ウォーカー(1987年/監督:アレックス・コックス)
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リンカーンが暗殺された7年前、中米のホンジェラスで銃殺されたアメリカ人がいます。1855年に“58人の不死隊”を率いてニカラグア全土を制圧し、自ら大統領と宣言してニカラグアを2年間に渡り統治したウィリアム・ウォーカーです。 『ウォーカー』は、現代アメリカのニカラグア干渉問題を絡ませた過激な映画となっていて、ウォーカーが行ったフィリバスター(本国の命令によらず、勝手に外国へ侵攻する不正規兵)行為は、ラテンアメリカの人びとの合衆国に対する疑念と敵意の象徴なんですよ。 アレックス・コックス監督は、ニューズウィーク誌や、マールボロ、コカ・コーラ、さらには高級リムジンやヘリコプターを登場させることにより、ブラック・コメディーを狙っていますが、全体的にマジメでリアルなストーリーのため、逆にそれが浮いた感じとなっていますね。マカロニ好きのアレックス・コックスにしては、意外とマカロニ的でなかったなあ。 ガンマニアとしてうれしかったのは、ペッパーボックスという珍銃が出てきたことかな。 |
シックス・ストリング・サムライ(1998年/監督:ランス・マンギア)
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核戦争後のアメリカを舞台に、ギターと刀を抱えた“ロックンロール戦士”が活躍する異色アクション。 バックにウルフマン・ジャックのDJや、60年代のロックサウンドが流れ、カンフー&チャンバラの世界が展開するので、面白がって観ましたが、中身はなんにもな〜い。ランス・マンギアと脚本・主演のジェフリー・ファルコンが趣味だけで作ったようなマスターベーション映画ですね。だけど、マイナー嗜好の深読み族には、お薦めです。何とでも理屈をつけて観ることができますからね。 「エルビスのメロディが鳴り響くマッドマックス的世界に、ジェット・リーばりの技と子連れ狼ばりの殺陣を魅せるギターを持った渡り鳥がいた! ロックンロール・カンフー・チャンバラ・ウエスタン、勝手に上陸!」 だってさ。 映画の方はどうしようもなかったですけど、音楽だけは気に入りました。ただ、音楽的にどうこう言うのでなく、ウルフマン・ジャックのDJにのって流れる1960代後半のエレキサウンドを懐かしく感じただけですけどね。 |
愛と死の天使(1983年/監督:ジェームズ・トバック)
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映画の出来は褒められたものではありませんが、アンリ・ドカエのカメラの素晴らしさもあって、ナスターシャは最高にキレイでしたよ。特に前半のファッション・モデルのシーンは、映画の中での会話にあるように“ガルボの魅惑、ロンバートの機知、モンローの色気”そのものでしたね。 この映画のジャンルは恋愛サスペンスと呼んだらいいのかな。冒頭のテロリストによるレストラン爆破が、後半のサスペンス部分の布石になっているのですが、前半部分(ナスターシャのニューヨークでの生活部分)が長すぎる上に、トーンがまるで違うので違和感があります。 ルドルフ・ヌレイエフ、ハーベイ・カイテルに加えて、ベイルマン映画のビビ・アンデルソン、病的役者のピエール・クレマンティと、ひとクセある俳優が顔を揃え、アンリ・ドカエの撮影とくればよくなって当り前なのですが、そうなってないのは、脚本・演出ともにナスターシャの魅力作りを最優先にしているからでしょうね。 |
レニー・ブルース(1974年/監督:ボブ・フォッシー監督)
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卑猥な言葉を連発しながら社会諷刺をする話芸で人気のあった、芸能界の異端児レ レニーについては本で知った時から興味を持っていたんですよ。レニーと関係のあった人物の回想で展開するドキュメンタリー・タッチの物語が、モノクロ映像と相俟って効果をあげていましたね。 ダスティン・ホフマンの演技が光っていましたが、それよりも唇の大写しから始まる妻役のバレリー・ペリンが抜群。『スーパーマン』の時は、単なるセクシー・コメディエンヌ程度にしか思ってなかったのですが、どうしてどうしてタダモノではない。オミソレしました。 |
“オリンピア”二部作(1938年/監督:レニ・リーフェンシュタール)
高所でゴンドラにのって 撮影するリーフェンシュタール |
女流監督レニ・リーフェンシュタール総指揮によって製作された『民族の祭典』と『美の祭典』からなる1936年の第11回ベルリン・オリンピックの記録映画です。 『民族の祭典』は陸上競技、『美の祭典』は水上競技その他。ナチス・ドイツが国家的事業として企画し、国威を宣伝するための作品として多数のカメラマン、最高の資材を投じて完成したプロパガンダ映画といえます。特に『民族の祭典』は、オリンピック競技の映像だけでなく、ヒットラーの姿を各所に挿入し、強烈な民族主義を謳いあげています。 しかし、プロパガンダ映画とはいうものの、その芸術性は高く、ベネチア国際映画祭ではディズニーの『白雪姫』をおさえて金獅子賞をとっているんですよ。 ニュース映画のような映像でなく、気球にカメラをくくりつけて飛ばしたり、走る選手と同じ速さでカメラを動かしたり、競技場に穴を掘ってカメラをすえたり、クロースアップとスローモーションを巧みに使用したりと、見事に演出された記録映画でした。 「美しい肉体を追うことは、選民思想だ」という見方に対し、リーフェンシュタールは「貧弱な肉体をしたスポーツ選手なんていないし、私は鍛えられた肉体の動きをリズムある映像にしただけ」と答えています。 出来あがった映画はナチに利用されたかもしれませんが、私は彼女の考えに全面的に賛成します。 |
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