新東宝のアクション映画


『女奴隷船』(1960年/監督:小野田嘉幹)

秘密指令を受けて本土へ帰る途中で、米軍機に撃墜された海軍中尉(菅原文太)が上海へ慰安婦を運ぶ“お唐さん船”に助けられるが、その船は海賊船に襲われて……

三原葉子のお色気シーンが目的でしたが、テンポのよいアクションの連続で意外な掘出物。それと、新東宝の特撮技術が優れものであることを改めて認識しましたよ。

三原葉子さんは、例によってセクシーダンスをはじめとして、ムッチリした太腿を惜しげもなく露にして満足、満足で〜す。

それに引きかえ、三矢歌子は衣服が乱れることなく、一人清純派というのは気に入らないなァ。

 

『怒号する巨弾』(1960年/監督:石川義寛)

民和党の代議士・内田と松山重工業の社長・松山が殺され、死体を乗せた自動車が志賀警視総監の家の前に放置されていた。そして、殺害された死体が一発で急所に命中しており、犯人は射撃の名手と思われた。宇野警部(宇津井健)は、恨みによる犯行と考え、警視総監に二人が関係していた事件について尋ねる。警視総監は17年前の事件を思い出す。太平洋戦争中、内田、松山、井上の3人の密告により、貿易会社の天田がスパイ容疑で捕まり、志賀の厳しい取り調べのため獄死した事件だった。天田には、当時学生だった息子の公一(天知茂)がいた。公一は、宮本公平と名を変え、志賀の娘・洋子(三ツ矢歌子)の恋人になっていた。宇野と公一は、射撃場で知り合った射撃のライバルで、宇野は公一に疑惑を抱く。海外から帰ってくる井上を警護するために、宇野は羽田に向かうが、井上は飛行機から降りてきたところを射殺される。送迎者の中に公一を見つけた宇野は……

最初は、フランス映画的なフィルムノワールの世界だったのですが、途中からメロドラマに変わり、最後は西部劇ですよ。題名も意味不明ですが、物語展開も 意味不明です。

最大の欠点は、不必要に人を殺しすぎます。殺人が多ければサスペンスが盛り上がると勘違いしているんじゃないですかね。渡辺宙明の音楽なんて、ムード満点なのですから、徹底してノワール的表現で演出したら面白くなったと思うんですがねェ。

 

『女と命をかけてブッ飛ばせ』(1960年/監督:曲谷守平)

中央:泉田洋志

オートバイで新聞社の原稿輸送をしている松崎(宇津井健)は、亜細亜モータースの黒岩(芝田新)の情婦トミ(魚住純子)からスポーツカーで競走を挑まれ、スピード・テクニックを披露する。黒岩は松崎の腕を見込んで、スピードボートのドライバーに誘うが、オートバイに興味のある松崎は、これを断る。しかし、新聞社とのトラブルから金が必要となり、亜細亜モータースに入社するが、職場環境が気に入らない。新聞社時代の友人・小島(伊達正三郎)の兄の小島モータースもスピードボートを開発しており、その人柄と、妹・絹子(星輝美)の魅力に惹かれた松崎は、小島モータースを手伝うようになり……

現実味のない物語が展開していき、目がテンになったままです。主人公の人生感を初めとして、物語の基本設定がメチャクチャなのが原因ですね。

この映画で存在感があったのが、宇津井健を誘惑する魚住純子と悪役の泉田洋志です。泉田洋志はこの作品の技闘師をしており、宇津井健との格闘シーンは見応えがありましたよ。

 

『暁の非常線』(1957年・新東宝/監督:小森白)

 

 

関東三ノ輪会の幹部・馬島政吉(天知茂)は銀行強盗で奪った金を組に上納し、組長の娘・雪江(三ツ矢歌子)と結婚して三ノ輪会の跡目を狙っていた。しかし、雪江には木村(沼田曜一)という新聞記者の恋人がいた。木村の親友で雪江の兄の健一(和田孝)はヤクザが嫌で家を出ていたが、連続銀行強盗事件の犯人が残したカフスボタンが馬島のものであることに気づく。馬島は雪江を拉致して、香港に高飛びしようとするが……

「俺の顔をそんなに見たいか。冥土の土産に憶えて行け」そう言ってサングラスを取り、銀行員を消音拳銃で殺す開巻のシーンから天知茂の悪党ぶりを堪能できます。証拠隠滅のためなら情婦も情け容赦なく殺す冷酷ぶりを見せますが、ウッカリミスで証拠品を残すところはマヌケなんですけどね。脚本が杜撰なので、天知のキャラがコメディになってしまいました。

それにしても新東宝の傍役陣は貧弱ですねェ。とてもヤクザに見えない人の好さそうな連中ばかりなんですから。

 

『無警察』(1959年・新東宝/監督:小森白)

東京の新聞記者・北村(天知茂)は、恋人・玲子(朝倉彩子)からの連絡を受けて故郷の町へ帰ってくる。町は暴力団の松崎(丹波哲郎)が支配しており、警察も簡単に手出しができない“無警察地帯”となっていた。松崎が計画するゴルフ場建設に反対していた玲子の父が松崎に殺されるが、事故死として処理されてしまう。北村は松崎の悪事の証拠をつかむため、松崎が経営するキャバレーのマダム・はるみ(小畑絹子)に近づくが……

新東宝のアクション映画というのは、しっかりした骨組みがなく、散漫な物語展開で暗くフニャフニャしたものが多いですね。この作品もそうで、警察も簡単に手出しができない“無警察地帯”のギャングを描こうとしているのか、“無警察地帯”の犯罪を暴こうとする新聞記者を描こうとしているのか、“無警察地帯”の闇に生きる女を描こうとしているのか、全くわかりません。おそらく、その全部を意図したのでしょうが、結局、中途半端なものになっています。ただ、丹波哲郎や小畑絹子に不思議な味わいがあるんですよ。

新東宝の映画って続けて観るには辛いところがありますが、カップラーメンと同じで、たまに味わう分には珍味の楽しみがありま〜す。

 

 

 

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