メキシコ革命劇


メキシコ革命史

(革命前史)

 メキシコの成立は、16世紀初頭、スペインのコルテスがやってきて、古代インディオ文明を築いていたアズテク族を滅ぼしたことから始まります。何しろ平和ボケしていた民族ですから、野蛮なスペイン野郎の前に成す術もなく、あっという間に征服されました。

 おまけにアイツらは、女に目がなくて、手当たり次第にインディオの女とやりまくるんですな。それで、19世紀初めには、メスティーソと呼ばれるスペイン人とインディオの混血が国民の7割を占めるようになりました。これが現在のメキシコ人なんです。

 最初はスペイン本国の直轄領でしたが、ナポレオンのイベリア征服により本国の権威が失墜します。1821年にメキシコにいたイツルビデ将軍がクーデターを起こし、独立するんですな。ところが、皇帝となったイツルビデに対し、共和主義者の反抗があり、さらに地方の軍閥のクーデターやら、教会勢力の自治化などがあって、無政府状態が続きます。『サンセバスチャンの攻防』(1969年/監督:アンリ・ベルヌユ)はこの頃の話でしょうね。

 こんな状態の中で力をつけて、独裁政権を確立したのがサンタ・アナ将軍ね。1833年から55年まで実権を握っていましたが、例の“アラモ”で有名なテキサスの独立、それに続く米墨戦争での敗北で国外へ逃亡するハメになります。なにしろ国土の半分をアメリカに取られるんだもの、命があっただけメッケものでしょう。

 この後1876年まで、欧米列強の干渉下のもと、無政府状態が続きます。ナポレオン3世の傀儡だったマキシミリアン皇帝なんかが実権を握ったりするんですが、治安が維持されているのは、メキシコシティーなどの国の中心部だけでした。地方は山賊の親分や、大農園主とそれと結託する軍閥などが好き勝手なことをしていたんですよ。アメリカでは南北戦争が終わり、南軍残党や無法者がメキシコに流れてきます。マキシミリアンの傭兵に加わったり、軍閥に力を貸したりするんですな。『ヴェラ・クルス』(1954年/監督:ロバート・アルドリッジ)や『荒野の七人』(1960年/監督:ジョン・スタージェス)といったメキシコを舞台にした西部劇はこの時代のものが多いようです。

 農民を率いたベニト・ファレスがマキシミリアンを倒して1867年に大統領になるものの、外債償還を反古にする政策で資本家からの反発を受け、1971年に軍閥のポルフォリオ・ディアスのクーデターによって倒されます。ディアスは大統領選に敗れ、いったん下野しますが、1976年に再度のクーデターで大統領に返り咲き、その政権は1911年まで続きます。

 

(メキシコ革命)

ディアスは欧米植民地主義者と大農園主の支持を取りつけ、みずから共和国の憲法にのっとった大統領であることを宣言し、軍事力を背景に1911年までの長期に渡り独裁政治を行うのですが、政権を支える最新の武器はドイツから大量に輸入し、その資金は大農園主と欧米資本家から出ていました。大農園主のために農民から土地を取りあげたり、アメリカの資本家のために税金の払えない都市労働者を強制的に鉱山に送りこむなどの暴政をしいたわけです。こうなると、メキシコ全体に反政府行動が起きてきます。東部ではベヌスティアーノ・カランサが、西部ではアルバロ・オブレゴンが、南部ではエミリアーノ・サパタが、北部ではパンチョ・ビラが徒党を組んで暴れ始めるんですな。

 このような状況下の中、ユダヤ人の大農園主フランシスコ・マデーロがディアス打倒のために立ちあがります。彼はスペイン系農園主と異なりメスティーソにも理解をしめしたので、土地を追われた農奴たちや、都市労働者たちを初めとする反ディアス派の民衆が彼のもとに参集したんです。やっと革命らしくなってきます。それまでの反政府行動は、軍閥や山賊は金のため、民衆の反抗は百姓一揆みたいなもので政治思想もなく苦しまぎれの結果に過ぎなかったのです。マデーロは、農地解放を旗印に掲げていたんですよ。

 革命軍は各地で政府軍を破り、危険を察知したディアスはさっさとフランスへ亡命します。

 1911年3月、マデーロはメキシコシティーに入城し、選挙の結果、圧倒的多数で大統領に選ばれます。しかし、マデーロは改革に着手せず、政権の安泰を図りはじめるんですよ。欧米植民地主義者と手を握り、新興大地主の権益を守る政策をとるんです。懐柔できないサパタやパンチョ・ビラを“掠奪・強奪・放火・殺戮者”として追放します。大統領といっても、マデーロは軍事力を持っていません。大統領になった時点で、革命軍は解散しましたからね。政府軍は、旧政府軍を引継いだヴィクトリア・ウェルタという軍閥が握っていました。こいつの夢は、第二のディアスになることだったのね。ウェルタが、マデーロを暗殺し、1913年2月に大統領に就任するや、またしてもメキシコ全体に不気味な風が吹き始めます。

 ウェルタは、残存している革命軍を過小評価していました。民衆がサパタとパンチョ・ビラのもとに結集するや 南からサパタが、北からパンチョ・ビラがものすごい勢いでメキシコシティーに進撃してきます。政府軍は破れ、ウェルタはディアスと同様にフランスに亡命します。

 1914年6月にサパタとパンチョ・ビラはメキシコシティーに入城するんですが、彼らには政治ブレーンがついておらず、国家運営なんかできっこありません。彼ら自身にも国家運営のビジョンはなかったんですな。彼らにあったのは、天才的な戦闘能力によるカリスマ性だけね。彼らは革命家でなく、テロリストだったんですよ。

 革命家には理想とする国家体形があり、その夢を語って民衆を惹きつけ、民衆とともに戦い、新国家を築くものがなければなりません。二人は、破壊はしたが、建設のプランはもっていなかったんです。だから、ともに大統領位を拒絶して、しかるべき人物が登場するのを待つというかたちで、それぞれの州に引き上げてしまいます。

 それでどうなったかというと、政治的野心のあった、カランサが“革命の第1統領”を自称して、ヴェラクルスに革命政府を樹立したんですね。

 1915年10月にアメリカはカランサを傀儡政権にすべく、正当な大統領として承認しました。またしてもメキシコに内乱の嵐が吹くことになります。カランサは、オブレゴンと手を組み、パンチョ・ビラとサパタを分断することに成功します。1917年、セラヤの戦いで政府軍はパンチョ・ビラを破り、さらに刺客を送りこんでパンチョ・ビラを暗殺します。

 サパタも追いつめられていき、ゲレロ州の山中にたてこもって抵抗しますが、サパタもカランサの刺客によって暗殺されます。1919年4月のサパタの死で、メキシコ革命の歴史は幕を閉じるのです。

 でもって、その後どうなったかというと、カランサはオブレゴンに暗殺されます。だけど、カランサはメキシコ憲法(現メキシコ憲法で、アメリカの都合のよいものとなっていない)を制定したし、オブレゴンはマデーロが公約した農地解放に着手したんです。独裁政治は続いたんですが、少しずつ社会環境はよくなっていったんですよ。

 

 

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