メキシコ革命劇(マカロニ)


『群盗荒野を裂く』(1967年/監督:ダミアノ・ダミアーニ)

メキシコ革命のさなか、エル・チュンチョ(ジャン・マリア・ボロンテ)は弟のサント(クラウス。キンスキー)や女戦士アデリータ(マルチーヌ・ベズウィック)とともに、メキシコ革命軍に売るために政府軍の列車を襲って武器・弾薬を略奪していた。襲った列車に乗っていたビル(ルー・カステル)というアメリカ人がチュンチョに味方して、群盗仲間に加わるが……j

マカロニ・ベストテンを選ぶとすれば、絶対に外すことのできない傑作です。大雑把なマカロニにあって、傍役に到るまでキャラクター作りがしっかりできていますからね。中でもボロンテの弟になるクラウス・キンスキーと、群盗の紅一点マルチーヌ・ベズウィックは存在感がありますよ。

冒頭の列車襲撃において、「あなたも司祭なら、神に祈りなさい」という神父に対して、「キリストは貧乏人だった。お前も貧乏人のために祈れ!」と言って、神父を射ち殺すところや、砦の襲撃で、「メキシコの獣め、呪われろ。父と聖霊の御名のもとに」と言ってダイナマイトを投げつけるところは、キンスキーの狂信性が出ていて印象に残ります。キンスキーはボロンテの異父弟という設定ですが、父親はドイツ系軍人でしょうね。当時メキシコには、政府軍の軍事顧問としてドイツ人がいましたからね。そして、母親は娼婦だと思うんですよ。髪の毛の色が違う子どもは、きっと賢かったでしょう。賢い子どもは聖職者となるために教会へ。しかし、メキシコの農民の状況をみて、神と民衆のために手を血で汚す狂信者になっていったと思えるんですよ。

 一方、マルチーヌ・ベズウィックは浅黒い肌をした黒豹のような女。15歳の時に政府軍の兵士に暴行され、それを契機に戦う女になっていったのです。♪〜アデリータが去れば どこまでも追う。  海を越えるなら軍艦で 陸を行くなら軍用列車。オレの女になるのなら〜、と仲間に歌われる通り、私だってどこまでも追いかけていきますよ。しかし、彼女は男なんか頼らずに、自立できる強い女なので、私なんか相手にしてくれないでしょうね。(笑)

 

『ガンマン大連合』(1970年/監督:セルジオ・コルブッチ)

ささいなことで政府軍の将校を殺したバスコ(トーマス・ミリアン)は、モンゴ将軍の革命軍に加わることになる。モンゴと取引にきた武器商人のヨド(フランコ・ネロ)は、大金が入っている金庫を開けることができる唯一の人物サントス教授(フェルナンド・レイ)を幽閉先から助け出すためにバスコとアメリカに向かう。サントスの救出に成功するが、ヨドの宿敵ジョン(ジャック・パランス)が彼らを追跡し、サントスはジョンに捕らえられる。サントス処刑が始まろうとした時、ヨドとバスコはサントス教授の教え子のローラ(アイリス・バーベン)たち青年革命家と共に……

『殺しが静にやって来る』で、本格西部劇に終止符をうったコルブッチが、明るく賑やかに作ったメキシコ革命劇です。いっそのこと、“殺しがうるさくやって来る”という邦題だったら、ピッタシきたと思いますよ。(笑)

でもって、この作品、日活無国籍アクションに感じが似ているんだよなァ。悪党を気取っているが根は善人のトーマス・ミリアンが宍戸錠。歯をチッ、チッと鳴らすクセに思わずニンマリしましたよ。 エエ格好シで、金が目的といいながら人の好いフランコ・ネロが、『ろくでなし稼業』の二谷英明ね。 ミリアンとネロの決闘シーンで、互いに隠れていた敵を倒す場面は、これまた錠VSアキラ、錠VS赤木圭一郎の日活アクションではお馴染みです。

非暴力主義者のフェルナンド・レイが下条正巳、ネロをつけ狙う悪党ジャック・パランスが深江章喜といったところですかね。それと、紅一点の女性闘士役のアイリス・バーベンは、もちろん芦川いずみ。彼女、顔立ちもどこか芦川いずみに似ているんですよ。『群盗荒野を裂く』のマルチーヌ・ベズウィックが、生活のために盗賊の一員となって政府軍と戦う女性闘士なら、バーベンは理論優先の学生闘士。ベスウィックは気に入った男となら誰とでも寝る女だが、バーベンは結婚を優先するお嬢さま。遊ぶなら、私はベスウィックを選びますが、恋人となるとバーベンですねェ。

 

『豹/ジャガー』(1969年/監督:セルジオ・コルブッチ)

ポーランドから革命騒ぎのメキシコにきた殺し屋セルゲイ・コワルスキー(フランコ・ネロ)は、富豪のガルシア(エドワルド・ファヤルド)から銀の護送を頼まれる。セルゲイが銀山についてみると、メキシコ人鉱夫のパコ(トニー・ムサンテ)が反乱を起こして鉱山を占領していた。そこに、セルゲイの宿敵エラム・ブリッグス(ジャック・パランス)が政府軍を率いて鎮圧にきたため、セルゲイはパコを助けて政府軍と戦うはめになる。パコは革命軍を指揮して、セルゲイの指導のもとに政府軍を打ち破っていくが……

『ガンマン大連合』の先駆けとなった作品で、基本構造は同じでも、完成形の『ガンマン大連合』と比べると、ユーモアにしてもキャラ設定にしても全体的に中途半端な感じになっています。トニー・ムサンテは体質的に暗い感じがするし、ジャック・パランスの悪キャラも表面的な凄みしか感じられませんからね。革命軍の女戦士のジョバンナ・ラリも行動目的がはっきりしておらず、アイリス・バーベンと比べると魅力ありません。改良の余地を残したところが、この作品の価値で〜す。

 

『夕陽のギャングたち』(1970年/監督:セルジオ・レオーネ)

駅馬車を襲った山賊のファン(ロッド・スターガー)はオートバイで通りかかったジョン(ジェームズ・コバーン)と知りあう。ジョンはアイルランドの闘士で、イギリス政府から手配されてメキシコに流れてきたのだ。ジョンがダイナマイトの名人だったことから、ファンはジョンと銀行を襲うが、政治犯の監禁場所で、彼らを救ったことから革命の英雄にされてしまい……

これまた、メキシコ山賊と外国からやってきた男との友情物語。できは悪くないのですが、ロッド・スタイガーは、どうみてもメキシカンにはみえません。演技でカバーしていましたが、メキシコ山賊はやっぱりラテン系でないとね。

それにしても、『ガンマン大連合』も意味不明の題名でしたが、『夕陽のギャングたち』もメキシコ革命劇が題名からじゃイメージできませんね。配給会社が適当につけた感じです。最初のキャスティングでは、ロッド・スタイガー(暗黒の大統領カポネ)でなくジェースン・ロバーツ(マシンガン・シティ)だったそうですが、レオーネはカポネ役者が好きなのかな。ジェームズ・コバーンの代わりにロバート・スタック(アンタッチャブル)を出演させて、墓場で睨み合いの後、マシンガンをぶっ放すストーリーだったら“夕陽のギャングたち”になったんですけどねェ。

 

 

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