劇場公開作品


『地獄から来たプロガンマン』(1966年/監督:アルバート・カーディフ)

山賊に妻を殺され、息子を攫われた主人公(アンソニー・ステファン)が息子を捜して旅を行く。20年後、山賊に狙われている町の保安官に射撃の腕をみこまれ、山賊退治に手を貸すことになるが、山賊の首領の息子として育てられ、名うての無法者となっていた息子との宿命の対決が彼を待ちうけていた……

ギリシャ悲劇に似た父子の宿縁を描いた作品。マカロニらしいテーマなので、きちっと作れば水準以上の作品となったのでしょうが、いかんせん監督と役者がひどすぎました。

なにしろ主演が、愛すべき(?)アンソニー・ステファンですからね。マカロニ主演回数はやたらと多いのですが、貧相なアクションばかりが話題になるスター。(笑)

この作品でも、彼十八番の“転がりアクション”をタップリ観賞することができます。特に極めつけは、“必殺階段転がり射ち”でして、酒場の1階ホールにいる敵を、2階にいたステファンが階段を転がり降りながら拳銃を射ちます。ところが銃口は、あらぬ方向を向いている。それでも相手は勝手に倒れてくれるのです。(笑)

ジェンマなら、階段の手すりを滑りながら射つとか、2階から飛び降りながら射つとかして、颯爽としたアクションを見せてくれるのでしょうが、ステファンはドタドタしたアクションで失笑を買うだけ。演出がよければ、ステファンのアクションもカバーできるのでしょうが、カーデォフの演出は散漫な場面展開の連続で盛り上がりに欠けます。クライマックスの雨中の決闘は、フランチェスコ・デ・マージのマカロニ屈指の名曲によって最高の見せ場になるはずなのに、感動を呼ばずにシラケるだけ。

ただ、デ・マージの音楽だけはマカロニ史に残りますね。

 

『拳銃のバラード』(1967年/監督:アルフィオ・カルタビアーノ)

若い賞金稼ぎニグロス(アンジェロ・インファンティ)は、ベドージャ(アル・ノートン)とその弟キンキ(アントニー・フリーマン)の凶悪強盗団を追っていた。そこへ、ベドージャによって無実の罪で15年も牢獄につながれた中年ガンマンのクッド(アントニー・ギドラ)がベドージャへの復讐に現れる。はじめ二人はどちらがベドージャを倒すかでもめたが、ニグロスが賞金、クッドがベドージャとの決闘の権利を持つことで手を組み、ベドージャ一味を追うが……
 『赤い砂の決闘』とは、“月とスッポン”のマカロニの中では上出来の作品。マカロニのプロットはどれも似たようなもので、面白くなるかならないかは監督の腕次第ですね。アルフィオ・カルタビアーノは、これが初監督作品?ですが、マカロニの持つ面白さを全て結集した感じです。スタイリッシュで趣向を凝らしたアクションを、キレのよい演出でタップリ見せてくれますよ。

カルタビアーノは中々の才人で、監督だけでなく脚本も書き、俳優としてもベドージャ役(アル・ノートンは監督自身)で出演しています。この悪党ぶりが実に良いんだなァ。雰囲気だけでなく、動きもいいしね。片手でライフルを射つスタイルがきまっていました。
 ウエスタンの前は、『ロード島の要塞』や『スパルタカスの復讐』などのマカロニB級史劇の俳優(カルタビアーノ名)兼殺陣師だったことが動きの良さに出ていますね。
 彼の作品は、他には『ギャングスター』と『ギャング・プロフェッショナル4+1』しか日本では公開されておらず、もっと観たかった監督のひとりです。『ギャングスター』は、細かなところは忘れたけど、派手なアクションで面白かった記憶があるなァ。

 

『情無用のコルト』(1966年/監督:ジャンニ・グリマルディ)

ブーム初期の頃のマカロニには、アメリカ西部劇に似せて作られた作品が多くありました。当時はアメリカ的マカロニと呼ばれていましたが、この作品もその一つですね。

主人公のスティーブ(スティーブン・フォーサイス)は、ガンマン稼業から足をあらい、相棒のデューク(コンラッド・サンマルティン)の娘スーザンと結婚して農場をやろうと考えています。しかし、デュークは一度ガンマンの世界へ足を踏み入れた者は、自分の経験から生涯拳銃を捨てることはできないと考え、娘の幸福を考えて結婚に反対しています。

メキシコの山賊退治で負傷したデュークに黙って別れを告げ、スティーブはスーザンと新しい生活を始める町にやってきます。その町は二人の権力者が牛耳っています。

スティーブは農場の土地を手に入れますが、土地の買占めをしている権力者と対立します。スティーブの前に二人の悪巧みは阻止され、二人はスティーブを倒すために殺し屋としてデュークを雇います。スティーブとデュークの対決の時間がせまり……

当時のアメリカ西部劇であれば、ロバート・フラーとグレン・フォードがやったら似合いそうな西部劇です。ここには、残酷なリンチ・シーンもなければ、金銭欲のかたまりみたいなヒーローも出てきません。服装・身だしなみにもマカロニ特有の薄汚さはありません。派手なガンプレイが唯一マカロニらしいところでしょうか。

アメリカ的マカロニであるジェンマの作品が物足らないように、この作品もアメリカ西部劇のコピーで、イタリアらしさ(音楽はマカロニしていますが)を望むファンには物足らないかもしれませんね。アメリカB級西部劇が好きな私としては、大いに楽しめましたが……

 

『黄金の三悪人』(1967年/監督:エンツォ・G・カステラッリ)

エド・バーンズ

30万ドルの金貨を巡って、賞金稼ぎ(ジョージ・ヒルトン)、盗賊団の首領(ギルバート・ローランド)、銀行員(エド・バーンズ)の三人が入り乱れて争奪戦を繰り広げるマカロニ。

冒頭で、ヒルトンが3人のお尋ね者を射ち倒すのですが、これがイーストウッド、クリーフ、ネロのイメージそっくり。でもって、ラストの三すくみの決闘は『続・夕陽のガンマン』で、なかなか愉しませてくれます。

三悪人の一人、エド・バーンズはTV映画『サンセット77』のクーキー役で人気が出たのですが、その後パッとせず、イタリアに流れてきたみたい。英語版タイトルで、エド“クーキー”バーンズと表示されており、いかにクーキーのイメージが強かったかがわかりますね。

エド・バーンズの粋な感じは他のマカロニスターにはないもので、彼を上手く使ったら、一味違ったマカロニができたと思うのですけど……

 

 

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