シンギング・カウボーイ


B級西部劇スター

ウィリアム・ボイドとトッパー

 B級西部劇の特徴として“シリーズ性”があげられます。同一キャラクターが毎度スクリーンに登場して活躍します。最近のシリーズ映画(例えば“007”)と違って、最低でも四半期に1本の割合で封切られるのですから、テレビの連続ドラマと同じ感覚だったでしょうね。(テレビが普及してB級西部劇は消滅しました=最後の作品は1954年の『トウ・ガンズ・アンド・ア・バッジ』と云われています)

 1930年代〜40年代のB級西部劇の代表的なものとして、チャールズ・スターレットの“デュランゴ・キッド”、ロバート・リビングストンの“ローン・レンジャー”、バスター・クラブの“ビリー・ザ・キッド”等がありますが、中でも有名なのが、ウィリアム・ボイドの“ホパロング・キャシディ”です。

 クラレンス・E・マルフォードの西部小説が原作で、製作者のハリー・シャーマンが、当時人気が下り坂だったウィリアム・ボイドを起用して1935年から45年にかけて54本作りました。シャーマンが製作を中止してからも、ボイドは独立して“ホパロング・キャシディ”の権利を買取り、さらに12本作っています。日本では戦時中であったため、3本が輸入されたのみで、戦後も戦前公開の『侠勇無双』が『西部の嵐』のタイトルで再上映されただけでした。

 テレビ時代になって『われらのキャシディ』のタイトルで、旧作映画を30分番組に再編集して放映(1957年2月からNTVで52本放映)されていますが、悔しいことに私は観ていません。

(ジョン・ウェインにも、リパブリックB級西部劇での最後の作品として“三銃士”シリーズがありました)

 

 1930年代から40年代にかけて活躍したB級西部劇スターとしては他に、ケン・メイナード、ジョニー・マック・ブラウン、ティム・マッコイなどがいます。この3人は、日本での公開作も多く、知名度の高いスターでした。特にケン・メイナードは、トム・ミックスの流れをついだ人馬一体の西部劇スターでした。トム・ミックスが愛馬トニーを駆って馬術の妙手をみせたように、ケン・メイナードも愛馬ターザンを走らせながら、地上のネッカチーフを拾い上げるといった妙技をみせたそうです。

 ケン・メイナードは、ターザンと25年に渡ってコンビを組んでいましたが、当時の西部劇スターは馬と切っても切れない関係にあったんですね。ウィリアム・ボイドの愛馬はトッパーですし、ジョン・ウェインの愛馬はデュークでした。他にもフレッド・トムソンのシルバー・キング、バック・ジョーンズのホワイト・スタリオンは有名です。そして、次ぎに出てくるシンギング・カウボーイたちは、恋人をそっちのけで馬とばかりキスしていました。ジーン・オートリーにはチャンピオン、ロイ・ロジャースにはトリガー、テックス・リッターにはライトニング、レックス・アレンにはココがいました。

ケン・メイナードとターザン

 

ロイ・ロジャース

 歌うカウボーイ=シンギング・カウボーイが西部劇のジャンルとして確立するのは1930年代後半から40年代にかけてでした。B級西部劇の中から、アクションよりも歌を優先したミュージカル西部劇が登場します。

日本では戦時中だったため、作品が輸入されずあまり存在が知られていません。なにしろ、戦後にロイ・ロジャースの『進め幌馬車』(製作1945年→日本公開1949年)と『愛馬トリッガー』(製作1946年→日本公開1951年)が公開されただけですから。

ロイ・ロジャースは、1936年から1954年まで行われていた西部劇スターの人気投票で、1943年から54年まで、ずっとトップを保持し全米少年ファンのアイドルだったんですよ。新興のリパブリックが、40年代にメジャーと肩を並べるくらいの異例の躍進をしたのは、ロイ西部劇の連続ヒットによるものといわれています。

 

ロイ・ロジャースとトリガー

 ところで、『愛馬トリッガー』(監督:フランク・マクドナルド)ですが、

 馬関係の行商人ロイ・ロジャース(役名もそのまま)が、愛馬レディと名馬(牡馬)ソフリンがいる牧場を訪ね、交配を頼むが断られる。しかし、ソフリンとレディはとっくに恋に落ちており、ソフリンは牧場を逃げ出し、レディと愛の一夜を送る。翌朝、レディを狙う野生の牡馬がやってきて、ソフリンと大乱闘。ソフリンのいる牧場と敵対関係にある牧場主がこれを目撃し、ソフリンを射ち殺す。ロイは犯人と間違われ、レディを連れて逃亡の旅に出る。その道中で生まれるのがトリッガーで……

 つまり、当時映画界で、最も頭のいい馬といわれたトリガーの生立ち物語です。ロイだけでなく、愛馬トリガーも人気者だったんですね。

 ロイ・ロジャースはこの映画の中で、奥さんのデイル・エバンス(牧場主の娘でロイの恋人役)や仲間のザ・サンズ・オブ・ザ・パイオニヤーズと一緒に5曲歌っています。他のシンギング・カウボーイを観ても、収録は大体4〜5曲が普通のようですね。射ち合いよりも歌の方が多いんです。

 この手の映画は西部劇として内容を評価すること自体無意味ですね。現代社会(自動車が登場したり、町並みも製作当時のもの)に、二挺拳銃で現われるという時代感覚なんですから。日活ウエスタンに似た世界です。カウボーイ姿のロイ・ロジャースが歌って、カッコよければそれだけでいいんです。

 

ジーン・オートリー

ジーン・オートリーとチャンピオン

 前述した西部劇スターの人気投票で、ロイ・ロジャースにトップを奪われるまで、1937年から42年まで1位だったのがジーン・オートリーでした。日本では、彼の作品は1本も公開されていませんが、シンギング・カウボーイのスタイルを確立させたのは、ジーン・オートリーなんですよ。1935年の「タンブリング・タンブルウィーズ」が、その第1号といわれています。

 シンギング・カウボーイは、四つの鉄則に従って作られています。

 1. 女性にキスしない

 2. ギャンブルしない

 3. 相手を背中から射たない

 4. 倒れている相手を蹴らない

です。さらに、オートリーは少年ファンのために、“カウボーイ十戒”という彼自信の道徳律を発表しています。

 1. フェア・プレイに徹しなければならない

 2. 信頼を裏切ってはならない

 3. 常に真実を語らねばならない

 4. 乳幼児、老人、子供に親切でなければならない

 5. 民族的、宗教的偏見をもってはならない

 6. こまっている人には手を貸せ

 7. よい働き手であれ

 8. 常に清潔でなければならない

 9. 女性、両親、法律を守れ

10. 愛国者であれ

 戦時下にあっては、オートリーの呼びかけはナショナリズムの高揚に役立ちました。

 

 オートリーの映画を、ビデオで観ましたが、ロイ・ロジャースの映画と同じで、評価云々というような作品ではありませんでした。テレビの人気ドラマ(例えば『水戸黄門』)が、放映個々の作品の質によるものでなく、登場人物のキャラクターや物語の連続性にあるのと同様に、シンギング・カウボーイも個々の作品で評価するものじゃないんですね。ロイやオートリーを支持するか、しないかなんですよ。支持できなくなったら、作品の価値がなくなるんです。

 1954年以降、アメリカの社会背景の変化と西部劇映画の変化で、シンギング・カウボーイは存在感をなくします。西部劇スターから、彼らはウエスタン歌手へと転身していきます。

LPレコード

 

 

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