私的マカロニ興亡史


マカロニ・ウエスタンとは

「かつて、マカロニ・ウエスタンと呼ばれたジャンルがあった。

 ウエスタン=西部劇といえばアメリカの専売特許として長く在ったものだが、

 これは“マカロニ”の言葉が象徴している通り、イタリアが作った西部劇の総称で、殺しと残酷の二枚看板を掲げて、60年代後半、日本に大ブームを巻き起こした。

 欧米では“スパゲッティ・ウエスタン”と呼ばれ、イタリア映画史上、いや世界映画 史上でも稀に見る存在として、いまだに記憶されるべき分野と言えよう」

   二階堂卓也(「マカロニ・ウエスタン」PSC発行)より

 

 西部劇というジャンルからみた時、マカロニ・ウエスタン(以下マカロニと略す)は、異端視扱いされていますね。特に、50年代に西部劇をリアルタイムで観た年配の方たちは、マカロニは西部劇ではないとハナから否定される人が多いんですよ。私の父親もそのひとりですがね。私が西部劇好きになったのは、父親の影響が大きいのですが、ことマカロニに関しては見解を異にしています。

 私はマカロニも西部劇のひとつだと思っています。

 ガン・プレイを中心としたアクションに特化した西部劇が、マカロニですね。

 マカロニには、西部劇でお馴染みのカウ・ボーイは出てきません。出てくるのはガンマンばかり。朝から晩まで射ちあいばかりしてるんですね。

 西部劇のガン・プレイはチャンバラの殺陣と同じで、いかにカッコよく見せるかが重要なんです。

 “殺しと残酷”というスパイスで、ガン・プレイの味を引き立て、音楽という香りで、食欲を増進させるのがマカロニ料理の特長でした。

 マカロニ料理は美味しかったから、ブームになったわけですが、年配の方には少し味が濃すぎて口にあわなかったのでしょう。

 

『荒野の用心棒』が大ヒット

 マカロニ興亡史を考える場合、私は大きく3つの期間に分けることができると思っています。

 ブームの起爆剤となった『荒野の用心棒』から『続・夕陽のガンマン』までの全盛期。

 『殺しが静かにやって来る』『ウエスタン』までのマンネリ期。

 そして『ワイルド・トレイル』で消滅するまでの衰退期です。

 『荒野の用心棒』を見たのは高校2年の冬休み。その年(65年)に見た西部劇は、『シルバーレークの待伏せ』、『ダンディ少佐』、『シェナンドー河』、『モンタナの西』、『エルダー兄弟』、『ビッグ・トレイル』、『荒野の決断』、『最後のガンファイター』ですから、『荒野の用心棒』面白さは群を抜いていましたね。唯一対抗できたのが『エルダー兄弟』ぐらいでした。

 当時の私の基準は、ガンプレーを主体としたアクション中心で、『シェナンドー河』は、良い西部劇であっても面白い西部劇とは言いかねました。

 『シルバーレークの待伏せ』、『荒野の決断』、『最後のガンファイター』はヨーロッパ製西部劇なんですが、私はアメリカ西部劇だと思っていました。

 『荒野の決断』と『最後のガンファイター』が、“痛快!西部劇2連発”と銘打った2本立て興行で映画館にきた時には、面白いB級西部劇として期待しましたよ。

 封切られたのが2学期の期末試験中だったので、ジッとガマンして試験終了日にはスッ飛んで見に行ったんです。

 カッコいいアクションを期待したのに、痛快には程遠くてガッカリしましたね。

 

 3学期が始まる前に、あまり期待せずに見に行ったのが『荒野の用心棒』でした。先に見ていた友人がメチャ面白いと言っていたが信用しなかったですね。だってソイツ、『荒野の決断』もメチャ面白かったと言っていたのですから。それに、イタリア製だということは、事前にわかっていたし、黒澤明の『用心棒』のパクリだということも知っていましたからね。『ローハイド』のロディと三船じゃ、イメージが全然あわないし……

 実際に見てみると、うれしい誤算でした。ストーリーの面白さは『用心棒』そのものだから当たり前なんですが、イーストウッドが最高だったんですよ。

 三船と同じような無精髭、うす汚れたポンチョ、まぶかにかぶった帽子、口には火のついていない細い葉巻。表情ひとつかえずに、いきなりファニング。アッというまに数人が倒れている。

 イーストウッドのファニング・スタイルは、腰を落とさず、つっ立ったままで、それでいて不安定でないから、サッソーとしてカッコいいんですね。

 「さすらいの口笛」をはじめとするモリコーネの音楽も、映画にピッタリあっていて、まさに斬新な西部劇でした。

 「さすらいの口笛」はロイヤル・ナイツが日本語でカバー(♪〜赤い砂塵がけぶるよ〜)し、ラジオで流れていたのを何度か聴いたことがあります。

 『荒野の用心棒』は世界的ヒットとなり、「ほんのひと握りのドルのために」どころか、「両手でも足りないドル儲け」となったんですよ。

 『荒野の用心棒』が、マカロニの始まりと一般的に言われていますが、イタリアでは『荒野の用心棒』以前にもマカロニは作られています。(セルジオ・レオーネ監督は25本あったとインタビューで語っています=正確な数字はわかりませんが、いろいろな情報から推理すると、私は20本以上あったと考えています)

 TV西部劇『ブロンコ』のタイ・ハーデンもイーストウッド以前にマカロニへ出演していますね。アメリカでTV西部劇のブームが去り、西部劇の役者やらスタントマンが失業してゴロゴロしており、イタリアの小プロダクションが彼らを安い給料で使って西部劇(マカロニ)を作り始めたんですよ。

 しかし、『荒野の用心棒』以前のマカロニは、ヨーロッパ製西部劇と同じようなアメリカ西部劇のコピーに過ぎなかったため、ヒットしなかったんですね。

 レオーネが『荒野の用心棒』を発表した時、イタリアでは西部劇は商売としてもうダメという状況だったそうで、その意味でも『荒野の用心棒』は革命的作品になったわけです。

 『荒野の用心棒』がヒットしたから、マカロニを作り始めたのでなく、ヒットしたから、大量生産できるようになったのですね。

 

※日本で最初のマカロニは、1965年5月に公開された『赤い砂の決闘』です。

 

 

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