劇場公開作品


『バンディドス』(1967年/監督:マックス・ディルマン)

ビリー・ケーン(ヴェナンティーノ・ヴェナンティーニ)を首領とする山賊が列車襲撃をするが、乗客として乗っていたリチャード・マーチン(エンリコ・マリア・サレルノ)に次々に倒される。ビリーはマーチンに1対1の決闘を挑む。ビリーの早業がマーチンのホルスターを射ち落とし、さらにマーチンの両手の甲に弾丸を射ち込んだ。銃を持てなくなったマーチンは、やってきた若者(テリー・ジェンキンズ)を弟子にして拳銃ショーをして歩く。ビリーも以前はマーチンの弟子で、マーチンは弟子にした若者にビリーへの復讐を託すが、若者には別の目的があった……

タイトル映像は安っぽいですが、音楽(エジスト・マッキ)はイカします。だけど、この曲が収録されたマカロニ・オムニバスCDがないのは何故だろう。

監督も出演者も知らない顔だったので、公開時に見逃した作品。二番館で上映される時に観ればいいと思っていたら、結局それっきりになってしまいました。

冒頭の列車襲撃に見られるようなムダな人殺しシーンはあるが、全体としてはよくできたマカロニです。
 監督のディルマンがカメラマン出身で、画面の構図が良いんですよ。『白昼の決闘』に似た構図が多々見られ、本場西部劇を研究していますね。

それにしてもDVD特典のヴェナンティーニのインタビューは可笑しかったなあ。『サムライ 荒野の珍道中』は、トーマス・ミリアンより彼を出演させた方がよかったかも……

 

『血斗のジャンゴ』(1968年/監督:セルジオ・ソリーマ)

東部のインテリ(ジャン・マリア・ボロンテ)が、病気療養のために西部に来て無法者(トーマス・ミリアン)と知り合う。ボロンテはミリアンの仲間に加わり、次第に暴力に目覚めていく。一方ミリアンは、ボロンテと知り合うことにより、荒んでいた精神が浄化していく。対称的な二人が、互いに知り合うことにより、相反する生き方に目覚めるという哲学的なマカロニウエスタン。アメリカ西部劇には見られない、いかにもマカロニらしいテーマ設定です。

マカロニ製作者の多くは、第二次世界大戦の経験者であり、ファシズムの台頭から敗戦という戦争経験をトラウマとして少なからず持っており、それが何らかの形で作品に影響を与えていますね。それが一番色濃く出たのが『情無用のジャンゴ』だと私は考えていますが、この『血斗のジャンゴ』にも、それが見受けられます。

この作品のボロンテのようなインテリが、戦争という異常環境の中でファシズムに組し、戦争推進者になっていった事実を、ソリーマは体験しているんじゃないですかね。戦勝国アメリカの映画人では表現できないものを、マカロニは見せてくれ、それが魅力になっています。

ところで、恋人をボロンテに取られたネロ・パゾフィーニはどうなったのでしょうか?

 そして、ジャンゴはどこにも登場しないのに、この邦題は何なんでしょう。公開時のフィルムでは、ミリアンはジャンゴだったのかなァ?

 

『野獣暁に死す』(1968年/監督:トニーノ・チェルヴィ)

妻殺しの罪をきせられて投獄された主人公が、刑期を終えて出獄し、腕っこきの4人のガンマンを雇って、仇のコマンチェロの首領(仲代達矢)に復讐する物語。

『続・夕陽のガンマン』のように話がワキ道にそれることなく、主人公たちとコマンチェロ一味との戦いに終始しているのは好感が持てます。逆に話の展開が単純すぎて物足らなさがあるのですけどね。

この作品の見どころは、なんといっても仲代達矢。邦題の『野獣暁に死す』は、彼がアンチヒーローを演じて評判の高かった『野獣死すべし』からきているんでしょうね。

日本公開時は日本語吹替え版だったので、「カイオア〜、なぶり殺しにしてやる〜」と、仲代独特の目ン玉をむいたエロキューションあふれるセリフが聞けたのですが、DVDでは仲代の声が逆に外人によって吹替えられていて、そのニュアンスが伝わってきません。その点は残念なのですが、ヒーロー・グループ(モンゴメリー・フォード、ウエイド・プレストン、バッド・スペンサー、ウィリアム・バーガー、スタンリー・ゴードン)を相手にした悪の魅力は存在感がありましたよ。

ところで、主演のモンゴメリー・フォードはマカロニ用の芸名でして、アメリカではブレット・ハルゼイの名で多くのテレビ出演をしています。私は未見なのですが、日本でも彼が主演していた『フォロー・ザ・サン』(ハワイを舞台に、フリーの雑誌記者が犯罪事件を追うミステリー・アクション)というテレビドラマが1962年頃日本テレビで放送されていました。

テレビのヒーローといえば、ウエイド・プレストンもテレビ西部劇『コルト45』に主演していましたね。政府の密命を受けた調査官が、コルト拳銃のセールスマンとして西部の町を旅しながら、無法者を倒していくんです。『コルト45』のウエイド・プレストンはカッコよかったですよ。

1960年代前半にテレビで活躍していた多くのスターが、イタリアに渡ってマカロニに出演しています。『ソニー号空飛ぶ冒険』のクレイグ・ヒルでしょ、『サンセット77』のエド・バーンズでしょ、『ガンスモーク』のバート・レイノルズ(『さすらいのガンマン』だけですが)でしょ、『ライフルマン』のチャック・コナーズでしょ、『ブロンコ』のタイ・ハーディンも日本では未公開でしたが、数本のマカロニに出演しているんですよ。しかし、なんといっても出世頭は『ローハイド』のクリント・イーストウッドでしたねェ。

 

『殺しが静かにやって来る』(1968年/監督:セルジオ・コルブッチ)

悪徳判事とロコをリーダーとする賞金稼ぎに支配されている町・スノーヒル。その町にサイレンスと呼ばれる殺し屋がやって来た……

私は、この作品が嫌いなんですよ。善人より悪人がのさばっている現実の社会で暮している庶民としては、映画の中だけでも現実から逃避したいですからね。娯楽作品は、そういう大衆の癒しが大きな目的にあるので、この作品のラストでは救われないんですよ。

だけど、特典映像にあるハッピーエンド・シーンを観て好きになりました。(笑)

しかし、ハッピーエンドでは作品の価値は半減するでしょうね。何故ならハッピーエンドの嫌いなコルブッチが、最高のアンハッピー映画を創ろうとした意図が壊れるからです。

もともと西部劇には勧善懲悪という定型フォーマットが、映画の創世紀から連綿と続いており、大衆の心にインプットされています。だから、ハッピーエンドになるのが当り前なんですね。それがアンハッピーだと、それだけインパクトが大きくなるんです。だけど、それまでの西部劇やマカロニの世界(緑の平原や、砂塵の荒野)を踏襲して、結果だけをアンハッピーにしたら、単なるキワモノ作品にすぎません。それでコルブッチは、今までの西部劇にはなかった雪深い町を舞台として設定しました。陰鬱なムードに雪の世界はピッタリでしょう。冒頭で、深く積もった雪に馬が足をとられ、サイレンスが落馬するシーンがありますが、これはラストの悲劇を暗示していますね。

コルブッチは、アンハッピー・エンドに向けて映像面だけでなく、主人公の設定においても最高の演出をしています。主人公を唖者にしたことです。この作品では、主人公が黙って犬死することが重要なんです。余計な理屈はいらない。常人だったら、何かセリフが必要になるでしょう。陳腐なセリフを言うより、黙って死ぬ。そのことで余韻が残るんです。

ヴォネッタ・マッギー

トランティニアンがサイレンスを好演。それ以上にバツグンだったのがロコ役のクラウス・キンスキー。でも、私のお気に入りはヴォネッタ・マッギー。夫をロコに殺され、復讐のためにサイレンスを雇い、やがてサイレンスと愛し合うヒロイン役の黒人女優さん。

彼女、この作品が映画初出演だったんですよ。アメリカではプロの女優として食べていけなかったので、イタリアに出稼ぎに来てたんだって。

イタリアでもう1本撮ってアメリカに戻り、当時ブームだったブラックスプロイテーション映画に数多く出演しています。『吸血鬼ブラキュラ』のヒロイン役は良かったですよ。

彼女の映画で、私が今一番観たいのが黒人西部劇の『トマシーナとブッシュロッド』です。若い黒人男女のアウトローの物語で、『俺たちに明日はない』の黒人西部劇版です。黒人のための黒人映画という姿勢を貫いており、黒人にはウケたけど白人観客の評判はメチャ悪かったそうです。だから、観たいんですよォ〜。

 

『さいはての用心棒』(1967年/監督:カルヴィン・J・パジェット)

南北戦争末期、南軍の将校ゲーリー(ジュリアーノ・ジェンマ)は北軍の捕虜になっていたが、北軍の隊長から、コロラドのユマ砦に密書を届けるルフェーブル大尉(エンジェル・デル・ポーゾ)とピット軍曹(ネロ・パッツァフィーニ)の道案内人を要請される。ゲーリーはコロラド生まれで土地に詳しいのと、南軍のユマ砦攻撃をやめさせるためだった。ユマ砦には100万ドルの黄金が保管されており、無法者のリッグス(ダン・ヴァディス)と南軍のサンダース少佐(ジャック・セルナス)が南軍の砦攻撃のドサクサに、その黄金を奪おうと計画していたのだ。ゲーリーたちは途中でリッグス一味に襲撃され、ピット軍曹が死ぬ。ゲーリーはルフェーブルの挙動に不信を抱き、密書を奪って逃げる。コロラドに向かうコニー(ソフィー・ドーミエ)という酒場の歌手と知り合ったゲーリーは彼女の鞄に密書を隠すが、渡し舟で河を渡る途中、追いかけてきたルフェーブルに射たれて河の中へ転落する。ゴールド老人(ホセ・カルボ)に助けられたゲーリーは密書を取り返しにコニーが歌っている町へ行くが……

ジュール・ヴェルヌの『皇帝密使』を原案にした作品です。実は何かで読んだジェンマへのインタビューを聞くまでは気づかなかったのですけどね。

確かに、密使となるのが土地に詳しい主人公で、悪党一味に味方の裏切り者がいるという設定は同じだし、通行許可がおりない娘のために主人公が人肌脱ぐのも同じ。主人公が傷ついて河に落ちるのも、眼を焼かれるというトリックも同じですね。

内容的にはダラダラした展開と、マカロニ特有のイイカゲンさ(眼玉を焼かれた主人公がどうして見えるようになったか説明なし)はあっても、筋書きの面白さがあるのは原作の冒険活劇としての構成がしっかりしているからでしょう。

炊事当番兵との冒頭の格闘からジェンマはアクロバチックな動きを見せ、彼らしい溌剌としたアクションが楽しめますが、それだけの作品で〜す。

 

 

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