劇場公開作品


『赤い砂の決闘』(1963年/監督:リチャード・ブラスコ)

メキシコ革命軍に参加していたリカルゴ(リチャード・ハリソン)が故郷のカータービルに戻ると、三人組の強盗に養父が殺されていた。義弟のマヌエル(ダン・マーティン)が、町で酔っ払って砂金を溜め込んでいることを口走ったためだ。犯人は町の人間と考えたリカルゴは捜査を開始するが、保安官(ジャコモ・ロッシ・スチュアート)が何かと干渉してくる。酒場で働くリカルゴの昔の恋人マリア(サラ・レザーナ)は、今は保安官の愛人となっており……

日本で公開された最初のマカロニ・ウエスタン。後年マカロニブームの要因となったカッコ良いガンプレイもなければ、残酷性もなく、スタイリッシュなところもありませ〜ん。

音楽だけはエンニオ・モリコーネなので聴かせてくれますが、本場西部劇のマネして作ったまがい物といったところでしょうか。

服装は50〜60年代の本場西部劇のスタイル。ところが使っている拳銃はピースメーカーでなく、1930年代のギャング映画で出てくるようなダブルアクション拳銃。ラストの決闘シーンなんか、ガンベルトのホルスターにピッタリ収まっていないので笑えますよ。

セルジオ・レオーネが『荒野の用心棒』を作った時に、イタリアでは西部劇はもうダメと云われていたんですが、こんなのばかり作っていたんでは、そうなりますよ。マカロニ・ウエスタンは『荒野の用心棒』から始まったことが、この作品を観て実感しました。

公開当時のポスターは、ジャコモ・ロッシ・スチュアートがデカデカ。主役のリチャード・ハリソンはどこにもいな〜い。『さすらいのガンマン』のアルド・サムブレルがデカデカのポスターと同じで〜す。アルド・サムブレルといえば、この作品ではセリフもなく、リチャード・ハリソンにあっさり殺される役でした。ウッカリすると見過ごすぞォ。

 

『荒野の1ドル銀貨』(1965年/監督:カルビン・ジャクソン・パジェット)

南北戦争が終わり、北軍の捕虜だったゲイリー・オハラ(ジュリアーノ・ジェンマ)は弟と一緒に解放される。北軍から返された拳銃は銃身が切り取ってあった。弟は西部へ向かい、ゲイリーは妻(イブリン・スチュアート)の待つ故郷へ帰る。妻の無事を確かめたゲイリーは、弟の貯金から1枚の1ドル銀貨を胸ポケットにしまい、弟を追って西部に旅立つ。ゲイリーがたどりついた町は、マッコリー(ピーター・クロス)が支配する無法の町だった……

一般的には、マカロニ・ウエスタンの名作の一つにあげられていますが、今回観なおして疑問を持ちました。意外と迫力がないんですよ。以前にテレビで観た時は、リアルタイムで観た時の記憶が鮮明だったので、ただボンヤリと眺めていただけで、今回のように他の作品と比較できず、気がつかなかっただけですね。

確かに、アクションスターとしてのジュリアーノ・ジェンマの動き(格闘シーンにおける、殴られて吹っ飛ぶ動きは、プロのスタントマンより上手いです)は魅力的なのですが、悪党に魅力がない。それでジェンマの良さが引き立たないんですよ。

『荒野の1ドル銀貨』の評価が高かったのは、単に公開時期がよかったからですね。『荒野の用心棒』がヒットし、二番手として登場したのがこの作品で、イカス音楽が流れ、カッコいいヒーローが活躍する。

ストーリーや小道具(銃身が切られた拳銃や1ドル銀貨)の使い方は、ドイツ西部劇よりも、当時のアメリカB級西部劇よりも面白かったのは事実で、それで単に面白かったという記憶だけが残って、作品を実体以上のものにしたんじゃないでしょうか。

 

『リンゴ・キッド』(1965年/監督:セルジオ・コルブッチ)

賞金稼ぎのジョニー(マーク・ダモン)は、ペレス兄弟を追ってメキシコにやってくる。賞金のかかっていない末弟のホアニト(フランコ・デ・ローサ)を除いて、ペレス兄弟を射ち倒したジョニーは賞金を受けとると、酒場で歌っている恋人マルジ(ヴァレリア・ファブリッツィ)に会いにテキサスのゴールドストンの町へ。銃の携帯を許可していない、ノートン保安官(エットレ・マンニ)に銃を取り上げられるが、ホアニトに頼まれて彼を殺しにやってきた悪党を隠し持った爆弾で倒す。この爆弾事件のため、ジョニーは留置所に入れられる。ホアニトはアパッチと手を組み、ノートンにジョニーを渡すように脅しをかける。法に忠実なノートンは、これを拒否するが……

今回、伊語バージョン(原題:Johnny Oro)のDVDで観たのですが、劇場公開時は英語バージョン(原題:Ringo and His Golden Pistol)で、主人公の名前がジョニー・オロからジョニー・リンゴに変わっていました。そのため、題名が『リンゴ・キッド』になったんですよ。

オロとは黄金の意味で、主人公が金鉱で生まれ、黄金の拳銃に、金の拍車、金のパイプと、黄金グッズを身につけている由来になっているので、伊語バージョンの方がしっくりきますね。

神父や女・子供を情け容赦なく射ち殺すマカロニ特有のシーンはありますが、初期のマカロニの特徴であるアメリカ西部劇のマネが随所に見られますね。町民が助けてくれず、保安官が一人で戦う決意をするのは『真昼の決闘』だし、保安官事務所に立て篭もって戦うメンバーに老人がいたり、ダイナマイトで敵を粉砕するのは『リオ・ブラボー』です。

決闘シーンは手を変え品を変えて工夫しているので、アメリカのB級西部劇より楽しめました。

 

『ミネソタ無頼』(1964年/監督:セルジオ・コルブッチ)

な、なんだ! このラストは! これじゃあ、足のある蛇だよ。劇場公開時のラストの方が格段に優れていますよ。

自分の無罪を証明できる人物を捜すために、刑務所を脱獄したミネソタ・クレイ(キャメロン・ミッチェル)が故郷の町に戻ってみると、二組の無法者集団が血みどろの争いをくりかえしていた。いつ失明するかもしれない眼病にかかりながら、18年越しの宿敵と生命を賭けた対決をする……

『ミネソタ無頼』は、『夕陽のガンマン』と同時期に公開(『ミネソタ無頼』が1967年1月14日で、『夕陽のガンマン』が1月20日封切)されたため、大学受験期間中だった私は、後に二番館で『殺し屋がやって来た』との2本立てで観たんじゃなかったかなァ。つまり、当時はそれほど評価していなかったマカロニなんです。

だけど、DVDで観なおして、『荒野の1ドル銀貨』より、こっちの方がいいんですよ。本場アメリカ西部劇でクセのある傍役として長年培ってきたキャメロン・ミッチェルの風格と、マカロニの粘着質の世界がうまく溶け合っているんですね。ズングリ・ムックリの初老のミッチェルのガンプレイには派手さはありませんが、修羅場の強さを感じさせます。

盲目となった主人公が、撃鉄の響き、銃声、足音、息づかい等、さまざまな音を頼りに敵を倒していくクライマックスは、ミッチェルの存在によって迫力を生んだことを再認識しました。本場西部劇でなく、マカロニに死に場所を見つけた男の迫力です。

敵を倒し、娘に見取られながら死んでいくことで余韻が残り、作品全体がひきたつわけで、このDVDのラストでは、ダメ、ダメ、ダメ!

 

『帰って来たガンマン』(1966年/監督:カルロ・リッツァーニ)

南北戦争が終わり、ジェリー(トム・ハンター)はシーガルと公金を強奪するが、騎兵隊に追われ、家族のことをシーガルに頼んで、囮となって捕まる。5年後、刑期を終えて故郷へ戻ってきたジェリーは、妻が貧困のうちに死に、息子が行方不明となっている事実を知り、シーガルへの復讐を誓う……

劇場公開時に観た時は、もっと面白かった印象があったのですが、DVDで観直すと今イチなんですよ。“疾風十字射ち”も、もっと凄かったような気がしたのですが。当時は、マカロニ・ウエスタンそのものが目新しかったので、特別な感情を抱いていたのかもしれませんね。

トム・ハンター、ヘンリー・シルバ、ダン・デュリエといったアメリカ勢を中心としたキャストのためか、全体的に本場の西部劇に似た感じとなっています。特に長年バイプレイヤーとして数多くの西部劇に出演してきたダン・デュリエが、この作品のアドバイザーを兼務しているので、単なるモノマネでない本場の匂いがそこはかとなく漂っていますよ。

逆にそのことが、B級西部劇の面白さはあっても、マカロニとしての物足らなさを感じるのかもしれませんね。

 

『ガンクレイジー』(1966年/監督:ユージニオ・マルティン)

刑務所へ移送中の凶悪犯ゴメス(トーマス・ミリアン)は、幼馴染のイーデン(エラ・カリン)の手助けで、護衛を皆殺しにして脱走する。ゴメスを追って賞金稼ぎのルーク(リチャード・ワイラー)がイーデンの住む村へやって来るが……

スペイン語バージョンのDVDで観たのですが、出演しているのがラテン系の役者ばかりなので、違和感はありませんね。メキシコ人がスペイン語を使うのは当り前なわけだし。

劇場公開時に観た時の印象と変わらなかったのは、『帰って来たガンマン』より『ガンクレイジー』の方がマカロニだからでしょうね。

初期のマカロニ作品がそうであるように、銃器、服装、駅馬車(ウェルズ・ファーゴの表示)などのアメリカ製小道具が目立ちますが、トーマス・ミリアンだけは独自スタイルで、マカロニを強烈に印象づけています。性格が屈折した残忍な悪党ぶりは、マカロニの世界で輝きます。

輝くといえば、これが最初の映画音楽というスティルビオ・チプリアーニの音楽が最高です。数あるマカロニ・ウエスタンの名曲の中でも屈指だと思いますよ。

 

 

 

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