西部開拓史劇の登場


『モヒカン族の最後』

 アメリカ映画史によると、西部劇が最も製作されたのは1920年代でした。その10年だけで1400本以上もの西部劇が生産されたんですよ。

 しかし、その大半が前述したバック・ジョーンズやフット・ギブソン、それにジャック・ホキシー、アート・エイコードなどの単純なアクションを売物にするB級西部劇でした。

 しかし、西部劇が単なる娯楽から、アメリカ開拓史の歴史ドラマとして登場するのも20年代です。1923年の『幌馬車』からだと云われています。ただ萌芽の兆しとして、1920年にユナイトから発表されたモーリス・ターナー監督(彼の助監督だったクラレンス・ブラウンとの共同)の『モヒカン族の最後』を外すわけにはいきません。

『モヒカン族の最後』は、ジェイムズ・フェニモア・クーパー原作のベストセラー小説の映画化で、1911年に映画化(内容、不明)されて以来、現在までに8回(ヨーロッパ西部劇含む)映画化されていますが、淀長さんの解説によりますと、1920年の『モヒカン族の最後』を超える作品はないそうです。

アメリカ独立前(18世紀半ば)のフレンチ・インディアン戦争を背景にした、モヒカン族の若き酋長アンカスとイギリス軍大佐の娘コーラとの大エレジーで、ウィリアム・ヘンリー砦の大虐殺、クライマックスのアンカスとコーラの死におけるドライな演出は、今日以上にするどい感覚です。

 

 ジェイムズ・フェニモア・クーパーは、1823年〜41年にかけて“革脚絆物語”五部作を発表し、『モヒカン族の最後』は第2作目にあたります。この小説はアメリカのみならず、ヨーロッパでも読まれ、多くの人にアメリカ西部開拓のロマンをかきたてました。

最近の小説と比べると、説明的な会話が多く、スピード感に欠けますが、それを補ってあまりある魅力があります。それは、白人世界からみたインディアンを描いているのでなく、人種の壁を超えた物語になっているからです。

 

『幌馬車』

 西部劇に歴史的要素を持ち込んだ『モヒカン族の最後』に影響を受けて、ユニオン・パシフィックの大陸横断鉄道建設を背景にした『開拓の道』や、1849年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュを背景とした『西部の勝者』などが登場します。

 そして西部歴史劇は、ジェームズ・クルーズが監督した1923年のパラマウントの大作『幌馬車』によって開花します。これは、それまでの西部劇の概念を遥かに超える映画でした。西へ西へと新しい土地を求めて轍を進めて行く幌馬車隊の物語でした。

ミズーリに集合した開拓者たちは、幌馬車を仕立てて、えんえん1年の苦難な旅をつづけて、オレゴンの緑野に達する。インディアンの襲撃、仲間同志の陰謀や友情・恋愛、酷寒・酷暑と闘う姿が、大自然との調和の中に描かれます。それまでのカーボーイの英雄的行為とは全く違う西部劇でした。西部開拓がいかに至難の道であったかを、雄大な西部叙事詩に謳いあげたんですよ。

 この映画をリアルタイムで観た双葉十三郎さんは、こう書いています。

 「すごい台数の幌馬車隊が出発する光景からして、ニッポンの一少年にすぎなかったぼくでさえ大感動だった。野営のひととき、人々はヴァイオリンやバンジョーを弾いて歌う。サイレントだから“オー・スザンナ”という字幕が出て、スクリーンの前の樂士たちがこの曲をナマで演奏する」

 当時の映画館で、この作品を観ることができたら最高でしょうね。

 

 クルーズはこの後1925年に、ポニー・エキスプレスを題材にした『駅馬車』(原題はポニー・エキスプレスですが、適訳が浮かばなかったのでしょうね)を監督します。南北戦争を背景にした大作だったそうです。

 

『アイアン・ホース』

 ハリー・ケリーのB級西部劇を作っていたジャック・フォードは、この頃にはハリー・ケリー映画を降り、1923年の『侠骨カービー』から名前もジョン・フォードに変えています。そのフォードが『幌馬車』に刺激されて作ったのが1924年の『アイアン・ホース』です。

 アイルランド系の無名の俳優ジョージ・オブライエンを主役に起用し、ユニオン・パシフィックとセントラル・パシフィックが、ネブラスカのオマハからとカリフォルニアのサクラメントからの両地点からスタートして、ユタのプリモントリー・ポイントで結ばれるまでの大陸横断鉄道史を描いた大作でした。

 鉄道建設をめぐって、反対派とインディアンが絡む大絵巻で、『幌馬車』と並ぶサイレントの超大作西部劇として西部劇映画史に特筆されます。

 

 さらにフォードは、ランド・ラッシュを背景とした『三悪人』を発表します。三人の無法者が、任侠の精神から善人の味方になり、若い恋人たちのために自らを犠牲にして悪を倒す波瀾万丈の物語でした。この二作でジョン・フォードはA級監督としての腕を立証しました。

 

 『モヒカン族の最後』で共同監督をやったクラレンス・ブラウンは1929年に『黄金の世界』で、アラスカのクロンダイクのゴールド・ラッシュを描いて『幌馬車』に対抗しました。
 サンフランシスコから船出する黄金熱に浮かされた家族たちが、やがてアラスカに渡りついてユーコンの氷河を超え、吹雪に半身をうずめながら長蛇の列をなして登行する姿を圧倒的迫力でもって描いていたそうですが、もう時代はトーキーになっており、この作品がサイレント最後の西部大作になるでしょう。

 

 

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