歴代左膳役者


水島道太郎

本名:水島道太郎、1912年1月20日、東京(浅草)生。

キャリアの始まりは松竹下加茂の大部屋俳優。1935年大都映画に入社、主演スターとして多くの映画に出演する。その後は各社を転々とし、現代劇の主演スターとしても活躍。

 

水島道太郎は1955年に日活専属となり、裕次郎がデビューする前の日活アクション(チャンバラ含む)で活躍する。

丹下左膳はマキノ雅広が監督。当初は伊藤大輔が監督するはずだったが、伊藤監督は日活のステージを二棟ブチ抜いてセットを作りたいと希望したため、会社と折り合わずマキノ監督に依頼がきた。水島道太郎が左利きだったので、丹下左膳役に決まったとのこと。

 

1999年3月23日死去

 

大友柳太朗

本名:中富正三。1912年6月5日、山口県生。

新国劇の辰巳柳太郎に師事。1930年、中富大輔の芸名で初舞台を務めた後、36年に新興キネマへ入社。翌年の『青空浪士』で主演デビュー。この時、師の名前をもらい大友柳太郎を名乗るが、戦争をはさみ主役の座からはずされると、師に申し訳ないと芸名の一字を変 え、“柳太朗”とした。(こんなクソ真面目なとこが私は好きです)

戦後は大映を経て東映(当時は東横)に移籍、人気スターとなる。

 

大友柳太朗作品については、大友柳太郎の部屋

 

1985年9月27日自殺。

 

 

 

丹波哲郎

本名:丹波正三郎。1922年7月17日、東京(豊多摩郡)生。

GHQの通訳などを経て、1951年新東宝に入社。新東宝時代、ギャングや時代劇の悪役を演じて異彩を放つ。彼が注目されるようになったのは、テレビ『三匹の侍』に出演してからのこと。

 

丹波哲郎の丹下左膳は、左眼左腕がない、通常の左膳とは逆の隻眼隻手。これは、左腕だと迫力ある殺陣ができないといって、丹波が無理やり変更した為。

左膳の抜き打ちはサウスポーだから、相手は間合いを見切れないという特長があるのに、これじゃあね。

丹波哲郎はテレビでも丹下左膳を演っており、その時は原作通り右眼右腕がなかった。

 

中村錦之助

本名:小川錦一。1932年11月20日、東京生。

父は歌舞伎の中村時蔵(三世)で、彼もまた歌舞伎俳優として中村錦之助の芸名で1936年に初舞台を踏む。可憐な女形を務めたが、兄ふたりの下で端役に回ることが多く、歌舞伎に失望して映画界へ転身。1954年、美空ひばりと共演した『ひよどり草子』で映画デビュー。東映のお子さま映画『笛吹童子』で人気スターとなり、以後“時代劇の東映”を背負う。

 

中村錦之助の丹下左膳は、映画における丹下左膳の最後の作品であると共に、錦之助の“時代劇の東映”における最後の時代劇。(錦之助が東映時代劇に再度出演するのは、12年後の『柳生一族の陰謀』だった)

 

1997年3月10日死去。

 

 

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