歴史劇


明治大帝御一代記(1964年・大蔵/監督:大蔵貢)

大蔵貢が新東宝時代に製作した『明治天皇と日露戦争』(’57)、『天皇・皇后と日清戦争』(’58)、『明治大帝と乃木将軍』(’59)を再編集して1本の映画にしたもの。

現在の視点から観ると、デタラメな時代考証によるアナクロ歴史大作です。“木口小平は死んでもラッパを口から放しませんでした”のような戦争美談が中心ですが、映画的には見るべきところは色々あります。

アラカンの明治天皇は威厳があって最高。アラカンなくしてこの映画はありませんね。それと意外だったのが阿部九州男の伊藤博文。昔テレビで観た時は気づかなかったのですが、貫禄があって実にいい味を出しています。

それと、新東宝の特撮技術は捨てたもんじゃないですね。日本海海戦シーンは見応えがあります。大作らしくエキストラを大量に使った戦闘シーンも迫力満点。若山富三郎が単身敵の陣地に突撃して、シナ兵から奪った青龍刀で斬りまくるシーンには笑いましたけどね。

 

『皇室と戦争とわが民族』(1960年・新東宝/監督:小森白)

神武天皇(嵐寛寿郎)の東征によって日本統一がされ、天皇は日本国民の精神的支柱と現在まで存続していることを伝えたい天皇礼賛映画。

物語の中心は、自分の意志に反して戦争が拡大していき、戦争終結の決断をする昭和天皇のドキュメンタリーのようなものですね。木戸内大臣(佐々木孝丸)や東条英機(嵐寛寿郎の二役)は出てきますが、製作当時、昭和天皇は存命だったのでドラマシーンでは姿は出てきません。ナレーションで天皇の言葉が伝えられます。ニュースフィルムや過去の作品からの使い回しで、新しく撮った部分は少ないような気がしますね。人間天皇を描いた『太陽』との大きなギャップを感じました。

 

『天皇・皇后と日清戦争』(1958年・新東宝/監督:並木鏡太郎)

『明治天皇と日露大戦争』の大ヒットにより二匹目のドジョウを狙った新東宝オールスターによる総天然色シネスコ大作です。明治27年8月1日の清国への宣戦布告から、日清戦争に勝利して三国干渉を受諾するまでを描いており、色々な挿話を軍歌と詩吟で配して観客の感情に訴えようとする、いかにも大蔵貢が好きそうな内容ですね。撮影中は、常に監督のそばにいて口出ししたそうですから、監督はやりにくかったでしょう。

日露戦争における“203高地”や“日本海海戦”のようなドラマチックなものが日清戦争にはないので、どうしても盛り上がりのないものになります。題材としては面白味のないものだから、天皇(嵐寛寿郎)だけでなく皇后(高倉みゆき)まで引っ張り出してきたんでしょうね。日清戦争における歴史的意義はどこにも描かれず、東洋平和を願う天皇に、国民を想う皇后という皇室礼賛映画で〜す。

 

『明治大帝と乃木将軍』(1959年・新東宝/監督:小森白)

西南戦争で連隊旗を奪われた乃木(林寛)は、責任を取って切腹しようとするところを明治天皇(嵐寛寿郎)に救われる。日露戦争が始まり、乃木は旅順攻撃の総司令官となるが、犠牲ばかり多く戦況は好転しなかった。乃木更迭の声が高まる中、天皇は乃木の心中を思いやり、励ましの言葉を贈る。感激した乃木は、ついに旅順攻略に成功する。戦後、乃木は学習院の院長になり、明治天皇の逝去に際して、殉死する。

新東宝の“明治天皇”三部作の最後の作品。渡辺邦男→並木鏡太郎→小森白と監督のレベルがどんどん下がってきて、内容もどんどん安易なものになっています。旅順攻略が明治天皇の励ましによる根性だなんてシラケますよ。児玉源太郎(沼田曜一)も乃木に替わって指揮するわけでなく、天皇の言葉を伝えるだけとはね。ちなみに乃木将軍は三部作の全てを林寛が演じていました。

左:林寛、中:坂東好太郎、右:沼田曜一

それにしても、アラカンの明治天皇はピッタシでしたね。あまりピッタシすぎたために大損をしたとアラカンは語っています。「天皇陛下、これはツブシがききまへんな。ドロボーや人殺しの役、もうでけしまへん。ヤクザの親分もあかん、助平もご法度だ。ボロボロのジジイになって役柄思いきって変えられる時節がくるまで、待たなしゃーない」

 

 

 

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