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戦後の映画史上、西部劇というジャンルの出現は、戦後の大衆文化におけるアメリカニゼーションの一環としてありますね。 終戦後しばらく、GHQによって強行された“チャンバラ”禁圧政策の代替物として西部劇が大衆文化の中心になりました。サムライの刀剣類に代わって、拳銃やライフルが“平和の武器”として公認され、大衆の活劇への欲求を吸収していったのだと思います。西部劇映画そのものは、戦前から当時の若者たちの人気を得ていましたが、年代層に関係なく幅広い層で受け入れられ、西部劇ブームがおこったのが1951年から53年にかけてでした。 少年たちは、大人のように自由に西部劇映画を観ることができなかったので、マンガや絵物語において西部劇に夢中になります。1948年に出版された手塚治虫の『拳銃天使』が最初の西部劇マンガと云われています。手塚氏が自ら語るところによると、戦前は西部劇を1本も観たことなく、戦後、マーガレット・オブライエンを目的に観た『悪漢バスコム』のイメージをたよりに、やっと書き上げたそうです。しかしこの一作で西部劇も書ける男というレッテルを貼られ、参考のために西部劇映画に通うようになり、『駅馬車』で西部劇の魅力にとりつかれたそうですよ。 1951年4月号から1953年3月号まで「少年画報」で連載された『サボテン君』は大好評で単行本としても刊行されました。同時期、手塚治虫は『レモンキッド』を発表しています。『駅馬車』の主人公がリンゴキッドだったのでレモンにしたとか。(^^) 手塚治虫氏以外にも、杉浦茂の『弾丸トミー』などが、人気がありました。赤本マンガ(紙質が悪く、印刷も粗末なマンガ単行本)の世界でも多くの西部劇マンガが刊行され、後にマンガ家として有名になる永島慎二(当時は眞一)が『ひまわりキッド』を、桑田次郎が『西部の快男児』を発表しています。 |
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マンガはどちらかというと、小学校低学年向きでしたが、高学年が熱狂したのが絵物語でした。マンガと比べるとリアルで、より映画に近い世界でした。 山川惣治の『幽霊牧場』や『荒野の少年』(後年、川崎のぼるによって『荒野の少年イサム』としてリメイクされ好評を博す)、小松崎茂の『平原王』や『大平原児』がブームの中心でした。私は復刻された小松崎茂の『大平原児』を読んだのですが、これが面白いんだなァ。 復刻版は縮小版で、文字が小さく読みづらかった(齢をとると小さな文字が苦手になります)ですが、一気に読んでしまいましたよ。 無法者に両親を殺されたジム少年が、父親ゆずりの拳銃の腕前で西部の荒野に活躍する物語。ジムの両親を殺した凶悪な無法者集団キング・ヘル一味。投げ縄名人で、幌馬車隊と一緒に旅をしている孤児の少女ジェーン。敵か味方か、謎のガンマン=トマホークのモーガン。白人とみれば容赦なく襲ってくるアパッチ・インディアン。西部劇のエッセンスがテンコ盛りでした。 だけどこの物語、ブームが終わると、途中で連載が打ちきられ、未完のままになっていま〜す。 |
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ウィリアム・エリオット |
1951年から53年にかけて、ジョン・フォードの作品では“騎兵隊三部作”と『幌馬車』、『三人の名付親』が、ゲーリー・クーパーでは戦前の『西部の男』に始まり、『征服されざる人々』、『ダラス』、『北西騎馬警官隊』、『真昼の決闘』、『遠い太鼓』、『スプリングフィールド銃』が公開されています。 バッファロー・ビルの伝記『西部の王者』、壮大なメロドラマ『白昼の決闘』、インディアンに目を向けた『折れた矢』、ミュージカルの『アニーよ銃をとれ』、ガンマンの孤独を描いた『拳銃王』、ハワード・ホークスの『赤い河』、アンソニー・マンの『ウィンチェスター銃73』、エリア・カザンの『革命児サパタ』、そして西部劇の最高傑作と私が思っている『シェーン』などの西部劇の名作が公開されたのがこの時期でした。 そして、もう一つ見逃せないのが、ランドルフ・スコット、オーディ・マーフィ、ガイ・マディスン、ロッド・キャメロン、ロリー・カルホーン、ウィリアム・エリオットといった西部劇専門スターによるB級西部劇がブームの下支えをしたことです。特段優れた作品があるわけではないんですが、西部劇の魅力を日本国民に根付かせました。ただ残念なことに、国内でビデオ化・DVD化されている作品が少ないため、その魅力について検証しようがないんですよね。 当時リアルタイムで観た先輩たちの話を聞く度に、ウィリアム・エリオットの西部劇は観たいで〜す。 |