『アヴェ・マリアのガンマン』(1969年/監督:フェルナンド・バルディ)
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死んだと思っていた母親(ルチアナ・パルッツィ)が父を殺した男と暮していると告げられた主人公(レナード・マン)が、自分の出生の秘密を知るためにメキシコに向かうが…… 日本未公開のマカロニですが、結構イケました。「オイディプス王からヒントを得た」とバルディ監督も語っていましたが、この作品はギリシャ悲劇と同じ情念の世界を描いているんですよ。 本場西部劇には見られないマカロニの特色として、情念の世界があるのですが、それがマカロニの定型フォーマット(メキシコを舞台に、魅力的な音楽が流れ、一方的な大量殺戮があり、陰気な主人公による復讐)の中で展開していくので、観ていて親密な気分に浸らせてくれました。 ところで、最初この作品のポスターを見た時、アンソニー・ステファン主演と思い込んでいたんですよ。だって、レナード・マンなんて今回観るまで知らなかったんですから。それにしてもステファンに似ているなあ。特に、演技力のないところがね。(笑) |
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レナード・マンにはそれほど魅力を感じませんでしたが、ルチアナ・パルッツィが出演していたのは嬉しかったなァ。 この女優さん、私にとって存在感があるんですよねェ。『007 サンダーボール作戦』で、ミサイルを装備したオートバイで颯爽と現われた女殺し屋ぶりが強く印象に残っていましてね。 この作品でも、愛人と暮らすために邪魔な夫を殺す悪女役が似合っていました。しょせんB級(C級かな)女優なんですが、記憶に残る意外な女優が出演していたので、それだけで楽しめました。 |
『西部のリトル・リタ』(1967年/監督:フェルディナンド・バルディ)
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アイドル歌手による能天気なミュージカル西部劇。 伝説の女ガンマン(リタ・パボーネ)が、マカロニでお馴染みのキャラクター、リンゴやジャンゴと闘って、人間を堕落させる黄金をこの世からなくして、星の世界へ戻るというマカロニ・パロディ満載のファンタジー。 『続・荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』のパロディは、わかりやすかったですね。 歌と踊りが特別優れているわけではありませんが、アメリカの特産物である西部劇とミュージカルを、まとめてマカロニにしてしまうことが愉しいんですよ。 “ミュージカルはコメディ”というのが私の持論なのですが、『踊るマハラジャ』がウケたように、現在の視点で観ると、結構新鮮な感じがするんじゃないかなァ。 マカロニ&ミュージカルが好きな私としては、ベリーグッドな作品でした。 |
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主演のリタ・パボーネは、『トマト・ジュース乾杯!』のヒットで、日本でも一時期人気のあったアイドル歌手。私は彼女のレコードを持っていたんだよなァ。中古レコード屋で見つけた時、なつかしくて思わずゲットしたんですよ。 学生時代、初めて彼女の歌をラジオで聴いた時、“ミス・ダイナマイト”の愛称で呼ばれていたブレンダ・リーと歌唱方法が似ていて(リタもインタビューで、ブレンダ・リーに影響を受けたと語っていた)、ブレンダ・リーが好きだった私としては興味を持ったわけです。 来日していれば人気も持続したかもしれませんが、日本では結局、『トマト・ジュース乾杯!』だけでしたね。 この作品には、もう一人、日本でお馴染みのミュージシャンが出演しています。それはニニ・ロッソで、コルネット(カンタービレ)の魅力的な演奏を聴かせてくれますよ。 |
『増える賞金、死体の山』(1973年/監督:ジュゼッペ・ロザッティ)
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スティーブン・ボイドが歌う主題歌は悪くないなァ。マカロニよりも本場西部劇に近いノリでしたね。『砦の29人』に似たようなノリです。 冒頭に相変わらずのメキシコ山賊による一方的な皆殺しがあって、騎兵隊の400挺のライフルと軍医の娘がさらわれる。スティーブン・ボイドをリーダーとする3人の騎兵隊員が派遣され、山賊を追っている賞金稼ぎ(ジャンニ・ガルコ)と、黒幕であるメキシコの将軍の砦を攻撃するが…… 傘に仕込んだ機関銃(ガンブレラ)や長射程距離のロケット砲といった珍兵器が登場し、メッタヤタラと人が死ぬのはマカロニらしくていいのですが、作り方が大雑把で盛り上がりに欠けるのもマカロニそのもの。 全体としてはコメディタッチを狙っているのでしょうが、笑いの壷を見事にハズしていますね。 このような作品でも愛することができるようになれば、マカロニ・ファンとして通用しますよ。 |
『荒野の処刑』(1975年/監督:ルチオ・フルチ)
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悪人一掃の日(町民が皆で、町にいる無法者を処刑する日)に留置場にいた4人(賭博師、妊娠している売春婦、アル中、黒人の墓堀り人)は処刑をまぬがれ、翌朝、町から追放される。途中でハンターと道連れになるが、こいつが悪い奴で、馬車と食物を奪い、4人を荒野へ置き去りにする。アル中はハンターに射たれた傷で死に、黒人は気が狂う。やっとの思いで二人は鉱山町にたどり着き、妊娠していた女は出産はするものの死んでしまう。赤ん坊を町の住民に預け、賭博師は復讐に向かう…… アメリカン・ニューシネマの影響を受けたマカロニですね。ニューシネマの流れは、1970年(製作は1969年)の『イージー・ライダー』から始まり、形を変えて現在まで続いていますが、風俗としてのニューシネマは、1972年で終わったと私は考えています。 この作品は1975年の製作であるにもかかわらず、旧いタイプのニューシネマです。 ロードムーヴィ形式の物語の中で流れる曲は、ボブ・ディランの曲を意識したフォーク・ソング。悪党ハンターのトーマス・ミリアンの恰好は、1970年代初めのヒッピー・スタイル。そして、彼が荒野で4人に食べさせたものはLSDを連想させます。 流行遅れのアメリカの模倣作品で、マカロニとしてのニューシネマになっていないところが、純粋マカロニファンの私としては気に入らないわけです。 だけど、現在の視点でみたら、奇妙な味わいがあるかも…… |