって来る。下田奉行・田村左衛門守(山村聡)は、ハリス一行を快く思わず、寺へ軟禁する。その頃、幕府内では攘夷派と開国派が論争しており、結論が出るまでハリスを厚遇するように命令が来る。田村はハリスを茶屋へ招待し、芸者・お吉(安藤永子)を酒席に侍らし、ハリスの世話をするように宿舎に住み込ませる。ハリスもお吉に好意をよせ……

台本監修に衣笠貞之助、台詞指導に犬塚稔、美術顧問として伊藤喜朔が協力しているので、『ラストサムライ』より考証はしっかりしていますね。渡辺謙より山村聡の方がはるかにサムライらしいです。ただ、作品的には山場らしい山場もなく、ハリスの性格付けもバランスを欠いています。その原因はヒューストン監督とウェインのハリス観が違っていたことにあります。

ジョン・ウェインと安藤永子

ヒューストンは、無邪気を装って、肩を怒らせ、小さな人々の間をのし歩いて行くジョン・ウェインの姿に、百年前のでかくてぎこちないアメリカを象徴させようとしたらしいのですが、ウェインはあくまでも強い男(馬上豊かに鞍に跨る西部劇のヒーロー)を演じたかったようです。小柄な日本人に柔術で投げ飛ばされるのは、もってのほかということだったみたいですね。それで、大男の相撲レスラー(演じたのは元横綱の男女ノ川)を殴り倒すシーンを加えたとか。

日本ロケは5ヶ月に及びましたが終了した時には、ヒューストンとウェインは口もきかない間柄になっていました。ヒューストンの構想は、日本の木版画の淡々とした形象を持ち、俳句の控えめな深みに焦点を当てた静かな映画でしたが、ウェインやフォックス社の考えとは相容れないものでした。「題名は当初の『タウンゼント・ハリス物語』から『野蛮人と芸者』に撮影中に変更され、アメリカ人観客が喜ぶようなシーンの追加や編集でズタズタにされ、目茶目茶な作品になった」と、後にヒューストンは語っています。

そういえば、『ラストサムライ』もアメリカ人にわかりやすい題名ですよね。“ゲイシャ”に“サムライ”、結局、アメリカ人の日本感は50年近く経っても全然進歩していないことを改めて認識しました。

 

 

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