西部劇は『大列車強盗』から


『大列車強盗』

 西部劇映画史を語るには、やはりエドウィン・S・ポーターの作品『大列車強盗』から始めねばなりませんね。1903年に作られたこの作品は、初めてストーリーを持った映画としても特筆されます。

 『大列車強盗』は14の場面から成っています。強盗の一団が鉄道の事務所を襲い、給水場で列車を停車させる偽電信を打たせる。給水場に停まった列車を襲った強盗団は郵便車から金を奪い、機関車を連結器からはなして逃走する。一方、縛られていた縄をといた事務室の駅員は、酒場に集まっている人たちに事件を知らせる。たちまち自警団が組織され強盗の後を追う。追う者と追われる者の射ち合い。ラストは強盗の首領がカメラに向かって拳銃をむけ、狙いを定めてズドン。

 

 10分足らずの作品ですが西部劇の主要エッセンスが網羅されています。当時は移動撮影はおろか、被写体の動きを追ってカメラを滑らせるように上下左右に振るパンと云われる撮影方法も生み出されていないため、今から見るとスピードやアクションの表現は稚拙ですが、それでも西部劇の魅力を感じるとることができます。

 ただ当時の感覚からすると、この作品は西部の話であっても、過去の話ではなかったんですね。実際、列車強盗は現実の事件として発生してましたから。この作品の20年後の1923年にデ・オートルモン三兄弟がオレゴン州シスキュー山麓を走っていた郵便列車を襲った事件がアメリカ最後の大型列車強盗(ダイナマイトで爆破したのはいいが、あまりに粉々になった車両を見て、何も取らずに逃走した)と云われています。

 現実に存在するフロンティアへの憧れと、増淵健さんが云うところの、アメリカが勇気ある民衆(この映画で強盗団を追うのは、保安官でも騎兵隊でもなく、酒場でダンスに興じていた農民や、カウボーイや商人)の手で築かれ、守られているということがこの映画のテーマであり、アメリカ大衆のバックボーンなんですよ。

 

ブロンコ・ビリー

 『大列車強盗』の大ヒットにより、続々西部劇(時代劇でなく、西部という辺境の土地を舞台とした映画)が作られるようになります。

 最初の作者兼スターとして名乗りをあげたのは『大列車強盗』に出演したG・M・アンダーソンでした。彼は1904年頃から一連のシリーズ作品(もちろん当時は短編=最初は1巻物(10〜12分)だったが、後に2巻物になった)としてカウボーイ映画『ブロンコ・ビリー』シリーズを作りはじめて最初の西部劇スターとして人気を集めます。その役名から“ブロンコ・ビリー”アンダーソンがやがて芸名となります。ブロンコ・ビリー・アンダーソンはこの自作自演の西部劇を376本も送り出したんですよ。

 だけど、このシリーズは日本では1本も公開されていないんですね。だから、あの淀長さんも、観ていない。だから、淀長さんの著述の中にも出てこないんです。

 東京フィルムセンターにおいて、1970年にニューヨーク・フィルム・ライブラリーの世界巡映「アメリカ古典映画の回顧」で、『ブロンコ・ビリー』の13年物と18年物が上映されたそうです。

 当時、私は京都で学生時代を送っていたので残念ながら観てないのですが、これを観た友人の話によると、動きが悪くアメリカで騒がれた理由がわからないと言ってました。

 ブロンコ・ビリーは全然馬に乗れず、騎乗疾走シーンはロングで吹き替えを使い、アップは剥製の馬に乗っていたという噂があったんですが、本当だったみたいですね。

 

『スコオ・マン』

 西部劇映画の歴史のみならず、ハリウッド映画の歴史を語るうえで、必ず登場するのが『スコオ・マン』です。

 1913年に、ニューヨークの舞台演出家セシル・B・デミルは、ブロードウェイのヒット作『スコオ・マン』を映画化するためにロケ地を求めて、カリフォルニアにやってきました。

 最初、彼は候補地としてアリゾナ州トゥームストンを考えていましたが、雪のため不適格とわかり、気候のよいカリフォルニアにやってきたんです。そこで彼は19世紀後半にはゴールド・ラッシュで湧き立っていたロサンゼルス郊外に絶好の地を見つけます。当時はスッカリ寂れていたハリウッドです。1年のうち350日まで陽が照るといわれるこの町は、天然光線がたよりだった当時の映画撮影にとっては、天国の地になります。

 演劇としての西部劇は、映画より以前に舞台では上演されていたんですね。『スコオ・マン』もそのひとつでした。『スコオ・マン』を映画化するにあたっては、製作費として2万5千ドル用意されたのですが、そのうちの5千ドルが主役のダスティン・ファーナムの出演料でした。というのは、ダスティン・ファーナムは舞台で『スコオ・マン』を当り芸にしていたからです。

 

 ところで、『スコオ・マン』って、どんなお話なんでしょうか。古い映画雑誌で淀長さんが紹介してますので、そのまま引用しますね。

 ジムという男が地位のある身分の高い友人の妻をひそかに愛していた。ところがその友人が誤って人を殺した。ジムは愛する女のため自らその罪を引き受け、ワイオミングに姿をくらました。数年ののち、ジムはインディアンの女と結婚してしまった。胸に焼きついた人妻への恋を消すためである。二人の間には男の子が生まれた。それで平和な日がくるはずだったのに、都会にあって、かつての友人が死ぬまぎわに、自分こそ真の犯人たることを自白したのであった。ジムは都会へ帰って行った。残されたインディアンの女はわが子と共に自殺し果てたのであった。

 当時は、白人とインディアン娘の結婚という異色の題材で、大評判になったみたいですが、白人男の身勝手といった感じがします。身分違いの男に恋した女の悲劇ということになるんでしょうか。当時の観客はインディアン娘に同情したんですかね。

 デミルはこの物語に愛着があったとみえて、1918年『情熱の国』(エリオット・デキスター主演)、1931年『異国の母』(ワーナー・バクスター主演)と二度もリメークしています。
 白人の男と結婚したインディアン娘は死ぬ運命にあるという、西部劇の公式がこの映画から成立したんですね。

 

 

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