劇場公開作品


『ガンマン無頼』(1966年/監督:フェルディナンド・バルディ)

テキサスで名うての保安官だったバート(フランコ・ネロ)は、父の仇シスコを求めて弟ジムとメキシコへ旅立つ。目指すシスコは町を支配するメキシコの権力者となっており、バートにおとなしくテキサスへ戻るよう威圧する。シスコの告白で、父親代りに育てたジムがシスコの実子とわかったが、バートの決意はシスコをテキサスへ連れて帰り、法の裁きをうけさせることだった。しかし、バートは逆に捕えられ、テキサスへ強制送還させられる。その時、シスコの独裁打倒に起ちあがった町民にバートは助けられ、シスコの屋敷へ乗り込むが……

フランコ・ネロは、マカロニ・ウエスタンが最も似合うスターですね。陰惨で血なまぐさいマカロニに、ネロのキャラクターがピッタシ一致するんですよ。

暗く、孤独で、執念の男。特に彼の持ち味が出ているのが、『続・荒野の用心棒』、『真昼の用心棒』、そしてこの『ガンマン無頼』ですね。

ガンプレイも上手く、“背面逆手射ち”を初めとして色々見せてくれて満足、満足。

監督のバルディは、レオーネやコルブッチのような傑作は残していませんが、ハズレはないですね。決められた予算で、決められた日数でコンスタントに水準以上の作品を作る手腕は評価できますよ。

プログラム・ピクチャーの監督は軽んじられる傾向にありますが、大作や問題作だけが映画ではないわけで、バルディは再評価されてもいいと思いますよ。

 

『荒野の棺桶』(1966年/監督:マリオ・カイアーノ)

山賊が猛威をふるう町にテキサス・ジョー(アンソニー・ステファン)と名乗る男がやってくる。ルーペを首領とする山賊一味が銀行を襲い、傷ついた一味の一人をジョーが助けたことから、ジョーは彼らの仲間に加わる。ジョーは、乱暴されて殺された妻の復讐をするために犯人を追っており、ルーペ一味に目星をつけるが、ルーペの片腕マーダー(エドアルド・ファヤルド)にあやしまれ……

このDVDではイタリア語版ですが、日本公開時には、田宮二郎の『早射ち犬』との二本立てで、日本語吹替えでした。吹替えていたのは、ステファンが小林恭治(『ひょっこりひょうたん島』のダンディさん)で、エドアルド・ファヤルドが小林清志でした。テレビでは吹替え版でも違和感がないのですが、大きなスクリーンでみると今イチしっくりこなかったことが記憶に残っています。

役名もステファンがシェナンドーで、ファヤルドがマードックになっており、伊語版でなく英語版を翻訳したのでしょうか。内容は別にして、マカロニはイタリア語がピッタリきます。

それにしても、観ている人に何の感動も与えないにステファンの無表情演技は、特筆に値するなァ。

 

『二匹の流れ星』(1967年/監督:ロモロ・グエリエリ)

金持ちの牧場主への復讐のため、メキシコ人の無法者・マヌエル(クラウディオ・カマソ)が、牧場主の娘・ドロレスを誘拐する。牧場主は娘を助け出す仕事を賞金稼ぎのジャンゴ(ゲイリー・ハドソン)に頼むが、ジャンゴは報酬が安いので断る。酒場に行ったジャンゴは、ポーカーをしているマヌエルに会い、それに加わる。そして、賭博師のインチキを見破ったことからマヌエルと親しくなるが、酒場を出たところで何者かに射たれる。酒場女のミジャーヌ(ロレダナ・ヌシアク)が、ジャンゴを助けて世話をし、二人は愛し合うようになる。牧場主が報酬をアップしてきたので、ジャンゴはマヌエルの隠れ家を訪ねる。マヌエルは、金塊を輸送する駅馬車を襲撃するので手を貸してくれとジャンゴに持ちかけ、ジャンゴは人殺しは絶対にしないという約束で引受ける。しかし、駅馬車の乗員は皆殺しにされ、その中にはジャンゴの恋人・ミジャーヌもいた。ジャンゴは、マヌエルに復讐するために……

公開当時は、マカロニ版“武蔵と小次郎”が謳い文句でした。海辺のシーンから始り、二挺拳銃のジャンゴと、肩のうしろに拳銃をつけているマヌエル。最初の出会いが、道ですれちがうシーンで、互いに相手の腕前を意識するんですね。西部劇というより時代劇の感覚です。

マヌエルの性格付けがキチッとできていないのが欠点ですが、アクション・シーンは満足です。弾丸がそれる習性のあるマヌエルの父親(フェルナンド・サンチョ)の銃が、ちゃんと伏線になっていましたからね。

主演のゲイリー・ハドソンは、ジャンニ・ガルコのマカロニ輸出用の芸名。そのうち、カーク・ランカスターが現れるんじゃないかって、当時、ファンの間では酒の肴になっていました。マカロニが市民権を得るや、この手のカラカイ材料がなくなったのは、サビシイで〜す。

 

『情無用のジャンゴ』(1966年/監督:ジュリオ・クエスティ)

“生きたまま吊るし首や、逆さ吊りする場面”、“重傷を負った男の腹をさき、数人がよってたかって、手をつっこんで金の弾丸を取り出す場面”、“インディアンの頭の皮をはがす場面”、“吸血コウモリなどを使った拷問場面”、“ダイナマイトで爆破された馬の死骸からでかい贓物がとび出し、それにウジがたかっている場面”、“溶解した黄金を頭からかぶってしまう場面”など、目を覆いたくなるシーンが次ぎから次ぎに展開します。

主人公が情け容赦なく痛めつけられる本来の残酷性と異なる、グロテスクな残酷性をウリモノにしたゲテモノ西部劇といえますね。

特典映像のインタビューでクエスティ監督は、ジョン・ヒューストンの『黄金』に影響を受けたと語っていましたが、部分的にそういった面はあっても100%信じるわけにはいきませんね。ヤコペッティーの『世界残酷物語』が大ヒットし、『地球の皮をはぐ』や『地球のアバタ』といった亜流の残酷ドキュメンタリーが当時製作されましたが、この作品はその流れをくんでいると私は考えています。

派手なガンプレイもなければ、マカロニ特有の情念もない。あるのはグロ、グロ、グロ。

マカロニという邪道の西部劇の世界で、徹底してゲテモノを追及したところは一見の価値はありますが、私としては不快感だけが残り、好きになれませんねェ。

 

『無宿のプロガンマン』(1966年/監督:レオン・クリモフスキー)

賞金稼ぎが保安官に間違えられて、悪徳牧場主と開拓民の土地争いに捲込まれる。開拓民の娘と恋仲になるが、彼女の叔父(実は父親)は彼が追っていた強盗団のボスだった。しかし、今は開拓民のリーダーとして慕われており、一緒に悪徳牧場主と戦うというストーリーは、昔のB級アメリカ西部劇によくあるパターンで、細かいところはすっかり忘れていましたよ。

劇場で観た時は英語版で主人公の名前はリーガンでしたが、今回観た独語版では「A FEW DOLLARS MORE FOR DJANGO」の原題通りジャンゴでしたね。ジャンゴのイメージと全然ちがいますけど。

主演は、アンソニー・ステファン。数多くのマカロニに出演していますが、陰が薄いんですよねェ。“枯れ木の山は寂しい”、“下手な鉄砲は数射ってもあたらない”というのが、ステファンの作品ですね。(笑)

この作品もジェンマが演れば、それなりに面白くなったのかもしれませんけどね。

ステファンの“逆転殺法ダイナマイト射ち”には、つい笑ってしまいました。それでも、こんな映画でも私は好きなんです。

独語の西部劇は、やっぱり違和感があるなァ。

 

 

 

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