『革命児サパタ』(1952年/監督:エリア・カザン)
父祖伝来の土地を地主に奪われたサパタ(マーロン・ブランド)はディアス大統領に直訴するが容れられず、実力行使におよぶ。山に立て篭もって、兄(アンソニー・クイン)と共に官憲と戦っている時、フェルナンド(ジョセフ・ワイズマン)がディアス打倒を考えているマデロ(ハロルド・ゴードン)の使いとしてやってくる。サパタは仲間のパブロ(ルー・ギルバート)にマデロに会ってくるように命じる。 農民に味方する牧場主ナシオの取り成しでサパタの罪は許され、サパタはナシオの牧場で働く。しかし、マデロに会ったパブロとフェルナンドの話を聞き、官憲に捕らえられた老農夫の死によってサパタは再び銃をとって起ちあがる。ディアスを倒してマデロが大統領となり、将軍となったサパタはかねて想いを寄せていた富豪の娘(ジーン・ピータース)と結婚する。 マデロがウェルタに暗殺されたことから、サパタはパンチョ・ビラとともにウェルタを倒し、大統領に就任する。しかし、兄が武力で農民から土地を奪ったことが知らされ、大統領の地位を棄て故郷に戻るが、兄は妻を奪われた農夫に殺されてしまう。新しく就任した大統領はサパタを疎ましく思い、フェルナンドを使って罠をかけ、サパタは暗殺される…… |
|
スタインベックの脚本は、平凡な農民だったサパタが正義感から権力に屈せず、運命のままに翻弄され、革命指導者に祭り上げられ、最後は悲惨な最期をとげるという、サパタの人間像を浮き彫りにしています。 表面的にはメキシコ革命における貧農階級の土地解放闘争を描き、政治の権謀術策を嫌う品性高潔な指導者の悲劇となっていますが、エリア・カザンが裏で意図したのは、反共思想ですね。カザンは“ハリウッドの赤狩り”において、進歩派映画人を裏切り、密告者として立ちまわっています。この作品が反共映画であることは、カザン自身が1952年4月10日の査問会で語っているんですよ。 カザンは、無学な農民に国の政治を運営する能力はなく、自然発生的な民衆闘争は共産主義者に利用されるだけで、サパタを裏切るフェルナンドを共産主義者として位置づけています。そして、革命の終局においては権力闘争の果てに、民主主義とは無縁の独裁権力が誕生するという“赤狩り”に対する追従姿勢が表れています。だけど、私はカザンの意図とは別に、フェルナンドが仲間を裏切ったカザン自身に見えて仕方ありませ〜ん。 |