『続・荒野の用心棒』にみるマカロニの世界
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『荒野の用心棒』は起爆剤となりましたが、まだブームにはなっておらず、ブームとして爆発するのは、『夕陽のガンマン』からです。 『荒野の用心棒』から『夕陽のガンマン』までの約1年間で日本で上映されたマカロニは、『ワイアット・アープ』、『荒野の1ドル銀貨』、『続・荒野の用心棒』、『リンゴ・キッド』、『殺し屋がやって来た』、『ミネソタ無頼』のたった6本。そのうち、『ワイアット・アープ』は未見。私が住んでいた地方都市では上映されなかったような気がします。ごく短期間で、限られたエリアでの上映だったのではないでしょうか。見ていたらガッカリしていたかもしれませんね。 一方、同じ時期に私が見たアメリカ西部劇は、『キャット・バルー』、『駅馬車(ゴードン・ダグラス監督のリメーク版)』、『ガンポイント』、『砦の29人』、『荒野の対決』、『ネバタ・スミス』、『荒野の悪魔』、『アルバレス・ケリー』、『シェラ・マドレの決闘』、『テキサス』、『プロフェショナル』、『エル・ドラド』とマカロニより多かったのですが、最も印象に残ったのが『荒野の1ドル銀貨』と『続・荒野の用心棒』のマカロニ作品でした。 『キャット・バルー』はユニークな歌入り西部劇として、『砦の29人』は初めて黒人ガンマン(シドニー・ポワチエ)が出た西部劇として、『ネバタ・スミス』は次代を担う西部劇スターのスティーブ・マックゥィーンの作品として、『アルバレス・ケリー』は迫力あるスタンピ−ドシーンが、『プロフェショナル』は痛快アクション西部劇として、『エル・ドラド』はハワード・ホークスの男性的西部劇として、予想通りの上出来西部劇でしたが、『荒野の1ドル銀貨』と『続・荒野の用心棒』には予想外の面白さがありました。特に『続・荒野の用心棒』は今までにない西部劇で、私はマカロニ最高傑作と今でも思っています。 |
セルジオ・コルブッチが監督した『続・荒野の用心棒』は、全ての面で斬新でした。 まず第1に主人公の名前です。ジャンゴ……、なんと響きのよい名前でしょうか。アメリカ西部劇の代表であるシェーンとリンゴを足して2で割ったようなネーミングですが、マカロニの主人公にふさわしい名前ですよ。 今から思うと原題の『ジャンゴ』で公開してもよかったような気がしますね。何が続で、何が用心棒か、内容を見たら首をかしげるでしょう。当時としては、当たった『荒野の用心棒』に便乗する方がリスクは少ないと配給会社は考えたのでしょうね。リバイバル上映する時は、『ジャンゴ』でやってもらいたいものです |
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次にタイトルに流れる主題歌です。一度聴いたら、口ずさむことができるんですよ。“ジャンゴ ハイアマト ソーレイ……”ってね。 最近の映画がつまらないのは、口ずさめる主題歌がないので、一体感が持てないんですよ。自ら歌うことにより、その映画のシーンに浸ることができるんですね。 第3番目に風景……、泥んこの世界です。砂塵の町は西部劇ではお馴染みですが、泥んことはね……。 ぬかるみに足をとられながら、棺桶を引っぱって歩くジャンゴの後姿に、例の主題歌がかぶさる。冒頭のシーンだけでうなりましたよ。陽のささない、暗い、泥の町は、この作品の背景にピッタシで、素晴らしい映像感覚です。 |
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最後に、予想のつかない展開……。最初、ジャンゴは丘の頂上からメキシコ人(ウーゴ将軍一味)にリンチされている女を見ています。カメラはリンチシーンに移動し、銃声がしてメキシコ人が倒れます。そして、銃を持って立っているのはジャンゴと思いきや、別の悪党たち(ジャクソン一味)なんです。最初の予想外れでした。 酒場でジャンゴに早射ちで手下を倒されたジャクソン大佐は、40人の部下を引きつれて町へやってきます。ジャンゴは棺桶から機関銃を取り出し、ジャクソン大佐の部下を皆殺しにします。こんなに早く、ジャクソン一味をやっつけて、話が続くの?と思いましたよ。だけど、それは杞憂で、その後も盛沢山の趣向が待っていました。 そして、極めつけが両手をつぶされたジャンゴが、墓場でジャクソンと対決するラストシーンです。絶体絶命のピンチに、ジャンゴが考えた秘策は…… これは、マカロニのみならず西部劇史上に残る名決闘シーンだと私は考えています。 歯で拳銃の安全鉄を外すことは不可能だし、あんな機関銃も歴史上存在しないのですが、いかにもありそうに見せるのが監督の演出力であり、映画の魅力なんですね。 |
『続・荒野の用心棒』は、ヨーロッパでは評判になり、主演のフランコ・ネロは一躍有名になりました。ドイツではネロが出演した映画は、ジャンゴの冠をつけて上映したそうですよ。例えば、サメの出てくる映画だと『ジャンゴ対ジョーズ』、ギャング映画だと『マフィアのジャンゴ』といった具合に。このことは、ネロがインタビューに答えて語っています。 だけど、アメリカでは『荒野の用心棒』と比較すると、格段に評価が低いんですよ。これは、以後、レオーネとコルブッチの評価の差となって表れてきます。レオーネの渇いた荒野はアメリカ西部劇と同質のものでしたが、コルブッチの湿った荒野は、全く異質だったんですね。 この異質さが、アメリカ西部劇にない独自の西部劇として、私は逆に『続・荒野の用心棒』を高く評価しているんです。 |